元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「スリーピー・ホロウ」

2014-06-17 06:21:03 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Sleepy Hollow )99年作品。ティム・バートンの監督作品としては、もっとも幅広い層にアピールできる映画だと思う。“オタク向け”や“子供向け”のシャシンではなく、こういう真っ当な(?)娯楽作をもっと手掛けて欲しい。

 1799年。ニューヨークの北にある小さな村スリーピー・ホロウで連続殺人事件が発生する。警察からはイカボッド捜査官が派遣され、聞き込みを開始すると、南北戦争時に悪名をとどろかせた首なし騎士が蘇って殺人を続けているらしい。最初は信じなかったイカボッドだったが、首なし騎士は彼の前に姿を現して、次々と村人を血祭りにあげていく。イカボッドは村の幹部の娘であるカトリーナと殺された父の復讐を誓う少年マスバスらの協力を得て、首なし騎士に対決を挑む。

 これ見よがしの“オタク邁進路線”が影を潜め、娯楽映画としてのまとまりを前面に打ち出している点は、ティム・バートンのフリーク達にとっては物足りないかもしれない。しかし、これはこれで正解であり、誰が観ても楽しめて、しかもバートン特有のテイストを“一般大衆が引いてしまわない程度”(謎 ^^;)に挿入している点は評価すべきだろう。

 イカボッド刑事の推理は行き当たりばったりだが、もとより本格ミステリーではないので許せる(笑)。主演のジョニー・デップをはじめ、マイケル・ガンボン、ミランダ・リチャードソン、クリストファー・ウォーケン、さらにはクリストファー・リーやマーティン・ランドーといった“それらしい顔ぶれ”も揃い、各々の個人芸が堪能できる。そして何より(この頃減量に成功してスリムになった)クリスティーナ・リッチの魅力が光る。

 活劇場面はけっこう盛り上がるし、美術・衣装・撮影は万全で、ダニー・エルフマンの音楽も好調。上映時間が犯罪的に長くないのも良心的で、観賞後の満足度は決して低くない。チェックする価値は十分ある。
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「X-MEN:フューチャー&パスト」

2014-06-16 06:40:31 | 映画の感想(英数)

 (原題:X-Men:Days of Future Past )単なる“子供だまし”であった一作目と二作目の監督であるブライアン・シンガーが復帰したことで出来映えが危惧されていたが、実際観てみると一応は楽しめる内容に仕上げられているのでホッとした。もっとも、彼の監督としての腕前がアップしたわけではなく、この新作の設定自体が高い演出力を必要とはしていなかったことが大きいと思う。

 2023年。人類はミュータントを駆逐するために作られたロボット“センチネル”の暴走により、滅亡の危機に瀕していた。反目し合っていたプロフェッサーXとマグニートーも手を握って難局に対処しようとするが、事態を好転させることは出来ない。最後の手段として、人間の意識だけを過去に送る能力をもつキティ・プライドにウルヴァリンの精神を1973年に送り込ませ、事の発端となったミスティークによる要人殺害事件を阻止しようとする。果たして、人類滅亡までに“歴史”を変えてカタストロフィを回避させることが出来るのか・・・・というのが筋書きだ。

 要するに、シリーズの時制を前作「ファースト・ジェネレーション」のラスト近辺まで引き戻そうとしているのである。当然のことながら一作目から三作目までは“無かったこと”になってしまい、それに関わったブライアン・シンガー本人に“幕引き”をさせようとするのだから、何とも皮肉な企画だ(笑)。

 正直言って、タイムリミットが設定されている割には展開が“ぬるい”と感じるし、アクションシーンの段取りも(超高速移動能力を持つクイックシルバーの活躍場面を除けば)大したことは無い。そもそも、過去に飛んだウルヴァリン自身もあまり働いてはいないのだ(爆)。

 この映画の主眼は(前述のように)今までのシリーズをリセットすること、そして新旧のキャラクターをずらりと並べるという“顔見世興行”的なあり方だけなのである。ドラマ運びがどうの、キャラクターの内面描写がどうのといったことを論じるのはあまり意味があるとは思えない。気楽に接すれば良いのであろう。

