三浦半島 直下型地震

2011年07月29日 | 風の旅人日乗


あの震災以来、
日本怖いものランキング、トップ4、
『地震雷火事親父』
を作った人の洞察力に
改めて感じ入っている。

現在の日本では、
人災である火事親父の前に
原発を入れてあげたいと思うのだけど
言葉そのものも美しくないし、
字余りにもなるし、
マジ怖いことも分かったので、
ランキング入りさせるのではなく、
私たちの手で存在自体を消滅させてしまうのが
いちばんいい方法かな。

今月中旬に、
地震研究関係の人たちの間では有名らしい
三浦半島を横断する『三浦半島活断層群』を震源とする
直下型地震が発生する可能性が
あの震災以来さらに高まっていることが判明したと
発表された。

活断層群のひとつは葉山町の真ん中をズバっと横断しているし、
横須賀市の人口密集地体も横切っている。

また別の一本は、
核燃料を作ったり使用済み燃料棒を処理したりしている
三浦半島東京湾側の久里浜にある
株式会社グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン
の工場の近くを走っている。

あの大震災の、わずか5日前の
2011年3月6日に神奈川新聞に載った記事によると
この地震が冬の午後6時に発生した場合の被害想定は、
死者4350人、全壊する建物は25万棟に上るらしい。

全壊する建物数と比較して、
死亡する人の数の想定が低すぎるようにも思うが、
いずれにしても、甚大な被害予想だ。

これに恐らく、
あの震災の前には想定することすら無理だった
株式会社グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン
での、なんらかの『事象』発生の可能性が
加わることになるのだろう。

子どもを持つ前、
無頼を気取って生きていた頃は、
所詮、ほとんど自分一人だけの問題だったから
地震も原発もそんなに怖くはなかったけど、
今は、もう本当に、とっても怖いなあ。

2011年3月6日付けの神奈川新聞の記事はこちら

葉山町が活断層情報についてホームページを開設したという、
2011年7月21日付けの神奈川新聞の記事はこちら

さようなら、吉村さん。

2011年07月19日 | 風の旅人日乗
スバル座カップに惨敗して
口を尖らせながら葉山に帰る途中、
西日がまぶしい品川駅の
15番線プラットフォームに立っているときに、
木曾の山奥、開田村から電話。

御嶽山の近くの、岩魚が泳ぐ川のほとりで
ロッジ風民宿開業作戦展開中の、
古豪外洋ヨットレーシングチーム
ローデムの残党たちの一人から。

吉村さんが亡くなったって。
何か知ってる?


[photo by Sakai/KAZI]

この2月。
秋谷のDonでお昼をご馳走になりながら、
近いうちに小笠原に行くという話をしたら、
おー、俺も連れて行ってくれ。
小笠原レースに出る予定で小笠原丸に乗ることになっていたのに
乗り遅れちゃって以来、
行きたいのに、ずっと行けてないんだ。

そう言えば、と、あのレースの間ずっと、
吉村さんのそのドジ話でワッチを楽しませてもらったことを思い出した。

まずはその小笠原行きは、
予定通りぼくひとりで行くことにして、
身体の不自由な吉村さんでも
小笠原丸での船旅を楽しめるよう、
海が穏やかな季節になったら、
一緒に行きましょう、
ということになった。

4月。
電話をしたら吉村さんは
聖路加病院に入院してた。
小さな声で、
もうすぐ退院だから、こちらから電話する、
小笠原の話を聞かせてちょうだい、
と言った。

それが、
吉村さんの声を聞いた最後になった。

退院したから、佐島に遊びにおいで
という電話は来なかったけど、
入院中の、あのか細い声を聞いてしまってから、
予感はあったし、覚悟もしていた。

パラリンピックを目指そうとしていたわずか1年前の冬。
セーリング中も、
セーリングの後のラーメンを食うときも
吉村さんの身体の中には力が満ち満ちているようだった。

でも、2月にDonで話したときには、
それから1年しか経っていないことが信じられないくらい
弱っちくなっていた。


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]

よく調べてみたら、
男であるぼくは吉村さんのクルーになれないことが分かり、
それで吉村さんはパラリンピックをあきらめちゃったけど、
もし、パラリンピック挑戦への道が開かれていたら、
吉村さんは、もっともっと頑張って
まだまだ長く生きちゃったんだろうな。

