いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「ぜんそく」で処分のおそれ

2005年05月28日 18時35分27秒 | 社会全般
日航の機長さんが、ぜんそくであることを言わなかったようであるが、処分される可能性もあるとのことである。パイロットの呼吸器の病気が、航空法でダメだったなんて初めて知りました。会社が管理責任があると思うし、そんなに重大な義務ならば会社で必ずドクターチェックしないとダメなんではないのかな?でも本当に喘息なんだろうか?精密な検査を受けた方がいいと思うな。一昨日ちょっと関連する記事(「睡眠時無呼吸症候群」の運転士?)を書いたんですが、単なる偶然だと思うけれど・・・バレたのは私のせいではないですよね・・・?普通は気管支拡張剤とか去痰剤などが多いと思うけれど(一番多いのは発作時スプレー?ですかね)、機長さん、ひょっとして抗ヒスタミン剤を投与されていたのかな?普通はあまり使わないような気がしますが。


Yahoo!ニュース - 共同通信 - 機長が服薬報告せず乗務 日航、航空法違反疑い


この記事より一部抜粋します。

日航によると、機長は2002年1月に気管支ぜんそくの診断を受けて以降、今年5月までに計30回通院し、症状が出た時には服薬もしていた。この間、運航乗務員に義務付けられた年2回の航空身体検査はパスしていたが、今月6日の検査で肺活量が基準値以下だったため医師が確認したところ、服薬を認めた。処方薬を確認したところ、眠気が出る恐れのある薬で、航空法に抵触する疑いがあるという。


このような経緯であったらしい。ちょっと本人可哀想。知らなかったら、言わないよね。でも知らないというのは法的責任を免れるわけではないらしいから、同情してしまうな。



ウチの子がまだ小さい時の友達に、「喘息」の診断を受けて投薬されていた子がいたけれど、本当に服薬が必要なのか、診断が適切か、というのは、診るお医者さんによっても違うことがあったらしい。特に小児の場合には、「喘息のケがある」などと言われて、親が「喘息」だと思い込む場合も多く、実際には喘息ではなかったりする。特にカゼをひいた子供がなかなかよくならず、投薬されているのに何日間も咳をしたりすると、お医者さんは「喘息のケがあるかもしれない」などと言って誤魔化すのではないかと思う。ウチの子にもそう言われたことがあったが、別に喘息でも何でもなかった。要するに患者から「診断が悪い」とか「投薬が不適切」などとは思われたくないからなのでは、と疑ってしまう。病名を言われても、疑う気持ちも患者側に多少必要だと思うな。私も少し調べたくらいですから。


私は過去30年くらい、病気で(特にカゼで)病院へ行ったことはかなり少ない(たぶん十回以下です、無駄に健康保険料を払っているんですよ、私は。殆ど回収していないです。まあ冗談ですが。健康が一番有り難いのです)。なので、何の時に病院へ行ったかだいたい覚えている。基本的に、カゼは寝て治すことにしてます。でも、あまりに辛い時に少しは病院に行ったことがあって、カゼなのに予防的な抗生剤投与を受けた経験もある。どうせ、カゼには効かないことが殆どでしょ?

学生の時には、カゼで熱がひどくて普通の近くの内科に行ったら、「注射をする」と言うので、看護婦のオバちゃんに「何の薬を注射するんですか?」って聞いたら、「まあ、いいから、いいから」とか言って腕の筋肉に注射された。「えっ、何?」って聞いている間に、プスって刺され、「咳止め、咳止め」と笑っていた。そんな注射して欲しくもなかったのに。どうせ、ビタミン剤とかだと思うけど。20年くらい前だから、まあ仕方がないんだけれど。私も若かったから(笑)、あんまり強くも言えなかったし。彼女は多分看護婦なんかではなくて、助手なんじゃないかと思った。看護婦は静脈注射をすることが殆どだからだ(あの、腕にゴム縛りみたいなのをするヤツです。健康診断の採血や献血の時にも、するでしょ?)。


話が逸れたが、要は「喘息」の診断は専門医とかでないと、適当に付けられる可能性のある病名だってこと。機長さんは大丈夫かな・・・定年間近だったのに・・・行政処分になってしまうんでしょうかね。最近航空業界は色々あったから(特に日航は)ね・・・厳しい態度で臨むとかってことになったら、厳罰が待っているのかな・・・



君達は理系をバカにしているのか!

2005年05月28日 03時30分40秒 | 社会全般
毎日新聞の「理系白書」という記事があるそうだが(私は読んだことはないが)、その記者たちが書いているブログ(理系白書ブログ)がある。そこでの記事に非常に不届きな記事(5/26)があったので、とりあえず紹介したい。

以下に一部を引用します。


文系の科学力

私たちが自問していることをいくつかあげると、

・科学を知らなくちゃいけない、というのはなんでか。知らなくても便利に暮らせればいいのではないか。動機付けを持たず、科学技術の恩恵で「もうおなかいっぱい」という人に、さらに教えなくてはいけないことってなにか。
・文系の理系音痴を言うのと同じく、理系の「専門馬鹿」(他の専門分野に疎い、無関心)は問題ではないか。
・理系、理系といい続けることが、すでに時代遅れではないか。
・文系、理系にこだわっているのはばかばかしいと思っていても、大学をはじめとする日本社会が、文系理系に分けたがっているのに、どうやったら変革できるのか。


