池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

川崎市民ミュージアム常設展

2019-08-31 17:04:10 | 見学・観賞

今日は、7、8月と続いたPayPayランチ(10%キャッシュバック)の最終日でした。

これまで12時台は、ご飯時でむしろスーパーは空いていたので(11時台は、昼ごはんの買い物なのか混んでいた)、

まあ大丈夫かな?と、12時ぐらいにOKに行ってみましたが、、、

考えることは皆同じなのか、とんでもない混み方。。。

昼時のキャンペーンは9月も続くのですが、10%→5%になるので、今日、買い込みに行っているのですね(私もですが)

殺気すら感じる、めちゃ混みの雰囲気に瞬殺され、何も買わずに帰ってきました(泣)

 

さて、一昨日、妖怪とヒトの境界線展に先立って見学した、川崎市民ミュージアム常設展についてです。

 

その前に、広場に聳えるこれは?

トーマス転炉という日本鋼管が昭和12年に導入したドイツの製鋼炉で、日本の製鉄業界の発展に寄与したと。

 

中に入ると、いろいろなオブジェも。

ただ、私という人間は、この種の芸術は、さっぱりなんですよね(苦)

 

さて、常設展に行きましょうか。

観賞後の印象としては、品川歴史館大田区郷土博物館を合わせて川崎版にしたようの感じです。

と言うのは、

多摩川沿いですから、

  • 遺跡や発掘物が豊富。旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の土器やら何やらの展示が充実
  • 稲作中心の農村が広がっていたので、行事や祭礼、暮らし向きなど民俗に関する展示も多彩
  • 治水、灌漑などの資料も多い

と言うところが、大田区郷土博物館に似ています。

そして、川崎は、東海道の品川の次の宿場町ですから、その宿場町に関する展示は、品川歴史館に似ています。

 

中は繋がっていますが、入口は時代毎のセクションで分かれています。 

一番左の「民俗」から入って、「原始」「古代」「中世・近世1」「近世2」「近代・現代」と時代に沿って、各時代の入口展示も確認しながらの見学です。

 

まず「民俗」です。

セイノカミ、いわゆる左義長、小正月に松飾りや注連縄を焼く行事で、こちらはそのお籠り小屋。

中はこんな感じで、村人が集まってあぐらをかいて酒を飲んでいるイメージが湧きました。

翌朝、これごと焼いて(豪快)、その火で団子を焼いて食べると無病息災。

 

的祭(まとまつり)、弓矢で的を射て神の意志(作物の出来)を占ったり、厄払いをする行事。

流鏑馬も的祭の一種ですが、馬に乗るのは鎌倉時代からで、馬に乗らない歩射(ぶしゃ)の方が歴史が古いと。

解説シートの写真では、座って的を射ています。

 

こちらは、三匹獅子舞。

悪魔払い、地鎮祭、雨乞いのために演じられたと。

大田区の、雨乞いで降り続いてしまった雨を止ませるために舞ったと言う水止舞(すいしまい)とは逆ですね。

 

他には、

村中総出で、屋根の葺き替えをしている模型とか、

これも雨乞いで使われた、藁で編んだ龍(右手のはカエルとオタマジャクシ)。

村中練り歩いて、川に流したそうです。

大正時代までやっていたんですって。

 

さて、次から歴史を順に追います。

「原始」は、市域で発掘された旧石器時代から弥生時代までの出土品です。

左は貝塚の地層です。人が貝殻を捨てた場所なので、貝殻がたくさん詰まっています。

右は海底の地層で、自然堆積した貝の化石が散見されます。

川崎駅前のショッピングセンターあたりの地層で、氷河期が終わって海面が上昇した頃、川崎市街地あたりが海であったことがわかります。

縄文時代の竪穴式住居の模型。

品川歴史館、大田区郷土博物館の展示にもありましたが、川崎も多くの遺跡(支柱を立てた穴の跡)があるようです。

ちなみに、縄文時代の主食は”どんぐり”だったんですって。

稲作の伝わった弥生時代以前は、狩猟だったと教わったので、獣と魚ばかりの印象がありますが、言われてみれば、穀物の栽培はしないまでも、木ノ実、果実、草花は食べたはずですよね。

すりつぶして粉にしていたのと、ちゃんとアク抜きもしていたというから驚きです。

食文化って、この時代に既に発生しているんですよね。

発掘された縄文土器です。

同様の、弥生土器。

入口の展示は、縄文時代の自然環境の再現(動物は剥製かな?)

