海上自衛隊幹部候補生学校 広島県安芸郡江田島市国有無番地 見学 見学は平日3回、土・日・祝日4回、定時に開始される
校舎
正面出入り口
階級章
講堂
天井
講堂廊下
グラウンド
潜水艇
大和 砲弾
校庭
戦艦大和
大野池 鳥取県西伯郡大山町鈑戸 大山レークホテル裏手大山山麓の中腹に立ち、周囲森に囲まれたスイスシャレー風のホテル「大山レークホテル」前、妖精にも遭遇しそうなファンタジックなロケーションが眩しい小さな湖。この大野池、もとは火山砕屑物の堆積が阻まれた結果、鈑戸山円頂丘の南縁にできた低湿地とみられており、水田開拓のための築堤によるもの
出くわした犬 40kgあるそうな
羅漢寺 大田市大森町イ-804
羅漢寺の五百羅漢は、大森の観世音寺住職 月海浄印という方が、銀山で働いていて亡くなられた方の供養や、労働者の安全のために発願され、多くの方の寄進によって、二十五年かかって(1766)3月に完成した。また、羅漢寺はこの五百羅漢を護るために建立された五百羅漢の造りは、小川を挟んだ寺向いの岩山に、三つの石窟が掘られ、小川にはそれぞれの石窟に入る石で出来た反り橋が架けられている。中央の石窟に釈迦三尊、左の石窟に阿難尊者を中心に251体、右の石窟に木蓮尊者を中心に250体が安置されている
石見銀山公園 模型
羅漢寺
内陣
石橋
西本寺 大田市大森町ホ209 無住
寛永8年創立、初めは天台宗であったが、現在は真宗に改宗されています。門前には「山吹城城門西本寺」と書かれています。山吹城とは要害山山頂にあった城のことです。
豊栄神社 とよさかじんじゃ (旧長安寺)大田市大森町
豊栄神社は、戦国の武将毛利元就を祀った神社で、境内の石造群には長州軍の隊士172名の名が刻まれています。
1866年、幕府と長州藩の戦争である第2次長州戦争が起こり、石見に侵入した長州軍は益田において浜田・福山両藩兵を破り、7月24日に大森に進駐しました。代官鍋田三郎右衛門はすでに役人たちと備後上下の陣屋に撤退した後でした
石桶
改修中
渡辺家住宅 同住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内に唯一現存する武家屋敷
林道
大森小学校 全校児童11名
出雲大社 出雲市大社町杵築東195 境内27000㎡ 短時間では回り切れない
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
神話によると、大国主命は、高天ヶ原からきた天孫民族の国譲り強要に屈し、のち出雲大社にまつられ、神となった。その大国主を祀った最初の出雲大社の宮司を、天穂日命(あめのほのひのみこと)という。その子孫が出雲の国造(くにのみやつこ=こくぞう)となり、連綿として出雲大社の斎主となり、現代まで続いている「生きている出雲王朝」 司馬遼太郎
境内図
大鳥居
松並木
楼門
銅鳥居・重文
祓社
拝殿
千家国造館
八足門
高い建物 本殿
本殿 国宝
天前社
観祭楼
西十九社
東十九社
会所 重文
氏社
門神社
釜社
城山稲荷神社
初代藩主堀尾茂助吉晴公がここ亀田山に築城の際、この山にあった他の社寺はそれぞれ移転したが、この地にあった若宮八幡宮はそのままこれを守護神として祀った。境内には1000体以上もの狐が奉納されている。かっては2000体以上もの狐があったと言う。松江をこよなく愛した明治の文豪・小泉八雲が通勤途中に毎日のように立ち寄った神社
松江護国神社 松江市殿町1-15
明治維新後の国難に殉じた旧出雲国・隠岐国出身の戦没者2万2千余柱を祀る。島根県内には他に濱田護國神社がある。
拝殿
拝殿内
本殿
松江城 築城年1611年(慶長16年)
江戸期の城。島根県松江市殿町あり、千鳥城ともよばれる。関ヶ原の戦いの軍功により、堀尾吉晴は、出雲、隠岐24万石の領主として初め富田城に入ったが、政治上、軍事上の利点から、国の中央部で、交通の便もよい松江の地を新城地として選んだ
松江神社は、1877年(明治10年)に、旧松江藩の有志により、西川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政を御祭神とする楽山神社として創建された
堀川