goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「フライト・オブ・ジ・イノセント」

2013-05-14 06:43:58 | 映画の感想(は行)

 (原題:La Corsa Dell' Innocente)92年作品。この映画は何といっても冒頭の10分間がスゴイ。舞台は南イタリアの山村。主人公の少年の家をマフィアの一団が襲う。家族を一瞬にして皆殺しにするあたりのすさまじい残虐描写、キレのいい演出、あふれるスピード感、手に汗握るサスペンス。もしもこのペースで全篇つっ走るとしたら、とてつもない傑作になることを予感した。しかし、残念ながらそうならない。

 物語はただ一人生き残った少年と、彼を狙う殺し屋の追跡劇へとなだれこむ。実は少年の親兄弟はマフィアの一派で、この惨劇も北部の富豪の息子を誘拐した一味の仲間割れが原因だった。誘拐された子供はすでに殺されたが、身代金だけはせしめようとする一味。そのことを子供の両親に知らせようと、主人公はローマへと急ぐ。果たして間に合うのか・・・・。

 実に面白そうな設定で、事実、ある程度は面白いのだが、何を勘違いしたのか、ストーリーの展開速度が映画が進むにつれて遅くなっていく。

 昔からイタリア製娯楽映画には残酷ホラーものとかアメリカ映画のパクリとか、少しクサい部分があるが、それらと同じくらい有名なものに“子供をダシに使ったお涙頂戴路線”というのがある。可愛くて芸達者なガキが出てきて、死病ものとか母親探しとか下世話な題材でもって観客の涙をしぼり出させる、あのパターン(実例をあげるのは控えるが)。これが途中から見えてきてしまう。

 死んだ子供の両親と会うシーンがその際たるもので、思い入れたっぷりのロング・ショットがセンチメンタルな音楽をバックに延々展開される。甘い回想シーンもバッチリ。実にあざとい(笑)。

 特筆すべきは映像の美しさ。茶系を中心とした暖かい色調で、イタリア南部の田園風景、夕暮れのローマの街の描写など、見とれてしまう。

 アメリカ映画ならすっきりとまとめてしまう題材であろう。ヨーロッパ映画らしい雰囲気は捨て難いが、もうちょっとドライなタッチを要求したいところ(それでも、本国では、あまりにアメリカ映画っぽいということで批評家のウケが悪かったとか。難しいものである)。ただ、監督カルロ・カルレイはインタビューで、イタリアでは北部の金持ちを狙った誘拐事件が後を絶たないらしく、この映画のような話は珍しくないということを話している。彼の国の南北問題の深刻さを再確認してしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォルクスワーゲンのup!を購入した。(その2)

2013-05-13 06:28:37 | その他
 実を言うと、私は自動車を購入する際、外観にそれほど関心を払わない。なぜなら、乗っているときはクルマのエクステリアは見えないからだ(当たり前だ ^^;)。どちらかというと、私にとって大事なのは外装ではなく内装の方である。

 しかし、自家用車に乗る機会は私よりも嫁御の方が多い。だから、相方の意見を無視してしまうわけにはいかないのだ(もしもシカトしたら夫婦の危機に陥る)。いくら質の良いクルマでも、外装に関する嫁御の“審美眼”をクリアしないと購入出来ない。では今回のup!はどうかというと、スンナリとゴーサインを出してくれたのでホッとした(笑)。

 彼女いわく、このクルマのデザインはとても可愛いらしい。なるほど、巷でも言われているとおり、笑っているように見えるフロントグリルはチャーミングかもしれないし、丸みを帯びたデザインは余計な威圧感が無く、けっこうポップだ。女性陣のウケが良いのも頷ける。

 個人的に“これは良いね”と思ったのは、 リアビューである。大きなガラスパネルを使用し、かなり質感が高い。バックドアを開けるハンドルが小さいのは難点だが、頻繁にトランクに物を詰めることはないのであまり気にする必要もない。

