先人達の技術に磨きをかけて後生に伝えること
オスロ港。
「フェーダー・レース」という名のヨットレースが、オスロ市街のすぐ前に広がる海面からスタートした。
スカンジナビア半島に住むアマチュア・セーラーたちが冬の間から楽しみにしているオーバーナイト・レースだ。
その参加隻数、驚くなかれ、1050隻。150隻ではない、1000と50隻!
午後2時に最初のクラスがスタートしたあと、15分間隔でクラスごとに順次スタート・ラインを飛び出してゆくが、最後のクラスがスタートするときには、もう夕方の5時近くになっている。
フィヨルド・クルーズの豪華大型客船たちも、この日は夕方まで動こうともしない。動こうとしても、海面を埋め尽くしたヨットに囲まれて、おそらく身動きが取れなくなるだろう。
深いフィヨルドの一番湾奥にあるオスロ港から、何十マイルも先の湾の入口に向かって1050隻のヨットが止めどなく流れ出てゆく。現代のバイキング野郎ども(女性セーラーもいるが)の、華々しい船出だ。
その中の1隻、〈フラム〉号はノルウエーのハーラル5世国王が所有しているヨットで、王様が自分でステアリングしていらっしゃる。
その王様は、スタート・ラインで抜群のテクニックを披露し、混み合うスタートラインの中でも、最も有利なポジション争いを制して、素晴らしいスタートを切った。
王様から下々までが連なって、レース艇群は前後に伸びる長い長い一団となって外洋へと姿を消した。
ご存知の通り、スカンジナビア半島の夏は短く、厳しい冬は長い。
つまり、1年のうちでセーリング・シーズンはごく僅かだ。それにもかかわらず、セーリングというスポーツの、この人気のほどはどういうことなんだろう。
このレースは、第2次世界大戦直後の1947年に、地元のヨットクラブの7名のメンバーによって始められたという。それが徐々に参加艇が増え始め、1990年代に入ると1000隻を越えるようになった。
ここにいると、現在の日本では想像もできないセーリング文化の厚みを強く感じる。
セーリング文化に厚みがあるかないかの違いは、そのまま、歴史ある海洋民族としてのプライドがあるかないかの違いではないか、と思われた。
伝統ある海洋民族として誇りを持つこと
この「フェーダー・レース」を創設し、半世紀以上に渡って運営しているのは王立ノルウエー・ヨットクラブである。そのクラブハウスは、海洋博物館の集まるオスロ市内ビグディー半島にあって、1883年の創立だ。
北欧の典型的な帆装ワークボート船型の楚を築き、地球の真上と真下、北極海と南極海の両方を航海した最初の船<フラム号>の設計者でもあるコリン・アーチャーや、歴代のノルウエー国王がかつてのコモドア(会長)として名を連ねる、伝統のヨットクラブである。
ここのヨットクラブのクラブハウスを歩いていると、彼らのプライドがそこかしこから匂い立つ。
バイキング時代からの卓越した海洋民族として活躍した歴史的事実、オリンピックで獲得した数々のメダル、歴代の国王が身近なセーリング仲間であること、などなど。
これらの事実が彼らを支え、そのことをこの上ない誇りとしている。彼らが海洋民族として自信を持ち、そのことをとても心地よく思っていることを肌で感じる。
それに羨望を覚えながらも、ぼくは、この日本が、我々日本人が、本当は、海洋国として、海洋民族として、彼ら北欧人に劣っているとは、どうしても認めることができないでいる。
しかし残念なことに我々は、それを主張できる資料や証拠を今は失っていて、為す術もない。
この日、オスロを後にしたぼくは、ノルウエーの海岸に沿った旅をさらに続けることにした。
その旅先で、祖先に対する深い尊敬の念に起因する、さらに驚くべき北欧の人たちの情熱的な活動を知ることになった。
(続く)
オスロ港。
「フェーダー・レース」という名のヨットレースが、オスロ市街のすぐ前に広がる海面からスタートした。
スカンジナビア半島に住むアマチュア・セーラーたちが冬の間から楽しみにしているオーバーナイト・レースだ。
その参加隻数、驚くなかれ、1050隻。150隻ではない、1000と50隻!
午後2時に最初のクラスがスタートしたあと、15分間隔でクラスごとに順次スタート・ラインを飛び出してゆくが、最後のクラスがスタートするときには、もう夕方の5時近くになっている。
フィヨルド・クルーズの豪華大型客船たちも、この日は夕方まで動こうともしない。動こうとしても、海面を埋め尽くしたヨットに囲まれて、おそらく身動きが取れなくなるだろう。
深いフィヨルドの一番湾奥にあるオスロ港から、何十マイルも先の湾の入口に向かって1050隻のヨットが止めどなく流れ出てゆく。現代のバイキング野郎ども(女性セーラーもいるが)の、華々しい船出だ。
その中の1隻、〈フラム〉号はノルウエーのハーラル5世国王が所有しているヨットで、王様が自分でステアリングしていらっしゃる。
その王様は、スタート・ラインで抜群のテクニックを披露し、混み合うスタートラインの中でも、最も有利なポジション争いを制して、素晴らしいスタートを切った。
王様から下々までが連なって、レース艇群は前後に伸びる長い長い一団となって外洋へと姿を消した。
ご存知の通り、スカンジナビア半島の夏は短く、厳しい冬は長い。
つまり、1年のうちでセーリング・シーズンはごく僅かだ。それにもかかわらず、セーリングというスポーツの、この人気のほどはどういうことなんだろう。
このレースは、第2次世界大戦直後の1947年に、地元のヨットクラブの7名のメンバーによって始められたという。それが徐々に参加艇が増え始め、1990年代に入ると1000隻を越えるようになった。
ここにいると、現在の日本では想像もできないセーリング文化の厚みを強く感じる。
セーリング文化に厚みがあるかないかの違いは、そのまま、歴史ある海洋民族としてのプライドがあるかないかの違いではないか、と思われた。
伝統ある海洋民族として誇りを持つこと
この「フェーダー・レース」を創設し、半世紀以上に渡って運営しているのは王立ノルウエー・ヨットクラブである。そのクラブハウスは、海洋博物館の集まるオスロ市内ビグディー半島にあって、1883年の創立だ。
北欧の典型的な帆装ワークボート船型の楚を築き、地球の真上と真下、北極海と南極海の両方を航海した最初の船<フラム号>の設計者でもあるコリン・アーチャーや、歴代のノルウエー国王がかつてのコモドア(会長)として名を連ねる、伝統のヨットクラブである。
ここのヨットクラブのクラブハウスを歩いていると、彼らのプライドがそこかしこから匂い立つ。
バイキング時代からの卓越した海洋民族として活躍した歴史的事実、オリンピックで獲得した数々のメダル、歴代の国王が身近なセーリング仲間であること、などなど。
これらの事実が彼らを支え、そのことをこの上ない誇りとしている。彼らが海洋民族として自信を持ち、そのことをとても心地よく思っていることを肌で感じる。
それに羨望を覚えながらも、ぼくは、この日本が、我々日本人が、本当は、海洋国として、海洋民族として、彼ら北欧人に劣っているとは、どうしても認めることができないでいる。
しかし残念なことに我々は、それを主張できる資料や証拠を今は失っていて、為す術もない。
この日、オスロを後にしたぼくは、ノルウエーの海岸に沿った旅をさらに続けることにした。
その旅先で、祖先に対する深い尊敬の念に起因する、さらに驚くべき北欧の人たちの情熱的な活動を知ることになった。
(続く)