この猛暑の一週間で、見事、再生しましたね。
多めに収穫して(イタリアンパセリも一緒に)、
今日のブランチも、(奥様曰く)味の濃〜いサラダプレートです(メインのベビーリーフが見えん)。
後一回半分くらいはあるけど、今週末で食べ切るか、来週までに盛り返すのを期待するか迷うところです。
さて、貝塚は古代のゴミ捨て場なので、住居跡や古墳とは異なり、土器や装飾品よりは、貝殻とか骨(動物、魚)から古代の食生活、生態系を知るものであると、認識を改めて、大森貝塚に立ち寄ることにします。
大森貝塚は、品川歴史館の展示にあったように、割と広範囲に広がっているようですが(後年の発掘によって)、エドワード・S・モース(1838〜1925、東京大学初代動物学教授)が発掘調査を行った場所が、大森貝塚遺跡庭園になっているようです。
しかし、発掘調査報告書に正確な場所や周辺の地図が記載されていなかったことや、その後の景観の変化などで分からなくなっていたようで、二つの貝塚碑が存在します。
ひとつは、大森貝塚遺跡庭園にある「大森貝塚碑」
もうひとつは、NTTデータビル敷地内になる「大森貝墟碑」
です。
どちらも広域な発掘場所に入っているのですが、
品川区の「大森貝塚碑」か大田区の「大森貝墟碑」のどちらがモースの発掘した場所かの論争があったようです。
まあ、ありがちですね。
お店なら”本家”とか”真”とか。
自治体なので、どちらが”大森貝塚のふるさと”とか名乗って、饅頭、ゆるキャラを作るかみたいな(笑)。
で、結局、その後の調査で、品川区の「大森貝塚碑」がその場所であったと。
大森貝塚遺跡庭園は、国指定史跡になっていますが、大田区への配慮かな(苦)
ただ、モースの生まれたポートランド(アメリカ、メイン州)と姉妹都市になっているのは、品川区。
大田区郷土博物館、品川区立品川歴史館のどちらにも、あまりアピールがないのは、お互い気を使っているのかな。
それとも、国指定史跡なので、資料は国立博物館に集められているのかな。
まっ、それはともかく、
品川歴史館からの帰り道なので、まずは大森貝塚遺跡庭園から。
縄文っぽさを其処彼処でイメージしています。
入口の壁に続いて、公衆トイレ。
広場の回廊は、縄文っぽくもありますが、地層をイメージしているようです。
ところで、この広場は、噴水が上がってミスト状になる仕掛けがあるらしいのですが、
ポンプが故障中とのことで、、、「今でしょ!」と言いたい。
なので、ひとっ子一人いません(この炎天下、物好きなのは私だけ。歴史館も私以外の見学者はいませんでしたね)。
モースさんも暑そう。帽子くらい被せてあげたいね。後ろは品川区とポートランド市の姉妹都市の碑。
回廊に登ると、見晴らしはよろしいが、更に暑い。
裏手、線路の方へ行くと、謎の”波のオブジェ”
私には、ウルトラマンの怪獣に見えました(思い出しました)。
公園にある大森貝塚、縄文遺跡の説明板。
こちらでは、実際の貝層を見ることができます。
また、発掘した貝塚が、割と無造作にそのまま残されてあり、
埋まっている貝も触れます。
これ本物なのかな?無造作すぎる。
一番奥には、品川区側の「大森貝塚碑」があります。
そして、大森駅の方へ行くと、朝、通り過ぎた、NTTデータビルの前に「大森貝墟碑」のレプリカが。
建物の脇道を入って(ゲートは9:00に開くようです)
階段を降りると、
説明板があって、その裏に、
大田区側の「大森貝廃碑」があります。
こちらには、遺構などは特になく、これが線路沿いに建っているだけです。
まあ、貝塚碑を見たところで、何か感じるものではないので(苦)、
大森貝塚に触れると言う点では、大森貝塚遺跡庭園が一番かもしれません。
あとは、モースが動物学の教授だった東京大学の総合研究博物館か、、、上野の国立科学博物館はどうだったかな。。。
国立博物館では去年の今頃、縄文展が開催されていたようです。
その”見どころ”の説明文に「日本では明治時代になって、大森貝塚の発掘をきっかけにして近代的な考古学が始まり、「縄文」が発見されました。」とあるように、大森貝塚は、その出土品がどうのと言うより、古代史を紐解くきっかけとして大きな意味があったのでしょうね。
大森貝塚の自由研究は一旦おしまいで、大田区の豊富な遺跡巡りにシフトしていきます(暑さが緩んだら)。
ではでは