 内装で特筆すべきはシートの形状だ。試乗した際にもその的確なホールド感は印象付けられたが、実際に使ってみて気に入ったのが、背筋を伸ばした体勢で運転するのに適していることだ。背もたれをある程度倒した形でリラックスして運転するのが楽だと思われがちだが、姿勢良く座る方がドライバーの視線を高く保つことが出来るし、腰への負担も少ない。長時間のドライブでは効果を発揮しそうだ。

 まだ納車されてから日が浅いので燃費についてはハッキリしたコメントは出来ないが、満タンにしてからけっこう走っても減りが目立たないところを見ると、かなり良いと予想出来る。



 以前のアーティクルでも述べたが、このモデルはオートエアコンやスマートキーといった国産車には標準で付けられているようなアクセサリー的な装備は無い。その点が気に入らないユーザーは初めから購入対象にするはずもないが、逆に“そんな装備は不要だ”と考え、自動車の基本走行性能の方を重視する消費者ならば魅力的に映るだろう。

 考えてみれば、up!のようなクルマは日本から提案するべきではなかったのか。価格がリーズナブルで走りが良くて安定感がある・・・・というコンセプトの採用は日本の自動車メーカーの方が得意だったように思っていたのは、どうやら私の錯覚だったらしい。少なくともこのコンパクトカーの分野では、up!を大きく凌駕する国産車は見当たらない。

 最近は“エコ”がトレンドで、それを売り物にしている国産車が多いが、“エコ”を標榜していれば作りはどうだっていいのかと問いたい気分になってくる。まあ、プリウスみたいな“欠陥車”がバカ売れしているお国柄だから仕方が無いのかもしれないが・・・・。

 外車に付きもののメンテナンスでの不安要素は、確かに付きまとうだろう(一応、5年保証は付けた)。しかし、そんなことをいちいち気にしていては楽しく運転出来ない。今は週末が来るのが待ち遠しいし、いずれまとまった休みが取れたならば、泊まりがけで長距離のドライブにも繰り出したいものだ(^^)。

(この項おわり)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォルクスワーゲンのup!を購入した。(その1)

2013-05-12 06:56:28 | その他
 今回新たに我が家の狭い駐車スペースに鎮座することになったのは、フォルクスワーゲンのup!である。まさか自分が(決して高価ではないが)輸入車のオーナーになろうとは、買い換えの検討を始めた頃には思いもしなかった。

 ただし断っておくが、何も見栄やハッタリで“外車”を購入したのではない。そもそもベンツやBMWならともかく、フォルクスワーゲン(しかもエントリークラス)ごときでは見栄も張れない(爆)。単に欲しいものを探していると、いつの間にかこのクルマに行き着いてしまったというのが実情だ。



 当初私がコンパクトカーに求めていた“条件”というのは、以下の3点である。

1.燃費が良いこと。
2.運転がしやすいこと(特に小回りがきくこと)。
3.そこそこ走りが良いこと。

 予算内で収まりそうなクルマをいろいろと試乗してみたが、以上3点をクリアする国産コンパクトカーは見当たらなかった。マツダのデミオ(スカイアクティブ仕様)はアクセルを盛大に踏み込まないと思うように動いてくれず、ドライバーの負担が大きくなるので却下。ホンダのフィットは前方の視認性が悪く、スズキのスイフトは小回りがきかない(燃費もそれほど良くないと聞いた)。

 三菱のミラージュは燃費が良く操作性も悪くないが、平凡な走りは如何ともしがたい。トヨタのヴィッツおよびパッソは非力なドライブ性能ばかりが目に付き、どうしてこんなのがある程度売れているのか首を傾げるばかりだ(なお、日産のノートとスズキのスプラッシュは寸法面で折り合わないため試乗していない)。

 対してup!は“条件”をすべて満たしている。もっとも“up!に搭載されているセミATは扱いにくいので、上記「2」の項目をクリアしていないのではないか”という突っ込みが入るのかもしれないが、これは単なる“慣れ”のレベルで対処できる。オートマ限定で免許を取った者ならば別かもしれないが、マニュアルトランスミッションに接したことがあれば、苦労なく運転できるようになるまでそう時間はかからないと思う。



