日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

法と正義  6

2011年12月31日 | 日記

A.弁証法について

今日は、12月12日に書きました弁証法について補っておきたいと思います。

1.弁証法の基本的な考え方は、12月12日の内容で良いと思います。

a.対話法 (この対話の参加者に人数・他の制限は設けません) であること。
b.対話を行うグループや組織、社会が抱える問題を鮮明にし、それをより良いもの(状態)へと解決して行く方法であること。
c.対話によって継続的に社会をより良い状態に発展させてゆく方法であること。
d.大きくは民主主義社会が発展して行くための、対話と意思決定の方法であること。
e.現代では、誤解を避けるために、弁証法は対話法と呼んだ方が良いこと。

2.次に、弁証法といえば、その方法の誤解を生じさせる主原因となったヘーゲルに触れないわけにはいきません。

a.ヘーゲルの場合、自己とは、他者=対象を自己の意識の内に取り込んで、自己との比較統一(彼自身の言葉によれば、懐疑と否定を根幹の思考方法とする弁証法的統一《『精神現象学』》)によって、自己確信を得ようとする自己です。 ヘーゲルの弁証法は、この自己確信の方法だと言って良いと思います。自己があり、他者(対象)があって、自己が連続的に発展して行くための思考と問題解決の方法です。

b.そして、ヘーゲルの場合、社会の秩序が確立していない状態に置かれた原初の自己が最初にあり、この自己は徹底した戦いによって他者を従え、自己が主人として確立する方法を取ります。主人の対極に置かれるのが奴隷です。この方法で成立する社会は、奴隷制と自給社会です。

c.そこでヘーゲルは、この自己と同じように主人としてある他の自己を「承認」し、自己の対極にある奴隷とその労働を認めるという方法を取ります。ここで初めてヘーゲルの眼前に、物が作られ、市場があり、村や都市がある社会の風景が広がりました。彼にこの認識と風景を齎(もたら)したものは、ギリシャの都市国家であり、眼前のプロイセン王国でした。

d.ヘーゲルが優れているのは、「富の総量は労働生産物の総量である」と説いた、アダム・スミスの『諸国民の富』は既に出版され(1776年)、その影響は多大なものであったのでしょうが、好むと好まざるとに関わらず、自己確信のプロセスに労働を取り入れたことにあります。労働を取り入れなければ社会が成立しないことに、彼は気づきました。

e.これによって哲学は、自己完結する人格の領域から、眼前の街や、都市や、国家が対象となり、同時に、街や、都市や、国家を対象とすることで、私たちに歴史のダイナミズムに関与する視点を与えました。

f.ここで「視点を与えました」と限定的にいうのは、ヘーゲルの場合、理性は歴史の中に宿り、その運動は、「世界の絶対的終局目的 (彼はこれを「摂理の法則」とも書きます)を世界の中で実現する行為である」とも言い、この精神は世界精神になるとも言いますが (『エンチュクロペディー』 549節)、その内容は極論すれば、神の予定説と善性にに力を借りた精神の運動の確信に留まったからです。

g.この世界精神を、人間の歴史のダイナミズムの中において切り込んだのがマルクスです。しかし彼は、その方法論で誤りました。

h.マルクスの誤りは、ヘーゲルに起因します。ヘーゲルの主人と奴隷の主客を、マルクスはヘーゲルに習って戦いによって転倒する方法を選択しました。これが原因で人類史は凄惨な犠牲者を多数出すに至りました。マルクスの方法は捨て去られねばなりません。

i.総じて、ヘーゲルの弁証法も思考の一方法ではありますが、現代では、1で述べた民主主義社会を連続的に発展させるための対話と意思決定の方法へと置き換えた方が良いように思います。

j.またヘーゲルはいみじくも書いています。息子を倫理的に教育する最善の方法は何かという父親の質問に対して、ピタゴラス派の一人とソクラテスが与えた答は、「彼を立派な法律の行われている国家の公民にすることだ」、と言ったといいます。(『法哲学』153節) その通りだと思います。

