まず、カイ(ト)よりはじめよ

2010年11月30日 | 風の旅人日乗
一昨日は、東京・有明の船の科学館で、チームニシムラプロジェクト、ウインタープログラム第1回を開催。



このプログラムは、もう3年前から船の科学館のプールと館内のイベントホールで開催しているもので、
今年からは『親子で学ぶ、海と船の博士塾(無料セーリング体験付き)』という正式名称で、毎月1回開催している。
お尻が濡れると寒い11月から4月は、暖かい教室で海や船の面白い話を聞きながら、
日本を取り巻く海のこと、その海で見られる自然現象や生物のこと、その海を走る船のこと、を学んでいこうという、
寒い冬バージョンの、ウインタープログラム。



ウインタープログラム第1回は、子供たちと一緒に「風と友だちになる」、「チームワークでヨットを動かす」という、2つのテーマを考える時間にした。



風と友だちになる方法を子供たち相手に話しながら、改めて、セーリングにおいて風を知ることの大切さ、について考えていた。

仕事としてセーリングを教えていると、ほとんどのベテランセーラーの方々から、「クローズホールドのセールトリムを教えて欲しい」、「ダウンウインドの走らせ方を教えて欲しい」というご要望が殺到する。

そういうとき、こちらから唐突に、「今、どこから風が吹いているか、分かりますか?」という質問をしてみる。
すると、ほとんどの皆さんが、走っているヨットのマストヘッドの風見を見上げる。
もう、ここで、ワタクシはそれ以上レッスンを進めることはできなくなる。
動いているヨットの風見を見ても、本当の風が吹いてきている方向は分からない。

海面だけを見て、風が吹いてくる方向をピシリ、と正確に指差せる人でなければ、クローズホールドもダウンウインドも教えようがないのだ。
風が吹いてくる方向が分からなければ、実地で使えるセールトリムすら勉強しようがないのだ。

なので、セーリングの世界を覗き込んだ子供たちには、セーリングの細かいことよりも何よりも先に、風が吹いてくる方向を知る方法と、風を見ることを習慣付けることを教えることにしている。
風が見えるようになることは、セーリングの大、大、大基本だからだ。
教え方を工夫すれば、子供はものすごく熱心に風を探し、ものすごく素早く風を感じられるようになり、風が見えるようになる。

教科書から先にセーリングに入ってきた大人は、こんな子供たちにはとてもかなわない。

この11月の半分以上を使って滞在したニュージーランドで、カイトセーリングを体験してきたが、カイトにおいては、風を見る、風を感じることは、セールでのセーリングよりもさらに重要だということを知った。



ニュージーランド土産のピンクのオクトパス・カイト(蛸の凧)を、5歳の女の子に試させてみたら、風を背中に受けて飛ばすことをすぐ覚え、
糸を伝わっている力から、「あー、風がきたー」「あー風行っちゃった」「風、こーい」などと、さかんに風と話をしていた。
これからは、海に出られない日は、カイトで風を感じ風と遊ぶことが、セーリングの練習にもなるな、と思った次第。



『親子で学ぶ 海と船の博士塾』ウインタープログラム第2回目は、12月12日午後1時から、船の科学館 羊蹄丸アドミラルズホールでの開催。


ニュージーランド日記おしまいの巻 例えばある日の太平洋上空の雲

2010年11月29日 | 風の旅人日乗
さあて、帰るか。
マリンビジネスの天国から、マリンビジネスの荒野へ。

紙の資料で一杯になった荷物の重さが心配だったので、早めにオークランド空港に行く。問題が起きたら交渉する時間を確保したかったから。
手荷物の重さリミットは見事ギリギリでクリア。ワタクシの人間重量計、ここのところ精度が一段と上がってきた。

出発階にある「うどん・すしの葉山」から流れ出るダシの匂いに心惹かれるが、あと十数時間の辛抱だと思い、我慢してイミグレに向かう。

余程のことがない限り、国際線国内線問わずいつも翼のない窓際の席にしてもらうのは、窓から外の写真を撮りたいから。
ストックフォトも、だいぶ溜まってきた。

窓際の席の問題点はトイレ問題だが、今まで一度だけひどい目にあった(隣の新婚と思しきカップルが毛布をかぶって10時間ずっともぞもぞしていて、一度もトイレに立たず)だけで、いいお隣さんに恵まれてきた。