 ただしマニュアル方式の応用形である以上、独特のギアチェンジの感触とは別にオートマティック車とは異なる配慮が必要だ。まずこのクルマは上り坂で発進しようとすると、後ろに下がる(ことがある)。自動車学校で習った坂道発進の要領で対処しなければならない。特に注意が必要なのは、下り坂(緩い下り勾配も含む)でバックする時である。アクセルから足を離すと、車は前方に移動してしまう。場合によっては危険だが、こういう事態になるのはかつてのマニュアル車ならば“よくある話”であり、ドライバーにはそれに対応した運転が要求される。

 このような“通常のオートマティック車とは違う点”を認識さえすれば、up!は同クラスの国産車とは一線を画したクォリティを持つモデルであることが分かるだろう。とにかくこのクルマに乗っていると、コンパクトカーを選ぶ際に挙げられる上記3つの“条件”に“楽しく運転出来ること”という項目を付け加えたくなる。それほどにup!を転がすのは面白い。

 ステアリングの直進走行感が良いというのは最初に試乗したときのアーティクルでも触れたが、高速道路ではその持ち味が存分に発揮される。とにかく“滑るように”走るのだ。乗り心地はとてもリッターカーとは思えないほど上質で、同排気量のミラージュに大差を付ける。ハンドリングは小気味良く、ボディ自体の剛性感も相まって、実に手堅くドライバーの手足となって動いてくれる。

 重視していた小回りの良さも及第点で、Uターンする際も驚くほど小さく回れる。エンジン音などは“値段なり”であり、急峻な山道をハイスピードで走破するといった使い方には向いていないが(笑)、三気筒の小型車に多くを望むのは無理な話だ。そんなことよりも基本的な走行性能の高さが強く印象付けられる。まさに“Das Auto(これぞクルマ)”という雰囲気をリーズナブルな価格で味合わせてくれる、このモデルの商品価値は高い。

(この項つづく)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「藁の楯」

2013-05-11 06:41:07 | 映画の感想(わ行)

 前半は面白かったが、中盤以降は腰砕けである。その分岐点はどこかというと、主人公達が列車を降りて“地上戦”に移行するあたりである。つまりはスピード感の低下が即映画の失速に繋がっているわけで、その意味では出来が実に“分かりやすい”映画ではある(笑)。

 幼女殺人事件の容疑者を殺せば10億円進呈する・・・・という広告を全国紙に出したのは、被害者の祖父で政財界を牛耳る大物・蜷川であった。身の危険を感じた犯人の清丸は逃亡先の福岡で警察に出頭。しかし、警視庁まで移送する必要がある。その護衛に選ばれたのが凄腕のSPである銘苅や捜査一課の刑事・奥村ら5人。道中には欲に目がくらみ清丸の命を狙う者どもが多数待ち受け、そもそも人間のクズである犯人を守らなければならないディレンマが彼らを悩ませる。果たして彼らは任務を全う出来るのか。

 導入部からテンポが良く、事件発生から護送の段取りの決定までサクサクと進む。飛行機での移動が早々に取りやめになり、山のように警護車両を引き連れて高速道路を走るものの、爆発物を満載したトラックが突っ込んできたりして、またしても移送手段の変更を余儀なくされる。新幹線の一台の車両を“貸し切り”にして東京を目指すが、武装ヤクザ集団が襲いかかり、さらには借金に困った男が子供を人質に取って清丸の身柄の引き渡しを要求。この間の展開は息をもつかせず、アクションシーンも小気味よく繰り出される(特に新幹線内での銃撃戦は出色)。

 ところが、交通手段が新幹線から徒歩(および車)にスピードダウンしてしまうと、途端に演出がモタモタしてくる。しかも困ったことに、それまで疾走感で気にならなかった作劇の甘さが目立ってきてしまうのだ。

