日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

元慰安婦、金さん、吉さんを考える。

2013年05月29日 | 日記

A.元慰安婦、金さん、吉さん

 

1.元慰安婦の金さんと吉さんが、日本各地の支援者の集会に参加されるために来日されました。この来日は、本来ならば、私が知るところではなかったでありましょうが、たまたま大阪市長の

橋下さんの軍隊と性をめぐる発言があり、御二人がその内容に抗議するための面会を5月24日に求められたことが報じられましたので、私も知ることとなりました。いわゆる元慰安婦の方の生

(なま)の報道に接するのは初めてのことでありましたので、当日、どのような遣(や)り取(と)りがなされるのか、非常に興味を持っておりました。しかし、面会は、御二人が辞退され、残念ながら

実現致しませんでした。

 

2.そこで私は、御二人の映像、経歴、主張をWeb上で探(さが)しました。 金さんに関しては、来日された時の沖縄での会見、集会で発言された内容を掲載した沖縄タイムスと琉球新報の記事

がありました(『地元紙で知る沖縄』http://michisan.ti-da.net/e4802805html  <2013.6.6 リンクを解除致しました> )。 吉さんに関しては、支援団体の紹介記事が同じくWebにありま

した。 以下の文章は、これらの記事をベースにして書いております。

 

3.御二人が語られているそれぞれの過去に、深く心を痛め、深く同情申し上げます。

  

B.内容の吟味

 

1.この文章も3度目の書き直しです。文章が進まないのです。それほど内容が凄惨であり、その生(せい)そのものが少々の装飾が施されていたとしても、この生を生きている人間の辛さにおい

て許されるといった御二人の人生であります。二人は自分の人生が許せないのでしょう。日本が許せないのでしょう。

 

2.そして、この文章のスタンスについて書いておきます。御二人は既に御高齢です。

記憶はあいまいとなられているでしょう。この記憶を第三者がトレースすることは、虚構を描いてしまう可能性もあります。それは避けたいと思いました。次に、御二人の人生が祝福されたもので

あることを願い、二人をそのまま受け入れようとも思いました。しかし、御二人の表現には強くバイアス(偏見)のかかっている部分もあります。貴重な人生の一時期を、御二人が慰安所という場

所に閉じ込めてしまった当時の社会のシステムと、そこに御二人を送り込んだ者たちに怒りを覚え、御二人に深く同情するものであります。しかし、御二人の活動には、既に人間の魂の救済と生

活の安息を求めるという人権主義者の善意の領域を越えて、過去を現在の反日の社会運動、政治運動のために利用するというコミュニストの思惑を感じたりもします。むろんこれは、私のバイア

スの掛かった見方であります。

 

3.そこで私は、この文章は私のメモとして書くことにしました。金さんは、韓国の日本大使館前で、毎週水曜日に行われる慰安婦デモに21年間参加されています。著名なアメリカの倫理学者も

著書で取り上げました。今やこの名称は韓国の反日運動の橋頭保となり、世界も動くまでになりました。

 

4.しかし、ちょっと待ってください。日本人はそんなに悪く、極悪非道の人間ばかりなのでしょうか? そこで私なりに考えたことを書きます。考察の一助にして頂ければ幸いであります。

 

5.例えば、Aさんという14才の女の子のもとへ、区長(戦前の韓国です)と日本人がやってきて「挺身隊」へ行けと「脅迫」し、バスに乗せたとします。この時、Aさんの親御(おやご)さんは、Aさん

を人身売買のブローカーに売り払っていたとしたらどうでしょう。純真なAさんはそんなことは知りません。「軍服を作る工場で嫁入り前まで働く」と騙されて、Aさんは慰安所へ連れて行かれます。

  

6.酷な話ですが、戦前の日本や朝鮮社会にはあった話なのです。(注: この表現は正確ではありません。日本の場合、こういう情景を、私が直接に見聞したものではなく、ドラマや小説のいくつ

かのシーンとして描かれているのを知っているということに過ぎません。論理的な記述の場合、こういう誤りはすぐ気付くのですが、心象のからむ情景はこういう記述になりやすく、戒(いまし)めな

