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日本の自律的景気回復は何故起こったのか?

2005年10月14日 21時51分08秒 | 経済関連
ちょっとよく判らないんですけれども、勝手に考えてみることに致します。現在までの経過については幾つか記事にしてきましたが、ここ数年だけで考えてみます。特別、経済指標とか統計データを調べていませんので、単なる感想と思って下さいね。いつもの妄想ですから。


まず、小泉政権が誕生した頃は、ITバブル崩壊直後で、97年金融危機以後の処理が残されていた時期でした。銀行不良債権は積み残しと、景気後退による新たな不良債権化が続いていて、金融不安は実質的に続いていた。その不安は一般国民にとってよりも、行政サイド若しくは政治的背景によって、金融不安が重視されていたかもしれない。本当に金融不安であれば、国民がもっと大挙して銀行預金を引き揚げて、郵貯に入れていたはずだからです。

しかし、バブル期崩壊頃の90年に急増した定額貯金が満期を迎えたこの時期には、争奪戦が繰り広げられたはずですけれども、郵貯残高が実質的に大幅なマイナスとなったことから、民間金融機関への信頼度が完全失墜していた訳でもなく、郵貯以外の運用方法を選択する国民が少なくなかったと推測されるのです。つまり、国民は大した「金融不安」を感じていなかったのではないかな、と。いくつかの銀行や信金信組等の破綻処理などもありましたけれども、行政サイドが思う程でもなかったのだろう、と。


民間企業は依然資産の適正化に努め、現金集めに勤しんでいたのだろう、と思います。銀行を中心に「持合解消売り」が続けられ、最悪期の日経平均8千円割れが起こってしまいました。これは景気後退と共に、「先高感」が全く見えないという失望もあったでしょう。一般個人は元々それ程多額の株式を保有していた訳ではないでしょうから、売られた株の多くは金融機関や企業などの保有であっただろうと思います。


当時「空売りが悪いんだ」という意見もよく出されたわけですが、基本的には「買い方」と「売り方」の勢力バランスによるものであり、「買い方」と「売り方」の総資金量や先行きに対する考え方によるものです。日本人の多くが「売り方」に回り、「買い方」についていたのは外国人投資家とか一部個人とかくらいでしょう。要するに、上げ相場ではみんな買いたがるに決まっており、いくら空売りが浴びせられても、買い資金が続く限り、「売り方」にも限界があります。売っても売っても、「買い方」が「将来上がるだろう」という夢と期待が大きくて買いに回っていれば、必ず資金が多い方が勝つだろうと思います。株価がある水準にまで下がっても、いつかは「売り方」も買い戻さなければならないし、買い方が優勢であれば「踏み上げ」になってしまうかもしれません。「空売り」にとっても、現物買いと同じくリスクがあるのです(「現物買い」は損害の限界(50万円で買えば損害上限は50万円です)がありますが、「売り」は株価が上がり続けるといくらでも損害が増大していってしまいます)。なので、無制限に続く「カラ売り」というのはありません。「買い方」の資金が細れば、「売り」優勢となるだけです。銀行が中心となって、保有株式の大量売却を進め、他の企業群も持合解消売りをひたすら続けたのです。「売り方」が圧倒的に優勢だった、ということです。


これには、補助的要因もあったかもしれません。それはグループ中核を担っていた銀行の役割の低下です。昔、社会科の授業で資料集などで習ったのですが、所謂「財閥」という枠組みがありました。戦後の財閥解体後でも「三菱」「三井」「住友」「芙蓉」などといったグループが存在しており、その中核には銀行があってメインバンクを務めていた。大企業群はそういうグループに属していた。そういう銀行の役割が終わった、ということです。これによって、銀行が「株式を売る」と言えば、今までグループに属していた企業群も銀行の株とかグループ内企業の持合株式を売りに出すことになってしまった。つまり、「過去の関係」が清算されていったとも言えるでしょう。一つの「ムラ社会」の終焉でした。


