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・・・🌺 春はそこまで 🌺・・・

5月29日エベレストの日

2013年05月30日 | 日記

5月29日はエベレストの日

1953年5月29日 エドモンド・ヒラリー(ニュージーランド)、テンジン・ノルゲイ(シェルパ:無国籍)

が東南稜から初登頂した。 この日を「エベレストの日」と制定した。

5月23日には三浦雄一郎さんが80歳7カ月の最高齢で3回目の登頂に成功している。

私も机上では3~4回登頂を果たしているが・・・)

エベレストとはどんな世界なんだろう

  :我が家の紫陽花

標高8000mを超えるヒマラヤの高峰は、この地上で最も過酷な場所の一つである。

その頂は地上に属しながら、同時に天に属している。

この地上が、ジェット気流の中に頭を突き出して、何十万年も何百万年も、

天と無限に対話を繰り返し続けている場所。

それがヒマラヤのピークである。

酸素は平地の1/3。

一歩進むだけで、何度も激しい呼吸を繰り返すことになる。

このヒマラヤの高峰の一番の過酷さは、寒さではない。

雪でもない。

       風でもない。

              高度である。酸素の薄さだ。

このヒマラヤの高峰へ登山家が立つためには、高度順応というものをしなければならない。

標高の高い、酸素の希薄な場所へゆくと、誰でも高山病になる。

人の肉体にどういうことが起きるか。まずおこるのが、疲労である。すぐに疲れる。

次に頭痛だ。 頭がズキズキと痛み、吐き気が、時には吐く。

食欲が無くなり、肉体が食べ物を受け付けなくなる。

したがって、ますます、疲労が強くなり、体力が衰える。

次の段階では、症状はさらに進む。

眼底出血がおこり、眼が見えなくなる。

肺水腫・・つまり、肺に水泡ができて、水が溜まり、呼吸をするたびに、

 ごろごろという音が聴こえるようになる。

こうなったら、一刻も早く、酸素の濃い場所へ下ろさないと、死ぬことになる。

脳にも同様のことがおこる。

脳水腫・・幻覚を見、幻聴を聞くようになり、現実と幻覚の区別がつかなくなる。

やがて・・・死に至る。

そうならないために高度順応をする、高度に肉体を慣らすのだ。

高度順応というのは、具体的には、血液中のヘモグロビンを増やすことだ。

このヘモグロビンの量が増えれば、自然に体内に取り込む酸素の量が増える。

しかし、どれほど高度順応がうまくできても、それは六千数百メートルあたりまでが人の限界である。

それより上の標高にいくと、人は何もせずに眠っているだけで、疲労し続けてゆくことになる。

                                        虚空の掟・・・(夢枕 獏)より

間違いなく大変なところのようです。(行きたくな~~~い)

人はなぜ、こんな場所へ行くのだろうか?

