日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

ヘーゲル

2011年05月27日 | 日記

今日はヘーゲルです。

あの『精神現象学』を書いたドイツの哲学者です



彼の『精神現象学』は、私達が何かのきっかけで、「世界って何だ?」と思ったとき、

その思いに道しるべを与えてくれる恰好の本でしょうね。

私なんかは、彼の言うそれを人間の精神だと思っていました。



ある意味それで間違いではないのですが、

歴史の中にヘーゲルとその言うところの精神を置いてみると、また別の見方ができます。



オランダにスピノザという哲学者がいました。

理神論者と言われますが、「理神」という言葉自体、理解を困難にする言葉です。

おそらく知識を分類するうえで考え出された造語でしょうね。



スピノザの神は自然です。そして自然の理法が神の理法です。

自然の理法とは、宇宙があって星ができ、そして私達が知らない事も含めて、

自然が成り行くその成り行くさまを言います。

この自然の中には私達人間も含まれます。



ここにヘーゲルの精神を並べてみると、

ヘーゲルの「精神」は、スピノザの言う「自然」を引き継いだ考えだという事が分かって来ます。

そしてヘーゲルは「絶対者」という考えを展開します。

更にここにユダヤ教を置いてみましょう。

イスラエルの神は唯一絶対神ヤハウェです。



イスラエルの方々からは、「我々の神の名を軽々しく口にするな」とお叱りを受けるかも知れません。

お許しを戴くことにしましょう。



スピノザは当時のユダヤ教会から破門されました。

しかしその精神世界は、ユダヤ教徒のそれであり、改革者のそれでした。

ヘーゲルも、ユダヤ教の神の領域の顕現を、人間世界の精神の顕現に置き換えて自分の哲学を打ち立てました。



[問答余話 1]

ユダヤ教も今では多様な考えがあると聞いており、スピノザの考えは破門に値するようなものではないと思えるのですが、

現在ではどうなのでしょう?



ヘーゲルを私はイスラエル系ドイツ人であったと考えています。

文献上の裏付けはありません。

しかし彼は、ユダヤ教について、著書・『歴史哲学講義』の中で、「邪神のうちには、神々しいものの影は、かけらも見てとってはならないとされるのです」

と書いています。この表現は、自分で文献を当たって得た知識というより、幼少より聞かされて来た母親の物言い(教え)を写したものだろうと、私には思えます。

またかって、『世界の名著』・『世界の大思想』という中央公論社か河出書房の出していた本があり、その何れかの解説に母親の肖像画がありました。

その画を思い出しても、お母さんはイスラエルの人であったろうと思えるのです。

                                                                   

イスラエルの人々にとって、私の知る限り、ヘーゲルは反ユダヤの徒と思われており、本当にそうであったのか疑問に思うところです。

事実、青年ヘーゲル学派を形成した代表的な人物は、イスラエル系の人々で占められているように思います。





話を戻します。



現代の哲学者にカール・ポパーがいます。

ポパーは、ドイツがナチズムを生んだ精神的土壌に、ヘーゲルの果した思想上の影響力が甚大であると考えてのことなのでしょうが、

ヘーゲルを痛烈に批判し、「自由の論敵」とまで言っています。

ポパーの弟子にジョージ・ソロス氏がいます。

ソロス氏は、「世界は誤る」(世界可謬性論)とまで言います。

そして実際に誤りました。



そこで今度は、マイケル・サンデル氏の『これからの「正義」の話をしよう』 ”JUSTICE What's the Right Thing to

Do ? ”という本が出ました。

おもしろいですね。人は如何に生きるべきかを問い、世界を問う論議を、哲学論議と定義すれば、

哲学論議は延々と続いていることになります。



彼等に続いて私も仕事をしたいと思います。





[問答余話 2]

今日(5月27日)の産経新聞・朝刊に、野田正彰氏の「悲哀に寄り添う(中)」という寄稿文が掲載されていました。

前回の(上)といい、今回といい、なかなかの名文で、氏が被災された方々の悲しみを共有したい、悲哀に寄り添いたいという気持ちがひしひしと

伝わってきます。



氏よ、お嘆きなさるな、人はあまりに怒りや悲しみが深いと忘我となります。

怒りは忘我の後に悲しみとなって現れます。

怒りとなるのは現実への思考力が回復しての後です。

悲しみを深く思考したことはありませんが、同様だと思います。



花は手向けられましょう。

慰霊の塔は作られましょう。

鎮魂の森も育てられましょう。



私に語る資格はないとも思いますが、

3月11日に東北と北日本を襲った大地震と大津波という自然のエネルギーの前に、

幸いにも存命できた私達一介の人間は、もうただゝゝ立ちすくむしかありません。

そこには家族を失い、家を、工場を、役場を失ったという現実があります。

その人たちはこの現実を受け入れられません。

考えようにもその拠点がありませんでした。



花が手向けられるようになるのは、粗末なりともその拠点が回復してからのことでしょう。

私が行った、5月15日の海辺の大槌の町には、花はおろか野すらありませんでした。



それより心配なのは、氏が、「いまなお架空の武士の生き方・死に方を理想として称揚する日本社会は、

泣かないこと、悲哀を耐える形の美しさを強調してきた」と、書いていらっしゃる点です。

武士道は架空のものではありません。日本の社会に根付き、その命脈を保っています。

私は多くを知りませんが、薩摩の「出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)」然り、会津の「什の掟(じゅうのおきて)」然り、

どちらも子供たちに対する日常の心の在り方を説いたすばらしいものです。(どちらもグーグルの検索で読むことができます)。

わが考凜館の六柱八訓も読んでください。(グーグルで考凜館の精神[こうりんかんのせいしん]で検索できます)。



これから日本は新しい国の建設に向かいます。

そのバックボーンは、武士道の精神を引き継いだものである必要があるでしょう。

そして少なくとも、その精神を持った若者を育てなければならないと思います。

でなければ日本人は自らのアイデンティティを亡失してしまいます。

その先には、日本という国を失い、顔のない無国籍人に成り下がってしまった日本人の姿が見えて来ます。



これは現実を見れば決して大仰な言い回しではありません。

 

 

 

 

 

 


                


野田正彰氏の言葉に従い、東北北日本大震災で亡くなられた人達の御冥福を祈り奉げる花

 

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