12月24日 ロシア

2008年12月24日 | 風の旅人日乗
(photo by Team Russia/VOR)

昨日23日に第3レグを7位でフィニッシュしたチーム・ロシアが、
ボルボ・オーシャンレースからのリタイアを発表した。
理由は、スポンサーが付かず、今後のレグに参加するだけの費用が賄えなくなったため、
としている。

(Rick Tomlinson/VOR)

チーム・ロシアは、
ロシアのスーパーマーケットで財を成した個人オーナーがプライベートで参加していたチーム。
このオーナーは3年前にセーリングを始め、
このレースの第2レグには自身でピットマンとして乗り込んだりもしていた。
今回のボルボ・オーシャンレース2008-2009の最終フィニッシュであるサンクトペテルスブルグに、
バウマンとしてフィニッシュするのが夢、とも語っていた。

そもそも今回のサンクトペテルスブルグ最終フィニッシュは、チーム・ロシアありきのことであるだけに、
ボルボ・オーシャンレースの運営サイドとしても、今回のチーム・ロシアの発表には、
おおいに困惑していることだろう。

(Rick Tomlinson/VOR)

このオーナーは、そのスーパーマーケット・チェーンを売却(自身は、その会社の役員として残留)し、
その売却益の一部をこのレースにつぎ込んだ、としていたが、
キャンペーン費用の全額を現金で用意していたわけではなかったようだ。
株その他の形で持っていたファンドが、今回の経済危機で目減りしてしまったということだろう。
スペインで会ったロシア人関係者の一人が、彼のことをあまり良く言わなかったことを不思議に思っていたが、
かの国ではなにか噂のある人物なのだろうか?

「私個人の資産ですべて賄うことができるから挑戦したのだ」、と色々な所で語っていただけに、
スポンサーを探していたことは初耳だが、
いずれにせよ、ロシアのボルボ・オーシャンレース初挑戦は、
全航程の3分の1に達する前の、シンガポールで終わった。

今日のおまけは、ラッセル・クーツからのクリスマスカード。
楽しいクリスマスを!

12月23日 シンガポール

2008年12月23日 | 風の旅人日乗
(photo by Dave Kneale/VOR)

トップグループ4隻による大接戦が続いていたボルボ・オーシャンレース第3レグは、
現地時間12月22日22時51分(日本時間23時51分)、
スキッパーのバウエ・ベッキン率いるテレフォニカブルーが、見事トップでフィニッシュした。
2位はケン・リードのイル・モストロ(プーマ)。

(photo by Dave Kneale/VOR)

3位にはエリクソン3が入った。

スマトラ島北端のスコアリングゲートをトップで通過したエリクソン4は4位でフィニッシュしたが、
時間的には、テレフォニカブルーのフィニッシュからわずか20分後のフィニッシュだった。
1950海里、約10日間もかけたオフショアレースのフィニッシュで、
20分の間に4隻がなだれ込むようにフィニッシュするという接戦も珍しい。

[フィニッシュ前の48時間、トップ4隻の順位はめまぐるしく入れ替わった]


スペインでのレースでテレフォニカブルーの舵を持たせてもらったぼくとしては、
テレフォニカブルーのこのレグの優勝は、なんだかとても嬉しい。
バウエも、今までの頑張りがちょっと報われたな。
おめでとう。メリークリスマス!
このあとも頑張れよ。

12月22日 マラッカ海峡

2008年12月22日 | 風の旅人日乗
ボルボ・オーシャンレースのトップグループは、アンダマン海を通り抜けて
すでにマラッカ海峡に入っていて、
12月22日早朝(日本時間)現在、
第3レグのフィニッシュのシンガポールまで200マイルを切る位置に到達している。
それぞれ、9ノットから12ノットのボートスピードで走っているので、
明日、12月23日中にはフィニッシュするものと思われる。
各艇のクルーたちの一番の関心事、
『クリスマスディナーを陸で食べることができるか、船の上でフリーズドライを食べるしかないか』
は、少なくともトップグループの艇に関しては、喜ばしいものになると思われる。

