日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

モーセの十戒

2011年07月31日 | 日記

[1]
モーセは、イスラエルがまだエジプトの地にあった時、神とホレブ山で対話をされます。
神とはアブラハムに現れた神であり、一族の守護神です。
この神について、マックス・ウェーバーは、ベドウィン諸部族やオアシスの諸部族に崇拝されていた神であることを述べています。(マックス・ウェーバー 『古代ユダヤ教1』 みすず書房 昭和37
p196)

この神は、アブラハムの時にはまだプリミティブな要素を持たれた神であったろうと思われます。
アブラハムの息子、イシマエルを生んだハガルを語る『旧約聖書』「創世記」は、神を「エール」と記し、
ハガルが神の名を「アッター・エル・ロイ」と名付けたこと、神の使いがハガルに臨まれた井戸を「ベエル・ラハイ・ロイ」と云うことを記しています。(岩波文庫 「創世記」16-11~16-14)

神は、モーセがイスラエルを率いてエジプトを出た後、再びシナイ山でモーセに現れられ、モーセは十戒を得られます。

1.神は一神であること
2.偶像を作って仕えてはならないこと
3.神の御名をみだりに唱えてはならないこと
4.安息日を憶えてこれを聖とすること、六日の間働き、七日目を安息日とすること
5.父母を敬うこと
6.殺してはならないこと
7.姦淫してはならないこと
8.盗んではならないこと
9.隣人に対し偽りの証しを立ててはならないこと
10.隣人のものを欲しがってはならないこと

古代の人々にとって、神はまだプリミティブな自然の造形をもってしか捉えられませんでした。
モーセは、神を人間の具象の世界から切り離し、人々に人間の思考は五官(感)で捉えられる世界だけではなく、
その外にも及ぶものであることを教えられました。
この思考方法は本当に優れたものです。
しかし、このことが証されるには近代まで待たなければなりませんでした。

[2]
アブラハムの神は、モーセに「わたしはあらんとしてある者である」、「わたしはある者」であると語られ(「出エジプト記」3-14)、一族のプリミティブな守護神から、
無限の抽象性を獲得された普遍神へと、その性格を変えられました。
これはモーセの人類に対する限りない貢献で、イエスが、「アブラハムの生まれる前からわたしは、いるのである」(「ヨハネによる福音書」8-58)と言われたもの、この神の意志を根拠にしていると思われます。

アブラハムの時の神は、先程のハガルの記述から「エル(神)」、「ベエル=バアル(主)」と呼ばれていたことが分かります。
バアルの祖形はシュメルのエンリルにあります。
エンリルは、知られていますように「大気=風の神」です。
大気は天の気象と地の豊穣を司ります。
エンリルが西方、カナンの地(カナン、ウガリット、フェニキア)に至ってバアルと呼ばれました。

[3]
このエンリルは日本へも伝わりました。
日本での神名は、「天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊(あめゆずるひあめのさぎりのくにゆずるひくにのさぎりのみこと」と言います。
『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』(以下『旧事紀』と略記)(天理図書館善本叢書 第41巻 天理大學出版部 昭和53年)が、天祖として記しています。
私はこの神名を見た時、心が躍りました

『旧事紀』は天祖に続く一代目の神の名を、
天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと) 亦云 天常立尊(あめのとこたちのみこと)
可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)
を伝えます。

『古事記』の第一神は、天之御中主神です。
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)は、最初の五柱のうちの一柱として記載されます。

『日本書紀』では最初に国常立尊(くにのとこたちのみこと)が書かれ、上記三神は順序を変えて置かれています。

考えるに、日本の古代を考える上において主要な神は、
天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊
天之御中主神
可美葦牙彦舅尊
であるように思われます。

次回、『旧事紀』が記す天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊と、『古事記』が記す天之御中主神について考えてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 


               

                           ひまわり

 

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