月曜日。
船の科学館に展示されているサバニに、油を塗りに行く。
展示コーナーの入り口に置いてあるので、船の科学館の休館日である月曜日にしか作業ができない。
担当の学芸部のスタッフには、休日出勤をお願いした。
少数精鋭の激務にあるにも拘らず、学芸部の担当者の方は、数少ない休日を返上して出てきて下さった。
サバニは塗装をしていない飫肥杉でできた舟だから、展示会場に置いたままでいると乾燥して、
接いでいる部分の口が開いたり、厚い底板が裂けたりする。
本来サバニは、サメの肝臓から煮出した油を定期的に塗り重ね、
日常的に海を走り海水を浴びることで、50年60年以上の寿命を授かる。
[船齢50年を越える糸満サバニ源丸]
空調が管理された、人間にとって居心地のいい博物館の館内は、
本来海を走るために生まれたサバニにとっては、過酷な生存環境だ。
水棲生物を、乾いた砂漠に放り出しているようなものなのだ。
サバニを形作っている飫肥杉の各部材が乾燥しすぎて一旦舟が割れると、
それを元通りにすることはとても難しいか、あるいは、不可能だ。
博物館に置いたままでバラバラになっていっていいのなら、それでもいいかも知れない。
実際、船の科学館でサバニの周囲に展示されている木造の船のいくつかは、痛ましいほどのクラックが入っている。
それらの船がもう一度海に浮かんで、海を走ることは、不可能に近いのではないかと思う。
このサバニを、そのような目に合わせるわけには行かない。
今すぐにはいろいろな事情があってできないけど、近い将来に、
沖縄にいるチームの皆とこのサバニを海に浮かべ、漕ぎ、セーリングする。絶対に。
そのためには、舟が割れるようなことがあってはならない。
しかも、このサバニは、伊江島のサバニ大工・下門龍仁さんが、
外国人ボートビルダーにサバニ作りのすべてを伝えた貴重なサバニ。
話は少しずれるが、
サバニ作りを日本の船大工が下門さんに教えを乞うたのではない。
アメリカ人がサバニに恋焦がれて、健康上の不安を理由に渋る下門さんに手紙を送り続けて、
ワタクシもちょっとお力添えをさせていただき、やっとのやっとで許可を得てサバニ大工に弟子入りを果たしたのだ。
そのお陰で、そのサバニが東京の博物館に保存されることになった。
日本の伝統船大工の技を伝授され、作り、記録に残したのは、
日本人ではなく、アメリカのボートビルダーだ。
一体どうなっているのだ?
彼のことは褒め称えるに値する。
しかし、日本人にこのアメリカ人のように日本の船文化海文化を引き継ごうとする若者が出てこないことを嘆くのは、
ワタクシだけだろうか。
本来サバニに塗るべきサメの(肝臓の)油は、匂いがきつい。しかも、ゴキブリが非常に好んで舐めに集まってくる。
室内に展示しているこのサバニに塗ることは避けて欲しい、と船の科学館担当者からお願いされている。
この数ヶ月、いろんな木材の専門家たちに話を聞き、やっと見つけた油を購入して持参した。
昔は和船にも使われていたというし、日本家具にも塗布されていたという。
外国でも、無塗装の木造ボートにも塗られることがあるらしい。
月曜日に仕事を休んでサバニに油を塗るなんていう酔狂な人間は、普通あまりいない。
誰にお願いしても迷惑が掛かる。
一人でやるつもりだったが、深川牡丹町に住む、ある御仁が手伝いを申し出てくださった。
いつも、深川八幡祭りの神輿を一緒に担がせていただいている御仁だ。
江戸深川と沖縄。遠く離れていても自分たちの祖先が伝えてきた歴史や伝統を守ろうとする心は、しっかりと通じ合う。
久し振りにサバニにじっくりと触れる貴重な時間になった。
このサバニを将来水に浮かべるときに加えなければならないちょっとした補修や、
他のサバニより優れている点などを見つけることもできた。
時計も何もかも外して、ツナギのカッパと軍手と靴カバーに身を固めて、無心でサバニに向かっていたため時間の感覚がまったくない。
午前中から始めて3、4時間もあれば終わるだろうと思っていた。
ところが、すべて塗り終え、すのこを戻し、帆柱を立て、帆を揚げて、ティンナー(メインシート)をきれいにセットし直してから、
外していた時計を見たら、もう午後4時近い。
空腹も喉の乾きも覚えなかったので、まだ午後1時くらいかと思っていた。
打ち合わせで会うことにしていた次の約束の人物は、近くのお台場で2時くらいから待っているはず。
慌てて学芸部の担当の方に終了の報告に行き、深川の御仁へのお礼も丁寧にできないまま、ゆりかもめの駅まで走り、
2つ隣のお台場海浜公園駅に向かう。
2時間半待っていてくれたその方は、事情を話すと、サバニを守ることですからね、大事なことですからね、と気持ちよく許してくれた。
本当に申し訳ない。
そのあとの打ち合わせは、とてもいいアイディアの交換になり、その仕事に向けて、さっそく来週から動き始めることになった。
2時間以上も待たされたのに、前向きな検討をしていただき、本当にありがたい。
打ち合わせが終わると、急いで新橋に戻っても通勤ラッシュに巻き込まれる時間帯になっていたため、
新橋駅にすぐに戻ることに、気持ちが尻込みをする。
そうだ、折角の機会だからレインボーブリッジを歩いて渡ろう、と思い立つ。
ところが、レインボーブリッジの下まで歩いて到着すると、歩行者道のゲートの前に守衛のおじさんが立っていた。
日が暮れると徒歩では渡ってはならぬらしい。
夜景を見ながら東京港上空の空中散歩って、いいじゃん、いいじゃん、と自分のアイディアを自画自賛していたのに、残念無念。
また次の機会にどうぞー、という守衛さんの言葉を背中に聞いてゆりかもめの駅のほうに戻る。
百円ローソンに入り、缶チューハイを一本購入。
お台場海浜公園のビーチに出て、本日の一人お疲れさん会を開く。
ここの砂は伊豆・神津島から持ってきた砂。
悔しいけど、うちの近所の森戸海岸の砂よりも数段足ざわりがよろしい。
周囲が明るすぎて森戸海岸のような星空は見えないけど、大都会東京の夜景を眺めながら座る神津島の砂ビーチの魅力は、正直に言って否定しがたい。
そのビーチから沖縄に電話をかけ、サバニ関係者に本日の報告をする。
経済活動に関しては支出のみの一日だったけど、ココロは充実感に溢れる豊かな一日になりました。