HELLY HANSEN

2013年07月24日 | 風の旅人日乗
横須賀線、湘南新宿ライン、りんかい線を乗り継いで
国際展示場駅まで行き、
個人のセーリング活動と、Team NIshimura Projectの活動で
ウエア提供の御協力をいただいているHELLY HANSENの
2014年春夏モデルの展示会へ。



自分に似合いそうな(と勝手に思い込んだ)アイテムを、
申し訳ないくらいたくさん選ばせていただく。
皆さん、来春夏モデル(撮影禁止なんです)も、
HELLY HANSEN、結構いけてますよ。

HELLY HANSENブランドとぼくとのお付き合いが始まったのは、
記憶をたどっていくと、なんと1984年。30年近くも前。
プロフェッショナルのウインドサーフィンの世界選手権だった
サムタイム・ワールドカップのレース運営を
仕事として請け負わせていただいたとき、
スタッフウエアのデザインを、
株式会社ゴールドウインのHELLY HANSENチームと一緒に
ゼロから開発した。

なにせ、その仕事の現場は、
海上では強風が吹きすさび、大波が立ち、
海岸では砂が叩き付けるように飛んでくる、
あの、強風の、御前崎。
半端なウエアでは、レース運営もままならない。

当時のHELLY HANSENブランドの
日本アイテムのデザイナーだったH間さんと
何回も打ち合わせを重ねながら、
大揺れの運営艇で頭から海水をかぶり続ける
コースレーシング運営用のウエアと、
強風の浜に何時間も立ち続けて記録を取り、かと思うと
打ち寄せる大波をかいくぐってインフレータブルボートを出し、
怪我をした選手のレスキューに向かったりもする
スラローム&ウエイブパフォーマンス運営用のウエアと、
そして、風待ちのときにスタッフでそろって着て、
ウインドの世界のトップ選手たちにも
日本のセイラーである自分たちの存在を
ちょっとアピールしちゃおうぜという狙いの
ちょっとオシャレなビーチウエアなどを、
作ってもらった。

今思い返しても、H間さんのデザインは、
機能もかっこよさも、
時代を少し先取りしていて
とても良かった。

日本のヨットマンのあいだに第1次ヘリハン・ブームが来たのは、
確かそれからすぐのことだったような…

株式会社ゴールドウインが何年にもわたって
繰り返し催してくれた、
HELLY HANSEN J/24 SAILING CLINICでも、
我々世代の日本人レーシングセーラーは大変にお世話になった。

エド・ベアード、ケン・リード、マッキー兄弟、
ピーター・アイスラー、JJ・アイスラー、などなど、
世界のトップに君臨していた名だたる講師陣から、
ヨットレーシングのテクニックと
J/24の走らせ方の秘訣を伝授され、
それらは今でも自分の心の中にある宝物になっている。

アメリカズカップの日本からの挑戦チームには
ウエアの提供だけでなく多額の資金の支援もいただいた。

アパレルメーカーとして
日本のセーリング文化普及にこれほど貢献した企業は、
ほかには見当たらない。



本日午前中は横浜ベイサイドマリーナを経由して、
小型船舶検査機構横浜支部、そして横浜は関内の港湾局合同庁舎へ。
言いたくないけど役所は苦手だぜ。

明日から伊勢方面に出張。
始発の電車に乗って逗子を出て
仕事前に朝の伊勢神宮にお参りしようと計画中。

そのまま金曜日・土曜日は海の上でお仕事して、
日曜日には東京・お台場で
Team Nishimura Projectのセーリング普及活動のひとつ、
『親子で体験セーリング』イベント開催予定。



興味ある方は、ぜひ。





2013年7月23日 葉山のHerb

2013年07月23日 | 風の旅人日乗

昨日は、シーボニアのヨット<かぎろひ>で、

荒れた海でも乗員が怪我をしないように

船内の細部を仕上げていく仕事。

若い同業者と一緒に、

知恵を出し合いながらの仕事だったので

とても楽しい時間になった。

 

 

 

夕方、家族に誘われて

ハーブや野菜作りを通して、

介護する側の人を癒すための活動をするチーム『Herb』

の懇親会に出席。

 

