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末は博士か大臣か―博士貧乏?

2005年05月12日 20時59分05秒 | 社会全般
今のご時世、博士は増えましたが定職に就けない方々も多く存在するのだそうです。文部科学省の政策によって、多くの国立大学(今は独立行政法人)は大学院重点化が進められ、大学院へと進学する人が多くなったのですが、卒業後に研究者としてのポストが少なく、給料も満足に貰えない人もいるということのようです。ニートやフリーターばかりではなく、博士にまで厳しい雇用の現実が待っているようです。


大学院ばかりではなく、ロースクールについても同じような将来が待っているかもしれません。大学院の問題は、米国に比べて在学者数が少ないということが言われたりするのですが、就業環境が異なるために一概に比較は出来ないのかもしれません。給与体系にも明らかな違いがありますし。

研究活動は必ずしも大学等の研究機関に所属していなくとも可能な場合もあります。天体研究家、郷土史研究家、古美術研究家や姓名研究家などは、何処にも所属しておらず全くの個人の方もおられます(権威の重さ?に違いがあるとか、学会内の評価などは知りませんが個人でも可能だということです)。ところが、理系の研究ということになれば、純粋な数学理論などは別として(自分の頭さえあれば研究できそうだからです、思い込みかもしれませんが、笑)、殆どの場合に複雑な実験器機とか実験動物、試薬類、その他もろもろ・・・という具合に、到底個人では出来ないことの方が多いと思います。企業や大学とか公的機関などの研究機関に所属していなければ、まず研究は無理なんじゃないかということです。理系の研究ということだけで、たくさんの予算を使う(器械類とか、ありとあらゆるものに金がかかる)ので、人件費にまで回せるお金というのが相対的に減少してしまうのかもしれないな。文系は元来お金がかかる器具・機械類とかを購入する必要性があんまりないもんね。

それと、経済学、経営学、金融関係などの学問ならば、即お金に直結する部分があるから、コンサルタントや研究機関なども民間レベルでたくさんあるかもしれない。ということは、ポストがそれなりにある、ということになるのかな。テレビのコメンテーターにしても、「~~経済研究所の主席研究員の何とかさん」とか、「何だか総研の上席研究員の何とかさん」という風に、殆ど経済系の人達が多い。稀に理系(と言うのが適切かどうか判りませんが)の「精神科医の○○リカさん」だとかやっぱり「精神科医の和○○○さん」とかくらいかな(ところで、どうして精神科医ばっかりなんだろう?)。他には・・・そうだな江崎玲於奈さんはごく稀に出てるな。

文系の民間ポストは、大きな設備投資が要らない(机とイスくらいあればOKなのかな?あとはPCと自分の脳みそでこれは共通だよね)ので、結構作りやすそうな気がする。実験系の理系研究所となると、大きな製薬会社や企業研究所などが主なポストだと思うけれど、施設自体にかなりお金がかかりそうだよね。実質的には文系よりもはるかに巨額の研究投資が理系分野に行われていると思うが、それが人的需要を大きく生み出す程にもなっていないのかな?博士の行き場がない、というのが、実態がどうなのかよく見えていないんだけれど、こういう研究所関係にも空きができないから、定職に就けないのだろうか?大学にもポストなし、民間もなし、ということになれば、後は別な道しかない、ということなのだろうか。例えば、教職課程の大学を出ても、先生になれない人達がたくさんいるのと同じような感じもするけれど。

博士の行き場がないのは、行政的政策の失敗のツケが院生卒後の人生に回っているということなのかな?それとも、人員とポストの数のバランスが悪いので(人的需要がないのに理系博士の供給が過剰になっている)、博士が余るということかな?余る人達に、何か安定的な就職先を提供できるような環境があればいいですが、今の時代にそれ程の余裕もなさそうですし、他にも同じように大学を卒業しても働けない人達もいるのが現状ですから、大学院卒だけを優遇するような制度を作るということもなかなか難しいでしょう。

先頃政府の(というか経済財政諮問会議の)発表した21世紀の未来像では社会人大学院を拡充して、余った人生の時間を院生として過してくれ、という壮大なる計画ですから、今後も博士貧乏は増えるでしょう(多額の学費を先行投資しても、卒後に仕事なし、笑)。嬉しがるのは、少子化で学生集めが大変な大学(通算の在学年数延長で数の減少を補おうということかな)と、文科省くらいなものでしょうか(多くの大学を救済できれば影響力が行使できるし、官僚の退官後ポストとしての教授ポストもあるしね)。勿論、どういう目的で何を学び、将来どうするのか、ということをよく考えた上で院生を選択するならば、自分の将来に大いに役立つこともあるとは思いますが。でも、全員そうなれるのか、というとこれは難しい。他の業種でも、競争があり、需給関係があれば、余る人が出てしまうのは、防げないようにも思うのです。


