2ヶ月以上前くらいに「本のよみうり堂」の書評欄に紹介されていたP・W・シンガー著『戦争請負会社』(この評者も池内恵氏だったかもしれません)であるが、先日の記事(参考記事)にもちょこっと触れました。今回の邦人拘束事件は、こうした戦争請負会社に所属する日本人ということのようです。報道によれば会社の実態がよく判っていない、ということらしいですが、本には書いていないのかな?
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 実態見えぬ警備会社、イラクで米軍から業務委託
人質になってしまわれた方の無事を祈るだけですが、国際紛争や戦争における業務委託というのが、本当にビジネスとして行われているというのも、ある意味凄いことですね。随分昔の傭兵部隊とか「エリア88」(笑)のようなのが、今の時代にも実際に存在しているんだな、と思います。勿論、業務内容は大きく様変わりしていますけれども。
戦争というのは、昔はある意味投資であったように感じる。投下資本(莫大な戦費とか兵糧とか兵器・武器・弾薬・・・)とリスク(多数の戦死、大衆の困窮・不満増大、敗戦、休戦で「戦利品なし」とか)に比べて、回収する戦利品やら賠償金とか支配地域の資源とか奴隷とかそういう何かを得る投資としては、メリットが少なくなったので戦争をする意味が減ってきているんじゃないのかな、と思う。そういう投資判断で戦争をする訳ではない場合もあって、独立、名誉、イデオロギーとか宗教といった理由で不採算な戦争が起こるといつまでも続くことになってしまうのかもしれないな。よく分りませんが。利益目的の人間の行動というのは概ね分かり易いし、予測もつきやすいだろうが、利益度外視とか不利益であるにもかかわらず争うという場合には、想定外ゆえに恐ろしいのかもしれない。カルト集団などの場合にも同じような傾向があるのかな。
色んな意味で戦争は昔とは違う形態になったということなのだろう。その一部が戦争請負会社という象徴的な存在として見られるのかもしれない。
話はとんでしまうが、今日の読売新聞の編集手帳には、「鶸(ひわ)色」、「鴇(とき)色」、「鳶(とび)色」、「鶯(うぐいす)色」、「鴨(かも)の羽色」、「山鳩(やまばと)色」「雀(すずめ)色」などの言葉が”色とりどり”に並んでいた(笑)。これを読んだ時に思い出したのが、昨年だったか、ウチの子に買った誕生日プレゼントだ。
例によって「よみうり堂」の日に出ていた『色彩の手帳』という本の切り抜きをウチの子が持っていて、私から誕生日プレゼントは何がいいか尋ねられると、その切り抜きを差し出したのだった(毎年私からのプレゼントは本だと思い込んでいる)。本人は既に本屋で現物を見たらしく、「気に入った」と言っていたので、「それが欲しいならいいよ」と私は言った。後日本屋で買おうと思い、『色彩の手帳』の中を見ると、色見本のような本だった。一色ごとに正方形の色見本と解説が書いてあり、それが数百色か続いている。一瞬「ええーっ!?本当にこれが欲しいの?」と思い、家で本人に確かめると、やはりそれが好きだという。理解不能である。なぜこんな、デザイナーさんとかが見るんじゃないのかな、と思うような本が好きなのか、私には解らなかった。どのページも、色の説明しか書いていないのだ。それも見たこともないような、上の編集手帳に出て来たような色の説明ばかり。子供の考えることはわからんな、と思いながらも、その本と、『ダビンチ・コード上下』をプレゼントすることにした(何故2種類かというと、クリスマスと誕生日が一緒だからで、一つだと可哀想だと思って毎年2つです)。
しばらくたった後で、子供に「これ~~色に似てるね。でも○○色の方がいいよね」とか言われても、返答のしようがない。一度も聞いたことのない色を言われ、親として答えられないのでした。恥ずかしい~。正直言って、子供に自分が「大人のふり」をするのは随分前からヤメていたけれど、既に負けているというのも辛い。どうしてあんなに何遍も読むんだろう、『色彩の手帳』。不思議。美術的センスとか全くないのに。絵を描くのも好きじゃないと言っていたのに。だが、色にだけは関心があるのだろう。わからん。未だに謎。子供って・・・本当に難解なのだな、と思った。