今日のお隣さんは、韓国人の大きな若い衆。
ゲームに夢中の様子だったが、ワタクシの「スマヌ、トイレに行かせておくれ」のサインの度に、とても素早くしかも笑顔で立ち上がってくれた。儒教の国の若者なのである。




さらば、羊と牛と鹿とリンゴとキウイフルーツとポテトと、セーリングの国。


そして、映画鑑賞の合間合間に窓から外を眺めカメラに収めた、本日の南半球から北半球にまたがる太平洋上空の雲たち。
















月齢13日の月が、翼の下に上がってきた。今日の日没は、月の出から約2時間後ぐらい、ってことだな。




この写真にも月が写っている。




九十九里浜が見えてきた。

この景色を見ると、ずっと以前、アメリカの航空会社の飛行機で日本に帰ってきたとき、
犬吠埼上空でアメリカ人のスッチー改めフライトアテンダントさんが、「この近くに醤油の名産地があります」とアナウンスしたら、
周りにいたアメリカ人観光客のおばさんおじさんたちの間に「ソイソース」「ソイソース」「ソイソース」という呟きが、さざ波のように飛行機中に広がっていったことを、いつも思い出す。

あの頃、ソイソースは日本文化の代表選手だったのだろうか。


ニュージーランド日記 例えばある日の水辺

2010年11月26日 | 風の旅人日乗
仕事関係者との待ち合わせで、ロイヤルニュージーランドヨットスコードロンに行く。
約束の時間より早めに行って、ヨットクラブの前で行なわれているマッチレース選手権を、駐車場の縁に座って観戦する。



見ている目の前で、クリス・ディクソンが地元のユース選手に負けた。

22年前の1988年。マッチレースの修行のためにオーストラリアのフリーマントルに行ったときに見たクリス・ディクソンの強さは普通ではなかった。
それまでのマッチレースの名だたるベテラン・スキッパーたちをバッタバッタとなぎ倒し、彼が操る艇は、まるで生き物のように自由自在に海の上を走った。

そのクリス・ディクソンが、それから22年後の今日、このヨットクラブのユースプログラムで育った少年セーラーに、なす術もなく敗れた。
この国のセーラーたちの技術とセーリング文化は、世代から世代へと、確実にバトンタッチされている。

仕事の話を済ませ、それからセーリングに出て、後片付けを終えてふと西の空を見たら、典型的なウエストヘイブンの夕焼け空が広がっていた。



これまでの何十年かの間に、何度ここでこの夕焼けを見たことだろう。

今回のニュージーランド滞在で得たことは特に、次のステップに生かしたいと願った。

ニュージーランド日記 例えばある夕方のウエンズデイナイトレース

2010年11月24日 | 風の旅人日乗
水曜日、夕方6時にスタートするレースに間に合うよう、車をホテルに置いて4時にウエストヘイブンのマリーナに向かって歩き始める。
レースの後はそのままビールとラムコークの宴会になり、車を運転して帰れなくなるからだ。

通り抜けるバイアダクト・ハーバーでは、KZ-1のマストにクリスマスのデコレーションが飾られている。




その手前に浮かぶ、観光客のセーリング体験に使われているアメリカズカップクラスは、今はNZL-41と呼ばれてチームニュージーランド・カラーに塗られているが、元は、1995年の日本のアメリカスカップ挑戦で建造された2隻のうちの1隻で、1999年まで三河湾でのトレーニングや新艇のテスティング・パートナーに使われていたJ-41だ。
草の根運動で日本のファンの方々から寄付していただいたお金の一部で造られた日本代表艇が、ここでチャチな観光に使われているのを見るたびに痛い思いがするのは、ワタクシの青い感傷に過ぎないのだろうけれど…。




今日のレースで乗るのは、52フィートのカンティングキール艇。




カンティングキール艇の風上側には、こんなふうにキールが水面近くまで持ち上がっている。マークを回るときには、この距離を開けておかないと、キールがアンカーロープを引っ掛けたりするから、要注意。