B.今年を振り返って

1.今年の福島第一原子力発電所の事故は、戦後日本のエリート達が築いて来た思考と技術のレベルが危機に対して用を為さないものであったことを、世に知らしめるものとなりました。本当に情けない次第です。

a.過去にさかのぼって、アメリカにロサンゼルス大地震が起きた時、高速道路は崩れ、橋も崩落した記憶がありますが、その時、テレビに登場した日本の技術者達は、口々に日本の高速道路や橋梁(きょうりょう)は、アメリカと違って高い安全率で設計してありますから、このようなことは起こりませんと言っていました。

b.しかし、そうではありませんでした。阪神・淡路大震災では高速道路は倒壊し、死者は6434名を数えました。そして今回の原発事故です。

c.東京電力の原子力推進者は、原子力は安全なエネルギーだと言っていましたし、また彼自身そう信じなければ、世界にその建設推進を言っては回れないでしょう。

d.原子炉格納容器のベント用配管は、空調用ダクト(空気の通る配管)と繋がっていたことを、12月28日のテレビ朝日の ”報道ステーションスペシャル”で伝えていました。誰が設計し、誰がそれを承認し、どこの業者が工事をやったのでしょうか?
ベント配管は、非常時に格納容器の圧力上昇が生じた場合、その圧力を逃がすために使用し、空調用ダクトは普段の空調に使用します。両者はその目的も用途もまるっきり異なります。

e.空調用ダクトは、普通、薄い亜鉛めっき鋼板で作ります。非常用ベント管の耐圧が如何ほどの仕様であったのか分かりませんが、圧力上昇によって格納容器の損壊を防がなければならない程の圧力がかかる状態に備えるものですから、その強度は相当のものが要求された筈です。このベント管が空調用のダクトと繋がっていたことなど、常識では考えられません。
私は、東電の言う「水素爆発」が起こるに至ったのは、ベント管が地震で破損し、そこから水素が流出したのだろうと考えていました。

f.東日本大震災という国家の非常時に、官邸の指導者達は無能でした。地震発生直後に、東電の社長が現場に急行するために自衛隊のヘリコプターの出動を要請したにもかかわらず、防衛相はそれを許可しなかったと聞きます。火事場の馬鹿力と言い、人は危機に直面すると日ごろでは考えられない集中力を発揮すると言われていますが、今回の危機に対する官邸の対応能力はそれすら阻害する無能なものであったことが思われます。

g.原子力保安院の記者会見での対応も散漫なものでした。

h.民主党に限らず自民党どうだったのでしょう?

i.考えるに、一つの時代が終わりました。日本人が戦後築いて来た思索と技術は、3月11日に発生した地震と津波、及び、福島第一原子力発電所の事故によってテストされ、それらの国家的危機に対応できるものではないことが証明されました。

j.特に福島原子力発電所の事故は、日本人技術者の技術レベルの低さに起因するどうしようもないものではなく、過去日本が遭遇した地震と津波であれば、全て安全に対応できるインフラ・設備・システムを開発できる能力を持ちながら、今回の大事故は、端的に言えば、備えあれば憂いなしといった安全基準の見直しとその実施を怠ったことがその第一の原因であるだけに、断腸の思いがします。また、今回の事故には数々の不可解な疑問も残っています。

k.更になお、過去2000年のデーターをもとに、東北沖で巨大地震が発生した場合、首都直下型の地震が10年以内に必ず発生し、西日本に甚大な被害をもたらす東海・南海・東南海地震は、東北沖で巨大地震が起こった4回のうちその3回が18年以内に起こっていると警鐘を鳴らされている識者がいらっしゃいます。(京都大学大学院教授・藤井聡 氏 産経新聞 2011年11月21日 「正論」)

j.私達は思索を深め、まなじりを決して美しい国・日本の国作りを行わなければなりません。

C.本ブログを御訪問頂いている皆様へ

つたないブログと考凜館ホームページを御訪問頂き、誠にありがたく存じます。
皆様の御健勝と御活躍そして勇名を成されんことを心よりご祈念申し上げております。
そして良いお年をお過ごしください。

 

 

 

 

 

 


                   

                               靖国神社


                   

                            靖国神社・大鳥居


                       

                              靖国通り

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