 そもそも三池崇史の監督作にしっかりとしたドラマツルギーを求めること自体に無理があるが(笑)、この映画も随分とディテールがいい加減である。普通に考えれば、蜷川がああいう広告を出した時点で殺人教唆により即逮捕だ。百歩譲って蜷川が警察を裏から動かせるほどのフィクサーならば、移送などという面倒臭いことをさせる前に、現場の警察官に清丸を“始末”させればいい。そこからさらに百歩譲って蜷川が無茶な広告を出すことによって世間を騒がせ、それに快感を覚えるサイコパスだと言いたいのならば、事前に彼の異常ぶりをテンション上げて描くべきだ。

 斯様に最初の設定からデタラメであるばかりでなく、出てくる刑事たちが甘ちゃんばかりなのには脱力する。ついウッカリと犯人を取り逃がしたり、近付いてきた一般人と裏も取らないまま安易に接触したり、果ては防弾チョッキを着用する“基準”みたいなのも無視している。本来はこういう作劇上の瑕疵を観客に勘付かれるヒマを与えず、ハイスピードで押しまくるべきなのだ。

 大沢たかお扮する銘苅は前半こそよく身体が動くが、後半になると自らの過去を切々と訴えているばかりの煮え切らないキャラクターに移行してしまい、同僚役の松嶋菜々子は“老い”ばかり目立ってピリッとせず、犯人役の藤原竜也は頑張っている割には凶悪さが出てこない。蜷川を演じる山崎努に至ってはクサい大芝居が全開で、観ていて萎えるばかり。

 要するにアイデアは良いのだが、作り込みが足りずに凡作に終わってしまったという感じだ。脚本を練り上げれば快作になる可能性もあるので、仕切直しの再映画化をお願いしたいところである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「HYSTERIC」

2013-05-10 06:35:37 | 映画の感想(英数)
 2000年作品。無軌道な若いカップルの乱行を描く瀬々敬久監督作品。94年に起こった大学生殺害事件で逮捕された若い男女をモチーフにしているが、映画は事実に即してはいない。

 内容自体は冗長で退屈だ。時制をランダムに並べる手法は思い付きの次元を出ないし、不要なエピソードが多すぎて、上映時間も無意味に長い。何より主人公たちの精神的背景が酌み取れないのはツライ。



 まあ、小島聖扮するヒロインの方は“初めての男”である相手に振り回されたということにしても、千原史浩演じる主人公には少しも感情移入できない。言い換えれば“感情移入なんか不要なほどの即物的な作劇”に徹しきれていないということか。

 脇には阿部寛や寺島進、余貴美子、下元史朗といった濃いメンツも揃っているのだが、あまり印象に残っていない。唯一印象に残ったのが斎藤幸一のカメラによる清涼な映像。作品全体に“落ち着き”を持たせ、浮つくのを抑える意味で効果的だったと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アイアンマン3」

2013-05-06 06:16:35 | 映画の感想(あ行)

 (原題:IRON MAN 3)楽しめた。題材とテーマはけっこう重いものがあるが、主人公の飄々とした造型および人を食ったユーモア精神により、ヒーロー物の領域を踏み外さずに万人にアピールする出来に仕上がっている。

 異次元宇宙からの侵略者と戦った「アベンジャーズ」から時が経ったが、アイアンマンことトニー・スタークはいまだにその精神的打撃から回復していなかった。不眠症とパニック障害に悩まされ、それを振り払うかのように新型アイアンマンスーツの開発に没頭する。そんな中、アメリカ各地で爆弾テロが発生。下手人は“マンダリン”と名乗るアラブ系過激派のようだが、そのバックにいるのは過去にスタークと因縁があった謎の科学者らしい。その魔の手は恋人のペッパーや大統領にまで及び、アイアンマンは疲れた身体にムチ打って難敵に挑む。

 最近は「ゼロ・ダーク・サーティ」や「アルゴ」などのアメリカ万歳映画が目立つが、明らかに本作はその対極にある。悪役の一人は中東への従軍でメンタル面で障害を負った者であるし、ラスト近くに明かされる黒幕は、VIPでありながら密かに世界各地でのアメリカの所業に疑問を抱いている者だったりするのだから驚かされる。

