昔の人々が偉かったと思うことは、投資するべき対象に人物を選んでいたことである。学校を創設した人々は、「儲ける」ことを目論んで設立した訳ではない。優れた学問や教育を子供達に受けさせようという思いで、学校を作ったのである。私財を投じて、或いは寄附を集めて、学校の設立に尽力した人々が多数いたのだ。明治時代の、大金持ちでもなかった人々がお金を出して、国や民衆の為に役立てる人間として育成したというその心意気に驚くのである。
有名な野口英世が上京する時に頼ったのは、血脇守之助という(後の東京歯科大学の創設者)、まだ26歳の勤務歯科医であったのだ。その給料から野口英世(当時はまだ清作)に金を工面したり、仕事の世話をしたりしていたことを考えると、人間の大きさというものを感じるのである。また、野口ばかりではなく、明治時代には縁故とか、同じ県の出身ということを頼りにして上京した(県人会は、そうした流れを汲むのかな?)人達がたくさんいて、地元の後援者(篤志家)などから学費の援助をしてもらうことも珍しくなかった。貧乏だが優れた能力があるということで、全くの他人が学費を無償でくれるという、厚情の時代だったのだ。広田弘毅も裕福ではない石屋の倅だったが、学費を他人が出してくれたはずだ。そう考えると、明治人って本当に立派だったのだな、と思う。こういうことって誰が教えたのだろう?「金持ちは優秀な他人の子供に学費を出す」っていうことを、誰かが教えて出来たことなんだろうか?それとも急速に西欧化が進んで、キリスト教系の寄進・寄附行為が一般化したのだろうか?
いずれにせよ、人間を成長させることには金を出す、という明確な意図があるのだ。今の有名私立大学などの多くも、そうした人材育成・教育への理想を持った人達が開校したのだろう、と思う。列強に負けない、国際社会に通用する優れた人材をどんどん育てようという時代の機運が溢れていたのかもしれない。そういう流れの中で、個人的援助にお金を出す人達も多く存在したのだろうと思う。勿論、自己利益のみの執着が強い人達もいただろうと思うが。今の時代に、これほどまでに他人に何かしている人はかなり少ないと思う。税制とか社会環境は違うと思うが、今の高額所得者が昔ほど人の為に拠出しているかどうかは分らない。現代の援助と言えば、悪い意味でしかなくて、「援助交際」という犯罪行為くらいしか出てこないというのも、誠に恥ずかしい限りである。本当に同じ日本人なのだろうか、と思ってしまう。
現代の日本人は、自己利益に囚われ過ぎて、志を失ったかのようである。空ろな態度や言動、空しさが充満した心、そういうものに覆い尽くされて、社会全体の活性が低下したように見える。志を取り戻して欲しい、そう願う。
個人の出来ることを精一杯やることで、社会に役立ち、自己の存在意義が見出せるかもしれないし、充実した気持ちを得られるかもしれない。今は、そういう心意気が感じ取れないような社会だからこそ、ギスギスした、単なる足の引っ張り合い、蹴落としあいみたいな感じがするんじゃなかろうか。明治時代から試験による競争などは同じようにあったし、グローバル化の進度は今の比ではなかっただろう。近代国家ですらなかったのだから。それが僅か30年足らずで、驚異的な努力と適応力で乗り越え、国家の形をなし、日清戦争と日露戦争で大国を退けたのだから、そういう潜在的エネルギーは今の日本人にあっても不思議ではないと思う。当時の日本は国際社会の表舞台に登場するのが遅かったが、非常に大きなインパクトを与えたはずだ(私は日清戦争や日露戦争を美化するつもりではありませんが、両国とも当時の日本に比べれば大国と目されており、国力で劣っていた日本が両者に勝つような力を短期間でつけられたのは、日本人の特性によると思うのです)。
明治時代には、競争相手は常に諸外国であり、隣人との競争というような視野の狭さが、今ほどなかったのかもしれない。現代は情報とか交通機関の発達で、世界は時間的にも空間的にも、明治時代よりはるかに狭まったはずだ。だが、それとともに人間の視野が狭まり、遂には隣の人とか、ごく狭い範囲の日本人同士の競争にばかり目を向けるようになってしまった。会社でも隣の机に座っている奴とか、同期の奴とか、そういう偏狭な視野しか持てない人間が増えてしまったんじゃないだろうか。そして、遂には他人の誰にも目を向けられなくなる、自己中心の、というか自分しか存在しないような、異常に狭い範囲しか見えない人間までが登場するようになったかのようだ。そういう、退行現象のようなことが起こっているのかもしれない。
今年で最後となる納税者番付を見て羨んだり憧れる前に、思い致すべき「篤志家の心」―そういう志のある行いや仕事というものについて多くの日本人に考えて欲しいと思う。勿論私自身もそうなのであるが。どんなことでも、実行は難しいですからね、やっぱり。反省。
有名な野口英世が上京する時に頼ったのは、血脇守之助という(後の東京歯科大学の創設者)、まだ26歳の勤務歯科医であったのだ。その給料から野口英世(当時はまだ清作)に金を工面したり、仕事の世話をしたりしていたことを考えると、人間の大きさというものを感じるのである。また、野口ばかりではなく、明治時代には縁故とか、同じ県の出身ということを頼りにして上京した(県人会は、そうした流れを汲むのかな?)人達がたくさんいて、地元の後援者(篤志家)などから学費の援助をしてもらうことも珍しくなかった。貧乏だが優れた能力があるということで、全くの他人が学費を無償でくれるという、厚情の時代だったのだ。広田弘毅も裕福ではない石屋の倅だったが、学費を他人が出してくれたはずだ。そう考えると、明治人って本当に立派だったのだな、と思う。こういうことって誰が教えたのだろう?「金持ちは優秀な他人の子供に学費を出す」っていうことを、誰かが教えて出来たことなんだろうか?それとも急速に西欧化が進んで、キリスト教系の寄進・寄附行為が一般化したのだろうか?