どの艇が最初にフィニッシュするのかは、まだ予想できない。
テレフォニカブルー、エリクソン3、エリクソン4、プーマの4隻が、
激しく順位を入れ替えながら走っている。
後続艇も含めて全艇が、風を求めてマレー半島の岸寄りをなめるように走っている。
岸に寄せすぎると水深が浅い所もある海域で、
しかも今朝はクアラルンプール港に出入りする船舶や作業船も多いことだろうから、
トップグループのナビゲーターは眠る暇もないことだろう。
風は、弱く、風向もとても不安定だ。


カンティングキールまわりの構造が壊れたデルタロイドは、
フリートからかなり遅れながらも、なんとかシンガポールに向けてセーリングを続けている。

『マリンウェザー海快晴』の携帯サイトで、
日本語の解説を加えたボルボ・オーシャンレースの迫力の動画を配信中(毎週1回金曜日に更新)。
http://umikaisei.jp/?afid=nishimura



12月19日 デルタロイド

2008年12月19日 | 風の旅人日乗
(photo by Rick Tomrinson/VOR)


ボルボ・オーシャンレースに参加しているデルタロイドに大きなトラブルが発生した。
カンティング・キールを左右に振り上げる油圧ラムを支持するカーボンフレームが座屈した。

(photo by DeltaLloyd/VOR)
キールを振り上げることができないばかりか、
キール根元部との水密を保つカバーも割れているため、浸水の恐れもある。

現在デルタロイドはキールを船体中央にロックし、
さらにバックアップとして、生き残っているもう一方の舷のラムでキールを中央に支えてセーリングしている。


最も近い港に向かうことも視野に入れながら、
最良の選択であるシンガポールまで走ることができるかどうか、
状況を見ながら検討中とのこと。

カーボン積層での修理が必要となるため、最も近いスマトラ島に向かったとしても、
そこで修理できる見込みは少ない。

カーボン積層修理が可能そうな、最も近い港は、チャーターヨットのベースがあるマレーシアのランカウイかもしれないが、
ここは、水深(ボルボ・オープン70の喫水は4.5メートル)が充分か否かの不安が残る。



デルタロイドは、元の、前回のボルボ・オーシャンレース2005-2006で優勝したABNアムロ1。

(photo: VOR2005-2006)

ABNアムロ1は、2005-2006のレース前には数ヶ月に及ぶトレーニングで1万マイル近くをセーリングし、
本番レースで地球を1周した後も、オーストラリアのシドニー-ホバートレースに参戦(このときはマストを折ってリタイア)、

その後には地中海マキシヨット・シリーズを転戦している。

その後さらに、エリクソン・チームのトレーニングボートとして買われ、
今回のレースに参加しているエリクソン3のチューニングパートナーとして酷使されてきた。

これらの疲労が、ボルボ・オープン70クラスのヨットの中で最もロードが掛かるこの部位に蓄積していたのかもしれないし、
今回のレースから採用された新しいルールに合わせてキールバラストの重量を増やす改造を加えたことで、
オリジナルの設計強度を超える応力が生じていたのかもしれない。

無事、どこかの港にたどり着くことを願う。

『マリンウェザー海快晴』の携帯サイトで、
日本語の解説を加えたボルボ・オーシャンレースの迫力の動画を配信中(毎週1回金曜日に更新)です。
今週は、第2レグでブームを折ったグリーンドラゴンをフィーチャー。
クルーたちがそのトラブルに対応しているオンボードカメラの映像に
日本語で解説を加えています。
下のURL またはQRコードからどうぞ。
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12月18日 リスキービジネス

2008年12月18日 | 風の旅人日乗
[写真:ポートタックで東に伸ばすテレフォニカブルーのスキッパー、バウエ・ベッキンが不安そうに前方の風をチェックしている。右へのシフトはまだか? photo by TelefonicaBlue/VOR]


第3レグ5日目に入ったボルボ・オーシャンレースで、
バウエ・ベッキン率いるテレフォニカブルーが、
スターボードタックで北に向かう他艇団から離れて、
ポートタックのまま東南東に伸ばすコースを取った。
テレフォニカブルー以外の艇団が北に向かっているのは、
東南東前方に風の弱いスポットが広がっているという情報を基にしてのコース取りだ。


