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預金課税について

2005年10月02日 18時29分29秒 | 経済関連
一つ前の記事中で、磯崎氏の記事について触れたのですが、早速ご丁寧なお返事を頂戴しました。私の理解不足の所も結構あったのですが、勉強になりました。有難うございます。磯崎氏の案は、現金には課税せず預金にだけ課税するということのようでした。そーか、ナルホド。企業にも課税されないのだそうです。ちょっと、不安な幾つかの点について書いてみます。


まず、預金にだけ課税されるということで、銀行預金が悪者になりそうです。預貯金でざっと700兆円以上あるから、2%課税(やはりやるならドカっとこれくらいはとるべきではないかと思いますが、根拠はないです)としても14兆円以上のオイシイ税収ということになるようです。普通の投資家の行動で考えてみましょう。銀行預金(郵貯はなくなって銀行になるから、この際銀行とします)だけに課税されるので、銀行預金を引き出して別な投資先に移し変えます。無難な線で個人向け国債ということにしましょう。個人金融資産1400兆円のうち、預貯金の預け先(郵貯や銀行等の金融機関)が300兆円分を国債投資に預金者達のお金を回しています(法人分も含むので、私の推測額は個人資産分としては240兆円でした、参考記事:国債償還と借り換え(2))。今後、この国債保有者が個人の直接投資という形で置き換わることになるのでしょう。


全ての預金者が一般的な最適行動をとると仮定すると、銀行預金は大量に引き出されて他の投資先へ移しかえられます。銀行残高を保つのは、ごく少量の決済用資金だけですね。手元に現金として残す場合も多いでしょう。あとは、課税される時期がいつかにもよりますね。毎月決算日や期間平均残高などに例えば0.15%ずつ課税、みたいにしないと、年1回だけならば特定期間だけ引き出しが相次ぎ、銀行は倒産しますね。定期性預金は国債投資や外貨性商品、株式、投資信託などに振り向けられます。流動資金は、いわゆるタンス預金となるでしょう。今だって、銀行金利は異常に低いくせに、時間外手数料とかのATM利用料などがかかることの方が腹立たしいし、口座維持手数料を取られる場合も有り得ます。利息が年100円以下にしかならないのに、手数料で年3000円払う、というのが今の銀行取引の基本となっています(笑)。なので、現状でも銀行に入れずに、金庫とかタンスにしまっている人は少なくないでしょう。情報感度の低い人々は、よく知らないで消費者ローンやクレジットカード会社にべら棒な手数料を払い、ごく稀に預金があっても(バイト代などが振込まれるのかな?)コンビニで深夜などにATMを利用してしまい、そこでも手数料をぼったくられる、という現象が見られるのだろうと予想されます。そのように考えると毎月0.15%程度の課税なら我慢するよ、という人々が多いのかもしれませんけれども(笑)。


日銀の資金循環統計によれば、個人金融資産1400兆円超のうち、追跡不可能(というか、どのような形になっているのか不明というお金)の資金が100兆円以上あるというのも以前に書きましたが、このお金が何処にあるのか・・・暴力団の金庫の中、自分のお財布の中、寂れた商店のレジの中、自販機の中、色々考えられそうですが結局不明ですね。このように、追跡不明資金は預金課税によって倍加しそうな気がします。大金持ちは手元に多くの現金を持つ必要性もないので、流動性の高い投資先へどんどん投資し、巨額資産家向けのラップ口座などで保護されて、預金課税額も当然金融機関が払ってくれたりするかもしれません(決済程度の500万円上限とかで。残りの巨額資産を自分のところに持ってきてくれる方が嬉しいだろうし)。金持ちと貧乏人の格差は拡大しそうな感じが・・・
私は銀行預金というものに魅力を全く感じないので、常に株式とか別な投資しか選ばなかったですけれども。


少額の資産しか持たない人々は、投資先も大してないのでやはり税金に持っていかれる可能性もありますね。銀行引き落としなどのサービスは非常に嫌なものとなってしまうかもしれません。常に「現金払い」でお願いします、ってなるかな。あと、法人預金には課税されないとのことでしたが、個人事業主のような非法人は事業資金を現金で全て持つ訳にいかないので、やはり不利なような気がします。従業員給与支払いの為に銀行に置くだけで、課税されてしまう。これも、悲しいのでは?