三浦雄一郎さんは、朝日新聞の取材でこんなことを言っています。

燃やせる夢を持とう・・・三浦雄一郎

豊かさの時代、右肩上がりの幻想の中で育った世代は、今日本が直面する状況を、

どん底と感じるかもしれない。

でも、繁栄は必ず崩れるもので、浮沈は世の常。

戦争や災害など、日本も幾たびも経験してきたことで、むしろ試練を経て日本人は、

 人類のリーダーにも成り得る精神的資質を育んだと思う。

それに苦難の時代こそ、新しい価値観を探し、何かを変えようとする力が湧くもの。

今こそチャンスと考える若者にもどんどん出てきてほしいし、

私のように後期高齢者ならぬ自称「元気高齢者」世代も、大きな社会の力になれる。

人類はあらたな地平を求める冒険心があったからこそ生き延びてきた。

私も1966年に富士山、70年にはエベレスト滑降などに挑んできたが、60代で引退を意識した後は、

 運動不足で飲み放題・食べ放題が大好きな、典型的なメタボ人間と化していた。

自問自答の末、思い当った。

命を燃やす夢を持たなくなったことが真の原因だと。

前から心惹かれていたエベレストに登る目標を立てた。

両足に重り、背中にザックのいでたちで、街中を歩き始めた。

半年で、富士山に登れた。

3年たち、両足で10キロ、背中に20キロをかつぐ頃には、長年の膝や腰の痛みが、なぜか消えていた。

命がけで夢に立ち向かうことは、自分の生命力を強めていくことにもなるかもしれない。

2003年、70歳の挑戦。不整脈がひどく疲労困ばいで、登頂は成功したが、

 約10日間で体重が10キロ落ちた。

2度の心臓手術を経て2008年には、75歳で再度成功した。

エベレストの頂きから見上げる空は濃紺だ。

あと少し高ければ、人間は血液が沸騰し、生身ではいられない。

そこは死の世界、神の領域。

酸素吸収能力などで計算すると、70歳代の人は高度5000m、

100歳では7000m近くで暮らしているに等しい。

我々は皆、何かを征服するために登り、天国に近づいていくのかもしれない。

 くれぐれもマネはしないように・・・。

  :twinsパートナーです

自然が人間を拒絶している超高所へ、意志と体だけで切り込む。

達成まで生き延びることが目標になる。

厳しい挑戦である。

「冒険とは生きて帰ること」。

植村直己さんの至言を胸に畳んでの長い道だったろう。

一流の登山家ほど「命知らず」の行動から遠いものだ。

「異次元であること」

  :hina-bou

海外行は5~6000mの山または峠を上界とする。

そのあたりまで登ると、おのずと体重も減り、血中コレステロールも正常に下がり、

その上で、その高度なら、筋力も落ちず、体調はすこぶる良好となる。

高所に順応するためのコツさえ心得ていれば、年二回の5000m登山こそ

 最良の健康維持法であろう。

順応を感得するのは体である。

登山は自然順応の技術だから自然の中で自力で感得するしかない。         

                                       原 眞(医師)

良い子は絶対に『マネ』をしないように・・・。

  :mei-dx

何故山に登るのか」・・・

3人のクライマーはこんな言葉を残しています。

                      

「山に登っていて、苦しみは必ず喜びに変わる。ということを知りました。

山では孤独で本当に苦しい。だからこそ登頂した時に泣いて喜ぶことができる。

つまり、それまでの苦しみが180度グルンと回転するんですね」   ・・・栗城史多

                             **

僕は山を登り始めてから今まで常に、「もっと難しい壁に、もっと厳しい環境で、

もっとシンプルなスタイルで」と、自分の限界を押し上げてきたつもりだ。

もちろんそれは、誰かに強制されたものでもなく、

僕自身が、どうしようもなく限界に挑みたくて仕方なかったからだ。

確かに小さなハイキングをしているときも喜びは感じるが、

やはり限界ギリギリの登攀をしているとき、「生きている」自分を感じられるのだ。

                                          ・・・山野井泰史

                               **

何もしないで、ただ会社行って、ビールでも飲みながらナイター見て、風呂に入って寝て、

また翌日会社に行って・・・・・っていうのって、そんなに難しいことじゃないよね。

ただ、【生きてる】だけだもの。

自分の人生を【生きぬこう】と思ったら、楽しいことがあるよ。

生きぬくことは冒険だから。

冒険っていうことは、危険も伴うし、命を落とすようなこともあるかもしれない。

でもさ、逆にそれだけ、楽しいこともあると思うんだ。

アドベンチャーなんだから                         ・・・故:長谷川恒男

                                 **

  :時計

エベレストに登るのはいくらかかるの?

一昨年南八ヶ岳の青年小屋に泊まった際、エベレスト登頂経験者の小屋主に話を聞きました。

その時は「一本=一千万円」と言っていました。

今商業登山が盛んなエベレストではネパール政府に支払う登山許可料は、

一人25,000$(約250万円=100円換算)といいます。

ただし団体割引があり、7人以上で10,000$になる。

(他の8,000m峰は5,000$だから高いことが解る)

1953年のヒラリ・テンジンの初登頂から60年、登頂者は6,149人になっているという。

ベテランのヒマラヤ登山家でなくても、世界再高峰に立てることになったのも事実のようだ。

  :日影茶屋(鎌倉)

ちなみに1953年5月29日は愚妻の誕生日(還暦)でもあった。

日影茶屋のショートケーキで、エベレスト登頂ではなく、60才の誕生日を祝った。

twins を横目に見て・・・。