 出演陣は実に多彩。このシリーズの看板になった感のあるヒュー・ジャックマンをはじめ、イアン・マッケランやパトリック・スチュアート、マイケル・ファスベンダー、ジェームズ・マカヴォイ、エレン・ペイジ、さらにはハル・ベリーやジェニファー・ローレンス、アンナ・パキンといったアカデミー賞受賞者までも顔を揃える大盤振る舞いだ。この面子を見られるだけでも作品をチェックする価値はある。

 かくしてシリーズは“仕切り直し”と相成ったわけだが、今後はやっぱり「ファースト・ジェネレーション」で健闘したマシュー・ヴォーン監督に引き続き担当してもらいたい。「キック・アス」と並ぶ代表作となること間違いないはずだ。
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「ザ・シークレット・サービス」

2014-06-15 06:34:05 | 映画の感想(さ行)
 (原題:IN THE LINE OF FIRE )93年作品。この年はクリント・イーストウッドの映画が3本も公開されている。アカデミー賞を獲得した「許されざる者」、そして本作、この次に「パーフェクト・ワールド」があった。ただ、以前感想を書いた通り、イーストウッドの監督作は(一部を除いて)自意識過剰の認識不足みたいな雰囲気があって断じて認めない。どうしてあの程度のものを絶賛するのか、日本の評論家はよっぽどハンパな連中の集まりではないかと勘ぐりたくもなる。

 この映画は珍しく彼は演出はせずに監督はウォルフガンク・ペーターゼンに任せ、自ら主宰するマルパソ・プロが製作に関わっているわけでもなく、純粋に一人のアクターとして主演をこなしている。イーストウッドはデビュー当時から骨の髄までアクション・スターなので、こういった肩の凝らない活劇編で存在感を見せているのも悪くないと思ったものだ。実際、この作品は2本の監督作よりもずっと面白いし、幅広い層に受け入れられるエンタテインメント性がある。



 イーストウッド演じる主人公フランク・ホリガンは合衆国所属のシークレット・サービスのエージェントだが、かつてダラスにおいてケネディ大統領を守れなかったショックから立ち直っていない。そのため周囲と打ち解けず、定年間近になっても一匹狼のままだ。そんな中、現大統領暗殺の脅迫状が届く。差出人は名うての殺し屋ミッチ・リアリーである。しかもリアリーはホリガンの過去を知っており、名指しで挑戦してきたのだ。こうしてベテランのエージェントと暗殺者との虚々実々の駆け引きが始まる。

 このやりとりは、どこか「ダーティ・ハリー」第一作での主人公と犯人との死闘を思い起こさせる。それほど密度が高い。リアリーに扮しているのがジョン・マルコヴィッチだというのも出色で、エキセントリックさ全開の怪演で盛り上げてくれる。さらにはホリガンとレネ・ルッソ演じる女性エージェントとのアバンチュールらしきものも挿入され、興趣は高まるばかり。

 各登場人物のセリフ回しはとことんハードボイルドで、またそれがワザとらしくならない程度に散りばめられているのには感心した。ペーターゼン監督の演出テンポも上々だ。すでにイーストウッドはかなりの高齢になってしまったが、今一度監督業抜きの単純娯楽活劇に出演してもらいたいものだ。
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「ぼくたちの家族」

2014-06-14 07:45:17 | 映画の感想(は行)

 家族が一致団結すれば困難も乗り越えられる・・・・などという、気恥ずかしく聞こえるようなスローガンを何の衒いも無く差し出し、それが求心力を獲得してしまう希有な例を見たような気がした。主題を本気で信じている作者の信念が、小賢しく斜に構えた見方を許さず、骨太の感銘に結実している。間違いなく、今年度の日本映画の収穫だ。

 山梨県の地方都市に妻の玲子と共に住む若菜克明は小さな会社を経営しており、オフィスのある都内まで毎日通っている。長男の浩介はサラリーマンで、近々子供が出来る予定である。次男の俊平は大学生だが、卒業の目処は全く立っていない。日頃より物忘れが激しくなっていた玲子は、長男の嫁の両親との会席の場で言動が支離滅裂になる病状が発症。病院での検査の結果、脳腫瘍と診断され余命はわずか一週間だという。とんでもなくシビアな事態に直面した家族は狼狽えるが、やがてそれぞれの役割と矜持とを再確認し、この難局に挑んでいく。