象徴的に語られたのは、「三井住友銀行」誕生の時でした。かつての仇敵(とまでは言わないけれども?)だった違うグループの銀行統合によって、それまでグループを形成していた企業群は銀行の枠組みから離れて、独り歩きをさせられることになったのです。それまでは、グループ内での取引とかガイジン風に言えば「系列」とか、そういう恩典もなくなった。銀行の枠組みが外れていったのは、それぞれが独自に判断して、徐々に銀行の求心力が弱まったこともあったでしょう。そういう関係を解消していく過程で「売り」に出されたのが、大量の持合株だったということです。


行政サイドにも、「売り推奨」とも言うべき状況があった。それは銀行の資産健全化過程で、リスク資産を減らしたり分離したり(私にはコンサルのような知識がないので、大まかに言うだけですから正確には判りません)ということによって、保有株式売却を進めた。これも「資産売り」として作用したのだろう。それまで、企業や銀行は不動産を中心に「現金化」を図ることで、資産売却をどんどん行ってきた。例えばNECのような本社ビル売却というところまで、「売れるものは何でも売れ」という状況だった。不動産売却は進み(不動産の連続値下がりということですね)、あと残っていたのは持合株式だった、ということで、それが売られていったのが、ちょうど最悪期だったと言えるでしょう。


銀行の求心力低下には、別な側面もあったでしょう。それはITバブルを演出した、銀行融資資金によらない企業の資金調達でした。株式公開長者が沢山生まれ、直接金融による資金調達によって銀行貸出は減少を続けることとなりました。このITバブル期に発行された、社債や転換社債などがきっと多かったと思います。転換社債やEBなどの「隠れ株式」も、ITバブル崩壊後には株式のダブつきによる売り圧力として作用したかもしれません。要は、銀行からの資金調達に頼らない企業が多く出て来たということです。私の知らないような複雑な仕組みを持つ資金調達方法なども、外資が手助けしたかもしれませんね。


こうした資産売却は90年代から続けられていったということです。当初は不動産を中心に、小泉政権誕生後には持合株式を中心に、という経過を辿ったのではないかな、と。株式売却が続いていた時期には、先安感が強くて8千円割れまで起こってしまった。主に買いに回っていたのは外国人投資家、ということだ。大きな不動産や破綻金融機関なども外資が買いにやってきたのだ。日本人がほとんど買わないから。こうして、デフレ要因は続いていたが、いよいよ風向きが変わってきた。それは何か?自律的回復に繋がったものは何か?


企業資産を売る場合には、現物しかない訳ですが、遂に売り物が出尽くしたということでしょう。これは、売る側に売るべきものが存在しなくなれば、いずれは売り物が尽きてくる。買った人々は(特に不動産は)再開発とか大型ビルやマンション建設などに回している為、直ぐには売りに出さないし、株式市場にしても日本株が相対的に割安な水準となって外国人が買ってくると相場が上昇するので、期待感が膨らんで日本人が買うようにもなってきた。デイトレとか「株で1億稼ぐぞ」本とかで、一旗上げようという人々も出て来た。売りに回る人々が減り、やっと「アク抜け」した、というような状態なのだろう。売り物となる「玉」が無くなった、ということで、自律的反発に転じる可能性があったということですね。


それから、チャイナビジネスが本格軌道に乗ったという時期でもあった。製造業を中心に国内での雇用を減少させ、中国に工場などを移転したりした。移転費用などの負担が減り、中国での操業が企業収益に寄与するようになってきた。あとは、中国経済の成長による需要が増加したことで、対中輸出が増加したことだ。かつての価格破壊商法は「中国産品」の輸入増加によって始まったが、中国特需の恩恵を受けるようになり、中国本土での企業活動も利益を生む事業としてうまくいくようになったのだろうと思う。


①かつての銀行を中心とする企業群などのグループの枠組みが緩み、メインバンク主義は大きく後退した
②銀行は資産内容の変革を求められ、保有株式を売ることでデフレ要因を作っていた
③グループ企業間の持合解消売りが01年度以降、加速した
④不動産を中心とする価格下落、中国産品輸入による物価下落に続いて、株式資産下落となった
⑤株式公開や転換社債等、企業の直接資金調達が増加して、銀行融資は減少せざるをえなかった
⑥資産「売り」が銀行・企業中心で続けられたが、売り物が出尽くして「玉」不足となってきた為、下げ止まり感が出て来た
⑦ちょうどチャイナビジネスが軌道に乗り企業収益に反映された(中国国内での成功と対中輸出増加)


