新卒の就職状況は少し改善されたようである。企業業績の好転が雇用にも反映したということであろう。良かったね。ちょこっとだけど。ただ、就業希望者だけに限っているだろうから、何にも希望してない人もいるんじゃないかと思うと、やはり若者全体に仕事が行き渡っているわけではないのだろう。
Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 高卒就職90%台回復 大卒は5年連続上昇
どういう社会ならば意欲を持ち、先に進んで行けるのだろうか。若者が幻滅したりせずに取り組める社会って、どうしたらいいのだろうか。昔と何が大きく変わったのだろうか。
私は高校まで田舎暮らしでしたから、学習塾もなければ予備校もない所でした。競争も全然厳しくなく、特別勉強したりすることもなく過すことが多かったように思う。なので、普通の公的教育だけで十分であった。凄く楽しい学校生活だった。私は皆勤賞を目指していたし(爆)、学校へ行くのが一番楽しかった。
高校の時には大学進学を希望したが、貧乏だったので私立は絶対に無理だと親に言われた。浪人もさせられない、と宣告された。もし落ちたら働く、という約束だった。私の親は定時制高卒と中卒でしたので、給料がすごく安かったし、特別な高等教育を受けた人間ではなく、本も殆ど読まなかった。親に教わった事は、勉強のこととか進学のことなどは全くなかったが、仕事とか生き方とかは教えられたと思う。家で本を読んだりしていたら、そんな暇があるなら、と用事を言いつけられた。その代わりに、「勉強しろ」などとは一度も言われなかった。だから、勉強したり、本を読んだりして過せることの方がはるかに好きだった。
大学受験は、当時共通一次試験(今のセンター試験)と2次試験があって、国公立は1校しか受けられない制度だった。私立との格差を無くすとかの政策で、全ての国公立大学の受験日程が同じ日になっていた。なので、今まで大学受験はその時の一度だけしかなく、私立は勿論金がないので受験したことはないし(都会へ行く交通費とか受験料が苦しすぎて、親には言えなかった)、高校受験は公立しかないので、これだけでした。田舎に生きると、ほとんど試験がなく過せるんですね(笑)。なので、受験と言っても経験があまりなくて、高校・大学でそれぞれ一回しか経験していないから、受験指導とかは具体的に分らないのです。運良く入学できた国立大学は住居と同じ都道府県の、電車で数時間の地方都市にあり(1人暮らしとなって、すごく嬉しかった)、当時塾でバイトして初めて「都会の子は競争が厳しいんだな」と知りました(地方の中でも都会だと思っていたのです)。
大学では授業料免除と日本育英会の奨学金があったので、ウチのような貧乏な家庭でも進学することが出来ました。もしも、私立だったら絶対に行けなかったでしょう。ですから、私は、大学教育を与えてくれたのは、国であり、国民の税金で教育投資を受けることが出来たと思っています。それに応えるには、私に大学教育を授けてくれた国や国民に、その一部でも恩返しをするのが当然であると思うし、自分の力だけでは無理だったと思うのです(参考記事)。こうした教育制度は当然の如く守られて欲しいし、貧乏とか学歴の低い家庭とかそういう理由で希望格差に繋がるような社会は、どこかオカシイような気がするのです。今から20年くらい前の話ですから、今と比較にもならないし、貧乏自慢とか誰でも大学に入れるということを言おうと思う訳ではありません。ですが、今も同じような制度とか仕組みはある程度残っているだろうし、そういうアドバイスを学校の先生とか行政の人(役場の人とか?)が教えてあげたりすることも必要なのではないか、と思います。私は学校で全て教えてもらえました。
大学には折角立派な先生達や教授達がいたにもかかわらず、私は一生懸命勉強したりせずに、部活やバイトとか遊んで過したし、成績優秀なはずもなく、悪い学生の見本みたいなものでしたから、教育機会を無駄に浪費したのだろうと思う。ゴメンナサイ。その分、社会貢献で頑張りますから(笑)。今こうして仕事をしたり、生活していけるのは、大学教育のお陰と思っています。そういう国の良い政策があればこそ国民は恩恵を受けられるというのに、その一方で、悪い政策とか浪費が続けられて、いい政策の足を引っ張るのだとしたら、これを反対するに決まっています。
私の知人に、2歳くらい年上の女性がいましたが、その方は進学できなかったので(受験で不合格だったとのこと)自衛隊に入隊したそうです。浪人はさせられない、というのが理由だったとのことでした。でも、当時は女性の自衛官は少なくて、入隊したらすぐにアイドルになれたのではないかと思います(そういえば、遠い昔、自衛官募集しても集まらず、婦人自衛官の水着写真集みたいなのを発売したんじゃなかったかな。それとも雑誌に出ただけだったかな?・・・笑)。その人は大きな基地だったか、司令部みたいなところに配属になって、遠くに行ったのではなかったかな。その女性の制服姿がカッコよくて、自衛隊に入隊してみたい、とちょっとだけ思いました(爆)。何度も言うようですが、私は制服マニアとかではありませんよ。本当ですってば(笑)。今なら、中々そういう公務員にはなりたくてもなれないんですよね、きっと。なので、当時の彼女の選択は悪くはなかったのかもしれない。その後の人生を聞いてみたわけではないんですけれども。