吉村 茂。
茅ヶ崎出身。
故・武市俊氏率いるローデムチームのクルーとして
外洋レースで活躍。

そのチームに一時在籍させていただいた
小僧のようなぼくなんかを
優しく、厳しく受け入れてくれた。

最初はヨット界でも仕事をしていて、
ベンブリッジという一流セールクロスや、
ワイヤーをかしめるニコプレスの
独占輸入販売などをしていたが、
うまくゆかなくなり、
トラックの運転手もやりながら再起を図って
事業に大成功。

42ftの外洋レース艇のオーナーになり
海外のレースに遠征するようになる。

しかし再びつまづき、事業縮小。
ニュージーランドのクックソン・カスタムボートで
建造中だった世界最新鋭の43ftレース艇の、
最後の最後の支払いができず、
ほとんど手に入れる直前に、泣く泣く手放す。

その艇は、オーストラリア在住の
ニュージーランド人オーナーが
ただのような値段で手に入れ、
国際レースで連戦連勝。
そのNZ人オーナーは、それをきっかけに
本業にも成功し、
今では泣く子も黙るスーパーマキシ、
〈アルファロメオ〉の大オーナー。

一方の吉村さんは、
しばらくして事業復興に小さいながらも成功。
J/24でチームを作り直し、
全日本や世界選手権に遠征。

しかし今度は脳梗塞を患い、半身不随になって
J/24チームは解散。

辛いリハビリを乗り切り、
佐島ジュニアのコーチとして海に復帰。

身体にも自信を持てるようになり、
ロンドンのパラリンピックでの
自分自身のセーリング復帰を密かに目指すも、
条件が整わずに断念。

転んでも転んでも立ち上がってくる、
打たれ強い人だった。

でも、今年2月。
大好きだったDonの
海に面した窓辺の席に運良く座れたのに、
それをちっとも喜ばず
ランチを面倒くさそうに口に運んでいる吉村さんに、
頑張って、とは言えなかった。

ちょっとなんだか、
燃え尽きてコーナーベンチに座る
矢吹ジョーの姿に
重なって見えたから。

小笠原で、吉村さんが頑張れそうなこと
見つけてこられれば良かったんだけど、な。

もう一度一緒にセーリングしたかったけど、
最後になった、あの、江ノ島沖でのセーリングも
楽しかったですよね。

素晴らしい風の中、
ぼくはあなたのセーリング能力を
それまで少し見くびっていたことを知りました。
悔しかったので、口には出しませんでしたけど、ね。

吉村さん、
人は何というか知らないけれど
ぼくは個人的に、
あなたの人生を深く尊敬しています。

吉村さん自身は大変だったと思うけど、
倒されても倒されても立ち上がってくる、
素晴らしい生き様を
ぼくはあなたに見せてもらいました。

あなたに笑われないように、頑張ります。

本当にありがとうございました。
この言葉だけは、早く伝えておくべきだったと、
悔やんでいます。


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]


[photo by Sakai/KAZI]

福島の 特別の夏。

2011年07月15日 | 風の旅人日乗
ここのところ、いくつかのセーリング艇の詳細を調べる
お仕事が続いている。



仕事場のパソコンだけで仕事をしていては
夏の日射しがもったいないので、
プリントアウトした資料と冷たいコーヒーを持って
海に面した秘密の岩場に座り、
お勉強を続ける。



爽やかなシーブリーズを、貿易風のように感じないでもない。
名島の南側に広がる青い海には、真っ白い波がバランスよく混じっている。
おい、なんだかまるで、ハワイの海みたいだぞ、
なんて、自分で自分を喜ばせる。



思考をそっち方向の、楽しげなことに仕向けていても、
いよいよ食べ物の中に、現実のリアルな恐怖として
姿を現してきたフクシマのことが、
ときどき割り込んでくる。
まあ、仕方ない。地球の未来に関わる
大変なことを起こしてしまった
国民の一人だからね。

危険だと分かっていても
そこに住み続けざるを得ない人たちがいる。

汚染されていると分かっていても
自分と自分の家族が生きていくために
牛を出荷しなければいけない人たちがいる。

自分と同じ、日本人だ。

賛成だとか、反対だとか、
どちらもが正義を振りかざす議論に加わる前に、
まずその現実を見つめることから始めなければいけないようだと、
思うようになっている。

糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』のこの連載が
ぼくにそのヒントをくれた。






朝から笑う

2011年07月13日 | 風の旅人日乗


原発ありきのエネルギー構想に待ったをかけようとする日本国首相。
ま、ここまでは良し。

しかし、
その声を無視して電力会社に原発運転の見切り発車を強要する日本国通産省。
百億円以上の、うなるほどの札びらを切ってアメリカズカップに挑戦する中国。
その中国に43億円超のODAを施す日本国外務省。

とっちゃんたち、気は確かか?