このようにして、日本経済は自律的回復局面を迎えたのではないかと思う。偶然にも、デフレ脱却の方向性が見えつつある消費者物価上昇傾向は、中国経済の成長要因(中国の人件費上昇による輸入品価格の上昇?)と、原油高とともに起こった素材価格上昇という外部的要因によってもたらされたのではないか、と思う。将来の日本経済の見通しで、物価の先高感が台頭してきたのとは違うと思う。


マックのハンバーガーが、価格大幅引き下げという、ハッキリとした目に見える「デフレ戦略」によってある程度成功すると、消費者は「いずれまた下がるだろう」と思って、価格上昇には「買わない」という反応しか示さなかった(これで、マックは業績が悪化した)。これには、現状でも「将来価格は下がるだろう」というある種の「デフレ期待」が常に存在している、という消費者心理がうまく顕れているんじゃないか、とも思える。「価格引下げは一時の麻薬的効果だ」というのは誰かが言っていたが、確かに値下げによる「うまみ」を知ると、次にはもっと安くなるんじゃないか、という強い期待心理が働き、結果的には消費の手控えというのが起こりやすいかもしれないな。次の刺激がもっと強いもの(=もっと値引き)を求めてしまうことも、デフレ要因として存在するかもしれない。


以前私もパソコンを買おうかどうしようか迷っていた時に、「まだ待てば、同じ性能のパソコンがどうせ半額で買えるようになるんだから」という先安感があった。友人に「それじゃ、いつまでたっても買えないよ」と言われ、「確かにそうだな」と思い、やっと買う決心がついたくらいですから(笑)。ですが、今にして思えば、えらく高い買い物につきましたよ。もっと待てば良かった。分かり易い、IT関連製品は、値下がりが早く、ある意味デフレ代表選手みたいな存在なのかもしれません。パソコン、デジカメ、薄型テレビ、等々いつも踏み切れないものばかりですね。

ですが、デフレは終わらせなければならないのです。これからの日本にとっては、重要なことなのです。



また間違えていました

2005年10月14日 17時22分03秒 | 俺のそれ
先日書いた記事や、かつての会計検査院の記事では、会計検査院長を「森本検査院長」と表記していましたが、実は「森下」が正しかったようです。誠に申し訳ございません。お詫びして訂正いたします。

間違い記事はこれらです。

会計検査院の仕事4
官の意識改革は可能か


その検査院長の森下氏ですが、退官予定とのことです。

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 会計検査院検査官に伏屋氏

記事に次のような記述がありました。
『会計検査院検査官3人のうち来年1月20日に退官する森下伸昭会計検査院長の後任の検査官に、内閣官房副長官補の伏屋和彦氏を充てる人事を内定した。』


色々とご批判をしてしまいましたが、個人的にはちょっと申し訳なく思ったりします。たまたま在任されていただけで、特別な悪行三昧を働いたわけでもありませんし。けれども、検査院に求められることは「公正な監査機能」ですから、法に基づく適正処理が必要です。そのための権限と機能を備えていると思っています。


先頃には民間監査法人の問題も出ましたが、検査院の監査自体が曖昧では、適切な評価に繋がりませんし、役所の遵法意識も低いままで過ぎていってしまいます。そうした監査機能の充実によって、行政内部に「規律」と「自律」を取り戻していって欲しいと願っております。

いつも「会計検査院法第20条」を思い出して頂き、独立した地位と特別な権限が与えられた組織であるということをお忘れなきように職務に励んで頂ければ幸いでございます。




それから、郵政関連法案が可決されました。まさに「産みの苦しみ」でした。今年の1月くらいからブログに記事を書き始め、大体10ヶ月間(出産の期間と似てるな、笑)かかりました。様々な出来事があり、その中で色々な勉強をさせて頂きました。郵政問題を通して見えた「政治」というもの、行政とかその他モロモロのこと・・・長かったようで、「落城」してみれば何となくあっという間に過ぎ去ってしまったようでもあります。

ですが、今後の政策については、難題がまだあります。終わりなき挑戦と思って、これからも書いて参りたいと思っています。


もう一つ、bewaadさんがブロダ&ワインシュタイン(2004)の日本語要約を記事にされていましたが、経済素人の私も「存外いい線いってたじゃないか」と自画自賛(爆、「ブログ」じゃないよ、似てるけど。「ブロダ」という人名らしい)。

金融資産をベースに考えること、「土居・星論文」(オリジナルじゃないけど)やSNA統計に辿り着いたこと、とか、私にしては上出来だ。ブログやネットは有難いと思う、本当に。

参考記事:
郵政と財投と周辺組織の問題2
特殊法人の不良債権額の推測?


