元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「首」

2023-12-15 06:16:11 | 映画の感想(か行)
 北野武は本作の企画立案と脚本の作成に約30年を費やしたというが、だいたい“構想○○年! 製作費○○億円!”という謳い文句を前面に押し出した映画って大したことがないケースが多い。要するに、それしかセールスポイントが無いってことだろう。たけし御大のこの新作も、残念ながらその類いかと思う。基本的に、やってることは「アウトレイジ」シリーズとほぼ同じで、背景が時代劇に変わっただけだ。

 1578年、天下統一を目指していた織田信長の腹心であった荒木村重が謀反を起こして姿を消す。怒った信長は秀吉や光秀ら家臣たちに村重討伐の命を下す。その成功報酬は自身の跡目相続だ。秀吉は弟の秀長や黒田官兵衛らと相談すると共に、元忍者の曽呂利新左衛門に村重の探索を命じる。一方、丹波国篠山に住む農民の難波茂助は、百姓の身分から大名にまでのし上がった秀吉に憧れており、彼の軍勢に勝手に紛れ込む。



 ひょっとして作者は“現代を舞台にしたバイオレンス物ならば制約が大きいが、ほぼ無法地帯である戦国時代に場を移せば好き勝手やれる”とでも思ったのかもしれない。しかし、歴史物に素材を求めるのならば、そこには別の大きな制約が入ってくる。それは“史実”というシロモノだ。もちろん、歴史的事実を無視してフィクションをデッチあげる手法もあり得る。ただそれには、純然たる作り物だという了解が観る者との間に成立しておかなければならない。この点、本作は不十分と言わざるを得ない。

 確かに戦国武将たちは抜け目のない連中ばかりだっただろう。だが、いやしくも天下を狙おうという者が、情け容赦のない冷酷非道一辺倒の価値観しか持っていなかったら、領民も含めた周囲の人間は誰も付いていかないのだ。たとえば本作で描かれる信長は、エキセントリックで見境の無い外道である。けれども彼は戦国武将としては優しさや気遣いをも持ち合わせていたことが分かっている。そんな懐の大きな一面が無ければ、天下布武など望めない。その意味では、この映画の信長像は古い。

 さらには、秀吉も家康も年を取り過ぎている。2人とも信長よりも若いはずなのに、あれではただの老人ではないか。また、曽呂利新左衛門が忍びの者だったというのもウソで、彼の“末路”もデッチ上げだ。まあ、それでも面白ければ許せるのだが、これがちっとも盛り上がらない。全体的に、セリフは現代風だし笑えないコントが挿入されるしで、バランスが悪い。残虐描写と不自然な同性愛ネタが遠慮会釈無く出てくるのもテンションが下がる。

 秀吉を演じるビートたけしをはじめ、西島秀俊、加瀬亮、中村獅童、木村祐一、遠藤憲一、勝村政信、寺島進、桐谷健太、浅野忠信、大森南朋、小林薫、岸部一徳など、キャストはけっこう豪華。しかし、結果として作者の顔の広さを示すだけに留まっているようで愉快になれない。カンヌ国際映画祭ではウケたらしいが、これは単にエキゾチシズムを前面に出したせいなのかと思ってしまった。
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「燃えあがる女性記者たち」

2023-12-11 06:37:10 | 映画の感想(ま行)
 (原題:WRITING WITH FIRE )今まで知ることも無かった事実を紹介してくれることがドキュメンタリー映画の特徴の一つだが、本作においてはその真実が殊の外重い。いや、本当は誰しもそのことに薄々気付いてはいるのだ。単にそれを直視せず、あるいは“仕方がないことだ”としてスルーしている。そこを敢えて取り上げることこそ、映画人としての矜持であるはずだ。その意味では、本作の存在価値は高い。

 インド北部のウッタル・プラデーシュ州に拠点を置くネット媒体の新聞社カバル・ラハリヤは、被差別カーストの女性たちによって立ち上げられている。取材対象は、この地に暗い影を落とす貧困や階層の実態、そして差別による社会の分断などである。女性記者たちは家族や周囲の者らの反対に遭いながらも、果敢に問題に向き合っていく。



 インドは多大な人口を抱え、今や世界第5位の経済大国であり、今後も成長が見込まれている。しかし、この国は先進国ではない。言語は統一されておらず、社会的格差は(宗教的要因もあり)確定されている。ヒンドゥー教徒とイスラム信者の確執も深刻だ。そんな中、本作で描かれるカースト外の“不可触民”として差別を受けるダリトの女性たちが嘗める辛酸は筆舌に尽くしがたいものだろう。

