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イラクの邦人拘束事件のこと

2005年05月10日 20時28分44秒 | 社会全般
2ヶ月以上前くらいに「本のよみうり堂」の書評欄に紹介されていたP・W・シンガー著『戦争請負会社』(この評者も池内恵氏だったかもしれません)であるが、先日の記事(参考記事)にもちょこっと触れました。今回の邦人拘束事件は、こうした戦争請負会社に所属する日本人ということのようです。報道によれば会社の実態がよく判っていない、ということらしいですが、本には書いていないのかな?
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 実態見えぬ警備会社、イラクで米軍から業務委託

人質になってしまわれた方の無事を祈るだけですが、国際紛争や戦争における業務委託というのが、本当にビジネスとして行われているというのも、ある意味凄いことですね。随分昔の傭兵部隊とか「エリア88」(笑)のようなのが、今の時代にも実際に存在しているんだな、と思います。勿論、業務内容は大きく様変わりしていますけれども。


戦争というのは、昔はある意味投資であったように感じる。投下資本(莫大な戦費とか兵糧とか兵器・武器・弾薬・・・)とリスク(多数の戦死、大衆の困窮・不満増大、敗戦、休戦で「戦利品なし」とか)に比べて、回収する戦利品やら賠償金とか支配地域の資源とか奴隷とかそういう何かを得る投資としては、メリットが少なくなったので戦争をする意味が減ってきているんじゃないのかな、と思う。そういう投資判断で戦争をする訳ではない場合もあって、独立、名誉、イデオロギーとか宗教といった理由で不採算な戦争が起こるといつまでも続くことになってしまうのかもしれないな。よく分りませんが。利益目的の人間の行動というのは概ね分かり易いし、予測もつきやすいだろうが、利益度外視とか不利益であるにもかかわらず争うという場合には、想定外ゆえに恐ろしいのかもしれない。カルト集団などの場合にも同じような傾向があるのかな。


色んな意味で戦争は昔とは違う形態になったということなのだろう。その一部が戦争請負会社という象徴的な存在として見られるのかもしれない。



話はとんでしまうが、今日の読売新聞の編集手帳には、「鶸(ひわ)色」、「鴇(とき)色」、「鳶(とび)色」、「鶯(うぐいす)色」、「鴨(かも)の羽色」、「山鳩(やまばと)色」「雀(すずめ)色」などの言葉が”色とりどり”に並んでいた(笑)。これを読んだ時に思い出したのが、昨年だったか、ウチの子に買った誕生日プレゼントだ。

例によって「よみうり堂」の日に出ていた『色彩の手帳』という本の切り抜きをウチの子が持っていて、私から誕生日プレゼントは何がいいか尋ねられると、その切り抜きを差し出したのだった(毎年私からのプレゼントは本だと思い込んでいる)。本人は既に本屋で現物を見たらしく、「気に入った」と言っていたので、「それが欲しいならいいよ」と私は言った。後日本屋で買おうと思い、『色彩の手帳』の中を見ると、色見本のような本だった。一色ごとに正方形の色見本と解説が書いてあり、それが数百色か続いている。一瞬「ええーっ!?本当にこれが欲しいの?」と思い、家で本人に確かめると、やはりそれが好きだという。理解不能である。なぜこんな、デザイナーさんとかが見るんじゃないのかな、と思うような本が好きなのか、私には解らなかった。どのページも、色の説明しか書いていないのだ。それも見たこともないような、上の編集手帳に出て来たような色の説明ばかり。子供の考えることはわからんな、と思いながらも、その本と、『ダビンチ・コード上下』をプレゼントすることにした(何故2種類かというと、クリスマスと誕生日が一緒だからで、一つだと可哀想だと思って毎年2つです)。


しばらくたった後で、子供に「これ~~色に似てるね。でも○○色の方がいいよね」とか言われても、返答のしようがない。一度も聞いたことのない色を言われ、親として答えられないのでした。恥ずかしい~。正直言って、子供に自分が「大人のふり」をするのは随分前からヤメていたけれど、既に負けているというのも辛い。どうしてあんなに何遍も読むんだろう、『色彩の手帳』。不思議。美術的センスとか全くないのに。絵を描くのも好きじゃないと言っていたのに。だが、色にだけは関心があるのだろう。わからん。未だに謎。子供って・・・本当に難解なのだな、と思った。


追記:5/11 10時半頃

今日本を見ると間違いでした。正しくは『色の手帖』(監修永田泰弘、小学館)でした。お詫びして訂正致します。『色彩の手帳』は読み替えて下さいね。ごめんなさい。

困らせちゃったかな・・・奥田さん

2005年05月10日 17時17分42秒 | 経済関連
先日の記事で自動車価格のことを書いたのですが、これがちょっと良くなかったかもしれない。こじつけ的な書き方でしたので、一部に誤解を生んでしまったのかも・・・
イラク問題の収束とデフレ終息
NIKKEI NET:主要ニュース

