週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

京都霊山護国神社 2019.03.27

2019年04月07日 | 神社仏閣

京都霊山護国神社  東山区清閑寺霊山町1  1862年(文久2年)、時衆霊山派の正法寺の朱印地のなかの神道葬祭場霊明社[1]において有志者による神葬祭が行われた。祭神は菊理媛神・速玉男命・事解男命の3神(他に相殿3神)

 

 

松下幸之助 揮毫

拝殿

 

 

 

霊山歴史館

 

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桜 住吉大社 西の丸庭園  2019.04.06

2019年04月06日 | 神社仏閣

住吉大社 2019.03.30

 

 

住吉大社 吉祥殿 横

 

 

 

 

 

 

大阪城西の丸庭園 2019.04.04

 

 

 

 

 屋形船

天満橋 大川 散り始め

 

 

 

大阪護国神社 2019.04.06   満開

住之江公園

 住之江球場

護国神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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高台寺 2019.03.27

2019年04月05日 | 神社仏閣

関ヶ原合戦の以後も、高台寺は取り壊れることなく存続した。

方丈

 

開山堂

開山堂

開山堂

開山堂内部

内部 TV

TVより

天井龍図 TV

天井絵 TV

御座船の天井 TV

 

見事な桜

勅使門

臥龍廊

臥龍廊

竹の道

霊屋

ねねと秀吉 TV

高台蒔絵 TV

TV

傘亭

傘亭 重文

時雨亭 重文

八坂の塔

        蹲

 

TV

湖月亭 花魁 TV

掌美術館

TV

TV

TV

TV

 

 

 

 

 

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高台寺 その 1 再訪 2019.03.27

2019年04月04日 | 神社仏閣

高台寺 京都市東山区高台寺下河原町526                                                               豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院

  

総門 重文

唐門

大雲寺

寧々の道 茅葺の山門

十三重塔

石畳みの参道

 

方丈

方丈前庭

ねねの道

中門

庫裏

馬酔木

茶室遺芳庵

茶室遺芳庵

湖月庵

 

 

 

 

 

 

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圓徳院 その2 一部修正 2019.03.27

2019年04月03日 | 神社仏閣

北政所ねね終焉の地 圓徳院  1624年9月6日 死亡 77歳

方丈前南庭

三面大国天お堂

大黒天堂

三面大黒天

    秀吉 念持仏 TVより

加藤清正が描いた大黒様 TVより

             弁財天 TVより

                毘沙門天 TVより

             大黒様 TVより

        TVより

 

 

歌仙堂

 

内部

大黒天

絵馬

 

 

 

 

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圓徳院 その1 2019.03.27

2019年04月02日 | 神社仏閣

 圓徳院 東山区下河原町530  拝観料 500円  ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは北政所の終焉の地となった

 

境内図

長屋門

 

  

桧垣の手水鉢 元は石造宝塔の笠(屋根)の見立てで、横に立て側面を凹形に切り取り水穴を穿つた非常に遊び心がある意匠の鉢

 木下利房:利房は豊臣秀吉の正室高台院北政所、おね)の甥でもある

襖絵 パンフ

パンフ

パンフ

TV

パンフ

 

方丈

北庭

北庭

茶室

北庭

 

 

 

 

 

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新元号 令和 2019.04.02

2019年04月02日 | 神社仏閣

新元号が 万葉集から引用された 日本の古典から選ばれたのは、初めてらしい

 NHKより

于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香  万葉集の梅花歌三十二首の序文か

ら  歴史上では作者不明

この和歌を書いたのは大伴旅人とも山上憶良ともいわれているが、他の人ともいわれており、歴史上作者不明となっている。しかしながら、この歌が発想された場は判明しており、天平2年(730年)正月13日に大宰府の長官ともいえる大宰帥の大伴旅人の家に集まり、梅を楽しんだ際に生まれたとされている Wikepedia より

令の筆順

漢和辞典の筆順では上記の右の れい が 記載されている 

ほかの語句では、圧倒的に左の れい が使われている

NHKより

結論:どちらでも良いらしい 

 

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野見神社 2019.03.20

2019年04月01日 | 神社仏閣

野見神社 高槻市野見町6-6    幼児の 泣き相撲で有名な神社

 宇多天皇の御代、当地方に悪疫が流行しました。このとき「社殿を作り牛頭天王をお祀りすれば悪疫が治まる」というお告げがあり、久米路山に社壇を設けて崇拝したところ、たちまち終息しました。 その後10世紀末に高槻城が築城され、牛頭天社は高槻城城内守護として時の城主に崇敬をうけました。明治始めに野見宿禰命を合祀し、名を野見神社と改名しました。 Home pageより

    

境内図

 

永井神社 唐門

 

 

護国神社

戎神社

四社明神

能舞台

 

 

 

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