 特に、プレッシャーに耐え切れず主要メンバーのひとりが結婚退職を余儀なくされるシークエンスは痛切だ(後に復職したという)。それでも、カバル・ラハリヤの記者は前を向くことをやめない。購読者は着実に増え、時にそれは当局側を動かし、地域の治安やインフラの整備に貢献する。やはりジャーナリズムの力は大したものだと思わざるを得ない。また、初の海外出張でスリランカを訪れた記者の一人が、海辺で“素”の表情でリラックスしている様子を挿入するなど、等身大のキャラクターとして捉えている箇所があるのも好印象だ。

 リントゥ・トーマスとスシュミト・ゴーシュによる演出は、いくらでも煽情的に扱えるネタを扱いながらもニュートラルな姿勢を崩さない。もちろん、絶対的な中道というものはあり得ないが、それを指向すること自体が重要なのだ。彼らにとってこれが長編第一作だが、サンダンス映画祭におけるダブル受賞をはじめ、200以上の映画祭で上映されており、米アカデミー賞ドキュメンタリー部門の候補にもなった。今後も注目したい人材だ。
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「デシベル」

2023-12-10 06:10:28 | 映画の感想(た行)

 (原題:DECIBEL )周囲の騒音が100デシベルを超えると爆発するというヤバい爆弾を仕込んだ犯人と、それを追う当局側の人間という、まるでヤン・デ・ボン監督の「スピード」(94年)のバリエーションみたいな御膳立てだと思ったら、設定がもう一捻りされていて興味深く観ることが出来た。やはり昨今の韓国映画は、何かしら見どころを用意してくれる。

 釜山の町のあちこちに仕掛けられた“音圧関知爆弾”により、捜査当局はキリキリ舞いさせられていた。そんな中、元海軍副長カン・ドヨンのもとに一本の電話が掛かってくる。それは爆破犯からのもので、次のターゲットは5万人の観客を集めているサッカースタジアムだという。ドヨンは競技場に急行し、偶然居合わせた放送記者のオ・デオと共に爆弾を発見し無力化するため奔走する。

 だが、容疑者はただの愉快犯ではなかった。事の発端は、数年前ドヨンが潜水艦の艦長として訓練に参加した際、謎の魚雷攻撃により遭難するという事故だった。そして、ドヨンのスタンドプレイ的な言動に疑いを持った軍事安保司令部のチャ・ヨンハンも、別の方向から事件を追う。

 高い知能を持つ犯人とドヨンたちとの駆け引きはスリリングで、特にドヨンの妻が警察官で、同時に2つの爆弾を仕掛けて夫婦ともども窮地に陥るという展開は出色。成り行きで巻き込まれたオ・デオの捨て身の奮戦にも思わず応援したくなる。だが、潜水艦の事故をめぐる真相は、爆弾テロよりも重いのだ。絶体絶命の状況で、ドヨン艦長が下した決断は身を切られるほどシビア。この事態を目の当たりにすれば、爆弾魔のような狼藉に及ぶ者も出てくることも想像できる。

 ただし、あまりにも潜水艦内の出来事がヘヴィであるため、爆弾テロのパートが“軽く”見えてくるのも仕方がない。脚本も担当したファン・イノの演出はパワフルで、少々シークエンスの繋ぎ方に荒っぽさはあるが、最後まで観る者を力で捻じ伏せてくる。ラストの扱いなど、見事だと思う。

 主演のキム・レウォンをはじめ、敵役のイ・ジョンソク、オ・デオに扮するチョン・サンフンと、皆良い面構えをしている。イ・ミンギにパク・ビョンウン、パク・ビョンウンら脇の面子も申し分ない。それにしても、潜水艦事故の原因になった魚雷の正体には呆れてしまうと同時に、ここまで自国の失態をネタにしてしまう大胆さには感心してしまった。日本製の娯楽作品ならば、まず扱われないモチーフだろう。
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「水曜日が消えた」

2023-12-09 06:06:46 | 映画の感想(さ行)