 くだんの科学者にしても、スタークの心ない言動が悪の道に突き進むきっかけとなったことは確かで、そのため主人公は悩むことになるのだ。このように物語を取り巻く状況はけっこうヘヴィだが、そこは必要以上に深くは突っ込まない。深刻ぶって自滅した「ダークナイト」シリーズの轍は踏んでいないのは賢明だ。

 実を言えばこのシリーズを観るのは今回初めてだ。パート1もパート2も未見である。しかしながら、この映画は単品としても良くまとまっており“アメコミのファン以外はお断り”みたいな取っつきにくさがないのは嬉しい。トニー・スタークは窮地に追い込まれてはいるが、どことなく楽天的だ。彼自身が天才的な発明家だということもあり、偶然知り合った少年から励まされるままに取り敢えず必要なものを自作してしまうあたりは笑った。

 監督シェーン・ブラックはアクション演出にキレがあり、アイデアの豊富さで観る者を退屈させない。ラストの大立ち回りなんか、これでもかというような重層的な段取りが用意されており、思わず手に汗を握ってしまう。主演のロバート・ダウニー Jr.は好調で、カリスマ的なヒーローとしての側面と、単なるスケベ中年との顔とを上手くブレンドさせている(笑)。相棒役のドン・チードル、敵役のガイ・ピアーズやベン・キングズレーも良い。

 でも何といってもオイシイ役どころはペッパーに扮するグウィネス・パルトロウだろう。スタークの“代打”で一時的にアイアンマンスーツを装着するだけではなく、終盤には思わぬ“大活躍”もある。ハッキリ言って私は彼女が好きではないが、今回に限っては“例外”であろう(笑)。長いエンドロールの後にエピローグと「アベンジャーズ」の面々が活躍する“予告編”まであり、当分このシリーズは見逃せそうもない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第10回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その4)

2013-05-05 06:50:43 | プア・オーディオへの招待
 会場ではオーディオ機器に加えてAVシステムのデモンストレーションも行われていたが、今回の目玉は何と言っても4K解像度をフィーチャーしたプロジェクターである。

 4K解像度とは、フルハイヴィジョンの4倍の画素数を持つ動画フォーマットのことである。当然のことながら画質は良い。しかし、4K専用の映像コンテンツが数少なく、何より数年前の地デジ化で大半のユーザーがハイヴィジョン用テレビに乗り換えたばかりなので、普及するにはかなりの時間が掛かるだろう。

 なお、会場で使われていたスクリーンは150インチのもので、年々大きくなる感じである。これは規模においてミニシアターと変わりがない。もちろん、導入出来るのはそれ相応の広いシアタールームを用意できる一部の消費者に限られる。景気回復が叫ばれているが、果たしてこのようなシステムは売れるのだろうか。



 話は変わるが、今回初めてこの手のイベントに嫁御を同行した(爆)。ただし会場にいたのは短時間で、途中で私を残してサッサと帰ってしまったのだが、彼女の各オーディオ機器に対するコメントが実に簡潔かつ手厳しい。完全に拒否反応を示したのは、米国JBL社のハイエンド型スピーカーDD67000で、いわく“何でこんなに喧しくてデリカシーの無い音にみんな聴き入ってるのよ! 1分と聴いていられない!”とのこと(笑)。

 ELACQUADRALMUSIKELECTRONIC GEITHAINといったドイツ製のスピーカーに対しては“音が硬い。却下!”と一蹴。英国B&W社のモデルについては“整ってはいるけど、面白味の無い音ね”と不満を洩らす。

 反対にとても気に入ったのが、FOCALSONUS FABERDiapasonFRANCO SERBLINといったフランス及びイタリアの製品らしい。いわく“明るく滑らか。艶がある。聴きやすい”とのこと。特に値段があまり高くないFOCALのモデルに興味を持ったようで、“アナタ、今度買い換えるときはこれにしなさい”と命令口調。“じゃあ、小遣い上げてくれよ”と言ったら即座に“ダメっ”と返され、グウの音も出なかった私である(激爆)。



 それにしても(ウチの家内も含めて)女性の音に対する感覚は鋭敏であると、つくづく思う。彼女達は、野郎みたいに無駄な能書きを垂れないし、どうでもいいようなウンチクも並べない。実際に出てくる音が直感的に良いか悪いか、それだけで機器を評価する。