昨日、奥田氏の記者会見があり、曰く「値上げは各社の問題」「一般的な経済人として値上げという見方はある、と言っただけで、他社と話したこともない」と。気を悪くされたりしたら、ゴメンナサイ(まさか私の記事のせいではないと思いますが・・・)。それに私は値上げが悪いとも思っていませんし、当然の見方の一つなんじゃないのかな、と。国内の素材メーカーも助かるだろうし。他が直ぐに追随するかどうかは、正確には判りませんが、素材供給側の販売価格が上げられれば(まさかトヨタさんにだけ高く売り、他メーカーに安く供給はできないでしょう?)、必然的に新車価格に反映されると思うんですが(それとも利幅を今以上に削って価格据置?でもいいですが)。そうなると、例えば「鉄鋼・鋼板関係が値上げしたぞ」となれば、その他メーカーもそれに習って、値上げに踏み切るんじゃないかな、ということです。自動車メーカーが陰で結託しているとか、そんな風には思っていませんが、リーディング・カンパニーであるトヨタが決意するなら、当然の如く多くのメーカーに影響するのではなかろうか、と思うだけです。私は、新車価格値上げには賛成です。当面購入予定もありませんし(笑)。



次は財務省ネタ。谷垣君は、地方に営業に出かけていたようです。タウン・ミーティングで、医療費のキャップ制について発言がありました。「厳格な帽子をかぶせるとおかしなことになる」とのことでした。帽子と言っても、判りにくいと思いますがね。ダイレクトに、「医療費の総額に上限を設ける」とか説明しないと、帽子のイメージでは理解しづらいんじゃないのかな。

NIKKEI NET:主要ニュース

以前に書いたように(参考記事)、経済財政諮問会議の民間議員さん(奥田氏もこの1人ですね)から提案された、医療費伸び率をベンチマークに基づいて管理しよう、という無謀な案でした。そのベンチマークにはGDP成長率を取り入れるべきで、上限を設けることで財政支出の大幅抑制を図ろうということです。谷垣君が触れた「厳格な帽子」とは、このGDP成長率というキャップのことです。


経済財政諮問会議では、呼び出された厚生労働大臣の尾辻さんが集中攻撃を受け(そんなオーバーではないでしょうが、笑)、GDP成長率に替わる合理的なベンチマークを挙げてみろ、と民間議員さん達に迫られ、厚労省の官僚達が必死になって探してはみるものの、いい案が見つかっていません(多分、ですが。これも単なる憶測に過ぎませんから、本当はどうなのか分りませんよ)。経済学的な数値管理という手法よりも、供給される医療サービスとか医療資源の適正化や人員配置・労働力コストの問題にまず目を向ける方が望ましいと思いますがね。基本的には国の基幹産業となるようなものではないかもしれませんが(自動車とかITとかそういう産業構造とは異なるんじゃないかな、と)、市場規模が毎年30兆とか40兆円という医療関係(医療と介護)は人的資源をかなり必要とするし(多くの部分は人材によると思います)、仮にA病院が淘汰されて消滅しB病院に全て(患者、売上、収益など)が移ったとしても、医療界全体での費用総額は大きく変わることもなく、人員がそこで余るということもないのです。単に医療機関ごとに競争すれば医療費抑制になるのかというとそうでもなくて、収益が多い方が勝ち残るなら、逆に支払われる医療費総額は多くなるはずです(出来高払いですから、利益が大きい分だけ多く支払われることになります(材料費や人件費抑制には限界があり(まさか粗悪品の人工関節とか入れられないでしょ?)、もし人件費を大幅に抑制してもよい人材は集まりませんから、結果的には収益力はダウンするでしょう)。ですから、個々の病院の効率化ということでは対処が難しく、むしろ医療界全体で運営コストなどの検討が必要であると思っています(医療制度改革シリーズを読んでみて下さい、カテゴリー:社会保障問題)。


少ない取り分を巡って、各病院が同じような検査器機を導入したり、ある地域に集中して似たような施設が幾つも存在したり、ということが医療全体でみると無駄な設備投資になっているのではないかと思います(昔はそうやって過剰設備投資に費やされてきたのだろう)。そういう部分にこそ管理手法を導入をする意味があるように思いますね。独立行政法人の病院、大学病院、年金関係の病院、旧国鉄や電電の病院、自治体の病院、公務員共済の病院、社会保険関係の病院、と言う風に、公的なお金を入れ続けてきた医療機関の不適正配置というか医療資源の無駄に繋がっている部分があると思います。医療制度改革を行うべきであり、単なる数値目標で片付けることは出来ないと思います。