いずれにせよ、人間を成長させることには金を出す、という明確な意図があるのだ。今の有名私立大学などの多くも、そうした人材育成・教育への理想を持った人達が開校したのだろう、と思う。列強に負けない、国際社会に通用する優れた人材をどんどん育てようという時代の機運が溢れていたのかもしれない。そういう流れの中で、個人的援助にお金を出す人達も多く存在したのだろうと思う。勿論、自己利益のみの執着が強い人達もいただろうと思うが。今の時代に、これほどまでに他人に何かしている人はかなり少ないと思う。税制とか社会環境は違うと思うが、今の高額所得者が昔ほど人の為に拠出しているかどうかは分らない。現代の援助と言えば、悪い意味でしかなくて、「援助交際」という犯罪行為くらいしか出てこないというのも、誠に恥ずかしい限りである。本当に同じ日本人なのだろうか、と思ってしまう。
現代の日本人は、自己利益に囚われ過ぎて、志を失ったかのようである。空ろな態度や言動、空しさが充満した心、そういうものに覆い尽くされて、社会全体の活性が低下したように見える。志を取り戻して欲しい、そう願う。
個人の出来ることを精一杯やることで、社会に役立ち、自己の存在意義が見出せるかもしれないし、充実した気持ちを得られるかもしれない。今は、そういう心意気が感じ取れないような社会だからこそ、ギスギスした、単なる足の引っ張り合い、蹴落としあいみたいな感じがするんじゃなかろうか。明治時代から試験による競争などは同じようにあったし、グローバル化の進度は今の比ではなかっただろう。近代国家ですらなかったのだから。それが僅か30年足らずで、驚異的な努力と適応力で乗り越え、国家の形をなし、日清戦争と日露戦争で大国を退けたのだから、そういう潜在的エネルギーは今の日本人にあっても不思議ではないと思う。当時の日本は国際社会の表舞台に登場するのが遅かったが、非常に大きなインパクトを与えたはずだ(私は日清戦争や日露戦争を美化するつもりではありませんが、両国とも当時の日本に比べれば大国と目されており、国力で劣っていた日本が両者に勝つような力を短期間でつけられたのは、日本人の特性によると思うのです)。
明治時代には、競争相手は常に諸外国であり、隣人との競争というような視野の狭さが、今ほどなかったのかもしれない。現代は情報とか交通機関の発達で、世界は時間的にも空間的にも、明治時代よりはるかに狭まったはずだ。だが、それとともに人間の視野が狭まり、遂には隣の人とか、ごく狭い範囲の日本人同士の競争にばかり目を向けるようになってしまった。会社でも隣の机に座っている奴とか、同期の奴とか、そういう偏狭な視野しか持てない人間が増えてしまったんじゃないだろうか。そして、遂には他人の誰にも目を向けられなくなる、自己中心の、というか自分しか存在しないような、異常に狭い範囲しか見えない人間までが登場するようになったかのようだ。そういう、退行現象のようなことが起こっているのかもしれない。
今年で最後となる納税者番付を見て羨んだり憧れる前に、思い致すべき「篤志家の心」―そういう志のある行いや仕事というものについて多くの日本人に考えて欲しいと思う。勿論私自身もそうなのであるが。どんなことでも、実行は難しいですからね、やっぱり。反省。