追記:5/11 10時半頃
今日本を見ると間違いでした。正しくは『色の手帖』(監修永田泰弘、小学館)でした。お詫びして訂正致します。『色彩の手帳』は読み替えて下さいね。ごめんなさい。
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 実態見えぬ警備会社、イラクで米軍から業務委託
人質になってしまわれた方の無事を祈るだけですが、国際紛争や戦争における業務委託というのが、本当にビジネスとして行われているというのも、ある意味凄いことですね。随分昔の傭兵部隊とか「エリア88」(笑)のようなのが、今の時代にも実際に存在しているんだな、と思います。勿論、業務内容は大きく様変わりしていますけれども。
戦争というのは、昔はある意味投資であったように感じる。投下資本(莫大な戦費とか兵糧とか兵器・武器・弾薬・・・)とリスク(多数の戦死、大衆の困窮・不満増大、敗戦、休戦で「戦利品なし」とか)に比べて、回収する戦利品やら賠償金とか支配地域の資源とか奴隷とかそういう何かを得る投資としては、メリットが少なくなったので戦争をする意味が減ってきているんじゃないのかな、と思う。そういう投資判断で戦争をする訳ではない場合もあって、独立、名誉、イデオロギーとか宗教といった理由で不採算な戦争が起こるといつまでも続くことになってしまうのかもしれないな。よく分りませんが。利益目的の人間の行動というのは概ね分かり易いし、予測もつきやすいだろうが、利益度外視とか不利益であるにもかかわらず争うという場合には、想定外ゆえに恐ろしいのかもしれない。カルト集団などの場合にも同じような傾向があるのかな。
色んな意味で戦争は昔とは違う形態になったということなのだろう。その一部が戦争請負会社という象徴的な存在として見られるのかもしれない。
話はとんでしまうが、今日の読売新聞の編集手帳には、「鶸(ひわ)色」、「鴇(とき)色」、「鳶(とび)色」、「鶯(うぐいす)色」、「鴨(かも)の羽色」、「山鳩(やまばと)色」「雀(すずめ)色」などの言葉が”色とりどり”に並んでいた(笑)。これを読んだ時に思い出したのが、昨年だったか、ウチの子に買った誕生日プレゼントだ。
例によって「よみうり堂」の日に出ていた『色彩の手帳』という本の切り抜きをウチの子が持っていて、私から誕生日プレゼントは何がいいか尋ねられると、その切り抜きを差し出したのだった(毎年私からのプレゼントは本だと思い込んでいる)。本人は既に本屋で現物を見たらしく、「気に入った」と言っていたので、「それが欲しいならいいよ」と私は言った。後日本屋で買おうと思い、『色彩の手帳』の中を見ると、色見本のような本だった。一色ごとに正方形の色見本と解説が書いてあり、それが数百色か続いている。一瞬「ええーっ!?本当にこれが欲しいの?」と思い、家で本人に確かめると、やはりそれが好きだという。理解不能である。なぜこんな、デザイナーさんとかが見るんじゃないのかな、と思うような本が好きなのか、私には解らなかった。どのページも、色の説明しか書いていないのだ。それも見たこともないような、上の編集手帳に出て来たような色の説明ばかり。子供の考えることはわからんな、と思いながらも、その本と、『ダビンチ・コード上下』をプレゼントすることにした(何故2種類かというと、クリスマスと誕生日が一緒だからで、一つだと可哀想だと思って毎年2つです)。
しばらくたった後で、子供に「これ~~色に似てるね。でも○○色の方がいいよね」とか言われても、返答のしようがない。一度も聞いたことのない色を言われ、親として答えられないのでした。恥ずかしい~。正直言って、子供に自分が「大人のふり」をするのは随分前からヤメていたけれど、既に負けているというのも辛い。どうしてあんなに何遍も読むんだろう、『色彩の手帳』。不思議。美術的センスとか全くないのに。絵を描くのも好きじゃないと言っていたのに。だが、色にだけは関心があるのだろう。わからん。未だに謎。子供って・・・本当に難解なのだな、と思った。
追記:5/11 10時半頃
今日本を見ると間違いでした。正しくは『色の手帖』(監修永田泰弘、小学館)でした。お詫びして訂正致します。『色彩の手帳』は読み替えて下さいね。ごめんなさい。