ければなりません。誤解が生じることを回避するため、注記させて頂きます。2013年5月31日) 問題は、今後、こういう、人が人としてあるための尊厳さえ疎(おろそ)かにされる社会を作っては

ならないということだと思います。現代の日本人は、社会をそういう社会にしてはならないと考え、不断の努力を重ねています。このブログもそうした努力の一つだと考えてください。

 

7.また、金さんは、現在87才でいらっしゃいます。そして、14歳でだまされて22才になるまで、台湾・広東・香港・マレーシア・スマトラ・インドネシアで過酷な慰安婦生活を送られました。日本の

敗戦は1945年であります。この時、金さんは数え年で19才か20歳になられました。金さんの記憶では、22才まで慰安婦をされたとあります。これから考えるに、金さんは、韓国の斡旋業者の

管理下にあり、19才か20才以降はその業者の管理のもとで、22才まで慰安婦から解放されなかったものと推測されます。

 

8.これとて、金さんが自分の少女時代の学習の機会を奪われ社会で生きるすべを見つけられないという文脈の中で論じられるべき問題であり、責任は日本にあります。しかし、当時の慰安所を

管理していたのは誰か、どういう方法で管理していたのかという疑問を考える上での一助ともなります。

 

9.朝鮮日報が、1945年8月31日に金さんが南方軍第10陸軍病院の「傭人」として登録されている記録を見つけたことを報じています。5月18日、沖縄キリスト教学院大学での集会で、

金さんはこの頃の様子を、「1945年8月、敗戦直後、シンガポールの南方軍第10陸軍病院で看護訓練中、親戚の韓国人男性と偶然再会した。男性の斡旋で米軍の収容所に入り、その後、韓

国の釜山港にたどり着いた」と述べられています。当時のマレー半島とシンガポールの様子は、佐々木輝久という人が書かれた「マライにおける終戦前後の苦闘」で知ることができます。 尚、こ

の記事をアップしている団体と本ブログは無関係です。

 

10.吉さんの場合、現在84才でいらっしゃいます。13才(発言はいろいろと変っているようですが)の時、やはりだまされて、ハルピンの慰安所へ連れていかれました。1942年、性病にかかり

帰国。再び、中国北部の石家荘に行かれ、日本の敗戦により、苦労の末、韓国に帰られます。そして、この後の記憶が重要なのですが、彼女は、祖国が南北に分断され、北の故郷には帰れなか

ったとおっしゃっています。朝鮮戦争が南北に分断されたのは、朝鮮戦争後です。つまり彼女の場合も、(話されたことをたどる限りでは)、慰安婦斡旋業者の管理下にあり、日本の敗戦以降も、

その斡旋業者(あるいは別の業者)のもとにあったということが推測できます

 

11.吉さんも、金さんと同様、日本の戦時下にあって自分の少女時代を慰安婦として費やされ、社会自体が経済的にも貧しく、また女性の人権などは一顧だにされることのない時代であったと

は言え、彼女たちの勉学の機会と勤労の機会を奪った責は日本にあります。巷間、韓国には春をひさぐ女性たちが多いと聞くことが多いのですが、その遠因もこんなところにあるのかも知れませ

ん。日本はもっと韓国を援助すべきでありましょう。

 

12.ここまで書いて来て、私は、韓国の「慰安婦像」を、日本人も共有して良いのではないかと思います。韓国では少女像にどんな意味を持たされているのか承知しないのですが、日本では、彼

女たちへの慈しみと顕彰の意味を込め、そして新たに韓国挺身女子像と平和公園を作って、そこに併置すれば良いと思います。この公園は、東京に作り、世界平和公園と命名します。日本が朝

鮮半島に進出して以降、先の大戦の終了まで、日本の軍人たちのいわゆる悪行と言われる行為によって耐え難い思いをされ、犠牲となられた人々への反省とその御冥福を祈り、日本の平和へ

の新たな出発の決意を込めるのです。

 

C.政治の問題として

 

a.河野談話

 