ステアリングの前にあるキールカンティング角度調節ボタンを操作して、風に合わせてヒール角度を調整したり、タッキングしたりする。




モノハル艇としてはあまりに速すぎて、周回遅れの艇を風下から追い抜い抜いたりする。




でも、70フィートのレーシング・トライマランには、風下から簡単に抜かれたりもする。




そんなこんなで、今日も楽しいレースを終え、艇を素早く片付けた後は、コクピットとキャビン内で、まずはビール、それから延々とラムコークでの宴会が続く。
ビールとラムコーク以外でみんなが口にするのはナッツ少々、チップス少々。ここでは、ほとんどつまみというものを食べない。

この宴会をどんなに早く抜け出しても夜10時を回る。
こちらの普通のレストランの営業時間はほとんどすべて終わっているから、毎週水曜日はいつも夕食抜きになる。
水曜の夜を空腹で過ごすのは、初めてここでウエンズデイナイトレースに乗せてもらった27年前から、まったく同じ。
そっか、あれからもう27年かぁ。

ニュージーランド日記 ポフトゥカワ

2010年11月23日 | 風の旅人日乗
ロイヤル・ニュージーランド・ヨットスコードロン主催のウエンズデイナイト・レースの日、集合時間が近づく夕方5時前、ウエストヘイブンのマリーナで駐車する場所を焦って探していたら、早咲きのポフトゥカワの木を一本発見。



もうしばらくすると、この国のいたるところでこの花が咲き始め、12月に入ると満開になって、この、緑と赤のクリスマスカラーの木々が、この国の初夏を彩るようになる。



バイアダクト・ハーバーのKZ-1にも、早くもクリスマス・モードのお飾りが付けられた。

ニュージーランド日記 アオテアロアで日本のアメリカズカップ挑戦を考えること

2010年11月23日 | 風の旅人日乗
朝6時に市内のホテルを出て、日本に帰る友人を送ってオークランド空港まで行った後、空港のマックでコーヒーを買って、空港近くの丘に登る。
その丘の頂上からはオークランド市が一望でき、かつては頂上に大きな松の木が一本立っていて、それで「ワン・トゥリー・ヒル」という名前が付けられた。
数年前にその松の大木が枯れたため切り倒されてしまい、今は実際はノー・トゥリー・ヒルになっている。

遠い昔、セールデザインの勉強をするためにこの国に来た日、空港まで迎えに来てくれた先生のトム・シュネッケンバーグが、この丘に車で登ってくれてオークランドの風景を見せてくれた。
当時すでにセールのデザインと分析にコンピュータを本格導入し、アメリカズカップで最先端のラジアルカットのセールを開発してその道では非常な有名人だったトムの車のドアのウインドウが壊れて動かなかったことと、シープ(羊)という英語には複数形がなく、メニー・シープスとは言わないんだよと教わったことを、この丘に来るたびに思い出す。

そのトムは、第33回アメリカスカップで在籍していたアリンギから離れ、次回2013年の第34回アメリカズカップに挑戦するスウェーデンのアルテミス・レーシングに、数週間前に移籍したばかりだ。

その丘で時間調整をした後、オークランド市内を抜けて北上し、ワークワースという町に向かう。





約束の時間よりも早く着いたので、しばらく川沿いの公園を散策する。



何年も前から、この町のこの公園は、ボクのお気に入り。



時間を見計らって、目的地のある通りの、目的地の住所へ。



ここで、第34回アメリカスカップの、2011年の予選シリーズと、2012年からのユース・アメリカスカップに使われるAC45クラスという、ウイングセール付きのカタマランが制作されている。



入り口のドアを開け、名刺を出す準備をしながら、少々緊張して受付のブースに接近する。
そのブースに座っている女性がボクの顔を見て目を見開いている。
あれ? なんか見覚えのある顔だぞ。

その受付にいたのは、遠い昔、トム・シュネッケンバーグにワン・トゥリー・ヒルに連れて行ってもらった後、ホームステイ先としてボクをオークランド市内の自宅の前で待っていてくれたノーリーンだった。

なんという偶然なのだろう。
ノーリーンは当時ノースセール・ニュージーランドの経理担当として勤めていた。
ノーリーンの旦那は、ニュージーランドでの生活に溶け込もうとしているボクをいつもパブやラグビー観戦に誘ってくれて、仲間内でパブで飲むときのしきたりとか、ラグビーのプレーの見所とか、ニュージーランドで生活するうえでためになる、いろんなことを教えてくれた。