参考までに、格差社会シリーズ(カテゴリー:社会全般)とか教育問題のあたりをお読み頂ければ幸いです。
Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 高卒就職90%台回復 大卒は5年連続上昇
どういう社会ならば意欲を持ち、先に進んで行けるのだろうか。若者が幻滅したりせずに取り組める社会って、どうしたらいいのだろうか。昔と何が大きく変わったのだろうか。
私は高校まで田舎暮らしでしたから、学習塾もなければ予備校もない所でした。競争も全然厳しくなく、特別勉強したりすることもなく過すことが多かったように思う。なので、普通の公的教育だけで十分であった。凄く楽しい学校生活だった。私は皆勤賞を目指していたし(爆)、学校へ行くのが一番楽しかった。
高校の時には大学進学を希望したが、貧乏だったので私立は絶対に無理だと親に言われた。浪人もさせられない、と宣告された。もし落ちたら働く、という約束だった。私の親は定時制高卒と中卒でしたので、給料がすごく安かったし、特別な高等教育を受けた人間ではなく、本も殆ど読まなかった。親に教わった事は、勉強のこととか進学のことなどは全くなかったが、仕事とか生き方とかは教えられたと思う。家で本を読んだりしていたら、そんな暇があるなら、と用事を言いつけられた。その代わりに、「勉強しろ」などとは一度も言われなかった。だから、勉強したり、本を読んだりして過せることの方がはるかに好きだった。
大学受験は、当時共通一次試験(今のセンター試験)と2次試験があって、国公立は1校しか受けられない制度だった。私立との格差を無くすとかの政策で、全ての国公立大学の受験日程が同じ日になっていた。なので、今まで大学受験はその時の一度だけしかなく、私立は勿論金がないので受験したことはないし(都会へ行く交通費とか受験料が苦しすぎて、親には言えなかった)、高校受験は公立しかないので、これだけでした。田舎に生きると、ほとんど試験がなく過せるんですね(笑)。なので、受験と言っても経験があまりなくて、高校・大学でそれぞれ一回しか経験していないから、受験指導とかは具体的に分らないのです。運良く入学できた国立大学は住居と同じ都道府県の、電車で数時間の地方都市にあり(1人暮らしとなって、すごく嬉しかった)、当時塾でバイトして初めて「都会の子は競争が厳しいんだな」と知りました(地方の中でも都会だと思っていたのです)。
大学では授業料免除と日本育英会の奨学金があったので、ウチのような貧乏な家庭でも進学することが出来ました。もしも、私立だったら絶対に行けなかったでしょう。ですから、私は、大学教育を与えてくれたのは、国であり、国民の税金で教育投資を受けることが出来たと思っています。それに応えるには、私に大学教育を授けてくれた国や国民に、その一部でも恩返しをするのが当然であると思うし、自分の力だけでは無理だったと思うのです(参考記事)。こうした教育制度は当然の如く守られて欲しいし、貧乏とか学歴の低い家庭とかそういう理由で希望格差に繋がるような社会は、どこかオカシイような気がするのです。今から20年くらい前の話ですから、今と比較にもならないし、貧乏自慢とか誰でも大学に入れるということを言おうと思う訳ではありません。ですが、今も同じような制度とか仕組みはある程度残っているだろうし、そういうアドバイスを学校の先生とか行政の人(役場の人とか?)が教えてあげたりすることも必要なのではないか、と思います。私は学校で全て教えてもらえました。
大学には折角立派な先生達や教授達がいたにもかかわらず、私は一生懸命勉強したりせずに、部活やバイトとか遊んで過したし、成績優秀なはずもなく、悪い学生の見本みたいなものでしたから、教育機会を無駄に浪費したのだろうと思う。ゴメンナサイ。その分、社会貢献で頑張りますから(笑)。今こうして仕事をしたり、生活していけるのは、大学教育のお陰と思っています。そういう国の良い政策があればこそ国民は恩恵を受けられるというのに、その一方で、悪い政策とか浪費が続けられて、いい政策の足を引っ張るのだとしたら、これを反対するに決まっています。
私の知人に、2歳くらい年上の女性がいましたが、その方は進学できなかったので(受験で不合格だったとのこと)自衛隊に入隊したそうです。浪人はさせられない、というのが理由だったとのことでした。でも、当時は女性の自衛官は少なくて、入隊したらすぐにアイドルになれたのではないかと思います(そういえば、遠い昔、自衛官募集しても集まらず、婦人自衛官の水着写真集みたいなのを発売したんじゃなかったかな。それとも雑誌に出ただけだったかな?・・・笑)。その人は大きな基地だったか、司令部みたいなところに配属になって、遠くに行ったのではなかったかな。その女性の制服姿がカッコよくて、自衛隊に入隊してみたい、とちょっとだけ思いました(爆)。何度も言うようですが、私は制服マニアとかではありませんよ。本当ですってば(笑)。今なら、中々そういう公務員にはなりたくてもなれないんですよね、きっと。なので、当時の彼女の選択は悪くはなかったのかもしれない。その後の人生を聞いてみたわけではないんですけれども。
参考までに、格差社会シリーズ(カテゴリー:社会全般)とか教育問題のあたりをお読み頂ければ幸いです。