理系の社会力

「理系は報われているか」
そして新しい問題。
「理系人の社会リテラシーは十分か」
文系が科学の素養を身に着けると同時に、理系が経済学の素養を身に着ける、というのなら、結局はこういう問題意識になる。
「文系、理系と分けることがナンセンスではないか。どうやったらなくせるか」



こんなことを公然と書き綴っている記者たちの顔が見たいものである。このような提起の仕方は、非常に不愉快であるし、何の社会的意義も感じられない。一体全体、自分達を「なにさま」(ガ島通信さん風に言えば、笑)のつもりでいるのだろうか。最も気になったところについてもう一度引用してみたい。

『文系の理系音痴を言うのと同じく、理系の「専門馬鹿」(他の専門分野に疎い、無関心)は問題ではないか。』
『理系人の社会リテラシーは十分か』

これを読んで誰しも感じることは、文系は専門馬鹿がおらず、社会リテラシー(記者たちはそういう言葉を用いているので、そのまま使うことにします。何なんだ、この言葉は)が備わっているが、理系は専門馬鹿がいて社会リテラシーが不十分である、ということである。この人達は何が言いたいのだろうか?
やはりこれがマスゴミ呼ばわりされる人達の正体なのだろうか。


社会リテラシーって何だろうか?メディア・リテラシーの社会版、ってこと?そう解釈するとして、記者諸君に「お前の社会を読み解く力は十分なのかい?」という問いを投げかけられて、理系だろうが文系だろうが、そんなこと個人が生きていく上で関係ない問題だろう?全くの個人的資質の話だろう?文系にはそれが十分であって、理系には不十分である、などという感想を持つこと自体に全く社会的意義がない。元来「専門馬鹿」という言い方は、文系とか理系に無関係に、頭脳明晰で優秀な学者さんなのに、研究に没頭しているから、一般常識や一般人が普通に知っているようなことを案外知らないというようなことを指すのではないか?そんなの文系研究者にだって同じように存在するだろう?裁判官だってそういう部分があるから、裁判員制度の導入をした方がいい、という面があるんでしょ?別に理系の研究者だから、専門馬鹿になる訳ではないだろう?哲学研究者は、社会を読み解く力が一般人よりもはるかに優れているのか?或いは、理系研究者よりも社会リテラシーとやらに優れているという調査でもしたのか?法学者はどうなのだ?宗教学者は?経済学者は?数学者とは大きく違うのか?


記者諸君は自分達が文系出身者だから、自分達は「社会リテラシー」とやらが十分備わっているという全くの勘違いか思い込みだか、思い上がりをしているんだろう。そうでなければ、記者さんの中に、暴言を吐いて社会全体から集中的に批判を浴びたり、他人の記事を盗用したりするような人達は存在しないだろう。これは他人の研究論文を盗作するようなものだろう?こういう文系出身者が殆どのマスメディアの記者さん達は、「社会リテラシー」が一般人や理系研究者達よりも十分備わっているとでも言う?ひどく尊大ですね。


多くの真摯な研究者に対する冒涜である。理系研究者への差別であり、偏見である。社会的な能力の高い人達はたくさんいるだろうし、そんなの文系・理系に無関係である。社会学に精通している研究者は、教育学、宗教学、言語学、哲学に一様に精通しているのか?矢原先生が「専門馬鹿がなぜ悪い?」と書いているのは、学問とか研究はそんなに簡単なものではなく、奥深さや探求の困難さをよく知っているからだ。そんなのは、他の文系分野であっても同じようなものだろう。そんなに簡単に文系分野が習得でき、いくつもの分野の第一人者になれるのなら、誰も苦労などしないぞ。理系研究者だって、物理学者が生物分野の一般人向けの読み物や記事を書いていることもあるし、自分の専門を超えて書いているものはたくさんある。歴史学や哲学に非常に詳しい理系研究者だってたくさんいる。それを知らないのは、記者諸君が不勉強であり無知であっただけだ。寺田寅彦の読み物だってたくさんあるだろう?国語の教科書に出てくるくらいですから。異分野について、理系研究者が多く語らないのは、学問というか自然や知の奥行きに驚嘆したり畏怖(畏敬かな?分からんけど)したりするから、軽々に表現することをしないからなんじゃないか?


文系と理系という区分はその意味が薄れていることは確かであり、経済学だって数学であったり物理学であったりするし、物理学は哲学だったりするし、心理学や教育学は認知科学や脳科学であったりするし、生物学だって社会学だったり考古学であったりする。旧来の区分では収まりきらない分野というのが増えているんだとは思う。だが大学の内部的な分類がそうなっており、それに基づいて予算や運営が決まるから、文系・理系が残されているんだろうと思う。教育のカリキュラムとかもそうなんだろうと思う。


理系の問題というのは、日本の中枢部分が(主に官僚組織ということですね)文系の牙城となっており(よく知らないですが、一般的に言えば東大法学部ということでしょうか)、そこでの政治力の差が大きいと思うのですけどね。もしも、理系分野の出身者が同じくらいの政治力を持つなら事態は改善されるかもしれないと思いますが。そういう政治的・政策的問題が一番の問題であると思う。現実には現場の人しかわからないだろうから、私にはよく判らないですが。


「理系白書ブログ」の物言いは、記者諸君が主張するところの「社会リテラシー」が非常に乏しいという印象は否めず、文系出身の記者諸君が少しばかり理系分野についてかじってみたら、「理系研究者って問題があるよね」と判ったような気になり、元々の偏見を書いているだけだろう。全くもって失礼である。