この国に生まれてきてしまったものとしては、
ここはまあ、
笑うしかなかですばい。

北海道新聞

2011年07月12日 | 風の旅人日乗
北海道新聞 卓上四季 より転載

『遺書』



百年になんなんとする齢(よわい)を生き抜くことは、
人間にとって「偉業」のひとつだろう。
それが、こんなかたちで終わってしまっていいはずがない

▼家族に宛てた遺書に
「私はお墓にひなんします ごめんなさい」(原文)
と記していたそうだ。
福島第1原発事故による緊急時避難準備区域に住む女性が
6月下旬、自ら命を絶った。93歳だったという。
9日の毎日新聞が報じた

▼記事によると、
女性は福島県南相馬市の水田地帯で代々続く田畑を守りながら、
70歳を超える長男夫妻と孫2人の5人で暮らしていた。
足は弱り手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、
日記もつけていた

▼老いゆえのつらさや苦労はあったろう。
だが、日々の出来事を日記にしたため、長寿をたたえられながら、
穏やかに残された時を過ごせていたはずだ。
原発事故さえなければ

▼水素爆発後に一時は家族と離れ、親戚宅に身を寄せた。
体調を崩し、入院もした。
遺書には
「またひなんするようになったら老人はあしでまといになる
(中略)毎日原発のことばかりでいきたここちしません」
ともあったという

▼目に見えない放射能の危険と恐怖は、
幼い命や年輪を重ねた命にひときわ重くのしかかる。
「お墓にひなんします」とはなんと痛ましい言葉だろう。
原発に依存してきた私たちの選択が、
まさに1世紀を生きようとしていた人に、
最期にそう言わしめた。


すごいな

2011年07月11日 | 風の旅人日乗
すごいな、このひとたち。


[写真:千葉格]

大きな壁を乗り越えようと挑戦している人間たちの姿って、
いいな。
一つの目標にがむしゃらに突進している人間たちの姿って、
いいな。
ニッポン人が、世界を相手に頑張っている姿を見るのって、
いいな。

深夜の仕事場で、
熱い感動をいただきました。

この一週間の雑感、など。

2011年07月08日 | 風の旅人日乗
今回の九州電力の件、
言語道断! 原発推進派の正体見えたり!
っていうのが、正論なのは間違いない。
それは大いに認めます。
ワタクシも、世のお母様方と同様、
断固、脱原発派、です。

だけど、ね。

あの、指示を出した部長職のヒトや、
その指示に従って実際にメールを出した課長職のヒトって、
今後どんなことになっていくんだろう。
家族ともども、かなり辛いことになっていくんだろうな。

インノセントな愛社精神も、
愛する家族のために安定した収入を守ろうとすることも
本来はヒトとしてまったく悪いことではないのだけれど。

フクシマの原発のことも、
東電の社員を親に持つ子どもたちの作文を読んだり、
東電社員の子どもの中に
学校でいじめられたり、不登校になっている子どもがいる
なんてことを知ってからは、
もう、無責任な個人のブログなんかでは
何も書けなくなってしまった。

インターネットで世の中と繋がりっ放しになっていると、
立ち止まって自分の頭で考えることをしなくなりそうで、
しかも簡単にそうなってしまいそうな自分が、
少し怖い。

さてさて、セーリング。

7月最初の日曜日。
午前中、東京湾でのヨットレースに参加した後、
夢の島からお台場に急行!
チームニシムラプロジェクト提供・親子体験セーリング、
7月回の開催。



強い南風が吹く中、
この日も親子たちの素敵な笑顔を見ることができた。



もうね、おフネに乗ってプールを走り回る、
っていうのが楽しくって楽しくって仕方がない。
で、何かお手伝いをしたいのだけれど、
いまの自分にできることは、
とりあえず漕ぐことしかなさそう。

