青森といったら「斜陽館」です。
お前昨日、青森といったら治ちゃんらうめんです、っていってなかったか?
今年、太宰治生誕100年になります。
シャコです。
なんでやねん!?
お寿司屋さんのシャコしか見たことないヒトは、この姿に驚きますよね。
実は、こんなに大きい海老?みたいな形なんです。
だ・か・ら!太宰とシャコとなんのつながりがあんねん!?
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※私たちは桜花の下の芝生に坐って、重箱を広げた。これは、やはり、N君の奥さんのお料理である。他に、蟹とシャコが、大きい竹の籠に一ぱい。それから、ビール。私はいやらしく見られない程度に、シャコの皮をむき……
『津軽』「二、蟹田」より
みなさん、知ってましたか?太宰はさらりと書いていましたけど、シャコは本来皮をむいて食べるものなんですよ。
スーパーやお魚屋さんで、剥き身のものしか見たことないヒトには衝撃的な姿だよね。
さて、では気をとりなおして斜陽館です。
二階の和室の部屋です。
右から三番目の襖に書かれてある(内容は全然わかりませんでした)最後の文字に「斜陽」という文字がありました。
幼いころから、太宰はこの文字を見ていたということになります。
だから出来たんでしょうね。
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嫌いなヒトが、けっこういるけど、ぼく的には『斜陽』も『人間失格』も全然オッケーです。むしろ、「わかるわかる」的なことの方が多いくらいです。
どっちかっつーと、お前の場合、熊失格だけどな。
これは新座敷。
もともとは斜陽館にくっついていたものらしいんだけど、今は90メートル移築して呉服屋さんが使用しています。
つい最近、公開することになりました。以前は知らずに呉服屋の倉庫にされていたようです。
この新座敷については、「かなぎ元気倶楽部」から引用させていただきます。
※太宰治の長兄(文治)が1922(大正11)年の結婚を機に新築し、津島家では、「新座敷」と呼ばれていました。 終戦直前の1945(昭和20年)7月末から、1946(昭和21)年11月12日まで太宰治が東京、甲府の戦禍からのがれ、 妻子を連れて故郷に身を寄せた場所とされています。
そして、今写ってる、まさにこの場所で何作かの作品も生まれました。
※太宰治は疎開中にこの「新座敷」で世情を諷刺した作品を書き上げています。
戯曲「冬の花火」「春の枯葉」
新聞小説「パンドラの匣」
自伝的エッセー「十五年間」「苦悩の年鑑」
創作「男女同権」「親友交歓」「トカトントン」「海」「嘘」「貨幣」など
(昭和22年7月5日に中央公論社より刊行された初版本の表紙)
いかがだったでしょうか?
青森の旅も、これでおしまい。
高速道路の料金が1,000円だから来れました。
さあて、次はどこへ行こうかなぁ。
そういえば、クマルさんいないな。一緒じゃねえの?
次回、「そのときクマルさんは……」です。
気になるなぁ。クマルさんはどこにいるのかしらん。