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堤幸彦監督による映画化作品は観る予定は無いが、原作者がけっこう面白かった「火の粉」の雫井脩介なので、この原作小説に関しては楽しめるかもしれないと思って手に取ってみた。しかし、その期待はあっさりと裏切られる。これはつまらない。サスペンスにしては話にメリハリが無く、リアリティを前面に押し出すにしては絵空事の展開が目立つ。正直言って、中盤以降は読むのが辛かった。
埼玉県の地方都市に住む建築士の石川一登は、妻の貴代美と高校生である長男の規士、長女の雅と共に平穏な日々を送っていた。9月のある週末、規士がフラリと出て行ったきり帰って来なくなった。連絡も途絶え、一登は警察に相談したが、やがて規士の友人が遺体となって見つかる。現場から2人の少年が逃走したという情報が流れるが、関係者によると犠牲者はもう1人いるという。果たして、規士は事件の被害者なのか、あるいは加害者なのか。一登と貴代美の懊悩は大きくなるばかりだった。
まず、この主人公一家にはまったく感情移入出来ない。事件が起きる前の段階で、規士がケンカして顔に青あざを付けていても、行先を告げずに外泊しても、親はほとんど関知しない。規士は元々サッカー部だったが、ケガのためにプレイを断念しており、そのために大きな屈託を抱えているのだが、そのことについて大して親が心配してる様子はない。
一登も貴代美も、子供のことより自身の仕事のことが大切であるようだ。雅に至っては、一応は心配するような素振りは見せるが、自身の進学のことが最優先である。事件が発覚してからも、両親はまず自分のことしか考えない。挙句の果ては、一登は息子が被害者であると決めつけ、貴代美は規士は加害者であり、それでも生きてくれればいいと思い込んでいる。
つまりはこの夫婦は“規士が被害者であるか、それとも加害者であるか”という単純な二者択一しか頭になく、それ以外の可能性、つまり“規士は事件には関係が無くどこかで生きている”という前向きな考えを一切することがない。しかも、その姿勢を作者は批判的に描くこともない。おまけに、親戚や一登の取引先は堂々と規士を犯人と決めつける始末。こんな無茶苦茶な筋書きでは、登場人物に共感するのは無理な注文だ。
雫井の筆致はキレが無く、犯罪ドラマらしい緊張感に欠ける。特に、過度に説明的なモノローグの多用にはウンザリだ。ラストは予想通りで何の捻りも無い。他の読者はどうなのかは知らないが、少なくとも私にとっては“読む価値のない本”だ。また、斯様なレベルの小説を映画化しても、大して成果が上がるとは思えない。
こちらも全方位突っ込みどこだらけでした。
おそらく、作っている側もこれ見て感動している人も、なにかすごい勘違いをしているでしょうね。(笑)
まあ、鑑賞していない私がこう言うのも何ですが、こういうネタ自体を映画にしようという企画をブチ上げたプロデューサーの責任は大きいと思います。普通の感覚を持っている者ならば、こんな不出来な小説を映画にしようとは考えないでしょう。
日本映画の低迷の原因の一つは、有能なプロデューサーの払底であると思います。
それでは、今後ともどうかよろしくお願いします。