原田神社 豊中市中桜塚1丁目2-18
拝殿
拝殿
拝殿
本殿
十二神社本殿
十二神社
手水舎
神明社
稲荷神社
参道
社務所
小宮
東向鳥居
雨が小ぶりの公園と神社 桜も、終わり
住みついている アオサギ
神館
楠君社 招福猫
蛇にお供えの卵
幸寿門
手水舎
ウサギ 兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯(かのとう)年の卯月の卯日である御縁により奉納されたものです」
鎮座. 神功皇后摂政11年(西暦211年)弥生時代後期 神話の話
見性寺 大阪市東住吉区桑津3-4-9 住職不在 浄土宗 寺伝では、光明皇后が735)に設けた施薬院を、聖武天皇が勅して伽藍を整え(736)に行基菩薩を開基として成立、「無生山見性寺」の号を賜ったという。 以後、天皇の庇護により繁栄するが、桓武天皇(即位781~806)の仏寺建立制限以降、衰微する。
山門
本堂
初代の獅噛み
卵塔
月影円光大師旧跡見性寺」の石碑
京善寺 大阪市東住吉区桑津3丁目21-9 近畿36不動尊第4番 古くは「金剛院」と称せられ厄除祈願道場として栄えていたが、1615年大坂夏の陣に合戦の場となり、兵火で寺は焼失したため、詳細は不明とのことである。 この時期、寺は荒廃したが、1653年桑津村の篤信者富井部氏などの霊夢に不動明王が出現され、寺の再興を告げられたため、紀州より観弘実誉阿闍梨を招き 堂宇を再興、寺号を心王山殊勝院京善寺と改めた
由緒
本尊 不動明王
彫刻
寺務所
本堂
内陣
仮名般若心経
水子地蔵尊
小祠
東門
桑津天神社 大阪市東住吉区桑津3-4-17 社伝によれば、仁徳天皇の妃である日向髪長媛が病気に罹ったとき、天皇が少彦名神に全快を祈って快癒し、それが縁でこの地に同神を勧請された。 髪長媛は、神の資格のある采女として日向国より召され、仁徳天皇妃となり、桑津の地に居住していたという
正面
裏の注連縄柱
神木と拝殿
拝殿
拝殿
拝殿
拝殿内
髪長媛を祀る八幡宮 髪長媛は、現在の宮崎県都城市早水町の早水神社(応神天皇・牛諸井・髪長媛)の早水池のほとりに生まれたと伝わる。 後に髪長媛は、応神天皇の子にあたる仁徳天皇の妃となった。
八幡宮
遥拝所
社務所
稲荷社
宇迦之御魂神を祀る
菊姫大神
本殿
本殿
白龍社
山車倉庫
天神社の南 公園にある
天神社の南に位置する
万代池 大阪市住吉区万代3丁目 満開
池の周囲は約700メートル。歴史ははっきりしないが、上町台地の浸食した谷をせき止めて作られたといわれている。「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めた」 という言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと伝えられている。明治時代までは灌漑池として利用されていた。
月真院 非公開
春光院 非公開
岡林院 京都市東山区高台寺下河原町529 非公開 高台寺塔頭の中では最も歴史が深い。有名な茶室「忘知席」がある
西行庵
花月庵
茅葺き屋根の庵(西行庵)が見える。その左隣が花月庵の入り口
八坂の塔
霊山観音
正法寺 東山区清閑寺霊前町35 御朱印はなし 山奥の荒れ寺のよう
応永十二年(1405年)の示寂年が刻まれた国阿上人板碑、品川弥二郎の墓がある。 この寺は、最澄の開山により創建された天台宗の寺院に始まると伝えられる。はじめは霊山寺と称し、光孝天皇・宇多天皇の勅願所となった。鎌倉時代初期には 法然がこの寺で別時念仏を修したという。その後荒廃していたが、1383年(永徳3年)に時宗の僧国阿が再興して正法寺と改め時宗の寺院となった
Kyotofukohより
本堂 まだ修復できてない
鏡池
水が湧き出ている
庫裏
地蔵堂
国阿上人板碑(鎌倉時代)京都の三板碑」の一つに数えられ、他は紫野・西向寺、百万遍・了蓮寺)にある
正法寺五輪卒塔婆(鎌倉時代後期 文保二年 1318年)
内側から見た山門