2月27日 月曜日。
沖縄・座間味島サバニ合宿7日目。
今日の沖縄地方には、強風波浪注意報発令で、昨日の午後便に続き、那覇と座間味を結ぶ高速フェリー『クイーン座間味』も全便欠航。
我々も欠航と決めていたら、午後3時、いきなり山城オーナーの出航発令。
3人で、3段に縮帆したセールで港内を走るが、その後セールを降ろして風上にある港に漕ぎあがろうとしたら、あまりの強風にバウが振られ、風上に向かえない。
助けに来た座間味カヤックセンターのゆうじに引っ張ってもらい、無事帰港。3人しかいないことを考えれば、無謀な出航であったなあ。
さてさて、本日掲載の沖縄サバニエッセイは、2005年度製。
キャプテン・クックのことを書いた本から始めて、太平洋の航海文化を経由して、サバニへと結びつけてみたエッセイ。
今日はその前編を。
====================================
太平洋の航海文化を辿る心の旅(前編)
取材・文 西村一広
取材協力 スウォッチ グループ ジャパン 株式会社
二百年前、キャプテン・クックが初めて西洋社会に伝えた太平洋文化圏。それからの長い年月、我々は太平洋の航海文化の本当の意味を知らずに過ごしてきた。しかし、我々日本人のルーツを辿るとき、太平洋とその大海原に展開する文化が、重要な意味を持つことに気付く
【星の航海】
自分たちはどこから来て、どこに行こうとしているのか。その答えを見つけるためにハワイ人たちが復元した古代航海セーリングカヌーが、ハワイの島々に数隻存在する。
現代のハワイ人たちは、これらのセーリングカヌーに乗り、自分たちの祖先の故郷であるタヒチに至る航海を、幾度も繰り返してきた。それらの航海を通じて、彼らは彼ら自身や彼らの文化に対する誇りを思い出し、民族復興の活動を始めた。
2002年の6月、そのうちの一隻『ホクレア』に乗って、オアフ島のハワイカイからマウイ島のラハイナに向けて航海した日のことを思い出す。
夕陽がダイヤモンドヘッドの向こうに落ちる頃、セールを揚げ、ココヘッドを間近に見ながらモロカイ・チャンネルに滑り出る。
貿易風が海面を走り、『ホクレア』のセールに吹き込む。伝説のカヌーは、その風に乗って力強く加速する。
この海峡を西洋型の外洋ヨットで走るときに険しい表情で襲いかかってくる大波が、それと同じ波だとは信じられないくらい、そのハワイアン・カヌーを揺りかごのようにやさしく揺らすだけで、船底を通り抜けていく。
真夜中。
『ホクレア』の舵を取る。
すぐ横で、ナイノア・トンプソンが星空を見上げている。
ナイノアは、太平洋に伝わる古代航海術だけを使って太平洋を自在に航海することができる数少ない航海士だ。“ザ・ナヴィゲーター”と呼ばれ、現代ハワイ人の英雄である。
『ホクレア』の左右両舷の後ろ側、ナイノアが航海中いつも座る場所の手摺には、幾筋かの切り込みが彫り付けられている。
「タヒチへの行き帰りに使う星の方向の目安なんだ」、
とナイノアが教えてくれた。
月のない夜。
『ホクレア』とその周囲の海は、とても不思議な空間と時間に包まれていた。
素晴らしい航海の記憶だ。
【キャプテン・クックが見た太平洋の航海文化】
ポリネシア人たちの祖先は約五千年ほど前にタヒチ周辺に到達し、そこから、ニュージーランド、イースター島、そしてハワイ諸島へと拡散していった。その一部は南米まで足を伸ばした。
ノルウエーの故トール・ヘイエルダールは、太平洋の島々に生活するポリネシア人たちが、海流と追い風に乗って南米大陸から太平洋に、東から西へ拡散したという自説を実証するために、〈コンティキ〉と名付けたバルサ筏で実験航海を行なった。
だが、ヘイエルダールの立てた仮説はいかにも西洋人らしい固定観念に縛りつけられていた。
彼は、ポリネシア人たちが西洋型の帆船よりも高性能なカヌーを操っていた可能性を検証することも、彼らが海流と貿易風をさかのぼって自在に航海する能力を持っていた可能性を検証することもしなかった。
そしてその後、ヘイエルダールのその仮説が間違っていたことが判明する。
その後の考古学的発見などから、ポリネシア人たちがその文化圏を、太平洋の西から東へと広げていったことが明らかになったのだ。
しかし、この最新の学説の大部分は、実は今から二百年以上も前に、イギリス人のジェームズ・クック船長がすでに看破していたことだった。
クックは三度に渡る太平洋への遠征航海を通じて、広大な太平洋に広がるポリネシアからメラネシアに至る島々で使われている言葉や文化が、同じ系列の中にあることに気付いた。クックはさらに、ポリネシア人たちが操る全長30メートルを越す外洋カヌーが、素晴らしい高速で、しかも風を間切って走るのを目の当たりにする。
また、クックは、彼の〈エンデヴァー〉号に水先案内として同乗したタヒチ人が示した驚くべき航海能力を見て、彼らが太平洋についての深い知識と高度な航海術を持っていることを知った。
それらのことから、太平洋の民族が非常に古い時代から太平洋の島々を自由自在に行き来してきたことを、クックは驚きを持って確信していたのだ。
(後編に続く。無断転載はやめてくだされ)