テレフォニカブルーもそのことを知っているが、
それなのに東南東に向かった理由は、
「現在の北東~東南東の風が南東までシフトすると、天気図から読み取ったからだ」
だと言う。
風が真東より南に振れた時点で、
スターボードへとタックを返すつもりなのだろう。

少なくとも、他艇よりも南にいれば、
スマトラ島の北端から北に延びるスコアリングゲートの線に対して最も近いポジションを確保できる。
テレフォニカブルーのバウエは、
まずはスコアリングゲートをトップで通過してポイントを稼ぎ、
現在総合ポイントで7ポイント離されているエリクソン4との差を少しでも縮めることを
意識しているのだろう。

こちらは現在総合得点でリードしているエリクソン4。
スリランカの南で、シフトに合わせてセールチェンジ、タックを繰り返していたときの写真 (photo by Team Ericsson/VOR)

12月17日 ベンガル湾か、インド洋か

2008年12月17日 | 風の旅人日乗
今、ボルボ・オーシャンレースに参加しているセーラーたちの間で交わされているブログを読むと、
『自分たちはクリスマスまでにシンガポールに着けるだろうか?
いや、どうしてもクリスマス前にシンガポールにフィニッシュしたい!』
という、熱情に近いような感情が彼らの思考の大部分を占めているようにみえる。

仏教徒である日本人セーラーが、
『4月8日(お釈迦様の誕生日、らしい。調べて初めて知った)はどうしても陸上で過ごしたい』、
と考えることはないように思えるが、
彼らのようにレースに出ることで生活の糧を稼ぐ西欧のプロフェッショナルセーラーにとってさえ、
キリスト教徒としてクリスマスを陸上で過ごすことは、何物にも代えて重要なことらしい。

なぜ、彼らがクリスマスまでにフィニッシュできるかどうかを心配しているのは、
インドのコチンからシンガポールに向かう第3レグのペースが、予想よりも随分遅れているからだ。
予想以上に不安定で弱い風に加えて、スリランカの南方には4ノット近い西流が流れていて、彼らをインドに押し戻そうとしている。
この西に流れる強い海流の反流を狙ってスリランカの岸に寄せたくても、
そこには海賊が待ち構えていて、それもできない。
実際にはレースコミッティーが、
それでも海賊めがけて岸に突撃していこうとするナビゲーターを縛り付けるために、
ポジション上の通過ゲートを設けていて、
そのゲートを通過するためには、スリランカの岸を離さざるを得ないように安全柵を設けている。

今朝のポジションを見てみると、テレフォニカブルーがただ1隻東に伸ばしてトップをキープしている。

他艇はみなタックしてスターボになって北に向かっている。
天気図によると、北には風が期待できる。テレフォニカブルーが向かっている東はこの先風が弱くなる。
テレフォニカブルーも、どこかでタックを返さなければならない。


これは12月15日から16日にかけて、各レース艇で記録された風速。
とても不安定なことが分かる。


これは、同じく風向の変化のグラフ。
風向が、北西から南東の間で、激しく変化している様子が分かる。


これは、ボートスピードの変化のグラフ。
風速のグラフと比べてみると、
例えばデルタロイドは、他艇よりも強い風を受けているときに、
その風速に連動してボートスピードが上がってないことがよく分かる。
セールチェンジをミスったか、クルーのサボタージュだろうか。

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リコール

2008年12月17日 | 風の旅人日乗
[写真は、ライケル/ピュー設計68フィート艇ベラメンテ]

全長98フィートのスーパー・マキシ、ワイルド・オーツやアルファ・ロメオなど、
大型のIRCレーシング・ボートの設計で、
最近の定番になっているデザイナーが、
アメリカ西海岸に事務所を置くライケル/ピューだ。

そのライケル/ピュー設計の最新設計艇数隻に対して、
ライケル/ピュー設計事務所自身が、顧客に対して『リコール』を自主的に提出し、
船体形状の大改造を加えていることが話題になっている。

『リコール』の対象には、今年進水したばかりの68フィート艇ベラメンテ、
65フィート艇マニーペニー、
そして建造中の69フィート艇アルファ・ロメオ、タイタン、ロキも含まれているという。

[ベラメンテ。この程度の風でここまでブームを落とさなければならない、
このことが、
この艇のセーリングで起こっているアンバランスを如実に象徴しているような・・・
この程度のヒールで、すでにラダーヘッドからと思われる波が出てきている]



