ナザニエル・ヘレショフ

2008年04月02日 | 風の旅人日乗
先日、ちょっと特殊なヨットでセーリングを楽しんだ。
そのヨットは96年前に実存した、ある木造ヨットを正確に復元したレプリカだ。

ナザニエル・ヘレショフという、近代西洋型セーリングボートの進化に大いに貢献した天才ヨット設計家が、かつてアメリカのブリストルにいた。
彼は19世紀後半から20世紀前半にかけてのアメリカで、数十年にわたってアメリカズカップの防衛に大きな役割を果たしたことでも知られている。彼が設計し建造した数々のヨットは、アメリカのその時代の海洋文化そのものであり、今でも彼自身と、彼が設計してまだ現存する多くのヨットのことをリスペクトするセーリングファンは少なくない。

先日ぼくが乗ったのは、そのN.ヘレショフが自分の楽しみのために造ったヨットの、精巧なレプリカだ。
過去に存在した艇の精巧なレプリカを造るという行為はとてもエネルギーがいる行為で、そのヨットだけでなくそのヨットを設計し建造した先人たちに敬意を払う心がなければできることではないように思う。現代型の艇を建造するエネルギーの比ではない。

この艇を復元した人たちの努力のおかげで、ぼくは100年前の西洋人のセーリングのスタイルを、その艇を操ることによって身をもって知ることができた。耳を澄ませれば、100年前のセーラーたちの息づかいまで聞こえてきそうだった。大袈裟に言えば、その艇は、ことセーリングに関しては、ぼくにとって100年前へのタイムマシンになったのだ。
最初は1日だけの予定だったのに、ぼくは無理を言って2日もその艇でセーリングをさせてもらった。1日目ではつかめなかったその艇の走らせ方のポイントが、2日目にはつかむことができて、舵棒を介してその艇と楽しい会話をすることができた。このことが可能だったのは、そのヨットがオリジナルに敬意を込めて造られた精巧なレプリカだったからで、もし適当に似せて造られたものだったら、思い入れを込めて過去と心を通わせることは不可能だし、それ以前にまず、そうしようという気になんかなれない。
過去の文化を現代に伝え、そしてそれを未来に繋げていくためには、途切れのない文化継承が必要なんだなあ、と改めて思ったことでした。

このページの写真は、ぼくが乗ったそのレプリカを手配してくれた知人から拝借したもので、オリジナルになった艇の製作現場の写真です。その艇は当時のブリストルの船大工と塗装職人たちが魂を込めて造り上げた力作だった、と資料にあります。

第33回アメリカズカップを考える(エイプリル・フール)

2008年04月02日 | 風の旅人日乗
毎日毎日、無料でセーリング関係のニュースをメールで送って来るスカトルバット・ヨーロッパというサイトがある。
ここは普段、非常にまじめで正確なニュースを作って送ってくる、とても信頼の置けるサイトなんだけど、年に1度だけ大変ないたずらをする。4月1日に、メチャメチャな大嘘ニュースを、いつもと同じ文面で配信するのだ。エイプリル・フールなんである。

これに毎年まんまと騙される日本のセーリング関係者が、とても多い。
嘘のニュースの文面の中に、そのことに詳しい人が読むと少しおかしいな?と感じる事実関係が隠されていて、そこで嘘の匂いを発見できるよう気が配られているのだが、そうでない人は簡単に騙されてしまう。

今年はどんな嘘つきニュースを作ったかな?

まず、アリンギのボスのアーネスト・ベルタレーリが、アメリカズカップの所有権を放棄!その代わりにF1サーキットのボスであるバーニー・エクレストンからF1興行のすべての権利を買い取った、という大笑いネタがトップ・ニュースだ。
「私は海の世界でF1のボスのバーニー・エクレストンになることを目指していのに、今回のBMWオラクルのお陰で、もはやそのチャンスはなくなった。ならばいっそのことアメリカズカップなどくれてやって、F1を買えばいい、と考えた。それでバーニーと交渉して、今日、合意に至った」という、パリのFIA本部で緊急に開かれたという記者会見でのベルタレーリのコメント付き。
フォーブスの世界億万長者ランキングでも上位に顔を出すアーネスト・ベルタレーリだけに、F1を買ってしまう話も有り得ないことではなさそうなので、丸っきりのギャグにもなっていない。

しかし、こういう悪ふざけをしても西洋のエイプリル・フールでは問題ないらしい。日本だと、冗談ではすまなくなるな、きっと。

その次のニュースでは、3DLセールに次ぐ世代のセールとして、ノースセールが極秘で開発していた、形状記憶機能付きセールが、自己を認識する知能を持ち始めてしまい、開発技術者を相手に禅や宇宙について会話するようになってしまった、というニュース。
ここまで読むと、アレ?と気が付く読者も増えてきて、ベルタレーリとF1のトップニュースのことも疑い始める、という仕掛けだ。

それにしても、現在のアメリカズカップは、こういうエイプリル・フールのネタに使われるようになってしまっている。
日本からの挑戦をあきらめていない真剣な人間にとっては、怒っていいのか泣いていいのかさえ、分からなくなってしまう。
正直言って、ぼくはちょっと悲しいよ。