残念ですが、寿命とはこのようなものなのですね。
色々な問題があったりしましたが、行革の理想を持って政治に臨んでいたとは思います。詳しく知る訳ではないのですが。
献金疑惑は結局、捨て置かれたままで終わりましたし、かつては最大派閥の橋本派を率いていたのですから、裏も表も当然あったと推測しています。それでも、政治家としての「やらねばならない」という決意というか、何かの理想は持っていたはずだ、と感じるのです。
小泉政権の改革路線の源流は、橋本さんの時代に既に形作られていったのだろうな、と。その流れを結果的に引き継いだのが、小泉さんだったのではなかろうか。そうは言っても、政治的手法や人脈・人の使い方などは、両者において大きな違いがあったことは確かだ。派閥を背景にしないやり方などは、特に違う部分だろうと思う。
かつて橋本さんは、小泉さんを入閣させた。将来総裁選で相争う立場になるとは考えていなかったのかもしれないが、厚生族のドンであった橋本さんが、(自分の得意なフィールドである)厚生大臣に小泉さんを充てたというのは、その将来に期待していた部分があったからなのかもしれない。
そういう橋本さんの達成できなかった部分を、小泉さんは独自のやり方で「断行した」のだと思う。前に少し触れたのだが、青写真は橋本時代に作られていたのだろうな、と。勿論、全部ではないと思うけど。
あの頭髪を思い浮かべると、日本の歴代総理の中では(田中角栄の時代以降くらいしか記憶にないのですけど)、「随分とカッコイイ首相だな」と内心思っていた。それまでの総理というのは外国首脳と並んだ時の写真の酷いことといったらなかったのだけれど、日本の総理も「見栄えがよくなったもんだ」と、政治家の手腕よりも見た目で評価していたところはあった(笑)。
昨年引退したことが、今になって思えば、何か暗示めいたものに思える。良い面と悪い面の両方を、はっきり見せた首相であった。
御冥福をお祈り致します。
色々な問題があったりしましたが、行革の理想を持って政治に臨んでいたとは思います。詳しく知る訳ではないのですが。
献金疑惑は結局、捨て置かれたままで終わりましたし、かつては最大派閥の橋本派を率いていたのですから、裏も表も当然あったと推測しています。それでも、政治家としての「やらねばならない」という決意というか、何かの理想は持っていたはずだ、と感じるのです。
小泉政権の改革路線の源流は、橋本さんの時代に既に形作られていったのだろうな、と。その流れを結果的に引き継いだのが、小泉さんだったのではなかろうか。そうは言っても、政治的手法や人脈・人の使い方などは、両者において大きな違いがあったことは確かだ。派閥を背景にしないやり方などは、特に違う部分だろうと思う。
かつて橋本さんは、小泉さんを入閣させた。将来総裁選で相争う立場になるとは考えていなかったのかもしれないが、厚生族のドンであった橋本さんが、(自分の得意なフィールドである)厚生大臣に小泉さんを充てたというのは、その将来に期待していた部分があったからなのかもしれない。
そういう橋本さんの達成できなかった部分を、小泉さんは独自のやり方で「断行した」のだと思う。前に少し触れたのだが、青写真は橋本時代に作られていたのだろうな、と。勿論、全部ではないと思うけど。
あの頭髪を思い浮かべると、日本の歴代総理の中では(田中角栄の時代以降くらいしか記憶にないのですけど)、「随分とカッコイイ首相だな」と内心思っていた。それまでの総理というのは外国首脳と並んだ時の写真の酷いことといったらなかったのだけれど、日本の総理も「見栄えがよくなったもんだ」と、政治家の手腕よりも見た目で評価していたところはあった(笑)。
昨年引退したことが、今になって思えば、何か暗示めいたものに思える。良い面と悪い面の両方を、はっきり見せた首相であった。
御冥福をお祈り致します。