現役の学生たちが中心になって推進し、

子育て世代のお母さんたちや、

奥さんを介護して、そして看取ったというおじいさんとかが、

その彼ら若い世代をリーダーとして立てつつ、

そして自分たちも楽しむという、

そういう活動の報告や様子を目の当たりにして、

これまで家族が楽しそうに、積極的に、

この活動に参加していた理由が初めて分かった。

 

頑張っているメンバーの皆さんのものであるべきビールとおつまみを

無為に無駄に消費している自分がはずかしくなり、

早めに退席したけれど、

帰り道、浜に出て、

暗くなっていく海を砂の上に座って見ながら

あれや、これや、考えを巡らせた。

 

すごくすごく、いろんなことを

考えさせていただいた。

 

 

Sun rise at Keri Keri, New Zealand


トレーニング

2013年07月21日 | 風の旅人日乗
日本では、セーリング競技は、他のスポーツに比べて
選手の身体能力はそれほど大事なファクターだと思われていなかった。
だから、今でもタバコを吸っている日本人選手も珍しくない。



でも、世界のトップたちと闘おうとするのなら、
それは時代遅れの考え方なんだ。
これから先、セーリング競技で世界一を狙うなら
セーリングセンスや経験だけでなく
鍛え抜かれた身体能力を備えることも不可欠な時代が来る。

下の写真にリンクしている動画を見て何を思うかは人それぞれだろうけど、
気が付いた者から、準備を始めよう。






トルコからやってきた素敵なヨット

2013年07月20日 | 風の旅人日乗
先週セーリングしたヨットは、Azuree33。



デザインはイタリア、建造はトルコ。
IRCレーティングでのレースも意識したクルーザー/レーサー。


photo by Katsuhiko Miyazaki (Kazi)


ミジップからバウまで続くストレーキが、
オープン60などの俊足外洋レーサーを彷彿とさせる。


photo by Katsuhiko Miyazaki (Kazi)


船内は、33フィート艇だとは思えないような
広さと豪華さ。


photo by Katsuhiko Miyazaki (Kazi)


フロアの一部が立ち上がってテーブルにもなる
コクピットも、帆走時、停泊時ともに快適。


photo by Katsuhiko Miyazaki (Kazi)



photo by Katsuhiko Miyazaki (Kazi)


横浜ベイサイドマリーナ沖で、
スピード豊かな気持ちのいいセーリングを
堪能しました。


photo by Katsuhiko Miyazaki (Kazi)



photo by Katsuhiko Miyazaki (Kazi)


その翌日は、ANA便に乗って関西へ。




ライトスタッフ

2013年07月15日 | 風の旅人日乗
アメリカズカップ予選を戦う、若いニュージーランド人セイラーたち。



アメリカズカップの制式艇について、
自分たちなりの持論は持っているはずだが、
それがAC72クラスに決まったのであれば、
アメリカズカップを自国に取り戻すために黙ってそれに従い、
全力を尽くして最速と信じるAC72クラスを開発し、
その艇を自在に走らせることに最善を尽くして取り組む。



アメリカズカップの制式艇が様変わりしたことに、
強い反対意見を述べるセイラーも一般のファンも多い。
一方で、アメリカズカップはその時代時代の最先端のセーリング艇で競われるべきだ、
と考えるセイラーやファンも少なくはない。

このことについて考えるとき、
いつも思い出す映画がある。

ライトスタッフ。
大空を飛ぶ空軍パイロットという自らの仕事に誇りを持ちながら、
ロケットに乗って宇宙へと飛び出す道を選んだ者たちと、
成層圏内を飛ぶジェット機に乗り続けることを選んだ者。
どちらの選択が正しかったかを決めようとするのは
この映画のテーマではなかったけれど、
ジェット機のテストパイロットであり続けることを選んだ
チャック・イェーガーことサム・シェパードの
複雑な胸の内を演じる無言の演技が強く印象に残る。

文字通り針の穴を通すような正確無比の操船が求められ、
自分の一瞬の操作ミスが、艇を大破させ
それまでの数万時間に及ぶチームの努力と
注ぎ込まれた数百億円を水の泡にしてしまうという
ものすごいプレッシャーを、
セイラーになるという人生を選んだ自分自身への矜持と、
自分が生まれた国の海洋文化を誇りに思う気持ちだけで支えながら、
自分のすべてを出し切って海の上で戦う若者たち。