[一時は福ちゃん(早福選手)やポール・ケアードも乗り組んだマニーペニー]


IRCレーティングでは、船体後半のボリュームとスタビリティーは計測されない。
従って、IRCを狙う艇のスターンの幅はどんどん広くなりつつあるし、
復元力も大きく(これは、外洋に出て行くクルージングボートとしてもありがたいことだが)設計されるようになっている。

船尾の船底形状にボリュームがあり、しかも大きなスターンの艇は、
ヒールすると後ろが浮き上がりやすくなる。
艇の前後トリムがアンバランスになるのを軽減するためと、
ヒールしてラダーの根元が水面に早く顔を出すのを防ぐために、
ラダーを前に持っていく、というのが一般的な解決策とされているが、
これがベストの解決策ではないことも、
IMOCA60の開発を通して指摘されている。

IMOCA60やボルボオープン70のように、ツインラダーにするという手もあるが、
IRCレーティングでは損だと考えられていて、使われにくい。

この、船体後半部の設計に、レース成績と操船に関わる大きな欠陥があったとして、
ライケル/ピュー事務所が、いくつかの最新デザイン艇のハル形状の改造を、
自ら申し出て、上記の艇のモディファイを進めている。
過去には、建造中に更新されたIMSレーティングに最適化させるためとして、
オラクルのラリー・エリソン所有の80フィート艇サヨナラ(ブルース・ファー設計事務所デザイン)が、
進水直後に船型の大改造を行なったことがあるが、その費用はオーナー負担だった。
今回のように、設計事務所が自らデザインの不備を申し出て、
自らの費用で数艇もの改造工事を行なうことは、恐らく前代未聞のことだろう。

今回のことで、ライケル/ピュー設計事務所の設計ミスを指摘する声は少なく、
逆に、この設計事務所の姿勢と心意気が、
関係者の間で高く評価されているような空気が感じ取られる。

現在第3レグをレース中のボルボ・オーシャンレースには、
ライケル/ピューが初めて設計したボルボオープン70のグリーンドラゴンが出場している。

(photo Rick Tomrinson/VolvoOceanRace)
準備不足とトレーニング不足が気になるチームで、
レース成績としての結果は残していないが、走りそのものを見る限り、
かなりのポテンシャルを秘めている(いい走りをするときは、別のヨットかと思うくらい速いが、それが長続きしない)。
今後のどこかのレグで、艇の性能を結果にしてあげて欲しいヨットである。


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ボルボ・オーシャンレース レグ3スタート写真

2008年12月16日 | 風の旅人日乗
グーグルアースで示されているのは、
12月16日未明のボルボオーシャンレースの各艇のポジション。
風のシフトを受けて、フリートが散らばり始めた。
この風をどう読むかは、結構難しいだろう。
ポジションによっては最大3ノットもの向かい潮も流れているという。

どんな結果になるか・・・。

プーマのサリー・コリソンと、エリクソンチームのオフィシャルからの、
第3レグのスタート写真が届いた。















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12月16日 ラッセルクーツ44クラス、2008年サーキットの最終戦が終了

2008年12月16日 | 風の旅人日乗
カナリア諸島のプエルト・カレロで開催されていたラッセルクーツ44クラスの2008年サーキットの最終戦、プエルト・カレロカップが終了した。




このプエルト・カレロ・カップのフリートレースを制したのは、ジェイムズ・スピットヒルを擁したスロベニアのチーム・シーレフ(オーナー/アイゴー・ラー)。



2008年サーキットの優勝はポルトガルのバンコ・エスピリト・サント。
サーキットチャンピオンには金色に塗られたステアリングホイールがクラス協会から贈られ、翌年度はそのホイールを装備してレースに参加する。
ボクシングのチャンピオンが、チャンピオンベルトを巻いたまま試合をするって感じです。


Fleet-Race Puerto Calero,
Final results after 10 races (including the DHL Trophy):

