SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

真っ暗な時。

2021-01-08 09:17:00 | Essay-コラム

しかし一月は暗い。


毎年思うのだけど、楽しい12月のフェットが終わり、日本の年が変わる時みたいな、特別で真っ白で神聖でめでたい雰囲気もないまま_31日は花火ぐらいは通常上がるのだけど、コロナのせいで今年はそれさえもない_とりあえず日本人の私はお蕎麦やお節を作るからまだ区切りはあるけど、その他はなんのイベントも無く「え?」といううちにいつの間にか年が変わってしまう。


年明けは、朝真っ暗なうちに子供は家を出て学校に向かう。真っ暗な寒々しい路地にはクリスマスツリーが打ち捨てられている。娘は自転車の後ろの席から、美しい電飾が各窓を彩るクリスマス前には「ママ、私冬が一番好きな季節!」って叫んでたのに、今では「ママ、私冬キライ。春がいい」って言う。


学校に送っていって帰ってきてもまだ街灯はついたまま。暗い。(北欧だったらこんなのはたったの秋口なんだろうけど)


しかも音楽院では二人目の人が亡くなってしまった。(コロナではないけど)なんとも、暗い。


このお二人は、決してプライベートで仲良くした親しい間柄、というのではない。でも二人とも、私の最近の一番大切なスパイラルメロディープロジェクトに関わり、短い間だったが、不思議と私の一部と音楽的に非常に深いところで繋がりあった人たちだった。


「あんたのやっていることは、すごく良いと思う。」


亡くなったその人は、1年前、そう言ってくれた。


音楽院に勤める人の95%は、音響係兼受付係をしていたこの彼がどれだけ音楽通で、どれだけ耳がある人間だったのか多分知らなかったと思う。


かくいう私も些細なことから、仕事をしようとしない彼と大げんかをしたものだった。

彼は、音楽院の教授達を、「大した音楽も出来ないくせに、鼻持ちならない連中」と思っていたように思う。だから、そんな奴らの思うように顎で使われてなるものか、と思っていたと思う。

それは多分彼なりの音楽的レジスタンスだった。

本来は職場でやってはいけない態度だったとしても。


そして教授たちも思うように動いてくれない彼を単に「能無し」と思っていたと思う。


しかし、彼は心を隠していただけなんだ。

繊細で、本音でしか生きられない不器用な心を。


でも彼が私のやっていることを聴いて以来、彼の心と私の心の中で繋がれた。

そしてそれ以来、私達はやっと友達になれた。


いろんな私の知らない音楽の知識を会うたびに教えてくれた。

こんなにいろんな美味しい音楽を知っているんじゃあ、狭いスクエアな限られた価値観の競争世界で生きてきた音楽院の教授なんて、確かに面白くもクソもないだろうなあ、と思った。


私はそんな彼が急に居なくなったことをとても不思議に思っている。


G、私はあなたの言葉を忘れない。

沢山の人が感じのいい言葉を使う。

しかしあなたが本音でしか語ることの出来ない稀な人間だったからこそ、あなたの言葉は数少ない本物の言葉として、私の中に残った。

必ず私の残りの人生で、私の音楽を全うするから見ててよね。


私は今、この二人の亡き人が、私の一部を別世界に持っていってしまったような気持ちにになっている。


私はこの世界にいながら別世界と繋がり、別の次元軸にシフトする。


そして長引くコロナも人々の心に影を落とし始めた。


春はいつか来ると分かっていても、やはり暗い冬に行き先が分からないのは堪えるものだ。


現在仕事場が開いているだけでもありがたいのだけど、カフェやレストランが閉まっているので、ちょっと気分転換、とか繋ぎ時間にあった温かさがない。パリの生命線のカフェがない街の雰囲気は、ガラリと冷たく変わってしまう。


