池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

大田区立郷土博物館

2019-08-06 17:24:02 | 見学・観賞

今朝も多摩川から富士山のシルエットが見えて、一安心(笑)

雲が夏っぽくなかったのですが、日中は見事に猛暑日、雲も立体的に変形していましたね。

 

さて、以前より興味があった大田区立郷土博物館に行ってみました。

子供の頃、夏休みって、日記や自由研究のネタがなくて、お金のかからない公共の博物館とか行きませんでしたか?

”大田区を中心とした人文科学系の博物館で、考古、歴史、民俗資料などの文化遺産を保管、展示しています。”と言うことなので、

夏休みの子供気分で行ってみました(笑)


1Fの特集展示は、三島弥彦について。

この人物は存じ上げなかったのですが、

大河ドラマの「いだてん」の主人公、金栗四三はストックホルムオリンピックのマラソンの代表でしたが、三島弥彦は、短距離の代表であったとのことです。

大田区出身なのかな?と思ったら、そうでもない三島弥彦の展示がある背景は、現在では滑走路の下になっている、羽田運動場で選考会が開かれたから。

 

2Fに上がって、右手のホールは、大田区の考古学、地中の歴史コーナーです。

歴史の教科書でしたっけ、大森貝塚を習ったのは。

大森貝塚から出土した土器です。

大田区って、多摩川の河口に位置しているので、古代にたくさん人が住んでしたんでしょうね。

それで遺跡、古墳が多く、しかも、旧石器時代の遺跡もあるんですね。

 

縄文時代の展示です。こんな感じで貝塚が発掘されたのでしょう。

イメージ(オオツノジカの角を彷彿させる)通りの縄文土器ですが、必ずしも名前の由来の縄目の文様があるわけではないのですね。

最近まで考えたことがなかったのですが、たまたま見たTV番組で、縄文土器の底が尖っているのは、土に挿して安定するようにしていたのと、

かまどを作らず、焚き火にかける時も、土器の周りで火を焚いたからと言うのを知り、なるほど〜っと思いました。

昔の学校教育って、これを縄文土器というのは教えても、なぜ、こういう形なのかは教えませんでしたね。

土器の作り方の解説ですが、白い手先が何だか不気味。。。

馬込貝塚から出土した、埋葬された犬の骨です。

オオカミをペット化したのが犬と、どこかで習いましたが、日本で家犬化が始まったのは縄文時代とのことです。

 

弥生時代に入ります。首の細い壺みたいな弥生土器。

なお、その時代の様子、遺跡の説明パネルもわかりやすくて、説明を読みながら展示品を鑑賞する事で、より興味を持って、理解を深めることができます。

「土師器の出現 古墳時代のはじまり」とあるのは、素焼きの土器が作られたのが古墳時代からで、埴輪も素焼きですね。

ぱっと見紛らわしいのですが、中世に、土師器(はじき)にとって代わったのが、土器(かわらけ)で、かわらけを作る職人が土器師(かわらけし)。漢字三文字の並びが違います(笑)

色々な埴輪も出土しているようです。

発掘作業のジオラマです。一度、こういうのに参加してみたいですね。できれば、恐竜の化石で。

考古学は、遺跡から当時の生活や文化だけでなく、自然環境や人類がどう適応してきたかもわかってくるので、必ずしも昔を知るだけではなく、現在、未来に適用する学問でもあります。

古墳時代ですので、豪族の墳墓からは、豪華な埋葬品も見つかっています。

大田区には、横穴墓が数百基見つかっているそうな。大田区ではありませんが、等々力渓谷にもありましたね。

人骨も出土していて、どんな顔だったのが復元模型の展示もありました。

横穴には、これらの模型のような形で埋葬されていたようです。

弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡では、甕棺の中に蹲っているようでしたが、古墳時代になると真っ直ぐ寝かすようになるのかな?それとも地域差?

 

長野県立博物館から拝借して展示している赤い土器もありました。

一個だけ?

