2008年。まだホクレア

2008年01月02日 | 風の旅人日乗
1年前の2007年の正月は、関門海峡にいた。
北九州市の小倉に住む母と2人で門司港駅に行き、和布刈(めかり)神社から関門海峡を見渡したあと、渡し舟に乗って対岸の下関に渡った。
4月か5月にホクレアが関門海峡を通過するときのイメージを、具体的に頭に描くためだった。

ホクレアが横浜からコンテナ船に載せられてハワイに帰った後の8月、家族を連れて小倉の実家に帰り、家族と母を連れて、再び和布刈神社に行き、ホクレアを無事通過させてくれたことに感謝してお参りした。

クリスマスには沖縄で、全国から集まったセーリング、カヌー、水泳の子供たちにホクレアの話を聞いてもらった。
暮れも押し詰まった12月30日には、茅ヶ崎で開催されたホクレア関係者の忘年パーティーに招待してもらい、楽しい時を過ごした。

ということで、2007年は、ぼくにとってホクレアで始まり、ホクレアで終わった年だった。
信頼していた人物に手酷い仕打ちを受けたり、いろんな人たちから精神的に支えてもらったり、いつもの年のように悲喜こもごも様々なことがあった2007年だったが、ホクレアの日本来航に関わることができたという意味では、ぼくの人生の中でも最良の部類に入る年だと思う。

2008年は、どんな年になるのだろうか?
2007年にホクレアの日本来航を裏方として海で関わらせていただいた立場から、文字として記録を残す作業を、2007年の秋から仕事の合間に続けているが、その作業は自分でももどかしいほど遅々として進まない。少なくとも2008年の前半は、この作業を続けることになるのだと思う。
早くホクレアを卒業して、次のステップに進まなければ、と焦ってはいるのだけれど・・・。