 女性をユーザーを意識しない業界に未来は無い。だから、オーディオ業界の将来も実に危うい。団塊世代と心中したくなかったら、女性をターゲットにした商品展開とマーケティングを推進すべきだろう。少なくとも、部材の質や回路の様式なんかに執着する“昔ながらのオーディオマニア”は切り捨てていく方向に舵を切らないと、道は開けないと思う。

 余談だが、会場の福岡国際会議場の別のフロアでは医療関係の就職説明会が行われており、そこに参加していた女子学生が説明会が終わった後にオーディオフェアのブースに何人か来ていたようだ。たぶんピュア・オーディオについては知らないけど、何かイベントが行われているらしいと思って足を運んだのだろうが、いくらかでもこの世界に興味を持ってくれれば幸いである。

(この項おわり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第10回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その3)

2013-05-04 07:11:33 | プア・オーディオへの招待
 このフェアで印象に残った機器をいくつか挙げておくと、まずスウェーデンのaudio pro社のスピーカーAVANTO FS-20とAVANTO S-20に指を折りたい。AVANTO FS-20はトールボーイ型のモデルで、低音用ユニットが筐体の側面に取り付けられているという、大きな特徴を持つ。音も低域の量感に優れた明るく屈託のないもので、聴感上の帯域も及第点だ。

 そして何より、このAVANTO FS-20は安いのである。定価で10万円。実売価格は8万円代になるだろう。前面にはレザーが貼られ、見た目も悪くない。解像度や情報量においては上級機には及ばない面はあるが、フロアスタンディング型らしいスケール感が味わえることを考えると、かなりのお買い得品だと言って良い。

 一方のAVANTO S-20はコンパクト型で、実売価格は2万円代だ。ただし、安いとはいっても欧州ブランドらしい明るく温度感のある音色はしっかりとキープされている。しかも、無造作に置いても音に大きな破綻を来すこともない。これはミニコンポのユーザーが手軽に音質向上を求める際に最適なモデルだと思う。もちろん、多くの国産ミニコンポが踏襲しているドンシャリな音が好きなリスナーには合わないが、もっと肌触りのいい音でヴォーカルなどを楽しみたいユーザーも少なくないはずで、そういう層には無条件で奨めたい。



 スイスのGOLDMUND社は世界有数のハイエンドメーカーとして知られるが、今回は小型のスピーカーを出品してきた。Micro Metisという商品で、高さが21センチほどのデスクトップサイズである。キャビネットはアルミ製で、丁寧に作り込まれており、小さくても安物感はない。音のクォリティはかなりのもので、広大な音場と清涼感あふれる音色により部屋の空気まで変わるようだ。

 しかし、このスピーカーは60万円もする。いくら高級メーカーのモデルでも、サブ・システムとして寝室や書斎に置く方がふさわしい形態の製品だ。せめて半額にしてもらいたい(爆)。

 独LINDEMANN社の小型スピーカーBL-10の音は魅力的だ。前後左右に広がる音場に柔らかく艶やかな音像が展開する。特に弦楽器の繊細さと明朗さには感服した。ところが、この製品は100万円だ。しかも、前述のMicro Metisのような質感の高いエクステリアは持ち合わせていない。見かけは3万円の安物である。

 よく見るとユニットは自社製ではないようで、専用スタンドも実にチープな外観である。どこをどうすればこのような法外なプライスを付けられるのだろうか。もちろん音は凡百のコンパクト型スピーカーとは格が違うことは分かるが、ならば良く出来た40万円ぐらいのスピーカーと比べて決定的な差があるかというと、そうは思わない。ボッタクリと言われても仕方がない商売だ。



 英国SPENDOR社のスピーカーを久々にじっくりと聴いてみたが、改めてこのブランドの長所を確認した。とにかく音の取り出し方がソフトだ。繊細かつナチュラルで、しかもボケたところのないクリアなサウンドである。今回接したのは上位機種のSP100R2だが、このテイストは全モデルに共通していると思われ、次のスピーカーの買い換え(いつの話だ? ^^;)には候補にしたいブランドである。