そんな子どもたちの心を読んで、
おっと、曲がれない、頼む、漕いで手伝ってくれ、
と特別任務をお願いすると、
うれしくって、うれしくって、一所懸命がんばってくれる。

最初は漕いで、そしてそれから風も使っちゃおうと思うようになる。
そうやってね、君たちの祖先の人たちも
セーリングを覚えていったんだよ。

ゲームなんかより、絶対に面白いよね。



お父さんだって楽しいぞ。

時々入る突風に乗って艇がすごいスピードで走り始めると、
「おー!、すげー!、はえー!」
って、子どもよりも喜ぶお父さんや、
「えー!これ、風だけでこんなに走るんですか!」
ってはしゃぐお母さんもたくさんいます。

カレンダーの、毎月第1日曜日にマークを付けて
この日の、
チームニシムラプロジェクトでのセーリングを
心待ちにしている子どもたちがいるってことを、
初めて知った。

他人事のように書いてしまうけど、
すごいことだなあ、と思う。

そんな子どもたちが出てくることを願って
でもそんなことは、自分の時代には起きないだろうなあ、
なんて思いながら
この活動を続けていたら、
本当にそんな子どもたちが、もう出てきた。
すごいことだなあ。

存続の危機に何度も立たされながらも
この活動を続けることができているのは、
ワタクシの力ではない。
周りにいてくれる仲間たちの熱意とチカラ、
これに尽きる。



自分自身のセーリングの時間や
自分の家族との時間を犠牲にしてまで来てくれている、
チームニシムラプロジェクトの
仲間のおかげ。
この人たちがいなければ、
とてもここまで続けてこられなかった。

この日の新橋でのお疲れさま会の時間も、
前向きな話ばかりが出てくる
とても楽しい時間になった。

その席での仲間たちの様子を見ているとき唐突に
すでにチームニシムラプロジェクトは、
次のステップ、第2段階に移ろうとしており、
現在の任意団体名から
個人名を外すべき時期が近づいているようだぞと、
半分酩酊した頭で思った。

その日から1日置いて、火曜日と水曜日は、
社員研修の皆さんと一緒に東京湾でセーリング。
火曜日は、マジな南の強風、水曜日は、穏やかな東風を
存分に楽しんでもらった。

親子体験セーリングの日にはすぐ近くの桟橋に係留していた
練習帆船・海王丸が、
この日はディズニーランド沖に錨伯仲。

船尾から、ぐるりと海王丸を1周。



何年か前の冬、
横浜港に係留中だったこの船に、
特別な計らいで一晩泊めさせてもらったこともあったし、

ハワイのホノルルに滞在中だったこの船に
ナイノア・トンプソン氏を連れて行き、
船長公室で、雨宮キャプテンから
日本近海の気象条件の難しさを
伝えてもらったりしたこともあった。
そう考えると、この海王丸も、
ホクレアの日本航海で大切な役目を
果たしたことになるんだな。

それはそうと、海王丸のフィギュアヘッドが
フルートのような横笛を吹いていることは、
この日初めて知った。
きっと、何かいわれがあるんだろうね。




2011年後半が、
皆様にとって、実りある半年間でありますように。

スカイクロウ

2011年07月08日 | 風の旅人日乗
7月1日。
2011年ワタクシ的後半戦は、浜名湖で始まり。
行き帰りの新幹線の中でも、とても濃い内容のお話を楽しめた。
浜名湖で育てられたウナギも、えらっく美味しかったし。

ところで。
弊社取り扱いの、自然エネルギー環境美化商品のご紹介を、
ここ最近の急速な流行に乗っかって。



これは、浜名湖湖畔で舞う、凧カラス。
鳥害に悩まされる畑や、ゴミの日のゴミステーションの上で
ブンブン飛び回ります。
空飛ぶカカシ(スケアクロウ)なので、
スカイクロウ、といいます。



6ノットくらいの風速から音を立てて飛び始めます。
少なくとも浜名湖産のカラスは近寄って来ないことを
実験で確かめました。



風が6ノット未満だと飛べずに
ポールから仰向けにぶら下がった状態になってしまいますが、
その姿はなんだか、見せしめに縛り首にされちゃった
カラスのようにも見え、
浜名湖産のカラスも、遠巻きにして怖がっていました。

振り出し式のFRP製ポール(約3m)と、
ポール抱いて地面に突き刺す杭と、
タコ糸と、カラスカイトがセットになって、
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