切込隊長氏は、『諸君』に「チャイナレポート」関連を執筆する(『中央公論』にも、何とか何とかなのだそう)とブログに書いておられたが、読売新聞のコーナー「地球を読む」では、「中国の反日デモ」について書かれていた。執筆者は今年度から新たに加わった佐々木毅氏で、「地球を読む」には初登場であったので、興味深く読んだ。佐々木氏は現在学習院大教授だそうだが、前東大学長でもある。そういえば、以前に切込隊長氏が佐々木氏の著書について書いておられましたね。何だったかな。ああ、マキアヴェッリものでしたね(国連との距離は?)。そうでした。
佐々木氏の「地球を読む」での私が感じたポイントというかキーワードは、①政治的近代化、②サイバー・デモクラシー、③政治の「幼稚化」、ということであった。これについて感想などを書いてみたい。
①政治的近代化
佐々木氏はミルの『代議政体論』を引いて、「意識面や制度面での長い経験の蓄積なしには政治的近代化はその現実性を持ち得ない。それは政府と国民との一定の信頼関係を蓄積することによって初めて可能になる。」と述べている。このことに同意できない訳ではないが、日本の過去を振り返ってみて、国民の政治的経験が本当に積み上げられてきたのか疑問に思うのである。そのことが、今のような国民の政治的無関心さやある種の投げやり・諦めに繋がっているかのようにも思える。明治時代に近代国家としての形が整えられていったのだが、日本の立憲政治というのは高々百年というレベルではないか。これが、他の近代国家に比して多いのか少ないのかは正確には分らないのであるが、少なくとも民主政治の醸成レベルはオールドな国家群とは異なっているだろうし、例えばG7の中でも若いと言わざるを得ないのではないだろうか。
それと、私の特殊な受け止め方を記しておきたい。私は陰陽道など全く知らないが、「還暦」という60年周期の古来からの時間的循環を思い起こせば、この周期で転換点を迎えてきたような気がするのである。幕府が消え1868年に明治となってから約60年後に、昭和(1926)という新たな時代が始まり(昭和の終わりは更に約60年後の1989年である)、日本は間断なき戦争国・帝国主義国家の色合いが強くなっていった。大日本帝国憲法は1889年に公布されたが、約60年後の1947年には今の日本国憲法へと変わっていった。立憲国家の形としては、現在までの約116年ということになり、次の転換点は2009年前後というのは有り得る話なのである(私は改憲推進論者ではありませんよ)。私のこじつけ的発想なので、これらに因果関係があるとか60年周期の循環が有意であるのかは分らないが、こんな風に感じてしまうのである。コンドラチェフの波があるように、政治・政体にも似たような循環があっても不思議ではなさそう、と思うのである。本題とは関係ない話なのですが・・・。
日本の政治的近代化は、主に思想家達、所謂知識人達や特定階層の人々が先頭に立って推進していったものであって、国民が自ら選択し作り上げたものとは違うような気がする。それに昭和の戦前政治にしても、国民が望む民主政治として推進された結果だ、などとは普通の人は考えない(国民としての責任論はまた別として、今はそれについては触れない)であろう。敗戦後の日本国憲法や政治体制についても同様で、特定の人間たちがそれを選んだに過ぎず、国民それぞれが自らの意志をもって他の政治体制との中から選択していったのとは違うであろう。もしも当時、一般大衆が政治体制を本気で完全自由に選んでいたとしたら、共産主義国家となっていたかもしれない(今の歴史を絶対視する訳ではないが、共産主義を選択しなかったことは正解であったと思える)。
(つづく)
途中ですが、お許しを。
佐々木氏の「地球を読む」での私が感じたポイントというかキーワードは、①政治的近代化、②サイバー・デモクラシー、③政治の「幼稚化」、ということであった。これについて感想などを書いてみたい。
①政治的近代化
佐々木氏はミルの『代議政体論』を引いて、「意識面や制度面での長い経験の蓄積なしには政治的近代化はその現実性を持ち得ない。それは政府と国民との一定の信頼関係を蓄積することによって初めて可能になる。」と述べている。このことに同意できない訳ではないが、日本の過去を振り返ってみて、国民の政治的経験が本当に積み上げられてきたのか疑問に思うのである。そのことが、今のような国民の政治的無関心さやある種の投げやり・諦めに繋がっているかのようにも思える。明治時代に近代国家としての形が整えられていったのだが、日本の立憲政治というのは高々百年というレベルではないか。これが、他の近代国家に比して多いのか少ないのかは正確には分らないのであるが、少なくとも民主政治の醸成レベルはオールドな国家群とは異なっているだろうし、例えばG7の中でも若いと言わざるを得ないのではないだろうか。
それと、私の特殊な受け止め方を記しておきたい。私は陰陽道など全く知らないが、「還暦」という60年周期の古来からの時間的循環を思い起こせば、この周期で転換点を迎えてきたような気がするのである。幕府が消え1868年に明治となってから約60年後に、昭和(1926)という新たな時代が始まり(昭和の終わりは更に約60年後の1989年である)、日本は間断なき戦争国・帝国主義国家の色合いが強くなっていった。大日本帝国憲法は1889年に公布されたが、約60年後の1947年には今の日本国憲法へと変わっていった。立憲国家の形としては、現在までの約116年ということになり、次の転換点は2009年前後というのは有り得る話なのである(私は改憲推進論者ではありませんよ)。私のこじつけ的発想なので、これらに因果関係があるとか60年周期の循環が有意であるのかは分らないが、こんな風に感じてしまうのである。コンドラチェフの波があるように、政治・政体にも似たような循環があっても不思議ではなさそう、と思うのである。本題とは関係ない話なのですが・・・。
日本の政治的近代化は、主に思想家達、所謂知識人達や特定階層の人々が先頭に立って推進していったものであって、国民が自ら選択し作り上げたものとは違うような気がする。それに昭和の戦前政治にしても、国民が望む民主政治として推進された結果だ、などとは普通の人は考えない(国民としての責任論はまた別として、今はそれについては触れない)であろう。敗戦後の日本国憲法や政治体制についても同様で、特定の人間たちがそれを選んだに過ぎず、国民それぞれが自らの意志をもって他の政治体制との中から選択していったのとは違うであろう。もしも当時、一般大衆が政治体制を本気で完全自由に選んでいたとしたら、共産主義国家となっていたかもしれない(今の歴史を絶対視する訳ではないが、共産主義を選択しなかったことは正解であったと思える)。
(つづく)
途中ですが、お許しを。