 別のブースで展示されていたTANNOYHarbethも含め、節度のある質感と暖色系のサウンドが持ち味の伝統的な英国製スピーカーの数々は、今の私には実に魅力的に映る。実を言うと、若い頃はこういう音は大嫌いだった。積極的に前に出るキレの良い展開以外はオーディオとは認めず、ソフトな音なんか邪道だと決めつけていたものだ。

 ところがトシを取ってくると、音の好みも変わる。今ではハイファイ度を強調したような、聴いていて疲れる音はお呼びでない。Harbeth担当のスタッフが“こういうブランドは、人生の最後に買うのにふさわしい”と言っていたが、案外そうなのかもしれない(笑)。

(この項つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第10回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その2)

2013-05-03 06:52:35 | プア・オーディオへの招待
 会場で展示されていた独ELAC社のスピーカー、FS407BS403は2012年にリリースされた同社の新作だ。サウンドだが、このメーカーらしいスクエアーで俊敏な音像展開が印象付けられる。ただし、良くまとまっているのはフロアスタンディング型のFS407ではなく、コンパクト型のBS403の方だ。小型モデルの優位性はELACの他のシリーズでも同様で、改めて同社の特徴を認識できた。

 しかし、音よりも驚いたのが、その仕様である。このシリーズはそれまで同社が採用していたバイワイヤリング接続を搭載していない。バイワイヤリング接続というのはスピーカーに高域用と低域用とを独立させた端子を設け、それぞれにケーブルを接続させるという方式で、それぞれのネットワーク回路間の有害な干渉を防ぐメリットがあると言われてきた。

 しかし、スタッフの話によると、実際にケーブルを2本使った(本式の)バイワイヤリング接続を実行しているユーザーの割合はとても少ないのだという。同社が独自におこなった調査によれば、バイワイヤリング接続対応のスピーカーを使っている世界中のオーディオファンのうち、バイワイヤリング接続の実行者は何とわずか7%らしい。その結果を受けてELACでは新製品のバイワイヤリング接続仕様を見送ったとのことだ。



 正直言って、私はこのバイワイヤリング接続というのは嫌いである。単純に考えてもケーブル代が2倍になるし(笑)、そもそも高域用と低域用それぞれに繋ぐケーブルを同一にした方が良いとは限らないのだ。もちろん、同じケーブルにした方が“無難”ではある。しかし、厳密に言えば“高音の再現力に優れるケーブル”と“低音の制動力に特徴のあるケーブル”とを別々にチョイスするのが本筋であろう。

 ところが、ケーブル同士には相性というものがある。いくら個々のケーブルの素性が良くても、同時に使用したら要領を得ない結果になることも大いに考えられるのだ。この相性を見極めるには長い時間を掛けての試行錯誤が必要で、考えただけでもウンザリする。

 ならばケーブル1本だけのシングル接続にすればいいのかというと・・・・これも問題がある。それは、高域用と低域用とを繋ぐジャンパーケーブルの質だ。スピーカーに付属しているジャンパーケーブルは低品質であることが多いので取り去った方が良いのだが、ならば何を代わりに付ければいいのか。



 スピーカーケーブルの端を少し切ってジャンパーケーブルの代わりにするというのが“無難”だろうが、それは必ずしも最良策ではない。市販のジャンパーケーブルを持ってきた方が上手くいくケースもあるだろう。しかし、ジャンパーケーブルの市販品というのはいずれも高価だ。たかが10数センチの電線に大枚を叩くのは腰が引けるし、それが所用しているスピーカーケーブルと相性が良いのかどうかも分からない。

 細かい話をすれば、シングルで繋ぐ場合にケーブルを高音用端子に接続するのか、あるいは低音用か、はたまたプラスだけ高音用にしてマイナスを低音用に(あるいはその逆に)繋ぐのか、いずれの方法が良い結果を生むのかを調べるには、またしても手間のかかる試行錯誤が必要になる。