1) Team Ceeref, Igor Lah, 1,1,2,1,2,4,4,3,4,1 - 23 points
2) Banco Espirito Santo, Patrick de Barros, 5,4,3,3,3,1,3,1,2,3 - 28 points
3) Team Aqua, Chris Bake, 2,2,4,4,1,6,5,2,1,5 - 32 points
4) BMW ORACLE Racing, Larry Ellison, 4,3,1,2,5,2,6,5,3,2 - 33 points
5) Artemis, Torbjorn Tornqvist, 3,7,7,7,4,3,1,4,6,7 - 49 points
6) Islas Canarias Puerto Calero, Daniel Calero, 6,5,5,5,6,5,2,7,5,4 - 50 points


2008 Fleet-Race Season (top six boats only)

1) Banco Espirito Santo (Portugal), Patrick de Barros - 154 points
2) Team Ceeref (Slovenia), Igor Lah - 159 points
3) Team Hiroshi (Italy), Armando Giulietti - 180 points
4) Team Aqua (United Arab Emirates) Chris Bake - 182 points
5) BMW ORACLE Racing (USA), Larry Ellison - 242 points
6) Sea Dubai (United Arab Emirates) DIMC - 276 points

12月15日 スリランカ

2008年12月15日 | 風の旅人日乗
12月15日 スリランカ
ボルボ・オーシャンレースのフリートは、スリランカの南に到達。
大接戦が続いている。
各艇のボートスピードの変化を表すグラフを見ても、
風の不安定さが伝わってくる。





この写真は、
スペインのテレフォニカブルー(ブルース・ファー設計 キングマリン建造)が、
プーマ・レーシングのイルモストロ(ボティン&カーキーク設計 ゴーツ建造)を
風上側からセールオーバーしている場面を、
プーマのメディアクルーRick Deppeが撮影したもの。
手前でイルモストロをステアリングしているのはクリス・ニコルソン。
表情には出さずに悔しがっている。



そしてこちらは、
同じときにテレフォニカブルーのGabriele Olivoが撮った写真。
テレフォニカブルーのナビゲーターのサイモン・フィッシャー(シーフィー)が、
風下を走るイルモストロのベアリングが後ろに変わっていくのを確認しているところ。
表情には出さずに、笑いをこらえている。

少なくともこの風域では、
テレフォニカブルーがイルモストロよりも勝っているみたいだ。

しかし、なんでボルボ・オーシャンレースのフリートが、
スリランカの南端からあんなに距離を離してコースを取るのだろう
と不思議に思っていた。

俺だったら、間違いなく、岸に寄せる。
距離的にも、風的にも、スリランカから遠く離れる理由はないからだ。
なぜだ?

その答えををテレフォニカブルーのスキッパーのバウエ・ベッキンが教えてくれた。

スリランカは、まだ一部政情が不安定な部分がある。
そのスリランカにレース艇が近づきすぎて、危険にさらされる可能性をなくすために、
レースコミッティーが、帆走指示書に変更を加えて、
スリランカ南方を通過するときのウエイポイントを新たに設置したのだそうだ。
そのウエイポイントがスリランカ沿岸から離れているのだそうだ。

だから、みんな、あんなにスリランカを離して回りこんでいたんだな。
一般に配給される情報だけでは分からないことが多い。

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12月14日  ボルボ・オーシャンレース第3レグスタート

2008年12月14日 | 風の旅人日乗
写真は第3レグスタート直後、フリートをリードするプーマのイル・モストロ。
第3レグにもジョナサン・マッキーとジェリー・カービーはプーマに復帰しなかった。(Photo by Rick Tomrinson/VOR)


今日の日記では、第2レグで2位に入って勢いづくテレフォニカブルーのスキッパー、バウエ・ベッキンの第3レグの展開の予想を紹介する。
テレフォニカブルーは軽風では他艇よりも優れたポテンシャルを持っている。

(photo by Rick Tomrinson/VOR)

「スタート後、スリランカの南端をかわすまでは、かなり弱い風が続くだろうね。
そこから、5ノットから20ノットの風速レンジの北東季節風が吹く海域に入って、
ポートタックのクローズドホールドか、ちょっと落としたクローズドリーチで、
スマトラ島の北端を目指す。

スマトラ島の北側にはスコアリングゲート(ここの通過順位もポイントに加わる)があり、
距離的にはスコアリングゲートの南端よりも北端に向うほうが有利だけど、
そちらを狙うと、
スコアリングゲートを通過してからシンガポールのフィニッシュラインまでの距離が長くなってしまう。
ここも頭の悩ませ所だな。」