沖縄・座間味島サバニ合宿7日目。
今日の沖縄地方には、強風波浪注意報発令で、昨日の午後便に続き、那覇と座間味を結ぶ高速フェリー『クイーン座間味』も全便欠航。
我々も欠航と決めていたら、午後3時、いきなり山城オーナーの出航発令。
3人で、3段に縮帆したセールで港内を走るが、その後セールを降ろして風上にある港に漕ぎあがろうとしたら、あまりの強風にバウが振られ、風上に向かえない。
助けに来た座間味カヤックセンターのゆうじに引っ張ってもらい、無事帰港。3人しかいないことを考えれば、無謀な出航であったなあ。
さてさて、本日掲載の沖縄サバニエッセイは、2005年度製。
キャプテン・クックのことを書いた本から始めて、太平洋の航海文化を経由して、サバニへと結びつけてみたエッセイ。
今日はその前編を。
====================================
太平洋の航海文化を辿る心の旅(前編)
取材・文 西村一広
取材協力 スウォッチ グループ ジャパン 株式会社
二百年前、キャプテン・クックが初めて西洋社会に伝えた太平洋文化圏。それからの長い年月、我々は太平洋の航海文化の本当の意味を知らずに過ごしてきた。しかし、我々日本人のルーツを辿るとき、太平洋とその大海原に展開する文化が、重要な意味を持つことに気付く
【星の航海】
自分たちはどこから来て、どこに行こうとしているのか。その答えを見つけるためにハワイ人たちが復元した古代航海セーリングカヌーが、ハワイの島々に数隻存在する。
現代のハワイ人たちは、これらのセーリングカヌーに乗り、自分たちの祖先の故郷であるタヒチに至る航海を、幾度も繰り返してきた。それらの航海を通じて、彼らは彼ら自身や彼らの文化に対する誇りを思い出し、民族復興の活動を始めた。
2002年の6月、そのうちの一隻『ホクレア』に乗って、オアフ島のハワイカイからマウイ島のラハイナに向けて航海した日のことを思い出す。
夕陽がダイヤモンドヘッドの向こうに落ちる頃、セールを揚げ、ココヘッドを間近に見ながらモロカイ・チャンネルに滑り出る。
貿易風が海面を走り、『ホクレア』のセールに吹き込む。伝説のカヌーは、その風に乗って力強く加速する。
この海峡を西洋型の外洋ヨットで走るときに険しい表情で襲いかかってくる大波が、それと同じ波だとは信じられないくらい、そのハワイアン・カヌーを揺りかごのようにやさしく揺らすだけで、船底を通り抜けていく。
真夜中。
『ホクレア』の舵を取る。
すぐ横で、ナイノア・トンプソンが星空を見上げている。
ナイノアは、太平洋に伝わる古代航海術だけを使って太平洋を自在に航海することができる数少ない航海士だ。“ザ・ナヴィゲーター”と呼ばれ、現代ハワイ人の英雄である。
『ホクレア』の左右両舷の後ろ側、ナイノアが航海中いつも座る場所の手摺には、幾筋かの切り込みが彫り付けられている。
「タヒチへの行き帰りに使う星の方向の目安なんだ」、
とナイノアが教えてくれた。
月のない夜。
『ホクレア』とその周囲の海は、とても不思議な空間と時間に包まれていた。
素晴らしい航海の記憶だ。
【キャプテン・クックが見た太平洋の航海文化】
ポリネシア人たちの祖先は約五千年ほど前にタヒチ周辺に到達し、そこから、ニュージーランド、イースター島、そしてハワイ諸島へと拡散していった。その一部は南米まで足を伸ばした。
ノルウエーの故トール・ヘイエルダールは、太平洋の島々に生活するポリネシア人たちが、海流と追い風に乗って南米大陸から太平洋に、東から西へ拡散したという自説を実証するために、〈コンティキ〉と名付けたバルサ筏で実験航海を行なった。
だが、ヘイエルダールの立てた仮説はいかにも西洋人らしい固定観念に縛りつけられていた。
彼は、ポリネシア人たちが西洋型の帆船よりも高性能なカヌーを操っていた可能性を検証することも、彼らが海流と貿易風をさかのぼって自在に航海する能力を持っていた可能性を検証することもしなかった。
そしてその後、ヘイエルダールのその仮説が間違っていたことが判明する。
その後の考古学的発見などから、ポリネシア人たちがその文化圏を、太平洋の西から東へと広げていったことが明らかになったのだ。
しかし、この最新の学説の大部分は、実は今から二百年以上も前に、イギリス人のジェームズ・クック船長がすでに看破していたことだった。
クックは三度に渡る太平洋への遠征航海を通じて、広大な太平洋に広がるポリネシアからメラネシアに至る島々で使われている言葉や文化が、同じ系列の中にあることに気付いた。クックはさらに、ポリネシア人たちが操る全長30メートルを越す外洋カヌーが、素晴らしい高速で、しかも風を間切って走るのを目の当たりにする。
また、クックは、彼の〈エンデヴァー〉号に水先案内として同乗したタヒチ人が示した驚くべき航海能力を見て、彼らが太平洋についての深い知識と高度な航海術を持っていることを知った。
それらのことから、太平洋の民族が非常に古い時代から太平洋の島々を自由自在に行き来してきたことを、クックは驚きを持って確信していたのだ。
(後編に続く。無断転載はやめてくだされ)