その姿が、ライトスタッフのスクリーンに映し出される若者たちと重なる。
彼らはただセイラーとしての技量を持つ以上に、
人間としてものすごく深みのある人格を備えることになるのだろう。
そして彼らは何年かすると、自分たちの国の次の世代を育てる側に回る。

そんな若者たちが日本の海から育つ日が来ることを
夢見たい。




Team Nishimura Project 2013年6月の活動報告ーその3

2013年07月13日 | 風の旅人日乗
九州から戻った翌日、つまり昨日は、
横浜ベイサイドマリーナ沖で、
こんなゴキゲンな、
オランダ製の帆装艇でのセーリング仕事。


photo by Yuji Futami / Kazi


開国を間近に控えた近代日本が、
海運王国へと発展していく端緒を開くのに
大きく貢献した国、オランダ。
(白石一郎著『海の夜明け』参照)



そのオランダ人の子孫たちが造った帆装艇を、
その日本人たちの子孫であるワタクシが
現代の日本の海で走らせる。
思えば浪漫があり、感慨深くもある、
ような気がしてくる。


photo by Yuji Futami / Kazi

多くの人たちが街の中の仕事で暑さに苦しんでいる中、
涼やかな風が吹きわたる東京湾で楽しんだツケで、
これから何日かは、
多くの人たちがスヤスヤと眠っている深夜、
この艇を紹介するレポート書きに苦しむことになります。


photo by Yuji Futami / Kazi


この艇でのセーリングのあと、
弊社で帆装への改造をお手伝いしたこの艇を訪ね、



Kオーナーのいつもの有難いおもてなしで、
冷たいビール&ワイン&おいしい料理。
真夏の大汗をかきながらの熱いおでんが、
意外な暑気払い。

冷たい北風の冬の夜、
屋台のコップ酒片手に、ハフハフ言いながら食べるおでんもオツだけど、
暑い夏の日射しの中、
火傷しそうなくらい熱々の大根やコンニャクを口に放り込み、
それを追いかけるようにして
キンキンに冷えたビールをのどに流し込むのも、こたえられない。

その後マリーナでシャワーを浴びてさっぱりし、
夕方になった横浜の街まで出て、
練習帆船日本丸の船長だった
A宮キャプテンと、深夜まで語り合う。



一昨日までの九州出張の合間に、
北九州小倉の実家に戻ってきた。

小倉の街中を流れて関門海峡にそそぐ紫川の上流。
夏休みはこの川の、この堤で、よく泳いだなあ。




夕方、涼しくなってから
高校時代の悪友たちと会うために、
旦過市場(たんがいちば)を通り抜ける。
夕食の買い物に行く祖母にくっついて
子どもの頃から通い慣れた市場。

当時の小倉では『貝柱』とだけ呼ばれていた平貝の貝柱の、
あのサクサクした歯ざわりが好きで好きで、
祖母が贔負にしていた魚屋さんで、
あれば必ず買ってもらっていた。
今のような高級食材ではなく、庶民の食べ物だったんだよな。




その頃、年の瀬が迫ると、
正月用の料理に使う水菜や京野菜を売る
露天商の人たちの店が、この橋の上にたくさん並んだ。




松本清張氏のエッセイを読むと、
赤貧の時代の松本清張氏と父上は、
ここに野菜を並べたり屋台を出したりして
暮らしを立てていたらしい。




関東に帰る日、
小倉城の城壁の中にある八坂神社に母とお参りしたあと、
外堀を出ると、植木職人さんたちが城壁の草取りをしていた。
ボートを2隻、横に繋いでダブルハル(双胴)にして、
その上にデッキを渡し、刈り取った草を載せている。




九州北部では、筑後川上流の温泉地・日田の、
鵜飼を見物し、鮎料理を楽しむ屋形船も、
川平(かわひらた)と呼ばれる和船を二つ並べてダブルハルにして、
その上に座敷の屋台を載せたもの。

