弥山ツーリズム 往復「こだま」でゆく 総勢19人 私一人--山頂周辺だけ廻る ほかは「厳島神社」参拝 弥山は外人も多く登っていた
山頂
不動明王像 奥に見えるのは霊火堂
不動明王
弥山本堂
内陣
霊火堂付近
1,200年程の長きに渡り、火が絶えないように守られ昼夜燃え続ける霊火「消えずの火」
弥山ツーリズム 往復「こだま」でゆく 総勢19人 私一人--山頂周辺だけ廻る ほかは「厳島神社」参拝 弥山は外人も多く登っていた
山頂
不動明王像 奥に見えるのは霊火堂
不動明王
弥山本堂
内陣
霊火堂付近
1,200年程の長きに渡り、火が絶えないように守られ昼夜燃え続ける霊火「消えずの火」
三光神社 天王寺区玉造本町14-90
大阪冬の陣の際に、豊臣方の真田幸村が陣を構えた真田丸があった場所。神社内には幸村が築いたとされる、大阪城下へと通じる地下の道「真田の抜け穴」跡が現在も残されている
拝殿
心眼寺 大阪市天王寺区餌差町2-22
1614年、真田信繁は真田山に出城「真田丸」をつくり、ここで徳川の大軍を相手に勝利をおさめた。翌年、「大坂夏の陣」で幸村は討ち死にする。そして豊臣家は滅亡した。 (1622)4月、白牟(はくむ)和尚が、「真田丸」があった場所に、幸村・大助父子の冥福を祈るために堂舎を創建。それが心眼寺である
興徳寺 大阪市天王寺区餌差町2-17
当山の縁起は聖徳太子が在世中に法円坂に「薬師院」として草創と伝えられるが詳細は不明
准胝観音は、高さ約10m。目は三つ、手は18本あり、 それぞれの手に持たれた仏具等でみなさまに功徳をもたらします
寺の前の顕彰碑
准胝観音
コトネアスター
百寺巡礼 奈良 五木寛之
百次巡礼 奈良 五木寛之 | 拙者の拝観日 | |
室生寺 | 奈良県宇陀市室生78 | 2013.04.09 |
長谷寺 | 桜井市初瀬731-1 | 2011.06.04 |
薬師寺 | 奈良市西ノ京町457 | 2014.08.13 |
唐招提寺 | 奈良市五条町13-46 | 2014.08.13 |
秋篠寺 | 奈良市秋篠町757 | 2011.05.04 |
法隆寺 | 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 | 2010.11.07 |
中宮寺 | 生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 | 2014.04.26 |
飛鳥寺 | 高市郡明日香村飛鳥682 | 2013.10.23 |
當麻寺 | 葛城市當麻1263 | 2010.11.19 |
東大寺 | 奈良市雑司町406-1 | 2011.03.30 |
重蔵神社 石川県輪島市河井町4-96-甲 社伝によれば、遠く崇神天皇の御代の鎮座とされ、「延喜式」の神名帳に載せられる鳳至比古神社、あるいは辺津比咩(へつひめ)神社にもあてられてきたのである。
もと、重蔵権現・十蔵大権現・重蔵宮とも称せられ、神仏習合した堂塔伽藍が建ちならび、多くの社人(現在、神人と称し五十余戸あり)社僧・衆徒の奉仕するところであった。
拝殿
本誓寺(ほんせいじ)石川県 輪島市 門前町南カ26 〔石川県鳳至郡門前町南/真宗大谷派〕
創建年代ははっきりしないが、寺の由来記によると善了の開山と伝えられる。最初は真言宗に属し松岡寺といったが、鎌倉時代の文永5年(1268)、如信上人に帰依して浄土真宗に改宗、本誓寺と改めた。
本堂
内陣
楼閣門