日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

中学生、高校生のための自由主義講座 18 -人はどんな人も善く生きようと努力する人生には価値がある-

2019年03月21日 | 日記

人はどんな人も善く生きようと努力する人生には価値がある

 

Ⅰ.善く生きようと思おう!

 

1.「善く生きよう」とは、何も宗教上の実践、道徳上の実戦を意味しません。「善く

生きる」とは鍛錬を重ねられた宗教家や、カントなどが到達された境地で、我々衆生

(しゅじょう)の凡人の及び至るところではありません。しかし、落ち込んだり、悲し

んだり、怒ることの多い私達の日常で、思い出したように「善く生きよう」と思う時間

を持つだけでも良いのだと思います。これを自律と言います。

 

2.そしてこの項で述べる価値とは、「何らかの対象に対して有益であること」と定義

します。

 

3.何らかの対象とは、自分自身、親兄弟、いとこ、親戚等の親近者、学校、自分が勤

務する病院、学校、役所官庁、会社等の組織、巡り巡って社会、そして世界です。

 

4.中学生、高校生の皆さんにとっての対象とは、自分自身と親兄弟家族から学校まで

です。アルバイトをしていれば、アルバイト先も含みます。ここでは先ず、皆さん一人

一人がこれからの社会を作っていく人材であるという絶対価値を持っていることを自覚

してください。

皆さんは勉強をしています。クラブ活動をしている人がいます。共に努力が必要です。

目標に向かって進もうとする継続する意志が必要です。ここにはそれぞれ、努力という

価値、考えるという価値、目標に向かって進もうとする継続する意志という価値があり

ます。皆さんと皆さんの(学生)カバンには価値がいっぱい詰まっています。皆さんは

そのカバンをいつも持ち歩いています。そして、皆さん自身が価値の塊(かたまり)な

のです。これをいつも思い出してください。

 

5.この価値のカバンや皆さんの人としての意欲を、壊そうとする先生や友だちがいた

ら、決して一人で悩みを抱え込んではいけません。解決できないと思うジレンマを自分

に向けてはいけません。お父さんやお母さんに相談しましょう。お父さんやお母さんに

校長先生へ相談してもらいましょう。教育委員会へ相談してもらいましょう。そして、

皆さんの人格を傷つけようとする友だちやグループがいたら、決然とその友だちやグル

ープとは決別しましょう。皆さんを傷つける言葉や仕打ちに思い悩んで、自分で自分を

傷つけてはいけません。それらの人は皆さんの師でも友だちでもありません。本当の師

や友だちとは、皆さんが、今、持ち、行っている価値と努力、そして皆さんがこれから

積み重ね、行おうとする努力を、師の場合なら共感し共有してくれる人、友だちならば

共有できる人を言います。 


Ⅱ.私の場合、

 

1.私が、大学に入学した当時、日本の大学は学生による紛争の最中にあり、私の大学

も例外ではありませんでした。今にして思えば、当時の大学は、一部の空論家の空論に

学生たちが振り回された時期に当たります。私も例外ではありませんでした。これは悔

恨を込めて語るのですが、当時読んだ本に黒田寛一の『組織論序説』という本がありま

す。その中の一節に、「生産労働に従事しない人々と労働は価値を生まない」という行

(くだり)があり、これは私に深手(ふかで)のダメージを与えました。そしてこの考

え方こそ、ソ連邦誕生以降、マルクス主義を科学と標榜する国々と武装集団による大量

の知識層の人々の粛清と虐殺を生んだ考え方に他なりません。当時、私は教育学部の国

語国文学科に在籍し、岡清の本に感銘を受けるというような学生でしたが、無知でし

た。自分の価値を見失った私は、結局、私はその大学を中退し、コースアウトしてしま

います。

 

2.「生産労働に従事しない人々と労働は価値を生まない」という考え方は、最近問題

となっている自民党の杉田水脈(みお)衆議院議員が(LGBTの人々)に対して、

「彼ら彼女らは子供を作らない。つまり『生産性』がないのです」と、『新潮45』2

018年8月号に寄稿した内容と同じ思考方法に繋がるものです。人には人としての尊

厳と価値があります。

このような記述や発言が出てくること自体、日本の社会の硬直を、黒田寛一氏の場合は

左の、杉田水脈氏の場合は右のそれとして示す示標として捉えることができるように思

います。

しかしまた、「生産性」に限らず、「生産性」を本項が価値の基準に置いた「有益性」

に置き換えても、同じような考え方は社会の何処にでも転がっています。そしてこれが

グループ化、集団化すれば、グループの場合は、友だちと称してその友だちを攻撃する

振る舞いをすることがそのグループであることを示す暗黙の合意であったり、集団の場

合は、グループの場合に加えて、集団の在り方へ疑問を持つ人や他の集団を攻撃し、排

撃することがその集団の一員であることの特異な同一性となります。残念ながら、この

ような集団は、世界にはまだ国単位であります。しかし、まだ若い皆さんの生きる道

は、このような社会や世界にあっても、「善く生きよう」と思い生きることです。これ

が、思い悩んだ時、唯一自分を救う道だと思います。

 

3.話を続けます。コースアウトしたままの私では、面白くも何ともなく、皆さんに何

かを語る資格もないと私も思います。しかし、私は、その後、別の大学の経済学部を通

信教育で卒業させてもらいます。その卒業論文は、何年かたって、『マルクス批判 マル

クスにおける人間の個と類の概念 -その批判的考察』というタイトルの新書本(近代文

芸社 2007年刊)にしました。この本の立ち位置は、マルクスが生きた19世紀のヨ

ーロッパの思想界で語られていた「個と類」という概念を、21世紀の現代に引き継ぐ

もので、思想史の上ではそれなりの位置を占めるものだと自己評価しています。そし

て、皆さんにこうして自由主義を語っています。

 

4.長くならないよう切り上げます。先日、私が最初に在学した大学の学部学科の教授

と学部長を務められた先生がお亡くなりになりました。私はその大学では、最初の学年

時に、授業料給付の奨学金を頂いており、お亡くなりになられた先生は、その時面接い

ただいた3人の教官の御一人でした。奨学金を頂くということは、控えめに言っても私

が学業に励むことに対する御期待を頂いていたわけですから、中退したことに対する申

し訳の無さと先生方の御期待を達成しなかったという未達成感から、私の心の中に、人

生が繋がっていないという意識があったのですが、先生の告別式と初七日の法要を兼ね

た葬儀に参列させて頂き、衷心のお詫びと御冥福を申し上げてきました。式へは学部学

科の卒業生が集まり、私は久しく忘れていた一同との感覚を味わうことができ、同時

に、途切れていたコースに戻り、途切れていた人生が繋がったという意識を取り戻すこ

とができました。

 

5.皆さんへの教訓です。コースアウトをしてはいけません。善く生きてください。

 

 

                                                       クレーンと青空

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