??というか、最初から本を読めば良かったのか・・・なんだ、そうか、そうなんだな。結論は「本を読め」「文献を嫁」なんだな・・・・そうすれば、回り道せずとも、いきなり結論部分に辿り着くじゃないか・・・普通に。笑

なんか、ぬか喜びして損した・・・でもね、素人は「どの本が正しいか」という見分けをつけられないので、やっぱり当てずっぽうに読んでも出会わなかったかもしれないから、どうだったか判らんな。


知識の集積は、個々の試行錯誤を減らせることで無駄な時間やトライが無くせることが利点だ。けれども経済学は、そういう結論の集積は少ないようにも思える。なので、延々と議論が起こってしまうのではないか、と感じる。不思議な学問だ。



与党のごり押し

2005年10月14日 00時51分30秒 | 社会保障問題
議員年金の議論は平行線となって、与党は民主党との合意が得られないとしても法案提出を目論んでいるようです。いよいよ、数の論理で全てを進めようということでしょうか。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 隔たり大きく平行線 議員年金改革で協議会


先日神崎代表は「(民主党案のように給付3割カットで、議員OBが)訴訟を起こしたら敗れるだろう」と民主党を批判していた。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「民主案は哲学ない」 議員年金廃止で神崎氏


よくもこんなことをいけシャアシャアと言えるな。国民は将来の年金すらきちんと給付されるかどうか分からんのに、年金保険料を支払い続けているんだぞ。国民には給付額を約束している訳じゃないから、訴訟を起こしたって国民は負けるに決まっている。なのに何故、議員OBが訴訟を起こせば勝つんだ?年金保険料をいくら払えば、最低幾ら以上給付する、という約束によって年金保険料が納められてきたのか?企業年金の給付削減だって、給付が厳しくなれば減額することは行われてきたじゃないか。確かそういう訴訟があって、提訴した方が負けたんではなかったか?神崎代表は、いつから年金訴訟の専門家になったんだ?どの様な法律と解釈に基づいて、勝訴を導き出したんだ?是非、教えてほしいものだ。


与党の厚生年金と共済年金について先に一元化を進める、という路線に変更がない。元々公明党は、「一元化なんてしなくていい、やるとしても遠い先のことだ」と主張していたじゃないか(実態を考えない幹事長達)。冬柴幹事長は、はっきりとそう言っていただろ?去年の改革で十分なんだ、とボケたことを言っていたじゃないか。今になってコロッと手のひら返しか?


小泉さんは、国会答弁でも党首討論でも、民主党岡田代表への答弁でいつも次のように言っていたじゃないか。もうすっかり忘れたのか?
「年金一元化については、税制を含めた歳入と社会保障の一体的改革を検討する」
「年金一元化と納税者番号については、民主党が(合同協議の)テーブルに着けば検討していきます」

参考記事:国会空洞化現象


いつもこのような回答であったと思いますよ。これは、社会保障改革に着手する時には、「税制を含めた歳入と、歳出である社会保障」の一体的改革を考える、ということであり、その際には納税者番号導入についても同じく合同会議できちんと検討しなければならないはずだ。だが、今の与党のやっていることは何だ?数を取ったら、早速去年の強行採決と同じ手法なんじゃないか。全然検討なんかしていないだろ。初めに結論ありきだ。何が「党派を超えて、きちんと議論しましょう」だ。


総理大臣ともあろう者が、自分の国会での言葉に責任を持つべきだし、約束は守るべきだ。岡田代表はしぶしぶではあったが、先に譲歩してテーブルに着いたじゃないか。党首討論の時には、「年金一元化と納税者番号導入を認めなければ席には着けない」と再三主張していたが、小泉さんが「それも含めてやりますから、席に着かなければ議論できませんよ」と繰り返し言っていたから、それに応じたんだぞ。それにも関わらず、野党を席に着かせたものの、初めっから与党だけで議論を進めているじゃないか。特に選挙後には、野党の主張や意見なんて検討もしなければ、聞こうともしてないじゃないか。これは明らかな「騙まし討ち」だ。席におびき寄せておいて、挙句に「やっぱり、自分達だけで決めるから」って言うようなものだぞ?


