札所1番、東福寺です。
本日はちょびっとマジメな話をします。
内容は、思考というものが、いかにいいかげんで、とるにたらない頼りのないものであるかについてです。
北豊島三十三霊場は、クマル的な巡礼順で巡っているんだけど、ほんとうはここが一番最初に来る場所。
このときのクマルの心境は、
ここが一番なら、この巡礼、ここで終わるから でした。
なんなんスか、この鉄格子。
鍵までかかって、閉ざされ感あり杉りょうたろだから
つって、この日、プンプン怒って帰りました。
大塚の駅まで来てもプンプンはおさまらず、けっきょく屋さんでプンプンしながらを買ったので、あんな日記になってしまったの
【クマルのあさめし(大塚編)@Chris's monologue】←なので屋さんに非があるわけではありません
つまり、プンプンとボンボンが、波動的に一致しちゃったのね
でも、あとになってよくよく考えてみたら……
せばだば、檀家のヒトたちは、どうやって墓参りするんだべか? って疑問が残るわけよ。
で、昨日、もう一回行って見てきたわけ。
その前に、どうしてこうも拒否されてる感が強くなってしまったのかを説明させてください。
あの日は、来るとき、大塚方面からではなく、巣鴨方面からこの寺に来たのがそもそもの原因。
巣鴨方面からら大塚方面には坂を下ります。
そうして見えた光景が、
これ。
塔婆が見える?
ってことは、ここは東福寺の墓地。
なのに、
なして鉄条網があるんだべか?
この他を排除するような隔絶感が、すべてを否定してるような気分にさせられ、れいの門にぶちあたりクマルのがボンボンしちゃったわけよ。
エラそうなこと書いてあっても、なにさ、フンみたいな?
けれども、昨日冷静になって、よくよく見てみたら、
入り口が他にもありました的オチ。
で、なかに入れました。
お参りもしっかりできたぞね
こうなるとゲンキンなもんで、あれだけニックキ閉鎖的な寺イメージが、あっという間に払拭。
なんて思考とはいいかげんなもんなのでしょうか?
ってことに気づかされました。
よくあるでしょ、こうゆうこと。
なんかあのヒト得意じゃないなぁ、って思ってたヒトから、突然優しい言葉をかけられた瞬間から、このヒトいいヒトぢゃん! みたいなこと。
つまり憎しみや嫌悪の波動は出しただけ損なわけよ。
事実でないことに怒って、無駄なエネルギー使うだけ。
だから、そんな瞬発的な怒りがわいたとき、「いや、ちょっと待て。モチツケ」って、常に中道にいることが大切なのね。
それは知ってはいることなんだけど、実践はむずかしい。
どんだけ修行しても、出来ないってことは、つまりそれはいまだ思考の虜になってしまってるってこと。
そこをリマインドさせてくれてありがとう。
そう、「しあわせ地蔵尊」さまに感謝の念をおくりました。
ほんとありがたがむ。
十羅刹女神。
江戸時代、巣鴨の総鎮守だったそうです。
いまは、おじいちゃんとおばあちゃんの原宿。
赤いパンツやとげぬき地蔵ばかりがとり上げられるけど、むかし、ここには巣鴨プリズンとい刑務所があり悲しい歴史がたくさんある場所。
クマルは気持ちを改め、謝罪と平和と鎮魂を祈ってきました。
近所に行きたいラーメン屋さんがあるんだなぁ。
東池をもろに出してるけど、山岸さんの暖簾分けかなぁ?
メンタマ!?
どうしてアテクシがマジメにやってるときに、いつもあんたはそうなるの
クマル的第22番
東福寺
東京都豊島区南大塚1-26-10
本尊:十一面観音菩薩立像