懐かしいなあ。

しばらく彼女との昔話を楽しんでから、ここコアビルダーズの責任者のティム・スマイスと相棒のマーク・ターナーと、1時間強、真面目な話をした。

日本からのアメリカスカップ挑戦は、防衛者から強く望まれている。
このことを、日本のリーダー候補者たちに伝えるために、ボクはここまで来て、彼らの言葉を証拠として聞き出したかったのだった。


ニュージーランド日記 アオテアロアの南島で初対面の人々の温かい心に触れること

2010年11月23日 | 風の旅人日乗
今回アオテアロア南島で過ごした時間は、それがわずか足掛け3日だったとは思えないくらい密度の濃い、人々との触れ合いの時間だった。



こちらは将来のビジネスの可能性のひとつを探るつもりで訪問したのに、相手は、古くからの友人を迎えるかのように温かい笑顔で待っていてくれた。
その町に着くや否や、社員全員がファミリーのようなその会社の社長の誕生日を祝う、サプライズパーティーに連れて行かれた。
現代という時代にやすりを掛けられてギスギスしている日本人野郎には、正直それは少し面倒くさいような誘いだったが、行ってみると、町の公民館のような建物で催されたそのパーティーは、とても温かだった。
遠い昔、玄界灘に面した漁村の公民館で催されていた子ども会主催の、質素だったが母親たちの心のこもったお誕生会を唐突に思い出して、涙ぐんだりもした。

それから先の2日間は、常に彼らの笑顔と温かい気持ちに触れながら過ごした。

決して裕福ではないけれど、それほど惨めな生活でもなく、こんなに豊かな笑顔のままで生きることができている人たちが、セーリング業界の一隅にいる。
嘘もなく策略もなく、真面目に、真面目に仕事に取り組むことで、きちんとビジネスを成り立たせている。
こんな人たちと、持ちつ持たれつの関係で仕事ができれば幸せだ。



彼らとの仕事がうまく行って再訪できることを願いつつ、クック海峡を渡って北島に帰る。
窓越しの写真にするとよく見えないけど、手前が南島北端、ワインで名高いマルボロ地方。遠くの雲の下に、北島、ニュージーランドの首都ウエリントン。






ニュージーランド南島で、セーリングの未来形のひとつに挑む その3

2010年11月17日 | 風の旅人日乗
クライストチャーチから、国道1号線を南に1時間南下し、そこから右に折れて、西方向に時速100kmで走り続けること、1時間半。
南アルプスの雪融け水でできた湖がある。水は薄く茶色をしているが透明で、その名もレイク・クリアウォーター。
その湖が、ニュージーランド南島代表凧キチセーラーたちの集合場所だった。



すぐ近くには、映画のロードオブザリングの撮影で長期ロケに使われた谷がある。南半球の初夏なのにまだ雪の残った南アルプスのとばくちで、少なくとも景色については百点満点の場所だ。


その上この湖は、昔の氷河が流れた名残なのか、緩やかなU字谷の中にある。つまり山と山の間の鞍部になっていて、北西か南東か、どちらかの風向の風が、スロットル効果で加速されて吹き抜ける場所にある。安定した強い風が望ましいカイト・セーリングには、持ってこいの地の利なのだ。

ただし、皮下脂肪の薄い日本人には、ちと寒い。周囲の雪山の景色を見ているだけでも寒くなってくる。そして湖の水は雪融け水だから、湖の水温も当然低い。
だけど、野性児がそのまま大きくなったような南島カイトセーラーには、そのようなことは毛ほども気にならない様子。
そういえば、最近オークランドでは珍しくなってきた、町を裸足で歩く人も、こちらでは依然として多い。こどもに限れば、裸足率はほぼ100%だ。子供靴メーカーにとってはお手上げの地域だろう。

朝10時に到着したときに吹いていた、比較的暖かい北西風が、30分もしないうちに南東風に変わり、ぐんぐん強さを増してくる。急激に気温が下がる。



クライストチャーチでの前日は、インストラクターの先生は、「服装はTシャツで大丈夫」と言っていたが、翌日のこの日は、「ウエットスーツは持ってきたか?」と聞いてきた。
野性児であっても、少なくともTシャツは困難、と判断する気温と風なのだ。
日本出発時にはウエットスーツ持参の必要性も少し感じたが、今回のニュージーランド行きの主目的に必要な荷物にウエットスーツを加えることは、スーツケースの物理的限界を超えていたので、諦めた。