税制を含めた歳入についても、一体的に検討します、って、何もやっていないじゃないか。それで、被用者保険だけは先に一元化、ってのはオカシイし、議員年金や国民年金も当然一元化議論に入ってくるに決まっているだろ、年金なんだから。一体的じゃないっての、これじゃ。国民を騙しているのと同じだ。



追記:

13日に行われた諮問会議では、政府系金融改革のヒアリングの予定が出たようです。しかも、公開で行われるということで、かなり透明性を意識したものとなっています。財務省の策動を抑え込む為の伏線と見てもいいかもしれません。


他の識者として、例によって「行政御用達」とも言うべき(失礼、そんなことを言ってはいけませんね。私にはそれぞれ立派な方だと思いますが、色々な評価がありますので・・・私の表現で言えば「経済マフィア」の一派の)方々でしょう。


跡田先生、宮脇先生、扇百合日本総研主席、という今までにも政府の仕事をしてこられた方々です(宮脇先生は以前参院事務局、日本総研におられたそうですね)。
お馴染みの顔ぶれです。是非頑張って改革を進めて頂ければと思っております。


これはとりあえず置いておくとして、それよりも大切なことがありました。それは、諮問会議民間議員の提案は、「経験則」と明言しておられたことです。これは意外な感じが致しましたが、何となく正直でよろしい、と思いました。そして、4つの大切な経験則という形で、その一つに「財政改善にはデフレの克服が急務」と明言されたことです。このことは、重要な意味を持ちます。以前から書いてきたように、「日本21世紀ビジョン」の文言を踏まえて、より踏み込んだ方針を明らかにしたことに大きな意味があります。ついにここまで進んだか、という気が致します。


もう一つは「国民からの信頼」を挙げ、当然とはいえ、これは評価されるものと思います。行政側の姿勢として、前回議論での「国民への説明責任」、「透明性確保」、そして今回の「信頼」、という言ってみれば3原則のような形で言及されていることが印象的でした。これは今後の政府系金融改革や財政改革においても、最も重要視されるべき事項であろうと思います。元々政治に求められるべき事柄ですが、このような進展が得られたことは、素直に良かったと思います。


気になったのは、配布資料での90年代分析で「名目GDPよりも歳出が上回って上昇」したことのグラフ説明でした。80年代では名目GDPが1.7倍程度まで拡大しましたが、90年代では1.1倍程度であった為、財政状況が苦しくなった、ということでしょう。一方、社会保障費は80年代では1.5倍程度、90年代では1.6倍程度となっており、伸び率には大幅な違いはないということです。

社会保障制度については、低成長(高齢化加速)時代に入る前に修正するべき部分であったとは思いますが、80年から90年では高齢者が425万人増(人口比では約3ポイント程度上昇)で、90年から00年では710万人増(同5.3ポイント上昇)という具合に、実数が大幅に伸びたことが大きく影響していると思います。この期間における社会保障費の伸びに最も寄与度の大きかったのは年金であろうと推測しています。この費用分析によって、寄与度の大きい部分に着手すると効果が最も大きく、物価スライドを導入したとて高齢者の実数の伸びには追いつかないだろうと予測しています。ですから、年金改革を、ということをお願い申し上げているのです。これに取り組むということは、当然税制についても改革することになるからです。


短期的には医療費の抑制策として削減をすることもある程度は必要でしょう。その意味も分かります。しかし、中長期的には社会保障制度そのものの抜本的改革を目指さなければならないと考えております。特に年金を含めた社会保障制度改革には時間がかかるのですから。税制についても、勿論そうですね。その為の基礎を、今の時点から長期的な将来展望に立って、方針を明らかにしていくことが必要だと考えます。