いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

組織将来像の推測3

2005年10月27日 20時49分53秒 | 俺のそれ
ここ数日は、色々とあって昨日は記事を書けませんでした。残念でございます。毎日きちんと更新されている方を見ると、心の底から尊敬致します。これは、簡単には出来ないことです、やっぱり。

しつこいようですが、最後の回です。国について書いたので、企業について少し考えてみました。シリーズの前の方からお読み下されば幸いです。



企業や商業組織も生物に似たようなところがあるのかな、と思います。初めの段階は「独りの企業」(個人経営ということ)であり、分化は進んでいません。大昔で言えば、きれいな石を拾い集め、石を磨き、穴を開け、紐に通して首飾りを作って、物々交換をする(売るでもいいですが)ということをたった独りでやるということですね。現代では機能分化が進んでいるので、集める人、磨く人、首飾りを作る人、売る人、という風に分かれてしまいました。その方が全体としての効率がよいからだろうと思います。これもシステムの自己膨張による複雑化の過程なのかもしれないですね。経済や金融というものは、目覚しい自己膨張を遂げ、複雑化したシステムを持つようになりました。元々の単純な維持システムの獲得によって、そのシステムが存在することで別なシステムが生み出される、というようなことが起きたのだろうと思います。


企業の外部エネルギー獲得というのは、非常に分り易く言えば「金を得る」ということですかね。通常は人員とか他の経営資源とか何とか色々あるだろうけれども、基本的システムは金を得るということだろうな、と。細胞分裂に似ているのが、本店と支店を出す時ですかね。ラーメン店を始めた人がいて、上手くいったので遂には支店を出そう、ってことになれば、「自己複製」のようなものですね。企業は巨大化が大体成功の目安で、本当に小さい種との競争は違いが圧倒的でしょうね。これは大変厳しい競争だろうと思います。でも、ライオンがアリの全てを殺すことが出来ないのと同じように、圧倒的に巨大化した企業が存在しても、何故かごく小さい企業は生き延びるか新たに生まれてきます。弱小な種を絶滅させられないのです。これはとてもおもしろい現象だと思います。全体としての効率化を最も進めたはずの大企業があれば、他の種(個人とか零細企業など)は不必要なはずなのです。存在理由さえないはずなのですが、どういう訳か弱小企業などが生まれてきたりします。


企業の集団というのは、森のようなものかもしれません。大企業という大木が出来ると、大木は長い時間をかけて巨大化していき、他の大木との生存競争にさらされますね。大企業という大木があることで、下の方にはコケが生えたり、低木が生えたり、雑草が生えたりする(=弱小企業とか、個人企業とか・・・)ようなものかもしれないですね。大木があるお陰で、鳥やリスや昆虫なども生活してくれるので、新たな外部エネルギー供給ということなのかもしれないし、別なシステムを持つ種の誕生となることもあるかもしれない。企業の歴史で、50年以上続く企業の割合というのは、どれほど存在するか知らないけれども、多分少ないんじゃないかな、と思う。大木に成長できる企業ばかりではない、ということだろう。


樹齢百年の木にはそれなりの価値があり、そういう企業もまた同じく、何かの価値があるのだろう。勿論競争は厳しいので、うっかりしていれば、後から生えてきた幼木などに足元を脅かされたり、嫌なツタに絡まれたり、色々な目に遭わされるかもしれない。時には効率の悪い下の方の太い枝(過去の収益事業とか昔に成功した事業とか)を、自ら落とさねばならなかったりするかもしれない。大不況という暴風雨に遭ったりして、中には他の木々も巻き込んで倒れる(連鎖倒産など)木もあるかもしれない。だが、一本では倒れやすいけれど、何本も集まって大きな木々が守る森であれば、互いが互いの風を弱めて守る働きとなるだろう。日本の企業群が非常に厳しい環境に置かれても、森のように暴風雨から互いを守りながら、もっと小さな草木や動物達や昆虫達を守ることが出来るだろう。


森の中心的な巨木は、しっかりと大地に根(=歴史に根ざした基本的収益基盤)を張り、時には古びた下枝(=時代遅れとなった事業)を落としたりしながらも、太陽に向かって新たな枝・芽(=新規事業など)を伸ばしていくということなのだろう。現代の企業に求められるのは、スピードや変革も大切なのだが、実は自らが「森の大木」となり、多くの草木と動物達との循環的環境を長いスパンに渡って継続できる「強さ」なんだろうと思う。自らの繁栄が多くの他者にとって有益なことに繋がるならば、この巨木への信頼は大きなものとなるだろう。


昨今の企業買収などに色々な意見があると思うが、根があまり張っていないのに、周囲の木々に取り付いて自分の一部分としてそれぞれを取り込んでいくだけの姿であるならば、それも多様性の一つであるけれども、ちょっと美しくない木となってしまうかもしれませんね。自然の競争ですから、仕方がないのですけれども。「絞め殺しの木(イチジク)」というような、他の木の幹を枯らして自分が乗っ取るような木もあるので、自然界でもこのような競争はありますから。


出来れば名木となれるように頑張って頂き、森が更なる発展を遂げて、不毛な大地にも種が飛んでいったりして、よい環境となってくれるならば、これは喜ばしいことですね。砂漠にオアシスが誕生すれば、他の生き物も生活するようになっていくかもしれません。岩ばかりで厳しい環境ながら、高山植物のように、小さくとも可憐にひっそりと生きているかもしれません。真のチャレンジャーは、そういうものなのかもしれません。


かつて恐竜達と共に、地上の繁栄を謳歌したシダ植物(だったよね?)も、その後大幅に駆逐されていきました。私は山菜取りのワラビとかゼンマイくらいしか見たことがないですが。常に安泰ということはなくて、新たなものが登場することは確かでありますが、樹齢数百年とか数千年という老木が現存することを思えば、そういう木になれるなら企業としての存在意義があったな、と思います。ブランド価値・イメージもそうかもしれません。数年で消え去るシダで終わるなら、きっと忘れ去られるでしょう。