1.私達は、先次の日中戦争以降の大戦において、軍人・軍属が現地において為したことを告発され、告発された行為は事実だと思い、申し訳なく思い、謝罪の念を表明して来ました。またA級・

B級・C級の戦犯としても多くの日本人が裁かれました。

 

2.しかし、中共の人々、韓国の人々は、いまだに日本人の非道をあげつらい、現代に生きる日本人を戦前へと引き戻します。そして、日本人の誇(ほこ)りを打ち砕こうとします。

 

3.1993年の河野談話は、慰安婦と呼ばれる状態下にあった女性たちに対して、その名誉と尊厳を深く傷つけたこと、そして癒しがたい傷を負われたことに対して、深いお詫びと反省の気持ち

を表明しました。

 

4.しかしその調査の内容は、詳細さと言葉の定義を欠いています。そしてこのことは、政治家の発するステイトメントとしての責任を、「歴史研究」という言葉で回避させてしまいました。またこの

ことは、日本人が過ちを反省し、反省を土台に近隣諸国との良好な関係を築き、前へ進もうとする努力に対し、反日勢力の育成を目論(もくろ)む人々や、学者たちから、「歴史研究」や「歴史認

識」という名目で、いつでもこの問題に引き戻され、彼らが、日本人を悪漢呼ばわりする要因を作ってしまいました。換言すれば、詫びたことがさらに詫びを求められるという結果を招くことになっ

てしまったのです。

 

5.この「歴史認識」が、近隣諸国との間で、共に前へ進み新しい豊かな世界を築こうという考えと、世界共通の価値観である自由と民主主義の世界観に立ち、且(か)つ、相互の文化と、国家と

しての発展の歴史的な差異が、理解され尊重された上で為(な)されれば、その提案は、大いに受け入れるべきことなのです。しかし、中国共産党のように、日本を侵略しよう、潰(つぶ)してしま

おうという意図を持つ国が、古い歴史を持ち出し、彼らの歴史認識を押し付けようとするとき、私達は、日本と日本人のアイデンティティを守らなければなりません。

 

6.河野談話は見直すべきと考えます。謝罪はしておりますが、どこで何がどのように行われていたのか、何も分かりません。いわゆる5W1H(Who・What・When・Where・Why・How)の基

本を欠いています。例えば、「長期に、かつ広範囲な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた」とは、何時(いつ)から何時まで、何処(どこ)に、何処から、

何名が、どのような生活を送っていたのか、分かるものでなければなりません。また、「(募集については)--略--官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」という場

合、その事例も具体的にあげられなければなりません。更に、「其の募集、移送、管理等も、甘言、弾圧による等、総じて本人たちの意志に反して行われた」というときには、募集も総じて本人た

ちの意志に反していたのか、弾圧とは何か等、全て言葉の定義が必要です。そして詳細報告書の添付が必要です。

 

7.この談話を読むとき、次第に腹が立ってきます。河野氏を非難するわけではありませんが、この談話には日本の戦後政治家たちの資質と、依って立たれるスタンスが凝縮されているように思

えます。一事が万事、全ての問題に対して、問題の所在と解決のために為すべき具体策を明らかにしてそれに取り組むという、社会を背負っている、国を背負っているという政治家の自覚を欠

いた、他人任せの言葉で一件を落着させ、事を済ませて来た自分たちの姿勢が、日本人を北朝鮮に拉致されても知らないふりをし、福島第一原子力発電所の大事故を招いたのです。

  

8.政治家も変ってください。自分たちが現在の日本の内憂外患の危機を招いたことを自覚し、新しい政治家像を作ってください。

 

D.「慰安婦」と反日運動

 

1.1977年、吉田清治なる人物が『私の戦争犯罪』という本を出しました。以降、慰安婦の存在が知られるようになったと言います。しかし、内容はフィクションだったことを本人も認めています。

ここでは取り上げません。

 

2.戦場と性の異常を書いた人に森村誠一氏がいます。私も一度目を通しました(署名は忘却)が、二度と読みたいと思いません。推理作家というカテゴリーに入る人だと思いますが、テーマの持