コンサートは一切なく、私もスパイラルは310日を最後に、トリオが87日を最後に、デュオ、ソロ、トリオ全てのコンサート、フェス、ツアーがキャンセルになり、再開のメドは立っていない。


あの二つのコンサートは到着点であり出発点であり、思い出で心を温めながら練習を続けている。逆にあの二つがもしなかったとしたら、今はもっと辛い心境だったのではないかと思う。


私の生徒たちは、いつ突然幕が下されてまたリモートレッスンに逆戻りするか分からない束の間の対面授業を、心ゆくまで楽しんでいるみたいだ。



コロナ対策グッズの数々。



窓は取り敢えずいつも全開。窓を隔ててレッスンする。1人レッスン終わったらドアも開けて換気。



長い閉校中に鳥が巣を作っていた。



今日はある中学生の生徒が、どうしてもリズム通りにできなくて、「ミエってさあ、(呼び捨てで君呼ばわりの生徒も多い笑)いつからソルフェージュ始めたの?」って聞くから「私は3歳からだよ、早すぎて何にも覚えてないから、楽器とソルフェージュも一緒くたで、どっちが先かとか、思い出せない笑 でも私にとって、音楽とソルフェージュって、分けることが出来ないとても自然なことなんだよ。」って言ったら、その子が「私ね、ソルフェージュと音楽が、とてもとても別れている感じがするの。まるで頭と体が切り離されてるみたいに」と言って、私のレッスンに辿り着くまでどのような音楽教育を受けてきたのかを教えてくれた。


彼女によると、出来てないこと(とくにリズム)を横に置いといて、取り敢えず取り繕って「あんなめちゃくちゃなコンサート」で思い出作りをしたとか、今のソルフェージュの授業でも「第2課程までは楽器を一切使わない」方針でやらされているそうだ。


そしてそのような子供自身が何処かで疑問に思っている方法というのは、私たちが思うよりずっと深く子供達の心を蝕んでいると思う。


私はパリ国立高等音楽院時代、そのような不自然な「頭」と「体」を切り離す教育に触れて、やはり自然に演奏することが出来なくなった。一時は原因不明の症状で吹けなくなり、入院したほどだ。(その状態から脱出するきっかけだったのが、インド音楽であり、ジャズであり、ブルガリア音楽だった。)


20歳すぎてこれだけ影響を受けたのだから、それ以下の年齢の子供達への影響は計り知れない。


しかしシステムとは強大で、表面上は移り変わっても、中にある病巣は、そう簡単に取り除くことは出来ない。


「私も、その頭と体を隔てる壁を取り払いたいと、いつも願っている。でもシステムそのものを変えることは出来ないよね。(ここで、システムってなあに?って言うからしばしディスカッション。)でも、少なくとも私とあなたは出会った。私だって万能な先生ではないよ。実際気が合わず辞めていく生徒だっていくらでもいる。

でも、あなたは私と同じように、壁を取り払いたいと思っている。あなたがリズムを本当に演奏したい、と心から願っているのであれば、それはいつかは絶対に出来るよ。ねえ、見えないかも知れないけど、私は47歳なんだ。自分が心から願ったことは必ず出来る。私は自分の経験から、そう信じている。」


そう言うのを聞いた時の、その子の目の輝き。


そのきらりとした一瞬の光は、暗い一月なんて、一気に吹っ飛んでしまうほどの輝きなのね。


私の心の中は、そのような小さな小さな光に照らし出されて、何故だか明るい。


暗がりと光がこんなに対比されて見えるのも、今が初めてかも知れない。



今年もミエ・ウルクズノフのブログをどうぞ宜しくお願いいたします!




1 Comments

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自らの恐怖心を理解することが、物事を本当に見るということの始まりである☆ (昭和ナオフミルク♬)
2021-01-11 21:01:01
街角の白い街灯がとても優しかった・・敗けないで!ってささやくあのコのように見えた・・♪
構えとは、最大のリラクゼーションをもたらすものでなくてはならない

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