ダブルハルは、アメリカズカップに採用されるよりもずっと前に
すでに古い時代の日本では当たり前のものだったんだよね。


photo: America's Cup Image Bank

ダブルハルの本家である日本含めた太平洋圏の民族が参加しない
アメリカズカップなんてね、
日本が参加しない柔道の世界選手権みたいなもの。
とかいう負け惜しみを言うのは、
みっともないことなのかな。

先々週の、Team Nishimura Projectでの沖縄遠征の
眼目だったサバニも、
ヤギなどの家畜を運んだりするときは、
ダブルハルにしていたらしい。

今年のそのサバニレース、古式部門は
そんな、いろんなサバニの話をしてくれる
糸満の船大工・大城清さんが造り、帆を操るえみ丸が
見事優勝。


photo by Atsushi Omori


総合優勝は、座間味島の青年集団が乗るざまみ丸。


photo by Atsushi Omori

みごとにそろったエーク。
アウトリガーを高く上げた状態でサバ二を安定させる実力があるのだから
次は古式部門(アウトリガーなし、舵なし)での参加を期待したいもの。


こちらは船齢63年の、源丸のレース。


photo by Atsushi Omori


16海里強のレースを観戦させていただき、
とてもいい勉強をさせていただいた。




座間味島・古座間味浜。
ここからサバニたちが那覇に向かってスタートする。




古座間味浜の海中を泳ぐ生物の身体の一部。
デジカメが古くて、被写体をつかまえられない。




朝6時20分の世界遺産、首里城の守礼門。
泊港の船員会館から歩いて
1時間弱とペットボトルの水2本を要した。すでに汗だく。




来年のために修行に来た我々が
今年のサバニの本レースに出ると勘違いして、
座間味の美味しい食堂の御主人が
マリリンカップ前夜に特別に焼いてくれた
ひらやーちー。
ごめんなさい、来年は頑張って本レースに参加しますので。



photo by Wataru Suzuki

マリリンカップを翌日に控え、
阿真ビーチから、レースコースを不安そうに見つめるO森とワタクシ



photo by Wataru Suzuki

今回の座間味島での我々の宿泊地、阿真ビーチで眠る4人。
黒いゴミ袋状態がワタクシ、その隣がS木さんの起床後、
青いシーツがR汰、青いシュラフO森。
海からの風が吹き付けるので、奥の薮から蚊が出て来られない。
快適。




また我々を鍛えて下さい、座間味島。




次また早く乗りたいよ、フェリーざまみ。




じゃまた近いうちにね、沖縄。


明日は東京湾で早朝スタートの、
西洋型帆走艇でのレース。
逗子駅発のJR始発上り電車に乗らなければ、
明日乗る艇の出艇時間に間に合わない。
葉山から逗子に行くバスが動き始める前なので
歩いて逗子駅へ。


2013年7月6日 座間味 2013年7月8日 Team Nishimura Project 2013年6月の活動報告ーその2

2013年07月08日 | 風の旅人日乗

東京お台場・親子体験セーリング実施部隊と別行動組は、

こんなにきれいな海の島、沖縄・座間味島で、

 

 

 

こんなに美しいニッポン伝統の帆装艇・サバニの、

 

 

 

整備と乗艇演習に行ったのだけれど、

 

今日はこれから朝一番の飛行機で九州に行って、

4、5日はインターネット環境から離れるので、

続きの報告はそのあとで、ということで。

申し訳ありません。


2013年7月5日 Team Nishimura Project 2013年6月の活動報告ーその1

2013年07月05日 | 風の旅人日乗

先週日曜日は、東京・お台場で毎月一回の、

チームニシムラ親子体験セーリング(協力・Helly Hansen/Gold Win)の開催日。

いつものメンバーの皆様、6月もありがとうございました。

 

 

 

 

その後の新橋での反省会も盛り上がったようで、なにより。

 

 

 

 

今回は、チームは2手に分かれ、

お台場チームとは別のもう一チームは、

葉山の上空を飛んで、

 

 

 

こんな飛行場に降り立ち、

 

 

 

こんな港から、

 

 

 

こんな船に乗って、

 

 

 

こんな島へ。

 

 

 

一体何をしに?

 

活動報告その2に続きます。