八尾御坊大信寺 八尾市本町4-2-48 御朱印はナシ
(1606)、久宝寺村の森本七郎兵衛貞治ら17人は、東西本願寺の分立に際して、東本願寺の教如上人に属したため、久宝寺村を出て八尾庄四町四方の地を与えられて移住しました。そこに八尾御坊を建立して、八尾寺内町をつくり、現在の八尾の発展の基を開きました。(1660)に現在の場所に移転し、寺域が拡張されました。(1788)に京都の本山が焼けたときに、大信寺の本堂を京都に移して仮御影堂に代えましたが、十年後再び戻りました。 昭和28年(1953)3月3日に本堂がくずれたため、全面改修となり、現在の姿になりました。境内北側には河内県庁跡(かわちけんちょうあと・府史跡)の碑があります。八尾市八尾市文化財情報システム 文化財詳細
沿革
古絵図
本堂
本尊
境内
其角の句碑 河州八尾娶そしり〜うすら氷やわずかに咲る芹の花