柳本墓地 (山の辺霊園)(天理市柳本町583)トレイルセンターの南 長岳寺の南側に柳本墓地がある とてつもなく広い墓
御旅所坐神社 歯定神社 念仏寺の南 大和神社の境外摂社で「御旅所坐神社」別称「大和稚宮神社 中山廃寺跡と中山大塚古墳、歯定神社、大和神社お旅所は、ほぼ同じ所に存在する。手前に中山町公民館があり、その先の広場の真ん中に、 大和神社御旅所の標柱が建っている。その右手の森が中山大塚古墳である。森の中に歯定神社と大和神社御旅所坐神社が並んで建っている
歯の形に似せた磐座に注連縄が
長岳寺 天理市柳本町508 PK-Free 長岳寺千燈会の準備中
弥勒丘(みろくおか)弥勒石龕仏 龍王山への道を徒歩15分ほどのところ トレイルセンタ-で道を聞いていたところトレイルセンターの農家のおじいさんに軽四で連れてもらう 一人ではとてもわからないところにある 。畦道から、石龕仏まで,獣除けの電気線が貼ってあり要注意。長岳寺の北東の山裾に弥勒丘と呼ばれる所があり,そこに前向きに倒れかかった弥勒石龕仏がある。木の根が張っているので,いずれ倒れてしまうかもしれない。蓮華座に坐し、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。像横に貞和五年(1349)の刻銘が入る。善教の作といわれている
念仏寺 奈良県天理市中山町401 PK-なし 今は廃寺の「旧中山寺」の一坊とされます (浄土宗) 大塚山宝性院「念佛寺」です 明応7年(1498)の地震で炎上 天文19年(1550)に十市遠忠(十市城主)が再興 宝永6年(1709)に再び焼失し、同年沢公が再建 本尊;阿弥陀如来立像(焼け残りの弥陀) 奈良の寺社より 御朱印代を,払おうとしたら,お金はもらってませんとのこと。今までお寺を回っていて,初めての経験であった。
柳本は、慶長5年(1600)織田信長の弟で茶人としても知られた織田有楽斎(うらくさい)の知行地となり、さらに元和元年(1615)有楽斎の五男尚長(ひさなが)が入府して、柳本織田藩の祖となった。 柳本織田氏の菩提寺である専行院には、有斎・尚長をはじめ歴代藩主の墓が残っている。本堂の前に阿弥陀石棺仏が立っている。阿弥陀石棺仏の右には建治2(1276)年の地蔵石仏がある