 2020年作品。設定はとても面白い。ただし、映画としてはあまり面白くない。いくらでも観客を引きずり回すようなハナシに持って行けるはずなのに、平板な展開に終始。どうも作者が撮りたいものが、一般娯楽映画としてのルーティンと懸け離れているようだ。もちろん、卓越した作家性が横溢していれば求心力は高まるのだが、そのあたりが覚束ないのが辛いところである。

 主人公の青年は、幼い頃の交通事故によって曜日ごとに性格も個性も異なる7つの人格が入れ替わるという特異体質になってしまう。一応主人公は7人の中で一番地味な“火曜日”だが、ある朝彼が目を覚ますと水曜日になっていた。水曜日の人格がいつの間にか消えたようだ。今まで週に1日しか生きられなかった“火曜日”は、時間を倍に使えることで大喜びし、それまで出来なかったことを水曜日に実行する。しかし、やがて彼は突然意識を失うなど体調に異変を覚えるようになり、不安を募らせる。

 曜日ごとの多重人格者という、実に美味しそうなシチュエーションからは様々な筋書きが考えられる。パッと思い付くのは、7つの人格の中に1つ(あるいは2つ)邪悪な輩が混じっていて、それが重大な事件を引き起こすサイコ・サスペンスとか、または事情を知らない交際相手が振り回されるラブコメあたりか。どう考えてもハズレの無い設定なのだが、どういうわけか映画は盛り上がらない方向に進んでいく。

 そもそも、映画では“火曜日”以外には少しヤンチャな“月曜日”ぐらいしか出てこず、あとはどういう性格なのか判然としない。これでは7つもキャラクターを用意する必要は無かったのではないか。登場人物は主人公の他には医療陣および幼なじみの女友達の一ノ瀬、そして“火曜日”が思いを寄せる図書館司書の瑞野ぐらいしかいない。さらに舞台は主人公の住処とその周辺のみ。だからといって狭い世界に特化したニューロティックな仕掛けも見当たらない。

 脚本も担当した監督の吉野耕平は元々ミュージックビデオやCMのディレクターであり、映像は清涼で小綺麗だが長編映画を支えるだけの深みは無い。同じ場面の繰り返しも目立ち、途中で飽きる。ドラマはそのまま目立った工夫も無くエンドマークを迎えるだけだ。

 しかしながら、主演の中村倫也は好演。彼のファンならば満足出来るだろう。一ノ瀬に扮する石橋菜津美もイイ味を出している。ただし、中島歩に深川麻衣、きたろうといった他の面子は印象が薄い。出てくる人物が少ないのならば、もっと濃いキャラを並べた方が良かった。なお、沖村志宏のカメラによる寒色系の画面造型は申し分ない。
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「マーベルズ」

2023-12-08 06:11:17 | 映画の感想(ま行)
 (原題:THE MARVELS )マーベル・コミックのヒーローたちが活躍する、いわゆる“マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)”が末期的状況に入り込んだことを如実に示す一作。もっとも、そう思うのは私のようなアメコミの門外漢に限った話らしく、コアなファンはとても喜んでいるようだ。しかし、面白くないものは面白くない。個人的に楽しめないシャシンを持ち上げるわけにはいかないのだ。

 キャプテン・マーベルことキャロル・ダンヴァースは、宇宙の平和を守るために今日も幅広く活動しているが、そんな彼女の前に、的外れな復讐心を抱いた難敵ダー・ベンが現われる。ダー・ベンは異次元のパワーをもたらすバングルと呼ばれる腕輪を探し求めており、そのためには手段を選ばない。一方、女子高生ヒーローのミズ・マーベルと強大なパワーを覚醒させたばかりのモニカ・ランボーは、それぞれの力を解放させるとキャロルを含めた3人がランダムに入れ替わってしまう状況に追い込まれる。そんな珍妙な事態に戸惑う間にも、ダー・ベンの脅威は迫ってくる。



 正直言って、キャプテン・マーベルは前作(2019年)でスクリーン上に初登場した時点から愛嬌に欠け感情移入しにくいキャラクターだった。それに加えて今回はミズ・マーベルにモニカ・ランボーという、馴染みの無い面子が何の前振りも無しに登場。敵方の事情やバングルの由来も判然としない。それもそのはずで、この映画はディズニー提供の配信ドラマを逐一チェックしている観客のみを対象としているらしい。