鹿、猪、うさぎ(左上)、右下はイタチかな。

でも、川崎と言えば、たぬきでは?

いました、右上からこっそり覗き見ています。かわいい♪

続いて、「古代」は古墳時代から平安時代の発掘物です。

埴輪って何故か好きです。

はに丸のイメージが強く残っているのかな(笑)

(でも、はに丸って、ちょっとシュールで、大人を皮肉るシニカルさがありましたよね)

なお、入口の展示は(ちょっとわかりにくいですが)古墳の石室の模型。

モデルの宮前区の馬絹古墳の石室入口は、保存のため埋め戻されていると。

「中世・近世1」は、川崎にあった荘園の書類などの展示で、村、河川の様子などが見て取れます。

入口は、円筒分水。多摩川の水が、田畑の面積に応じた水量で、4つの堀に分けて流されていたようです。

私の好きなジオラマもありますが、森が精巧に作られているのに、官衙(政庁)の建物が、紙を張っただけと言うのはいただけませんが、建物のフォルムはよくわかっていないのかな?

「近世2」は宿場としての川崎です。

入口の展示は、ちょっと不気味な、等身大の宿場の人たち(前衛的な劇団の舞台の雰囲気)

そして、品川歴史館に精巧な品川宿のジオラマがありましたが、こちらもなかなかのもの(感)。

川(海じゃなくて)に面したところは六郷の渡しの昔。

品川歴史館のように、人も配置したら臨場感が出るのになぁ。

でも、そうするには、こちらはちょっとスケールが小さくて残念。

ひと際大きな本陣(こっちも毛利だったらどうしよう、と思ったけど宿泊大名はいない模様(苦))

ハリス絶賛の万年屋の奈良茶飯というのが名物だったそうです。

最後の「近代・現代」です。

川崎大師へ行く時に乗る(私は歩きますが)大師線のところを走っていた、大師電気鉄道の模型。

明治32年の開通といいますから、相当早いですよね(驚)(日本最初の電車は明治28年の平安電気鉄道)

ところで、大師線と言えば、味の素(笑)

去年の冬だったか、工場見学の枠がちょうど空いていて、奥さんと参加したことがありました。

味の素の看板が展示されています。(日本語が右からで、英語が左から、って面白いですね)

味の素のある駅は、鈴木町駅ですが、創業者の鈴木三郎助氏に因んでいるんですよね。

味の素(調味料)って、日本でこそ、化学調味料として印象があまりよくありませんが、東南アジアでは、栄養を簡単に添加できる貴重な調味料です。

とりわけBOP(Base of Pramid)ビジネスの先駆けで、栄養不足の貧しい人たちも小分けで買えるようにしたり、この企業の歴史には学ぶべきところが多いと思います。

ただ、タイ、インドネシア、ベトナムなどで、大さじ山盛りの味の素を料理に入れるのは、誤った使い方ですけどね。

私の場合、卵かけご飯、野菜炒めに必須なくらいかな。

 

話が脱線しましたが、以上が川崎市民ミュージアムの常設展の模様です。

結構、現物ベースの展示なので、見応えがあります。

他方、あまり細かく見るつもりがなければ、それはそれで、各時代のあらましを効率的に見ることができると思います。

大田区からは、多摩川の対岸の話ですから、よく似た雰囲気も感じられました。

 

ところで、今回、市民ミュージアム、等々力緑地に向かって歩いている時、

小杉陣屋町のあたりに、旧家跡の表示があったり、突き当りの西明寺の隣に、徳川秀忠の御殿跡など、興味を惹かれる情報を見ました。

あと、漫画寺というのも有名みたいなので、

一昨日は、市民ミュージアム、等々力緑地でいっぱいいっぱいだったので立ち寄りませんでしたが、

来週あたり、日を改めて、もう一度、(事前にちゃんと調べて)小杉陣屋町のあたりに行ってみたいと思います。

ではでは


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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