時間がないので、後でまた直したり、書き足しますね。

こちらのブログでかなり議論されています。非常に興味深いです。
Y日記

本来的には、受け入れ先があって、それに見合う人材育成という形で博士を送り出せることができればいいのだろうと思いますが、果たしてそういったうまい政策があるのか、というと難しい問題だと思います。しかも、求人需要と本人が求める待遇とのギャップが大きければ、大学院卒であるが故に難しい面も出てくるのかもしれませんね。これは、格差社会シリーズで書きましたが、本人がこのギャップを埋める努力をする以外には、いい解決策は思い浮かびません。


明治時代には、博士が非常に少なかったので、非常に価値のあるものだったのでしょうが、今という時代に生きるには、博士という肩書きだけでは何の約束もないということなのでしょう。


言葉の触発

2005年05月12日 16時37分14秒 | 俺のそれ
イラクで拘束された斉藤さんの無事帰還を願うしかないのであるが、今日の天声人語にも『戦争請負会社』が取り上げられていた。ふーむう、今回の事件で偶然にも注目が集まった本となったようである。多くの知識人や言論人達は、色んな著作を読み多くのことを知っていて、文章にしていくんだろうな、と思う。その一方で、TBSのHPのコラムに記事を書いていた担当部長が、毎日・読売・朝日新聞からの盗作を繰り返していたという事件が報じられた。人間の頭の中に、言葉が浮かばない時ってやってくるのだろうか?私にはよく判らない。考えることが苦痛になっていくのだろうか?そういう時にでも、「きちんとした文章を書かなければ」というようなプレッシャーがあって、他の人の書いたものを使ったりするのかな?思いが何かあれば、何となく出てくるような気もするけれどね。


自分の知識としては何の中身も持たないが、私は基本的に「人が好き」なのだと思う。人間の不思議さとか可能性とか何かの素晴らしさに、いつも期待しているんじゃないかとも思う。そういう目で見たら、人々の行動や営みとか、考えや文章に触発されるような気がする。ただ、文章を書いて商売にするというのは、もっと別次元の話なのかもしれませんが。


文章に触発されるということで言えば、熱烈な読者を持つ作家というのも大変だろうな、と思う。最も厳しい書評家が、マニアな読者であるからだ。かなり有名なのは、ドイルの「シャーロック・ホームズ」の研究家達、そう世界中に「Sherlockian」が存在しており、ありとあらゆる研究がされている。ユニークだけどね。「Sherlockian」と似た感じの、ディケンズ著の『The Pickwick Papers』に出てくる主人公「Pickwick」に由来する「Pickwickian」というのが存在する。これは「ピックウィック研究家」ではなくて、その主人公のような言葉とか行動に当てはまる事柄を指して使われる(私は英語が苦手ですから、正確には語学研究家とかディケンズ研究家の意見を参考にして下さいね)。

どちらの作家も、人間観察のスペシャリストと言えるかもしれない。フィクションの中に書かれる人間が、現実世界と同じように正確に描写されるので、フィクションと思わせないような錯覚をもたらすのかもしれない。ディケンズはPickwickを正確に描写したので、後年彼が患っていたと思われる病気が明らかとなった。「睡眠時無呼吸症候群」というのがそれだ。


元々は「ピックウィック症候群」として知られており、これは主人公のPickwickの観察とぴったり符号するような病態が医学研究で報告され、彼の名前に因んで名付けられた。体型とか昼間でも眠くなるなどの特徴があり、今で言う「睡眠時無呼吸症候群」をディケンズは詳細な観察によって明らかにしていたという訳だ。どちらかと言うと、「Pickwick syndrome」の方が気が利いており、「睡眠時無呼吸症候群」は一目でどんな病気か分かり易いが味気ない感じだな。「ピックウィキアン」とか「ピックウィック症候群」という言葉として名を残すのも、中々文学的な心があって面白いと感じてしまうのである。洒落ているのである。なので、これからは、「睡眠時無呼吸症候群」のことを指して言う時には、「ピックウィック症候群」と呼んで欲しいです(冗談です、落合先生)。


いぜれにしても、人間への興味は尽きないし、それを表現しようとする言葉の中にある、考えや思いを見ようとするなら、常に何かの触発を受けると思う。



これとは全く関係ありませんが、「極東ブログ」のfinalventさんが書いている日記(finalventの日記)には多くのマニア的読者が存在しており、特に哲学、西洋史・文学、語学などの話題の時には、書いてあることが全く理解できない。できれば、もう少し易しく書いて欲しいな、と思う(笑)。だが、ベースが違うので、易しくすると他の読者達が物足りなくなるだろう。恐らく、彼らのような熱心な読者は「finalventian」を自認する人達であろうと勝手に推測している(笑)。ということで、今後は「finalventian」と呼んでしまおう。私は無理だけれども(笑)。