 もっとも、従来からマーベル等のアメコミ作品は“一見さんお断り”の傾向はあった。ただしそれは、関連した映画を観ていれば何とか付いていけるレベルだったと思う。しかし、2019年の「アベンジャーズ エンドゲーム」より後のMCUフェーズ4以降の展開は、ネット配信作品も含めたすべてのネタを網羅していなければストーリーを追えない体制に移行したようだ。これでは、一般的な映画ファン(?)としては敬遠するしかない。

 また、映画単体として見ても、本作のヴォルテージの低さは如何ともし難い。活劇場面は平板だし、SFXも大して上出来だとは思えない。主人公以外の登場人物たちは深みは無く、ヘンなお笑いネタが散りばめられるのも愉快になれない。加えて“ニャーベルズ”の登場も唐突で、よほどの猫好きでなければ楽しめないだろう。ニア・ダコスタの演出は凡庸で、盛り上がる箇所を見つけるのが難しい。まあ、上映時間を105分に抑えた点だけは評価出来る。

 ブリー・ラーソンにテヨナ・パリス、イマン・ベラーニ、ゾウイ・アシュトン、パク・ソジュン、そしてサミュエル・L・ジャクソンといった顔ぶれはパッとせず、印象的な演技もしていない。今後はMCU作品はよっぽど興味を惹かれる題材のシャシンは別にして、スクリーン上で対峙するのは原則として遠慮したい。
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「ゴジラ-1.0」

2023-12-04 06:15:58 | 映画の感想(か行)
 これは面白い。ただし観る前は“今さらゴジラでもないだろう”という思いが強かった。庵野秀明らの手による「シン・ゴジラ」(2016年)が評価を得ていて、ハリウッドでもゴジラ映画が作られている昨今、国内の映画でゴジラをまた登場させるには「シン・ゴジラ」の続編ぐらいしか考えられない。ところが、本作は思わぬ方向からのアプローチが成されていて、しかもそれが上手くいっている。見事な仕事ぶりと言うしかない。

 昭和20年の終戦間近、特攻から逃げ出して小笠原諸島の大戸島の守備隊基地に着陸した敷島浩一。そこで遭遇したものは、大きな恐竜のような生物だった。そのモンスターのために守備隊は敷島と整備兵の橘宗作を除いて全滅。戦争が終わって復員した敷島だったが、実家があった東京の下町は焼け野原になり両親も空襲の犠牲になっていた。



 彼は闇市で親を失った大石典子と、彼女が見知らぬ他人から託されたという赤ん坊の明子に出会い、成り行きで一緒に暮らすことになる。数年後、敷島は機雷の撤去作業という職を得て何とか生活も安定してきた矢先、原爆実験により巨大化したくだんのモンスターが東京に上陸。小笠原の伝説で呉爾羅(ゴジラ)と呼ばれるその怪獣に、敷島は再び対峙することになる。

 ゴジラがスクリーンに初めて登場した本多猪四郎監督作品が公開されたのが昭和29年。この映画はそれより前の時代設定なので“-1.0”というタイトルが付いているのだが、その着眼点自体が非凡だ。米軍統治下にある日本を舞台にしており、ソ連との関係性でアメリカが直接手を出すわけにはいかず、自衛隊はまだ存在していない。だから“民間ベース”で対処するしかないという設定には唸ってしまう。そしてそのミッションに参加するのは、敷島をはじめ先の戦争で大いなる屈託を抱えることになった元軍閥の人間が中心。彼らは、真にあの戦争に決着を付けるために捨て身の戦いに挑む。

 そして何より、この映画はリアリティ路線(≒オタク趣味)に振り切ろうとした「シン・ゴジラ」とは別のコンセプトで作られていることが天晴れだ。とにかく、徹底してエンタテインメントの王道を歩もうとしている。しかも、ヘンに若年層に阿ったり楽屋落ちのネタを多用することなく、あらゆる観客層にアピールできるような能動的な姿勢を崩さない。

 もちろん、ゴジラがあえて東京に上陸した理由が説明不足だったり、銀座付近を荒らしてから一度海に戻った事情も分からないなど、細部を突けばアラも出てくる。しかし、それでもトータルとして本作の筋書きは良く出来ており、見せ場は効果的に展開される。各キャラクターも十分“立って”いて、誰もがやっと復興し始めた日本を再び壊滅させてたまるものかという気迫に満ちあふれている。

 演出担当の山崎貴は脚本も手掛けているが、彼は本当に良いシナリオを書くようになった。今後は日本映画の重鎮としての風格も出てきそうだ。ゴジラのデザインは秀逸で、特に放射能を吐く前に身体が光り出すあたりの仕掛けには感心するしない。また、重巡“高雄”や局地戦闘機“震電”が登場するのも感涙ものだ。

