改革とは人を活かし、社会の富を増すことです
小泉純一郎先生の発想に対する疑問
1.都知事選を、小泉純一郎先生が、「原発維持か、原発ゼロか」という二者択一の選択に
すり替えられようとしています。曰(いわ)く、「原発ゼロでも日本は発展できる」という
グループと、「原発なくして日本は発展できないんだというグループ」との争いだ。
2.この発想は極めて危険なものです。ここでは、「維持」と「ゼロ」が対立させられて、
次に、それは二つのグループに分けられ、それぞれのグループの対立へと人々の思考を誘っ
ています。あえて言いますが、これを別の言葉で言えば、「扇動」と言います。
3.この方法を歴史の中でいろんな人が使って来ました。そしてこれらの「人々」が歴史の
中で受けている評価は、「人々に苛酷さを背負わせる人」、「社会を動乱に巻き込む人」と
いった負の評価でしかありません。当然、こういった評価や比較は、小泉先生にとって酷で
はないかという疑問もあると思います。しかし、小泉先生自らがそうされているのですか
ら、酷ではありません。「困難を克服しよう!」と言って、勇気を鼓舞するのではなく、オ
ール オア ナッシング (ALL OR NOTHING)の二項対立で人々を対立させる政治家は、こ
れからの日本のかじ取り役には危険すぎると思われます。これを、御理解頂ければ幸甚(こ
うじん)に存じます。そして、ここまで書いているのはいろいろ考えてのことです。
4.それから、私に分からないのは、小泉先生の思考に、「克服」と「過程」と「結果」の
考察を伴わないことです。こればかりはどうしてだか分かりません。「原発ゼロ」はそ
の分野の「技術の鎖国」を意味します。その損失は測(はか)り知れないものがあります。
先人たちが今までに蓄積した技術と、これから、後世の人々が開発して行くだろう技術を考
えただけでも、「原発ゼロ」などとは絶対に言えないのです。後世の人々にとっても「原発
ゼロ」は負の遺産となります。
冬の柿の木