でも、その先の、マレー半島とスマトラ島に挟まれた海峡では、バウエはもっと頭を悩ませられることだろう。
「そう、潮は向かい潮、何千隻もの漁船、そして魚網、何百隻もの大型タンカーやコンテナ船…。
少なくとも、退屈することはなさそうだね」

これらの困難に加えて、
このレグには、今までボルボ・オーシャンレーサーが経験したことのない恐怖が待ち構える。
マラッカ海峡の海賊だ。

ボルボ・オーシャンレースの主催者は、
海賊出没エリア諸国の海軍、コーストガードと連絡を取り合って、
ボルボ・オーシャンレースのフリートが海賊の危険にさらされないよう、
最大の予防策を取っているが、
相手と直接話ができているわけではないだけに、100%の安全はない。
レースフリートが武器を持てば、それは最悪の結果も招きかねない。
最良の対策は、
決して英雄的な振る舞いをせず、
相手が求めること、求めるものをすべて差し出すことだ、
と各レース艇はアドバイスを受けている。

これらの悲観的な問題の可能性はさておき、
バウエ・ベッキンのシンガポールフィニッシュ予想は、
エリクソン4のナビゲーターのジュールズ・サルターとはかなり違う。

(写真は第3レグスタート直後のエリクソン4のデッキ上。一番手前がナビゲーターのジュールズ・サルター。photo by Ericsson4/VOR)

「早くて20日、遅くても21日か22日」
だというのだ。
同じ気象予報情報を得ているとすれば、バウエの「早くて7日」とジュールズの「早くて9日」の差は、そのままテレフォニカブルーとエリクソン4の、微風~軽風域での性能差、ということになる。

スタートして半日経った現在、フリートをリードしているのはグリーンドラゴン。
シーブリーズが残っていた日没前にジャイブして岸に寄せたのが功を奏して、
他よりも先に夜のランドブリーズをつかみ、フリートの一番岸寄りを快走している。

(photo by Rick Tomrinson/VOR)

ただ、夜が明ければこのランドブリーズは落ち、今度は午後にシーブリーズが吹き始める。

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12月13日 ボルボオーシャンレースは、第4ステージへ

2008年12月13日 | 風の旅人日乗
(photo by Rick Tomrinson/VOR)

本日、ボルボ・オーシャンレースは、ステージ4へ突入する。

今日12月13日は、第3レグ(コチン→シンガポール)スタートの日
現在トップのエリクソン4のスキッパー、トーベン・グラエル(ブラジル)は、「このレグは大接戦になる」と予想する。
このレグは全体に風が弱く、そのレンジではチーム・ロシア1隻を除く各艇の性能は拮抗しているからだ。
その中で、テレフォニカブルー、テレフォニカブラックの2隻が、軽風レンジではひとつ頭を出したポテンシャルを持っている。

エリクソン4のナビゲーター、ジュールズ・サルターに、風の予想を聞いてみる。

(photo by Rick Tomrinson/VOR)

今日のスタートは、現地時間の午後3時30分。
通常のスタート時間よりも大幅に遅いが、これは、午後のシーブリーズが安定するのを待ってからのスタートにするためだ。
シーブリーズが安定するのがここまで時間が遅いことからも、コチンが相当に風が弱い地域だということが分かる。

「スタートしたらインド南西岸ギリギリを走ることになると思う」とジュールズは言う。
「そして日が暮れる頃になると、さらに岸近くにコースを寄せていく。夜遅くなって吹き出す陸風をいち早くつかむためだ」

このレグの距離は1950マイル。トップ艇のシンガポールフィニッシュ予想は12月23日前後。
つまり、約2000海里に10日を要することになる。デイラン200マイル。平均8.3ノットだ。
これはボルボオープン70にとっては、退屈なほどの徐行速度だ。
このレグでどれだけ弱い風が予想されているのかがよく理解できる。

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12月6日 東京砂漠の金星と木星

2008年12月07日 | 風の旅人日乗
午後5時27分、旧東京商船大学キャンパスの横から、南西の方向を見たら、
こんな都会の真ん中なのに、まぶしい明かりの中で、
金星と木星がくっきりと夜空に輝いていた。
嬉しくなって写真を撮った。
右に見えているのは、月島(中央区)と越中島(江東区)を結ぶ相生橋。