 主演の神木隆之介と浜辺美波は朝ドラでコンビを組んだだけあって、息はピッタリ。山田裕貴に吉岡秀隆、青木崇高、安藤サクラ、佐々木蔵之介など、脇のキャストも充実している。佐藤直紀が提供した音楽は申し分ないが、加えて伊福部昭の手によるあのテーマ曲が流れてくると、観る方もテンションが上がる。これは今年度のベストテンに入りそうだ。
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「ダンサー イン Paris」

2023-12-03 06:06:07 | 映画の感想(た行)

 (原題:EN CORPS)挫折を経験したバレリーナが別のスタイルのダンスと出会って再起するという、過去にも何度か取り上げられたような御膳立ての映画だが、思いのほか訴求力が高い。ただし、各キャラクターの内面はさほど掘り下げられていない。中身よりも外観を重視した作品で、そのエクステリアに映画全体を引っ張るほどのパワーがあるということだ。

 パリ・オペラ座バレエ団で研鑽を積むエリーズは、その甲斐あってようやくエトワールの座が見えてきた。そんな中、彼女は公演の直前に恋人の浮気を目撃。動揺したエリーズは本番の舞台で足首を負傷してしまう。実は過去に何度か同じ箇所を痛めていて、医者は二度と踊れなくなる可能性があると告げる。失意の中で別の生き方を探すことになる彼女は、ブルターニュにあるコテージで料理の手伝いの仕事をしている際に、コンテンポラリーダンスのチームと出会う。バレエとは違った方法論を目の当たりにして、彼女は再び踊る喜びを見出していく。

 監督のセドリック・クラピッシュはスタイリッシュな絵作りでは定評があるが、本作でも開巻早々に舞台上のバレエダンサーのバックに突如として先鋭的なサウンドを流し、しかもそれがサマになっているという離れ業を披露。劇中で少なからず挿入されるダンスシーンも、それぞれ非凡なアイデアで見せきっている。

 正直言ってストーリーは紋切り型でヒロイン像もさほど新鮮味は無い。その代わり、周りのキャラクターは面白い顔ぶれが揃っている。特にエリーズを密かに憎からず思っているフィジカル・トレーナーのヤンの造型はケッ作で、思いが遂げられない時のリアクションは突き抜けている。主人公の友人がボーイフレンドから“可愛い”と言われたら逆ギレするシーンも秀逸。本人からすれば“可愛い”というのは自身を高みに置いた傲慢な物言いなのだそうだ。なるほど、そういう見方もある。

 主人公を演じるマリオン・バルボーは、実際のパリ・オペラ座のバレエダンサーだ。容姿や身のこなし方は言うまでもないが、下半身から足の指先までしっかりと付いた筋肉の美しさには見とれてしまった。さすが本職は違う。コンテンポラリーダンス界の奇才ホフェッシュ・シェクターをはじめ、その筋のメンバーが本人役で出ているのも興味深い。アレクシ・カビルシーヌのカメラによるパリの街の点描と、ブルターニュ地方の風景の美しさは強く印象付けられる。
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「シェアの法則」

2023-12-02 06:07:55 | 映画の感想(さ行)
 実質的には東京都豊島区の“ご当地映画”であろう。だから話が紋切り型の教条的な流れになるのも仕方が無いと思われたが、これが一筋縄ではいかない構造を提示しており、感心するようなレベルに仕上がっている。体裁がどうあれ、練られた脚本と堅実な演出、そして達者な演技陣さえ揃っていれば見応えのあるシャシンに仕上がるのだ。

 豊島区の下町に住む税理士の春山秀夫と妻の喜代子は、自宅を改装してシェアハウスを運営している。とはいえ実際に切り盛りしているのは主に喜代子で、秀夫はこの施策に全面的に賛成しているわけではない。そんな中、喜代子が不慮の事故に遭い入院し、やむなく秀夫が代わりに管理人を務めることになった。仕事一辺倒の秀夫は、個性的な住民たちとはソリが合わない。だが、立場上さまざまな境遇の人たちと交流するうち、少しずつ心境の変化が生じてくる。