持って来てないよ、と伝えると、そうか…、と真面目な顔のまま答えた。
そうして、ウエットスーツさえ持っていればなあ、みたいなことを言いつつ、彼が自分で着始めたのは、ドライスーツだ。
そうだよね、やっぱり。
ベテランカイトセーラーにとってさえ、そういうコンディションだということだ。

前日にカイトに初めて触った初心者にとって、転覆の可能性が高いことを考えれば、また、転覆した後自力でカタマランを起すまで水に浸かっている時間の長さを予想すると、ウエットスーツでも不安で、ドライスーツでなければ水上に出て行くことは恐ろしい。

ドライスーツを着たインストラクターが、上空に舞うカイトボーダーたちの凧を見上げながら、
「今日はすごくガスティー(風の中に突風が混ざる割合が多い)だなあ。ここはこういうことはあまりないのになあ。」
とつぶやく。

風が強いこと自体はカイトセーリングにとってはそれほど問題ではないらしい。小さい面積のカイトを選べばいいことだからだ。
カイトセーリングの初心者にとって、最も難しいのが、強弱の多い風なのだそうだ。

インストラクターは直接提案しないけど、コンディションが厳しいことを生徒に理解してもらって、生徒が自発的に今日は諦めようと判断してくれることを願っている。
ぼくも人にセーリングを教えることも多いから、その辺りの心理はすごくよく理解できる。

ベテランカイトセーラーですら顔をこわばらせている難しいコンディションの中、昨日カイト操作の基本を知ったばかりの自分が、カイトでカタマランボートを、自由自在に走らせているイメージが、絵として見えてこない。

恐らく走ることはできるだろう。昨日のバギーで覚えたことを応用すれば風上にも行けるだろう。だけど、突風がカイトに入ったときの船の向きによっては、転覆の可能性も高そうだ。湖の真ん中でそれが起きたときに、どういうふうに対処していいのか、イメージが見えてこない。それは危険だ。自分の命の問題だけではなく、いろんな人たちに迷惑が掛かる。
そう考えをまとめ、はるばるニュージーランド南島の南アルプスの麓まで来たことではあるけども、この日のカイト・カタマランの練習はスッパリと諦めることにした。



今回は、カイトバギーで風上に走れることを体験できたことで良しとして、でも、水上でのカイトセーリングは次の機会に絶対にリベンジする!
その代わり、ベテランの技を、じっくりと至近距離で見せてもらうことにする。





ちゃんと、風上に走っていっている。

その2 での予告と違って、カイトで海を走りませんでした。
スミマセン。

その代わり、空を飛びました。



ウソです。ワタクシではなく、インストラクターの先生です。


11月16日(火)のつぶやき

2010年11月17日 | 風の旅人日乗
09:40 from web
昨日夜オークランドに戻り、今朝は、早朝空港に友人を送ってから、一路ワークワースへ。
第34回アメリカスカップ2011年予選シリーズに使われるAC45の建造の様子を視察。ヨットの造船所のイメージを覆す、すごくハイテクで、とても清潔な工場。大型精密機器を造っているという印象。
13:02 from goo
セーリングの未来形のひとつに挑む #goo_compass-nishimura http://bit.ly/9P68Ww
by KazuNishimura on Twitter

ニュージーランドの南島で、セーリングの未来形のひとつに挑む その2

2010年11月16日 | 風の旅人日乗
まずは、カイトのコントロールのレッスンを、2時間受けた。
すべてのカイトに共通するロープの結わき方が面白い。
シャックルなどの金属をなるべく使わず、すこしでも軽くするための工夫だが、一般のセーリング艇でもぜひ応用したい、と思う。



