金橋神社 橿原市曲川町二丁目8番24号
安閑天皇 都は勾金橋宮(まがりのかなはしのみや。現在の奈良県橿原市曲川町か)。534年即位された なお、1889年から1956年まで存続した「金橋村(高市郡)」(現、橿原市)は、この宮号による近代の復古地名であった。金橋村がなくなった今でも駅名(JR金橋駅)や小学校名、郵便局名等々にその名を留めている
拝殿
本殿
“御子、広国押武金日命、勾( まがり)金箸宮(かなはしみや)に坐まして天の下治らしめき。”と書物に記されている
徳應寺 橿原市曲川町2-7-3
曲川は昔、勾まがり金かねといわれていた。西暦534年から535年に第27代安閑あんかん天皇の勾まがり金かな橋はしの宮があり神社の付近が宮跡だったと伝えられている。後に曽我氏がこのあたりに別宅を建てた。日本書紀によると曽我稲目は、第29代欽きん明めい天皇13年(552) 百済くだらの聖明王が献じた一光三尊如来をしばらくこの家に安置し、向原寺とした。これが日本最初の寺である
庫裏
本堂
太鼓楼
太鼓楼