つ感動より、描写情景の異常さをマニアックに追及する人なのでしょう。この表現は、氏のファンの方々のお叱りを覚悟しています。

 

3.次に、「慰安婦」と反日運動の結(むす)びつきを見ます。

 

a.韓国での動き

α.1992年12月25日、山口地方裁判所、下関支部に “釜山元「慰安婦」・女子勤労挺身隊訴訟” を提訴→2001年3月29日、広島高裁、一審取り消し・棄却→2003年3月25日、最高裁、

二審支持・棄却確定。

β.1992年 韓国日本大使館前で水曜デモ開始。

γ.2011年12月14日 韓国日本大使館前、慰安婦像設置。

 

b.中華人民共和国軍事委員会主席の変遷

α.1981年6月29日~1989年11月9日: 小平 氏 

β.1989年11月9日~2004年9月19日: 江沢民 氏

γ.2004年9月19日~2012年11月15日: 胡錦涛 氏

δ.2012年11月15日~              習近平 氏

 

c.上に見るように、韓国での「慰安婦」訴訟=「慰安婦」デモの始まりは、中共・江沢民氏が反日キャンペーンを開始した時期と重なります。つまり、「慰安婦」問題は、人権擁護運

動の善意の領域を越えた国家的な意図をもって、しかも中共コミュミュニスト指導者たちの意図する反日キャンペーンと連動して、現在もキャンペーンが張られていることが見て取

れるということです。

 

E.中共コミュニスト達の政治的意図

 

1.彼らの意図は、現代日本の日常(例えば日本人の靖国参拝や韓国の元「慰安婦」の人たちへの対処の仕方や発言)を取り上げて、それを戦前の日本の歴史に結び付け、日本人=極悪非道

の悪漢というイメージを国際社会に植えつけることにあります。

 

2、彼らの意図は、日本を侵略することであります。彼らはその理由にポツダム宣言と条項を利用しようとします。「慰安婦」問題は彼らの格好の材料なのです。

 

3.私達は歴史の発展を好みます。彼らは歴史の停滞を好みます。私達の歴史は、未来を志向します。彼らの歴史は、過去を志向します。私達の思考は、躍動し、新しい世界を育(はぐく)みま

す。彼らの思考は、化石化し、古い世界に留まります。

 

4.しかし、皆さん、私達は、彼らの歴史認識の土俵に乗ってはなりません。それは、彼らが「我々は、この土地と人民を支配する」と言うための、共産主義者の論理です。彼らはやって来るときポ

ツダム条項の旗を掲げます。私達は平和主義(平和主義とは戦争をしないことだけが平和主義ではありません)と自由と民主主義の旗を掲げ、古い非合理な思考を洗い落とし、自由諸国の国々

と共に歩まなければなりません。

 

5.ここで古い非合理な思考について補足いたします。古い非合理な思考とは、靖国神社にA級戦犯を合祀したことなどはその典型だと思います。日本でも先の大戦の責任を誰かが取らなけれ

ばなりません。日本には先の大戦の戦死者の追悼施設は靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑しかなく、朝鮮半島から特攻に志願された御家族はさぞ肩身の狭い思いをされていることでありましょ

う。日本が新しい歩みを始めていることを世界に示す意味でも、A級戦犯の分祠は良い機会だと思います。靖国は誰もがお詣(まい)りできるところになる必要があります。

 

F.金さんの主張

 

1.「踏みつけにされ、未だに謝罪を受けられない悔しさが分かるか」。

 

2.「戦争の準備をしているのではないか。日本は過去を正して堂々とした国になるべきだ」。

 

3.「歴史を変えることはできない。過去の真実を学んでほしい」。

 

G.金さんへの答え

 

1.謝罪は、何度もしております。

 

2.他国からの侵略に対する備えをしております。そして、その備えはまだ不十分だと思っております。しかし、他国を侵略する戦争の準備はしておりません。日本は過去を正して堂々とした国に

なっております。そして更に平和主義の旗を掲げて、前へ進んでまいります。

 

3.その通りであります。私達はまだ知らないことも多く、真実を学んでまいります。

 

 

 

  

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