 登場人物の一人が言うように、この家族は元よりバラバラだ。冒頭、吉祥寺のコーヒーショップで友人達と談笑する玲子が映し出されるが、集まりが終われば彼女は中央本線を走る電車に延々と乗り、都会とは懸け離れた田舎町に辿り着くしかないのだ。克明は勇んで起業したはいいが、業績を挙げられず経営は火の車である。浩介は仕事にも結婚生活にも倦怠感を覚えており、表情に覇気が無い。グータラな俊平は先のことなんか全然考えない。

 皆自分のことだけで手一杯で、家族を顧みる余裕は無かった・・・・はずだった。この状況の中で母親の急病が切っ掛けになり、全員エゴを捨てて一つになるという、絵に描いたような筋書きが成立するはずがない・・・・と誰しも思うところだが、それが達成されてしまうストーリー展開には呆気にとられてしまうと同時に、感心する。たぶん作者は“健全な家族なんか見当たらないが、バラバラな家族などというのも存在しない”というポリシーを持っているのだろう。

 それを裏付けるように、彼らがそれまで勝手気ままに行動しているように見えて、実は微妙なところで他の家族に依存している様子を暗示させる作劇が進められている。もちろん、家族の特定の誰かがヒーロー的存在感を発揮してどうのこうのという展開も皆無。それぞれ等価値であることこそが家族であり、登場人物達はその“本来のあり方”に戻るだけなのだといった主張が何の迷いも無く提示される。

 石井裕也の演出は丁寧かつ達者で、今回も既成の原作(早見和真の小説)を取り上げているのだが、オリジナル脚本に固執していた頃に比べると堅実さが増しているように思える。原田美枝子と長塚京三、妻夫木聡と池松壮亮というキャストも皆好演で言うこと無し。

 もっとも、外見は健常者の玲子はとても“余命一週間”には見えなかったり、浩介を取り巻く状況が都合良く好転していくあたりは不備だとは思うが、それを補って余りある作品の手応えに感服した。
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「クッキー・フォーチュン」

2014-06-13 06:24:05 | 映画の感想(か行)
 (原題:Cookie's Fortune)99年作品。多彩なキャスティングによるサスペンス映画であり、けっこうエゲツない話ではあるのだが、観た印象はホノボノとしていて肌触りが良い。このあたりがロバート・アルトマン監督の老練さか。

 アメリカ南部の田舎町で一人暮らしをてしいた老女のクッキーは、ある日銃で自殺してしまう。第一発見者は彼女の姪のカミールだったが、保守的な土地柄ゆえ余計なスキャンダルは不要とばかりに遺書を処分し、銃を庭に捨てて他殺に見せかける。さらに居合わせた妹のコーラに他言するべからずとキツく言い渡した後、警察に連絡する。



 当然のことながら町中大騒ぎになり、都会に出ていたコーラの娘のエマまで舞い戻る。やがてクッキーの世話をしていた黒人のウィリスが容疑者として逮捕されるが、承服できないエマは警察署に泊り込んで抗議する。一方、カミールはクッキーの少なからぬ遺産を相続すると確信して有頂天。ところが思わぬ目撃者が現われ、事態は意外な方向に動き出す。

 何より感心したのは、オーバーアクトをしている奴が一人もいないにもかかわらず、各キャストの持ち味が十分発揮されていること。だから、ドラマ運びはスムーズそのもの。そしてアメリカ南部の気怠い雰囲気が印象的。浮世離れした舞台設定を作り出したおかげで、ブラックなストーリーを見せつけられても観ていて苦にならない。

 グレン・クローズやリヴ・タイラー、クリス・オドネル、チャールズ・ダットン、パトリシア・ニールなど出演陣は賑やかで、特に最後にオイシイところを持っていくジュリアン・ムーアは儲け役だ。なお、撮影は栗田豊通だが、大島渚の「御法度」よりは遙かに良い仕事をしている。
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「ポンペイ」

2014-06-09 07:25:08 | 映画の感想(は行)

 (原題:Pompeii )面白くない。そもそも、ラブロマンスに仕上げようとしたのが大間違い。色恋沙汰をメインに据えれば、どうしてもドラマの幅が狭くなる。史実をネタにするのであれば、歴史好きを唸らせるような重層的な作りにしなければ、撮る意味が無いだろう。一から脚本を書き直せと言いたい。