 このように、バイワイヤリング接続はユーザーに不要な負担を掛ける厄介なシロモノなのだ(まあ、面倒臭いところが良いと言うマニアもいるだろうが、それはさておき ^^;)。それだけにELACの今回の決断は歓迎したいし、この動きが他メーカーにも広がることを望みたい。

(この項つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第10回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その1)

2013-05-02 06:32:25 | プア・オーディオへの招待
 去る4月27日から29日にかけて、福岡市博多区石城にある福岡国際会議場で開催された「九州ハイエンドオーディオフェア」に行ってきたのでリポートしたい。今年(2013年)で第10回目となるが、それを記念した大々的な企画は無かった(爆)。それどころか(あえて開催時期を大型連休に持ってきたせいか)出品されたモデルの総数も例年に比べて少ないように感じた。まあ、その分参加者としては個々の製品にジックリと向き合えるかもしれないので、一概にそれが悪いとも言えないだろう。

 ただし“大々的なイベント”こそ織り込まれなかったものの“いつも通りの規模のイベント”は開催された(笑)。それは評論家の小原由夫を招いてのハイレゾ音源聴き比べ大会である。以前のアーティクルでも述べたが、このこのハイレゾ(ハイレゾリューション)音源とはインターネットからダウンロード出来る音楽ソースの中で、通常CDを上回る定格を持つものを指す。



 各社のDACやネットワークプレーヤーを介して、ハイレゾ音源の鳴り方の違いをチェックしようという段取りだったが、個人的にはハイレゾ音源そのものが音楽メディアとしては“不完全”なものだと思っているので、あまり興味の持てる催しではなかった。よって、構成機器の紹介および各DACやネットワークプレーヤーごとのインプレッションは省かせてもらう。ただし、アンプ類と同様にいずれのDAC等のパフォーマンスも“値段相応”だったことは述べておきたい。

 それよりも強く印象に残ったのが、同時にデモされていたアナログプレーヤー、TechDASのAir Force ONEである。TechDAS(テクダス)とは、オーディオ製品の輸入を手がけている株式会社ステラが自ら企画・開発を行なったオリジナルブランドだ。昔、MICRO(マイクロ)というハイエンド型プレーヤーの専門メーカーがあったが、そこに在籍していた腕利きのエンジニアがプロデュースしているという。

 価格は680万円ほどで、アタッチメントも備えると800万円にも達する。惜しみなく物量が投入され、講師の小原も“究極のプレーヤーだ”と褒め上げるような横綱級の定格を誇る。音も素晴らしく、解像度(特に高域)に関してはハイレゾ音源に少し分があるのかもしれないが、音の密度や安定感、そして地に足が付いたようなリアリティはデジタル音源では出せないと思われるようなハイレベルの展開を見せる。



 もちろん、Air Force ONEは今回紹介されたDACやネットワークプレーヤーよりも高価なので“値段相応”だと言うことも出来る。しかし、仮に800万円かけたデジタル機器が登場しようとも、アナログらしい魅力を兼ね備えたサウンドが奏でられるとは思えない。アナログ音源の音楽再生に対するアプローチは、デジタル再生とは別の次元で成立しているとも言える。

 そういえば、近年アナログレコードの“復権”が注目されているらしい。それも、今までレコードなんか聴いたこともなかった若年層がハマっている例が多いと聞く。講師の小原は“PCオーディオでは、カートリッジを替えるように音楽の再生・管理ソフトをあれこれ使い分け、音の変化を楽しめる”と言うが、いくらソフトで音が変わったところで、しょせんそれはPCの中のブラックボックス的存在の様相がチェンジしただけだ。アナログプレーヤーにおいて針が盤面をトレースするところを“直接見られる”ような興趣は求めようがない。

 ハイレゾ音源やSACDも結構だが、趣味性の高さにおいてはアナログの敵ではない。それに何より、今も市場に多数出回っている通常CDの音を十分追い込まないで、安易に高スペックのメディアに飛びついてしまう業界の姿勢にも愉快ならざるものを感じる。・・・・まあ、こんなことを書くと“アナクロ派だな”と言われてしまいそうだが(笑)。

(この項つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする