大江神社 大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。
祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。当神社には狛虎というものがある。
拝殿
本殿
狛虎 狛虎の由来は不詳であるが、300年以上前の作と考えられている。その昔、狛虎の奥に毘沙門天を祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言われている。現在の吽形は2003年に再建されたものである
真光院 大阪市天王寺区夕日丘町4-8
聖徳太子が30歳の時、用明天皇の追善供養を営まれたところ、紫雲に乗った阿弥陀如来が現れたため、608年阿弥陀如来を本尊とする「無常院」を建立されたのを創建とする。江戸中期、専海大徳がこの寺を中興、寺号もその時に変えられた
地蔵菩薩
本堂
内陣
ドラエモン
太平寺 曹洞宗 大阪市天王寺区夕陽丘1-1
北山不動明王
『摂津名所図会』に「風吹不動石像 医師北山寿庵が墳なり」とあり、「医は仁術」を実践した名医・北山寿安が萬民救済を願って建立
https://mainichi.jp/articles/20170309/ddl/k27/070/371000c →詳細 毎日新聞
安置されている虚空蔵菩薩は、知恵と福徳を持った菩薩とされ、縁日の3月13日と4月13日に、十三歳になった子どもがその知恵を授かりに参るのが「十三まいり」の古くからの信仰
開山堂
北山不動
本堂
樋ノ尻口地蔵 大阪市平野区平野東2-11(平野公園内)
1615年5月7日に真田幸村が地雷を仕掛けて徳川家康を爆死させようとして失敗した場所
大坂夏の陣で命を落とした徳川方の武将・安藤正次の墓。安藤正次は徳川秀忠の旗本として、大坂冬の陣・夏の陣に出陣した
赤留比売命神社 あかるひめのみこと 平野区平野東2-10
当社の祭神、赤留比売命は新羅から来た女神で天之日矛の妻と伝える。
当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳かでないが、平安時代につくられた延喜式神名帳に、当社が記載されている 当社の祭神の赤留比売命は横暴になった新羅王子から逃げて日本に来た女神現在は、杭全神社の境外末社となっているが、かつては、住吉大社の末社
注連縄柱・杭全神社の御旅所
天満宮
•1696(元禄9)年:大阪の商人淀屋辰五郎が驕奢のため闕所となる。
•1697年:ロシア人がカムチャッカまで来る。
•1698年:ロンドンに株式取引所ができる。
•1701(元禄14)年:赤穂藩主浅野長矩が吉良義央を江戸城中で傷つける。
本殿
金刀比羅社 住吉社
住吉社