 紀元79年。主人公マイロはかつてローマ帝国に平定されたケルト民族の生き残りで、今は剣闘士として貴族や民衆の前で殺し合いを演じる日々を送っている。ある日彼は、ポンペイの豪商の娘カッシアと知り合い、互いに好意を抱く。だがローマの元老院に属する政治家のコルヴスは、ポンペイの平和と引換にカッシアを無理矢理に妻に迎えようとする。さらには邪魔になったマイロに無謀な戦いを強要し、競技場で血祭りに上げようと奸計をめぐらす。絶体絶命の事態に追い込まれたマイロだが、その時ヴェスヴィオ火山の噴火が始まった。

 そもそも目の前で大災害が起きているのに、登場人物達は恋愛だの私怨だの利権だのといった些細な事柄に執着していること自体が噴飯物だ。そんなことに拘泥している間に、火砕流や土石流は容赦なく襲ってくる。とっとと逃げる一手だろう。

 同じような題材でやはりラブストーリーを主体にしたマリオ・ボンナルド監督の「ポンペイ最後の日」(60年)は、噴火のシーンを終盤に必要最小限に挿入しただけであったが、そちらの方がまだ納得出来る。

 ポール・W・S・アンダーソンの演出は相変わらず大味で、気勢の上がらない格闘シーンに代表されるように、キレもコクも無い凡庸な展開に終始。主人公達が走り回るラスト近くの活劇にしても、段取りがヘタでアイデアも不足し、まるで盛り上がらない。主演のキット・ハリントンとヒロイン役のエミリー・ブラウニングは可もなく不可もなしの仕事ぶりで特筆するようなものは見当たらない。他の面子も同様。わずかに印象に残ったのは、悪役を憎々しく演じたキーファー・サザーランドぐらいだ。

 もちろん、この映画の売り物である噴火のスペクタクル場面は凄い。技術の進歩には改めて感心する。しかし、それだけでは映画として評価出来ないのも確かだ。余談だが、ポンペイ崩壊を扱うのならばロバート・ハリスの小説「ポンペイの四日間」を映画化して欲しい。
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「トカレフ」

2014-06-08 06:45:03 | 映画の感想(た行)
 94年作品。阪本順治監督の初期の代表作で、間違いなく彼のフィルモグラフィの中で上位にランクされる作品。熱気をはらんだサスペンス劇であると同時に、優れたホラー映画でもある。破滅に向かって疾走する登場人物達の常軌を逸した行動は、観る者を慄然とさせずにはおかない。

 幼稚園の送迎バスの運転手の道夫は、妻と幼い息子と共に平穏な生活を営んでいた。ところがある日、バイクに乗り拳銃で武装した覆面の男に息子を誘拐されてしまう。犯人は警察の監視をかいくぐり、身代金を手に入れる。さらには息子は殺され、同時に夫婦仲も破綻。仕事を辞めて孤独と懊悩の中に身を置く道夫は、かつての息子のビデオを見ているうちに、ある男が頻繁に背景に映り込んでいることに気付く。それは近所に住む松村だった。



 アテにならない警察を見限り、独自に松村にアプローチする道夫だが、松村はそんな道夫に向かって隠し持っていた拳銃の引き金を引く。一年後、奇跡的に回復した道夫は復讐のために松村の行方を懸命に追う。

 どこにでもあるような新興住宅地の生活の中に潜む、とてつもない悪意にまず度肝を抜かれる。単なる“日常生活の裏に存在する恐怖”などといった週刊誌記事の見出しみたいな薄っぺらいものではない。アイデンティティを抹消されたような、無機質な街並みの中でこそ生まれるテロリズム的な憎悪が、熟成されてやがて暴発する過程をこれほどリアルに描いた作品はそうないだろう。

 劇中で最も衝撃的なシーンは、道夫が一人悶々としている間、かつての妻はなんと松村と結婚し、幸せそうな表情を見せている場面だ。人間に対する信頼や真っ当な道徳律などがまるで絵空事であることを如実に示した、まさに悪夢的なモチーフである。道夫と松村との対決、そして松村が最後に口にするセリフは、時あたかもバブルが崩壊しゼロ成長の鬱屈した世相に移行する様子を照射するかのような、重くて苦いものを感じてしまう。

