日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

改革とは人を活かし、社会の富を増すことです

2014年01月21日 | 日記

改革とは人を活かし、社会の富を増すことです

 

小泉純一郎先生の発想に対する疑問

 

1.都知事選を、小泉純一郎先生が、「原発維持か、原発ゼロか」という二者択一の選択に

すり替えられようとしています。曰(いわ)く、「原発ゼロでも日本は発展できる」という

グループと、「原発なくして日本は発展できないんだというグループ」との争いだ。

 

2.この発想は極めて危険なものです。ここでは、「維持」と「ゼロ」が対立させられて、

次に、それは二つのグループに分けられ、それぞれのグループの対立へと人々の思考を誘っ

ています。あえて言いますが、これを別の言葉で言えば、「扇動」と言います。

 

3.この方法を歴史の中でいろんな人が使って来ました。そしてこれらの「人々」が歴史の

中で受けている評価は、「人々に苛酷さを背負わせる人」、「社会を動乱に巻き込む人」と

いった負の評価でしかありません。当然、こういった評価や比較は、小泉先生にとって酷で

はないかという疑問もあると思います。しかし、小泉先生自らがそうされているのですか

ら、酷ではありません。「困難を克服しよう!」と言って、勇気を鼓舞するのではなく、オ

ール オア ナッシング (ALL OR NOTHING)の二項対立で人々を対立させる政治家は、こ

れからの日本のかじ取り役には危険すぎると思われます。これを、御理解頂ければ幸甚(こ

うじん)に存じます。そして、ここまで書いているのはいろいろ考えてのことです。

 

4.それから、私に分からないのは、小泉先生の思考に、「克服」と「過程」と「結果」の

考察を伴わないことです。こればかりはどうしてだか分かりません。「原発ゼロ」はそ

の分野の「技術の鎖国」を意味します。その損失は測(はか)り知れないものがあります。

先人たちが今までに蓄積した技術と、これから、後世の人々が開発して行くだろう技術を考

えただけでも、「原発ゼロ」などとは絶対に言えないのです。後世の人々にとっても「原発

ゼロ」は負の遺産となります。

 

 

                      冬の柿の木

 

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