結局、預金の半分近くが退蔵資産となり300兆円くらいはどっかに行ってしまいそうな予感。不明資金は現状で100兆円以上だから、控えめに見ても400兆円くらいが退蔵資産となってしまうかも。残りは、国債投資などに300兆円(現在の国債保有者が銀行から個人に置き換わるだけ)、後は色々・・・ってな具合なんじゃないのかな、と。株式市場に200兆円とか流入するというのは、少ないと思うけれども。個人預金が300兆円引き出されると、半分以上の金融機関が潰れそうな気がします。メガバンクだけがいくつか残る。


金融資産の分布の正確な数値は判りませんが、総務省統計局の家計分析などから見た資産分布を参考に考えてみます。


野村證券などの推計値では、1億円以上の金融資産保有は約80万世帯、5千万円以上では約324万世帯だそうです。全国世帯数は大体4800万世帯程度だと思われますので、これら高額資産家は全体の約8.5%に該当します。この人々がどれ位金を持っているか不明ですが、7500万円平均で324万世帯、3億円平均で80万世帯と仮定すると、それぞれ248兆円と240兆円の資産保有(!)となります。1400兆円のうち、既に488兆円(約35%)は持たれてしまっている、ということになります(power law に従えば、2割の人が富の8割くらいを持つということになるので、どうなるか見てみます)。4000万円超の世帯割合は11.1%くらいですので、4~5千万円を持つ人々は推計で124万世帯となります(単身世帯を含むと比率は変わると思いますが、資料がなかったので・・・)。彼らは約55.8兆円を持ちます。同様に見ていくと、次の通り。

3000~4000万円   288万世帯  100.8兆円
2500~3000万円   230万世帯  62.2兆円
2000~2500万円   302万世帯  66.5兆円
1000~2000万円  1060万世帯 148兆円

概ねこのような結果となります。金融資産2500万円超の上位約22%は1046万世帯、保有資産は約707兆円で半分を占めています(8割ではありませんでしたね)。1千万円以上の世帯は約2410万世帯(ほぼ半分です)、保有資産は921兆円となります。残りの半分の人々が500兆円くらい持つことになりますが、確か2割は金融資産がない層でしたので、これ以外の3割の人が500兆円を持つということになります。1440万世帯の平均で347万円くらいとなって、だいたいよさそうな線ではないでしょうか(というかかなり不正確と思って頂いた方がよいかと思います)。


これらのうち預金は多分資産上位層に集中していると思いますので、1千万円以上の世帯が持つ金融資産の半分が預金であるとすれば約460兆円、それ以外の人々が約300兆円程度の預金を持つことになりますが、それぞれの人達の額が小さいので全額タンス預金でも可であるというのは有り得そうですね。この300兆円を引き出された時に、銀行は果たして耐えられるのか、というのはどうでしょうね。家に10万円以上置くのは心配?というような人には、税金を払ってもらうしかないですけど。


ああそうか、証券会社のMRFに逃げられますね、きっと。となれば、銀行潰して、証券に儲けさせる方法ということになるかな(笑)。証券は郵貯ATMからも出し入れ出来るし、決済性資金には向いている。昔、独身の時に、「まず百万円貯めるぞ」と思って、定期預金なんぞには置かずに、証券口座を開いて短期公社債投信とかに10万円とか20万円とかを追加していったな(定期預金なんぞは目じゃないほどの利回りだった。投資資金を作るにはまず一定のタネ銭が必要)。10万円とか貯まるまでは、普通に家の引き出し(学生時代からのただの勉強机だけど)にお金を封筒に入れておいた。ボロ屋だったが、誰も盗みにはこなかった。いかにも貧乏そうな部屋だったからに違いない(笑)。このように、タンスや机から証券にお金を移す人もいるかも。



経済学は難しい10

2005年10月02日 03時39分42秒 | 経済関連
9月30日付けの読売新聞朝刊には中々面白い記事が出ていた。福井日銀総裁の発言が発端となり、竹中大臣や谷垣大臣は「デフレ懸念は続いており、量的緩和解除については慎重な判断が必要」との認識を示した。その一方で、岩田日銀副総裁はインフレ目標(参照値とか言ってた。消費者物価と日銀政策の分かれ道)導入を述べており、須田審議委員の解除観測論も別な場所で出されていて、日銀内部の所謂「温度差」(メディアの好きな言い回しですね)が浮き彫りになった形だ。


記者諸君からは、先日の福井総裁の「財政政策とのコンフリクトはない」発言(経済学は難しい8)を受けて、日銀の金融政策とのコンフリクトについての”確認”が相次いで質問されたようである。


勿論、平ちゃんも谷垣くんも「基調判断は(デフレ脱却で)一致しており(日銀金融政策への介入という意味ではなく)、金融政策は日銀が独自に判断すること」というコメントを出している。まあ、順当な回答であり、平ちゃんはいつも「依然(M2+CDが2%以下と)マネーサプライが不十分」と嘆き、谷垣くんは「デフレは収束していない」との見方を示していたので、財政当局としてはCPI の安定的な0以上の推移を見届けることが必要ということなのだろう。福井総裁としては、最近の株式市場の急速な連騰や長期金利上昇とか、都心部不動産価格の下げ止まり(一部の過熱感?)などの局面を迎えて、それこそ「ボラティリティの高いマーケット」にやや神経質になりつつあるのかもしれない。過去のバブル経験に痛い思いをさせられたので、余程の警戒心を抱いているのだろう。心理的には分からないでもないが、現状でのレベルではまだ心配はないと思われるが。それよりもCPI の安定的プラスを確認したいというのが、普通の見方であると思う。