 道夫を演じる大和武士はマッチョな風体と身体能力を封印したように、ここでは小市民を演じて絶品。対する松村役の佐藤浩市も怪演で、これ以降は敵役が板に付いてくる。阪本監督の演出には淀みが無く、フィルムがぶち切れたようなラストまで、目を離すことが出来ない。公開時は小規模だったが、もっと注目されて良い映画である。
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「オー!ファーザー」

2014-06-07 06:52:36 | 映画の感想(あ行)

 伊坂幸太郎の小説の映画化作品の中では、一番出来が良い。伊坂の作品の映像化は難しいのだ(もっとも、この映画の原作は未読なのだが ^^;)。愛読者が多いことからマーケティングの面で映画の題材として取り上げられやすいのは分かるが、アプローチの仕方も吟味しないまま“何となく”映画化しても成功するものではない。その点本作は、アプローチの仕方を吟味している様子が垣間見られ、好感が持てる。

 高校生の由紀夫は、母親が妊娠した頃に4人の男と付き合っていたおかげで、4人もの“父親”を持つハメになって今に至っている。しかも、その4人とは家族として一緒に暮らしているのだ。彼らの住む町では市長選挙の真っ最中で、二人の候補者の裏では町を牛耳るボスが暗躍しているらしい。ふとした偶然からこの“裏社会”と関わることになった由紀夫は、怪しい奴らに誘拐されてしまう。4人の父親たちは息子を窮地から救うべく、一致団結して戦いを挑む。

 普通に考えれば、本当の父親は一人だけだ。あとの3人は由紀夫の母親のことは諦めてそれぞれの道を歩むべきなのだが、そうしないのは明らかにデタラメである。しかも、父親の一人が町のボスと知り合いで、由紀夫の友人もボスの“悪だくみ”に一枚噛んでいて、由紀夫のクラスメイトも事件の関与を臭わせるかのように不登校を続けている。父親たちが誘拐された由紀夫の居場所を知るくだりも、その救出作戦の段取りも、かなり非現実的で説得力がない。

 斯様にドラマツルギーの観点からすれば落第点ながら、辻褄の合わない点がまるごと肯定されるのが伊坂幸太郎の世界の特徴なのだと思う。これを正面から映像化しようとしても、上手くいくはずがない。もちろん、今までも作る側はそのあたりは分かっていると見えて、映像ギミックを駆使したり製作者が輪を掛けてふざけてみせたりと、いろいろと策を弄したようだが、それらはほとんど小手先のテクニックに終わっている。

 では今回の藤井道人監督はどう臨んだかというと、これが拍子抜けするほどに正攻法なのだ。ヘタに細工せず、真面目に撮っている。この“実直さ”を違和感なく見せきるのに大いに貢献しているのが、舞台設定である。

 地方都市(ここでは千葉県)の新興住宅地で、古くからの住民は見当たらず、居住者はすべて足が地に着かないような雰囲気を醸し出している。町を裏から仕切っているボスにしても、何やら“借り物”のようだ。このような作品の“空気”を造出させてしまえばこっちのもので、現実から浮遊しているようなハナシが展開されようとも“そういうものだ”と納得してしまうのだ。

 主演の岡田将生と、4人の父親役(佐野史郎、宮川大輔、村上淳、河原雅彦)は好演で、オフビートにならないギリギリのところで作品世界を支えるだけのパフォーマンスを披露している。柄本明や古村比呂、広岡由里子といった脇の面々も良いし、ヒロイン役の忽那汐里も可愛いだけではなく確かな演技を見せる。由紀夫の母親像をあえてクローズアップしない配慮は頷けるところで、後味の良さも含めて、広く奨められる映画だと思う。
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「ラスベガスをやっつけろ」

2014-06-06 06:21:15 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Fear and Loathing in Las Vegas)98年作品。ヤク中患者から見た世界をラリラリの映像で綴るという方法は、最初は面白いけど20分もすれば飽きてくる。ひょっとすると作っている連中も素面ではなかったのではと思ったが(笑)、とにかくテリー・ギリアム監督としては明らかに“調子の悪い時期”に撮ったシャシンだろう。

 1971年。ジャーナリストのラウル・デュークとサモア人の弁護士ドクター・ゴンゾーは、ラスベガスで開かれるレーシスョーの取材のため、真っ赤なスポーツ・カーを駆って当地に乗り込んでくる。ところが、来る前の道中から二人はドラッグ三昧で、着いた時には足腰もロクに立たない始末。もちろん、宿泊先のホテルでもヤクをキメてばかりでレースの取材という目的も忘れてしまう。