午後2時から東京江東区の門前仲町で、東京海洋大学ヨット部OB会の忘年会。
旧・東京水産大学ヨット部OB会と旧・東京商船大学ヨット部OB会が統一されて初めての忘年会だ。
世間の人々が仕事に追われている中、ええ、飲み始めましたよ、午後2時から。

とても楽しい時間だったが、この日一番嬉しかったのは、
茂在寅男先生とゆっくりお話ができたこと。
茂在先生は、東京商船大学ヨット部を設立された方でもある。
95歳のお誕生日を間近に控えた94歳。
ぼくは、茂在先生が、東京商船大学教授として現役最後の時期の学生で、
先生から生の授業を受けることができた幸運な学生の一人だった。
以前から、東大での海洋文化シンポジウムや横浜国際ボートショーでのトークショーなどで、
茂在先生を至近距離でお見かけしていたが、
なんといっても茂在先生は人気者なので、
なかなか話し掛けるチャンスが回って来なかった。

今日はごく内輪だけの忘年会。ドキドキしながら、
「先生、25回生航海科のNです。
先生の、コンパスの自差修正の授業と、コリオリの力の教え方の分かりやすさがとても印象に残ってます!」
と勇気を持って、しかし緊張して話しかけさせていただいた。
「おお、君か。覚えてるよ。ヨットばかりで、授業なかなか来なかったな。
学校の越中島のポンドから九州までヨットで帰ったんだったよな」。

本当に、ビックリした。
今から30年以上前の、ただの劣等生である。
そんな学生を覚えて下さっていたとは・・・。
わずか数年前に挨拶したことがある人の顔を忘れることさえある最近の自分としては、
宇宙人のような茂在先生の記憶力に、心底驚いた。
そしてそれ以上に、ヨットばかりやっていてどうしようもなかった学生のことを覚えてくれていたことに、
心から感動した。

この日のうちに仕上げなければならない仕事があって、
とても残念なことに2次会には参加できなかったが、
お幾つになっても元気一杯の茂在先生とお話ができて、とても幸せな時間だった。

2次会に向かうみんなと泣く泣く別れた後、夜の仕事のための酔い覚ましを兼ねて、
富岡八幡と永代寺と成田山とにお参りして、それから参道で買った煎餅をかじりながら、
葉山までの帰宅コースを考えた。

門仲から月島まで散歩して、
地下鉄に乗って銀座一丁目に出て、
銀座の伊東屋で海外の友人たちに送るクリスマスカードを買って、
そして銀座から新橋まで歩いて、
それからJRとバスで新橋から葉山に戻る、
というコースに決めた。

越中島から月島に渡る相生橋の手前、
母校のキャンパスに置かれている明治丸の横でふと空を見上げると、
金星と木星が、都会の夜景に負けずに輝いている。
これには心底感動した。
写真も撮った。
けど、そのあと葉山に帰ってからの徹夜仕事にも、心底疲れた。
人生、ロマンだけでは生かしてもらえないものだね。

今後数日は、切羽詰った仕事に追いかけられます。
ジェロニモの太平洋横断航海の更新は、次回(いつかな?)ということで・・・。
申し訳ありません。

貿易風に乗って-vol.1

2008年12月05日 | 風の旅人日乗

太平洋と私


太平洋のことは、ずっと気になっていた。
太平洋は、地球に七つある大洋の中でも最も大きい、世界一の海だ。
日本列島は、その太平洋の西の端に浮かんでいる。
太平洋は、
歴史を紐解いても、実際の生活においても、
日本人にとって、最もつながりの深い海だ。

かつて私は、帆船に乗って日本とハワイを往復した。
ロサンジェルスからホノルルまでのヨットレース、ホノルルレース(通称トランスパック)にも2度参加した。
しかし、北米大陸から日本まで一息に、太平洋を東の端から西の端まで一気に渡ったことが一度もなかった。

日本人セーラーである自分としては、そのことが、とても気に入らないことだった。
つまり、日本人にとって最も身近な海である太平洋を、
日本人セーラーのくせに、
セーリングでまだ渡った経験が自分にないことが、
喉に引っかかってなかなか取れない魚の小骨のように、気障りなことだったのだ。