その一方で、「インフレ目標についても幅広く検討していきたい」との見方を示しており、昨今の経済学的議論の一つであるインフレーション・ターゲティング政策の導入についても、政策選択肢として考慮するということである。これは以前から触れている通り、経済財政諮問会議内での専門調査会委員が策定した「21世紀ビジョン」にも記述されている訳ですから、当然金融当局はこれを無視することは出来ないでしょう。この委員には伊藤隆敏・伊藤元重・井堀各東大教授、植田・吉田京大教授ら経済学の学界人、八代日本経済研究センター理事長といった、経済学関係者が多いのですから、十分経済学的評価を行った上でビジョンに盛り込んだことは明らかでしょう。つまりは、日銀と言えどもこれを避けて通る訳にはいかないはずだろう、と。


そういう意味では、ある範囲での金融当局の「インフレ許容」宣言とかがあった方が、株式や不動産などの資産に資金が向かうことによって心理的にも大幅に好転すると思う。インフレ目標というものに抵抗感があるのであれば、例えば「3%程度までは許容したい」というようなアナウンスによって、特別な金融政策を実施しなくともデフレが収束していくのではないかとも思える。結局の所、日銀がどういう決意で金融政策に取り組むか、またデフレ対策に臨むか、ということが市場に評価されるのだろうと思う。


かつて(99年当時)日銀金融研究所長の扇邦雄氏らが、「中央銀行にとって悩ましいのは、構造政策や構造調整の実行が遅れていても、現実に深刻なデフレ・スパイラルの危険に直面すれば、これを防ぐ責任があるということである。実際、経済が大恐慌的なデフレ・スパイラルの入り口に立たされれば、中央銀行は大きな副作用をも認識したうえで、考えられるあらゆる手段を発動してこれを防止するよう努めるであろう。その場合には、通常の手段の限界を超えて、劇的に大量の資金供給を行うことも真剣に検討されるかもしれない。」ということを述べている。財政審が出した建議でも既にデフレ・スパイラルの危険性について言及していたことを思えば、金融政策の発動が遅きに失した感は否めない。日銀の認識が、財政審とは異なったものであったということかもしれないし、日本は「デフレ・スパイラルの入り口」には立たされなかったのだ、という主張なのかもしれない。どの程度であれば、その入り口に立ったと言えるのだろうか?これ程の経済的低迷を続けたというのに。失われた時間は戻ってこないのだから、今更言ってみても仕方がないのであるが。だが、これからの道のりで、過った認識や選択は避けてもらいたいと思っている。


それから、同じ日の読売新聞には、福井総裁の記事と同じページに岩田規久男学習院大教授のインタビューが出ていた。これは「改革を追う」というシリーズで、色々な学者さん達が登場していますが、今までは主に経済学者が連日登場した(因みに1日付けには跡田慶応大教授が出てました、笑)。岩田教授は年金問題等について答えていますが、国民負担増に関連して「年2~3%程度のインフレ目標を定め、名目成長率を引き上げる金融政策が必要だ。インフレ率が低いままでは名目所得が増えず、税収と保険料収入も増えない」と述べており、どうやら経済学者の中にも相当程度、このような金融政策への期待というか要望が出ていると考えるべきであろう。他にも、浜田Yale大教授などもデフレ対策実施を支持している。金融政策決定会合では、こうした学術的理論背景を踏まえて、金融政策を検討するべきだ。


似た話で、isologueの磯崎氏が02年に雑誌に寄せた記事(isologue -by 磯崎哲也事務所 Tetsuya Isozaki & Associates: 財政構造改革と預金課税論(再び))で、「現金・預貯金への課税論」というマイナス金利政策を出していましたが、これはもっと前から深尾光洋慶応大教授が出していた案と同じである。ゲゼルのスタンプ紙幣とか?何とかと似たような理屈らしい。この政策実施については現実的な問題が多いとする経済学者が結構多いように思われるので、「最終兵器」的な手段なのではないかと思われる。磯崎氏は残念であろうが、実施には相当の障壁が存在すると考えた方がいいのではないか、と。もしも実施するとしても、04年の新紙幣発行に間に合うような体制がとられるべきであっただろう。なので、今からは難しいのではないかな。


いずれにしても、今後の金融政策決定には「透明性を高める」というスタンスで臨む、という福井総裁の示唆があったので、将来の予見性を高める方向へと進むだろうと思う。また、金融政策決定会合における議論や政策決定については、経済学者達の論理的評価が重要となってくるであろう。