 狼藉の限りを尽くすジャンキーどもの行動を追っただけの映画で、それ以外は何もないという、ある意味潔い作品かもしれない(爆)。ただそれが、観る者まで酩酊状態に誘うような仕掛けもイマジネーションも持ち合わせていないというのが問題だ。

 各描写はカルト化するほど全編これぶっとびラリラリ状態が突き抜けているわけでもなく、幻覚場面はいたって凡庸。当然のことながらストーリー的に何か面白いかというと別段なし。ギャグも不発。単に「思いつき」の次元で作ってしまったようなシロモノだ。

 しかしながら配役は無駄に豪華で、主演の二人はジョニー・デップとベニチオ・デル・トロ、脇にはトビー・マグワイアやキャメロン・ディアス、クリスティーナ・リッチにハリー・ディーン・スタントン、エレン・バーキンと、さすがにギリアム監督のネームヴァリューは大したものだ。
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「闇金ウシジマくん Part2」

2014-06-02 06:18:35 | 映画の感想(や行)

 前作よりも面白い。監督はPart1から続投の山口雅俊だが、前回の欠点を出来るだけ潰してタイトな作りに持っていこうとしている。その改善方策とは、脚本の精査とキャスト全体の演技力の押し上げだ。この姿勢は評価すべきだろう。

 主人公・丑嶋が経営する“カウカウ・ファイナンス”は、10日で5割という暴利をむさぼる闇金融だ。こんな無茶苦茶な業者の元にも、普通にお金を工面できない甲斐性なしの連中が連日詰めかけてくる。今回の“顧客”は、誤って暴走族のヘッドの愛沢が所有するバイクを拝借して壊してしまった無職の若造マサルだ。愛沢から“カネを借りて弁償しろ”と凄まれて“カウカウ・ファイナンス”に転がり込んできたマサルだが、なぜか丑嶋に気に入られ、そこで働くことになる。

 一方、新人ながら野心たっぷりのホストであるレイは、ひょんなことで知り合った少女・彩香と懇ろになり、彼女に貢がせて店内での階級を上げようとする。まとまった金が必要になった彼女は“カウカウ・ファイナンス”に都合を付けてもらおうとするが、いくら闇金融でも未成年で一見の客である彩香に大金を貸すはずもない。そんな中、狂的なストーカーの蝦沼が彩香を付け狙う。

 登場人物が多いが、各キャラクターが“立って”いることもあり、分かりにくさを感じさせない。感心したのは、登場人物たちのモノローグが時折挿入されることだ。それも展開をいちいち説明するような芸の無いものではなく、観客がスムーズにストーリーを追えるようにするため、いずれも簡潔にまとめている。さらに、見た目や行動で十分であるようなキャラクターにはモノローグが付与されていないのも納得した。

 一見バラバラになっていた各エピソードが、中盤以降収まるところに収まっていくあたりも申し分ない(おそらくは原作をあまり弄らずにトレースしているせいかもしれないが ^^;)。前作では無駄に長かったバトルシーンも短時間に刈り込まれている。

 林遣都の熱演だけが浮いていたPart1とは違い、今回はキャスト陣の“平均演技力”は高い。主演の山田孝之は相変わらずながら、マサル役の菅田将暉、愛沢に扮する中尾明慶、丑嶋をサポートする戌亥を演じる綾野剛、レイ役の窪田正孝、頭がぶっ飛んだ女金貸しに扮した高橋メアリージュンなど、活きの良い若手をずらりと並べてそれぞれ持ち味を発揮させている。

 光石研やキムラ緑子らベテランも良い味出しているし、蝦沼役の柳楽優弥は“新境地”を開拓したかもしれない(爆)。個人的に印象的だったのは彩香を演じる門脇麦で、顔立ちは地味だが何やらヤバい雰囲気を醸し出しており、期待の持てる新鋭だろう。いずれにしても、前作での大島優子みたいに演技がまったく出来ないヤツが出てこないだけでも有り難い。

 お手軽な娯楽編なのでそんなに持ち上げる必要も無いが、時間潰しにフラリと入った映画館でこの程度の(低くはない)レベルの作品を観ることが出来れば文句はないだろう。Part3が作られるかどうかは分からないが、評判が良ければ観てみたい。
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