 シェアハウスの住民はキャバクラ勤務のシングルマザーや駆け出しの舞台俳優、中国出身のラブホテルの清掃員、売れない物書きである秀夫の甥など、訳ありの面子が揃っている。さらに春山夫婦の一人息子でレストラン経営者の隆志は同性愛者だ。昨今トレンドになっているダイバーシティを地で行くような設定で、ある意味図式的とも言えるのだが、各人の抱える懊悩が上手く表現されており、しかもそれぞれに映画のストーリーに沿った“結末”が用意されている。

 特に、中国から出稼ぎに来ているワン・チンは、実は密入国に近い境遇であることは印象的。今どき在日中国人の就労者など珍しくも無いのだが、実は当人は地方出身者で、渡航は許されていない。中国における都市と地方との歴然とした格差を日本映画が取り上げたのは初めてではないだろうか。シェアハウスの住民のOL役として出演もしている岩瀬顕子による脚本は、かなりよく練られている。なお、彼女は本作の元ネタになった同名舞台劇の台本も担当している。

 久万真路の演出は派手さは無いが、ケレンを廃した正攻法のもの。文句の付けようが無いほど堅実な仕事ぶりだ。秀夫に扮する小野武彦にとっては、何とこれが初の主演作映画になる。俳優生活57年目にして初の主役とかで、この融通が利かないが本当は情が厚い主人公を全力で演じている。

 喜代子役の宮崎美子をはじめ、貫地谷しほり、浅香航大、鷲尾真知子、大塚ヒロタ、小山萌子など、脇の面子も手堅い。都電荒川線や鬼子母神堂周辺、大鳥神社など、豊島区の下町風景も存分に捉えられている(まあ、私は同区は池袋界隈しか歩き回ったことは無いのだが ^^;)。
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「クレイジークルーズ」

2023-12-01 06:11:35 | 映画の感想(か行)

 2023年11月よりNetflixより配信されたミステリー編。いかにもお手軽な雰囲気の外観だが、中身も限りなくライト級だ。正直言って、決して安くはない入場料を払って映画館で鑑賞したならば大いに不満が出てくると思う。だが、テレビの(ちょっと金の掛かった)2時間ドラマだと思って接すれば、あまり腹も立たない。少なくともヒマ潰しぐらいにはなるだろう。

 豪華クルーズ船MSCべリッシマ号が、42日間のエーゲ海クルーズのため横浜を出航する。バトラーとして働く冲方優の前に、慌ただしく乗り込んできた女性客の盤若千弦が現れる。彼女の話では、お互いの恋人が密会しているのだという。近々結婚を考えていた優はショックを受けるが、そんな折、彼らは船内のプールで殺人事件が起こるのを目撃する。ところが死体は見つからず、優と千弦の他に現場を見ていたはずの幾人かは揃って“何も知らない”とシラを切る。この大事件が闇に葬られることを潔しとしない2人は、独自に調査を開始する。

 謎解きの興趣は、ほとんど無い。消されたのが年配の金持ちの男で、狙いはまず財産だろうという予想は付くが、その段取りが大して芸が無い。優と千弦の素人探偵ぶりもラブコメ方面に寄り過ぎており、終盤には“意外な真相”とやらが明らかになるのだが、説明不足で辻褄が合っていない。そのままストーリー面では煮え切らないままエンドマークを迎える。

 とはいえ、脚本を担当した坂元裕二の人脈の広さがモノを言っているのかどうか知らないが、キャスティングはけっこう豪華。クソ真面目なバトラーを楽しそうに演じる吉沢亮と、久々に可愛さ全開でファンを喜ばせる宮崎あおいのコンビは、年齢が合わないと思わせて実は好マッチングだ。吉田羊に菊地凛子、永山絢斗、泉澤祐希、蒔田彩珠、岡部たかし、岡山天音、近藤芳正、光石研、長谷川初範、高岡早紀、安田顕などなど、絵に描いたようなグランドホテル形式の配役が披露される。べリッシマ号の佇まいは確かに贅沢であり、ここはNetflix謹製らしいリッチさが味わえる。

 瀧悠輔の演出は別にコメントするほどのものではないが、与えられた仕事はこなしていると思われる。それにしても、先のカンヌ国際映画祭で脚本賞を獲得している坂元裕二が、こういう軽量級のシナリオを手掛けるというのはまあ興味深い。しかしよく考えてみると、是枝裕和の「怪物」も実はライトな話だった。このレベルが彼の持ち味なのかもしれない。
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