2時間で、カイトのコントロールを大体覚えた。
ほぼ思い通りにカイトを動かせるようになる。とても楽しい。

ただ、パフが入ったときに気を付ける必要がある。とはいえ、草原の上空30メートルに浮かんでいるカイトに入るパフは前もって見えないので、糸(スペクトラかダイニーマだよ)を伝わってくる風のパワーを、腕と指先で感知する必要がある。
強いパフが入る前に一瞬ラルになるのは、通常のセーリングで経験するのと同じだから、手に感じているカイトのパワーが急にフワッと軽くなったら、すぐに強いパフが入る可能性あり、のシグナルだ。そのパフでカイトがガツンとパワーを受け、予想を上回る行動を始めるので、それに備えていろいろと準備をする。これも通常のセールでのセーリングと似ている。



カイトのコントロールを覚えたら、次はバギーに乗って草原を走り回る。

最初は風下にしか走れなかったが、この日の終わりには、なんと風上方向75°くらいまで上れるようになった。

すんごい、本当に自分の乗っている乗り物が、カイトで風上に走っていくのを、カイト経験初日にあっけなく経験してしまう。
自分で経験してもまだ、信じられない。
インストラクターの先生のカイトは、トレーリングエッジ(カイトの後ろ側。飛行機で言えばフラップにあたる部分、セールで言えばリーチ)のコントロールができるせいもあって、もっと高く風上に走っている。バギー用に用意された四角い走行エリアの中の隅々まで、自由自在に行き来している。



次は、いよいよ海の上に出るよ。

セーリングの未来形のひとつに挑む

2010年11月16日 | 風の旅人日乗
ISAF(国際セーリング連盟)とIOCが、2016年リオ・オリンピックのセーリング種目の検討を始め、その一つとして、カイト・ボードを採用する可能性について、研究を進めるのだという。

そのニュースを聞く前から、今回のニュージーランドでは、カイト・セーリングに挑戦することにしていた。

すでにサンフランシスコやエーゲ海では、カイト・ボードによるコースレーシング(当然、風上マークに行くレグもある)も行なわれている。雑誌で読む限り、上り角度は悪いものの、確実に風上に上って行くらしい。それでなければ風上マークに行けない。

しかし、頭の中で考えている限り、風を「受けて」空に舞っている凧を使って、風下とか横方向はともかく、風上に上って行ける、ということが、どうしても理解できない。

だが、それは、現実に地球上で起きていることだ。起きていることは否定できない。
まんず、これは、部屋の中で頭をひねっていても仕方がない。実際に身体を使って、その不思議なセーリングを経験するしかなかろう、と結論した。
将来の仕事のネタになるかも、というスケベ心も、もちろん、はい、ありますよ。

で、飛行機に乗ってニュージーランド北島のオークランドを飛び立ち、クック海峡を渡って、南島のクライストチャーチに向かったら、



するとそこでは、南半球のカイト・セーラーたちが、日本からのセール・セーラーを、大挙して待ってくれていたのだった。


11月12日(金)のつぶやき

2010年11月13日 | 風の旅人日乗
01:11 from web
NZ発IRC情報。来年からフレアの張った形状のハルに更なる課税がなされるらしい。IRCも速いヨットが住みにくい世界になっていきそう。IRCも、かつてのIMSと同じように、遅いヨットばかりの世界になっていくのかな。アメリカスカップか、カイトの世界に移住するしかないか。
14:20 from goo
キウイー、キウイー #goo_compass-nishimura http://bit.ly/cWee3z
by KazuNishimura on Twitter

キウイー、キウイー

2010年11月12日 | 風の旅人日乗


キウイの英語名は、その鳴き声から名づけられたって、初めて知った。
キウイの鳴き声は、鳴りそこなった口笛のように聞こえていたが、そう言われると、キウイー、キウイー、って聞こえなくもない。

オークランド動物園でシマウマを上から見おろしていて、シマウマの模様が、各自それぞれ違って、しかも左右対称でない、ということも初めて知った。



動物園などに行ってニュージーランドで一体何をしているのだ、と思われそうだけど、ちゃんと仕事もしてます。



このようなかっ飛び艇でレースもすれば、造船所を回って打ち合わせもしている。

明日は早朝の便でクライストチャーチに飛んで、この土日月はセーリングの新しい分野に挑戦してくる。

これはこれで未来に向けての仕事としてとても大切なことだけど、それはさておき、マウイの人々の戦闘カヌーも、ポリネシアのセーリングカヌーも、現代のカンティングキールヨットと同じくらいカッコイイなあ、と思う。
オリジナリティーがあるからね。