2005年の11月から、
パブリシティーの仕事と、将来の大型レース艇建造プロジェクトの勉強のために、
いくつかのストップオーバーに寄航しながら地球を1周する外洋ヨットレース、
ボルボ・オーシャンレースの参加艇たちを追いかけて、
スペイン、オーストラリア、イギリス、スウェーデンに向かった。



大海原に向って雄々しくスタートしていき、
人々が熱烈に歓迎する中を晴れ晴れとした表情でフィニッシュしてくるボルボ・オーシャンレースのセーラーたちは、
自分の若い友人たちであるにも関わらず、
とてもカッコよく、とても眩しく見えた。
そんな彼らを観る側にまわっている自分が、
取り残されてしまったように思えてならなかった。

太平洋横断世界最短記録に挑戦するフランスのトライマラン(三胴艇ヨット)、
〈ジェロニモ〉から、
クルーとして乗らないか、という誘いを受けたのは、
そんな心理状態のときだった。

長期休暇ごめんなさいでした

2008年12月04日 | 風の旅人日乗
気が付けば、このブログを最後に更新してから2ヶ月が過ぎていました。

一週間ほど前から、安否を気遣ってくれる人たちから電話やメールが来始めました。
ごめんなさい。

昨日、久し振りに自分のブログを開いてみたら、
今でも毎日200人前後の人たちが覗きに来てくれていて、
更新もしてないのに、申し訳ないことに
その人たちがバックナンバーをそれぞれ3,4項目を読んでくれていることを知ってビックリしました。
2ヶ月も休んだのだから、もうこのブログのことなど、忘れ去られているのだろうと思ってました。
純粋に、嬉しいです。

実は、この2ヶ月の間に、
嬉しいことと、悲しいことが、いくつか続いて起きました。

2ヶ月間ブログを休んでいる間に、ぼくはなんと2児の父になりました。
いえ、いえ、いっぺんに2人生まれたのではなく、
2人目が生まれたという意味です。
入院(ぼくじゃなく、奥さん)、
出産(ぼくじゃなく、奥さん)、
退院(ぼくじゃなく、奥さん)、
父母の上京、
初宮参り、
その間に海外出張も入り、
てんやわんやの日々でした。

そして、2ヶ月間ブログを休んでいる間に、
2人の大切な友人が、亡くなってしまいました。

そのうちの一人は、ぼくのセーリング活動を支えてくれていた人でした。
それにもかかわらず、
ヨットレースに出る仕事と、チームニシムラ主催のセーリングイベントのために、
ぼくは彼のお通夜にも告別式にも行くことができませんでした。

ヨットレースに出るほうの仕事は、
楽しみにしているオーナーにご迷惑をお掛けするので到底キャンセルできず、
チームニシムラ主催のセーリングイベントは、
安全上の責任者としてどうしてもその場に居らなければならず、
ぼくなりに苦渋の判断でした。

友人との最後のお別れもせず、
そのような行動を選択した自分を、後で責めて、
とても長い間落ち込みました。

その友人の死は、
彼と新しいセーリングの仕事を始めるための準備をしている最中のことでした。

彼の存在がなければ始めることのできない仕事だったので、
一旦は計画自体をあきらめることにしました。

しかし、いずれ機会がきて、再び条件を揃えることができれば、
彼のためにも実現させたい、と
最近になって、やっと考えられるようになりました。

自分の能力は海に出てこそ生かされる、
という自負は、常に忘れないでいようと思います。
セーラーである自分自身の誇りを常に忘れないために、
今ぼくは、大海原をセーリングで走り続けたいと、心から願っています。

2年前、太平洋を2回横断したとき、
自分はどんなことを考え、どのような気持ちでいたのかを思い出すために、
2年前に書いた自分自身の文章を、昨日読み返してみました。

自分の気持ちが再び前を向いたように感じました。

明日から、その文章を元に、
何日か続けて、そのときの航海の様子をブログに書き込むことにします。
時間に余裕がないので、時間を見つけては、追って写真の挿入などの編集をしていくつもりなので、
何度かチェックしにきてくださいね。