 

続いて、2F左手のホールですが「水をめぐるふるさとの暮らし」コーナーとして、多摩川、六郷用水に絡めた、農業や伝統芸能の展示があります。

天井から吊るされた大きいのは「六郷とんび凧」です。

江戸時代に、漁師が、獲れた魚を干しているのをカラスに荒らされて困っていたところ、この凧を飛ばしたら、カラスが逃げたので、たくさん作られるようになったとか。

こちらは獅子舞(ししまい)ですが、「水止舞(すいしまい)」というようです。

室町時代に、日照りを解消するために、大森願証寺の法密上人が、藁の竜頭を海に放ったら雨が降り出したものの、今度は止まなくなったので、3体の獅子頭を作って舞わせたたら、晴れたので、「水止めの舞」「水止舞」と呼ばれるようになったとか。

 

ホールから出たところのショーウィンドーには、「友の会」のコーナーとして、会員の蒐集した(のかな?)、張子や土鈴の魚、舟の模型の展示がありました。

「玩具水族館」と言う命名がぴったりです。

こう言うのも、いかにも「郷土博物館」っぽくていいですね。

唐津くんちのでっかい金魚(じゃなくて鯛)を思い出しました。

 

3Fに行きまして、右手のホールは「馬込文士村」のコーナーです。

一帯の模型で、ボタンを押すと、その文士(作家、画家など)の家が光ります。

あまり詳しくないので、知っているのは数人かな。。。

まあ、ビックネームは、へぇ〜って感じですが、自筆原稿とかみてもイマイチ(苦)

絵だと、画家の名前知らなくても、ほぉ〜って思います(苦)

ちょっと笑いましたが、北原白秋の家の窓枠。文化的な価値があるのかな。。。

 

一転、左手のホールに続くところから、大田区の生活感のある展示になります。

昔、藍染が盛んだったようですね。池上にお店が残っていますし、地域のお祭りとかで、展示されたりしています。

こちらは、鎌や鍬。農具や、海苔の養殖、貝を剥く鉄製品も多く作られていたようですが、地域産業が機械工業に変わるにつれ無くなっていったようです。

よく見聞きする「大森海苔」の養殖です。

そのうち「大森 海苔のふるさと館」も行かねば、と思っているのですが、アクセスがね。。。

ところで、養殖海苔って大森が発祥だったような。

それに、海苔問屋街もありますが、大森の海苔というのはもうないんですね。

展示パネルを読んで気づきました。

確かに、大森や平和島あたりの、現在の東京湾では海苔の養殖はできませんね。

波が静かで、遠浅の東京湾は海苔作りに適していたことから、江戸時代の享保年間に海苔養殖が始まったようですが、昭和30年頃から海苔漁場の汚れが目立ちだし、昭和37年には、東京湾の改修工事に伴い、漁業補償の成立と共に、海苔漁業が終わったと。

漁業権は放棄したものの、仕入れ先を他県に替えて、問屋と小売は続けていると。

まあ、仕方ないかな。

この模型は、篊(ひび)から流れ落ちた海苔を拾う、昭和初期の様子らしいのですが、なんか遠い目をしていますね。。。

 

さて、大田区が農漁村から市街地に変わったのは大正時代で、機械・金属・電気関連の工場を誘致していったようです。

昭和に入って、戦時体制に入ると、兵器工場の様相を示し、故に、戦争末期は、空爆の対象となり、壊滅的な被害を受けることになったのですが、朝鮮戦争の特需がきっかけで、「モノづくりのまち」が再生したようです。

 

羽田空港がありますから、戦後、航空産業が発展し(写真は大森生まれ羽田育ちの航研機の模型)、

大きくは、下町の町工場ですね。1950年代の工場の模型です。

 

それと、これは知らなかったのですが、江戸時代「麦わら細工」が有名だったのですね。

色とりどりに染めた麦わらを動物の姿に編む「編み細工」と、木箱に縞や絵模様を張る麦わらを張る「張り細工」があり、「海苔」と共に、東海道を行き交う人々の旅の土産として親しまれていたと。

繊細な細工に驚きました。

「モノづくりのまち」の素地はこの頃作られたのかもしれませんね。

最後に、ちょっと戦争と、戦時中の学童疎開の話を見て、郷土博物館の見学は終了です。

 

展示物も豊富ですし、説明パネルはわかりやすいです。

大田区の特徴にフォーカスした展示で、大田区民歴が2年弱の私には、地域を知るための良い機会でした。

文士のところは、ちょっとスルー気味でしたが、とりわけ土器のところはじっくり鑑賞したので、一時間半くらいいました。

館内で、遺跡巡りの地図(5コース)が無料配布されていたので、遠慮なくもらってきました。

まずは、大森貝塚に行ってみることにしますが、暑さが緩んだら、それぞれ歩いてみたいですね。

 

それはそうと、土器のコーナーで、大森貝塚にフォーカスした展示が少ないように思えたのですが、、、

大森貝塚は、品川区(品川歴史館)だったのですね(苦)

ではでは


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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