OECDの報告書で、日本の貧困層、格差というのが問題に挙げられたようです。「小泉改革のせいで、格差が拡大したんだ」論は、ちょっと違ってるという解釈になるかもしれませんね(笑)。朝日や毎日の主張していたのが、やや疑問ではあります。「~のせいで・・・」という時に、原因を何処に求めるか・何を主な原因と考えるか、ということについて、客観性(所謂「統計的データ」ですね)よりも記者氏たちが心情的に許せない(特に昨年選挙で圧勝したから)と思われる「小泉長期政権」に文句を言いたいだけなんではないかと思えましたから。
asahicom:OECD、所得格差拡大を指摘 二極化、固定化のおそれ-国際
(記事より一部抜粋)
経済協力開発機構(OECD)は20日、06年の対日経済審査報告書を発表した。所得格差問題を詳しく取り上げ「00年段階ですでに日本の所得格差は米国に次いで2番目に高かった」と指摘。その後、格差が固定化している恐れがあり包括的な対策が必要だ、と警告している。
報告書は、所得格差の指標として生産年齢人口(18歳以上65歳以下)の相対的貧困率に着目した。可処分所得が中位置(全体の真ん中)の半分に満たない家計の割合を示す指標で、日本は小泉政権による構造改革が始まる前の00年段階で13.5%だった。OECD加盟国の中で米国(13.7%)に次ぐ高さ。3番目はアイルランドの11.9%で、日米がず抜けていた。日本の90年代半ばの相対的貧困率は11.9%だったという。
この記事によれば、小泉政権誕生以前に、既に格差は存在しており、「日米がず抜けていた」と朝日新聞は指摘しているわけです。因みに、数字が大きいとか小さいとか比較する時、文章の表現は気をつけるべきでしょうね。文系特有なのでしょうか?修飾語が多い、というのは(笑)。「図抜けて(多い、大きい)」というのは、「どの程度の水準なのか」ということが判らないのに、「もの凄く」or「とんでもなく」or「飛び抜けて」大きい、という印象を与えるということを目的としています。そのような印象操作は不必要でしょう。論文でもないので、そこまで気をつけるべきか、というのは私には判りませんが。でも、13.5%と11.9%を比べる時に、1.6ポイントの違いが「ず抜けて」なんでしょうか?というのが、基本的な疑問です。「13.5%」の約12%程度の違いしかなくても、「図抜けて多い」ということになるんでしょうか(笑)。
いちいちこのような疑問を生じることになるので、数字を比較する場合には、あまり修飾語を用いない方がいいですよ。単に、約2倍、とかそういうのは入れてもいいと思いますけど。例えば、毎月の「年金受給額」がAさん6万円、Bさん6万8千円、と言う場合、両者の違いは8000円、すなわち約12%程度の違い(Bさんから見て)です。この両者を比較すると「BさんはAさんよりも図抜けて多くの年金を貰っていた」とか言うのか?ってことですよ(爆)。福井総裁の厚生年金のようにかなり多い時には、「Aさんの4倍以上貰っていた」とか「Aさんよりも『ず抜けて』多かった」とか言えるかもしれんけどね。
朝日新聞の記者になるには、すごく頭が良くて、高学歴の方じゃないとダメで、給料もいっぱい貰えるんで、非常に厳しい競争を勝ち抜いた人しかなれないんですよね?それこそ「図抜けた才能」なんでしょ?数字を比較する時は、できるだけ事実をきちんと表現するべき、なんてことは言われんでも判り切ってるでしょ。記者氏の思い入れとか、一切いらないの。自分の感想も交えなくてもいいの。単に「増加率は約2倍だった」とか、「○○という指標で見れば、~~の方が多かった」とか、「~~よりも、ナントカの方が増えていた」とか、そういうものでしょ。もしも、どうしても自分の考えを入れたければ、事実とは別に表現するべきだね。
いかん、横道に逸れましたが、要は「格差はもうちょっと是正して下さいよ」というのが、この報告での意図であり、その為の施策はやっておいた方がいいですよ、というご忠告ですね。
それと、昨年からずーっと、何回も言われてるが、日銀は「利上げすんなよ」というのも大事ですね。あれほど、慎重に行け・緩和的にやれ、と釘を刺されたにも関わらず、量的緩和解除、ゼロ金利解除、と連続の忠告無視だったからね。日銀は急いで引き締めたところで、メリットはなんもないのに・・・むしろ日本経済をメチャクチャにしたいのかもしれん。一歩一歩、地歩を固めながら、足元を見ながら進むということを考えられないんだろうね。こんなのが「担当医」とかなら、絶対にイヤだね。患者は非常に危険な目に遭うだろうね。命がいくつあっても足りないよ。
asahicom:OECD、所得格差拡大を指摘 二極化、固定化のおそれ-国際
(記事より一部抜粋)
経済協力開発機構(OECD)は20日、06年の対日経済審査報告書を発表した。所得格差問題を詳しく取り上げ「00年段階ですでに日本の所得格差は米国に次いで2番目に高かった」と指摘。その後、格差が固定化している恐れがあり包括的な対策が必要だ、と警告している。
報告書は、所得格差の指標として生産年齢人口(18歳以上65歳以下)の相対的貧困率に着目した。可処分所得が中位置(全体の真ん中)の半分に満たない家計の割合を示す指標で、日本は小泉政権による構造改革が始まる前の00年段階で13.5%だった。OECD加盟国の中で米国(13.7%)に次ぐ高さ。3番目はアイルランドの11.9%で、日米がず抜けていた。日本の90年代半ばの相対的貧困率は11.9%だったという。
この記事によれば、小泉政権誕生以前に、既に格差は存在しており、「日米がず抜けていた」と朝日新聞は指摘しているわけです。因みに、数字が大きいとか小さいとか比較する時、文章の表現は気をつけるべきでしょうね。文系特有なのでしょうか?修飾語が多い、というのは(笑)。「図抜けて(多い、大きい)」というのは、「どの程度の水準なのか」ということが判らないのに、「もの凄く」or「とんでもなく」or「飛び抜けて」大きい、という印象を与えるということを目的としています。そのような印象操作は不必要でしょう。論文でもないので、そこまで気をつけるべきか、というのは私には判りませんが。でも、13.5%と11.9%を比べる時に、1.6ポイントの違いが「ず抜けて」なんでしょうか?というのが、基本的な疑問です。「13.5%」の約12%程度の違いしかなくても、「図抜けて多い」ということになるんでしょうか(笑)。
いちいちこのような疑問を生じることになるので、数字を比較する場合には、あまり修飾語を用いない方がいいですよ。単に、約2倍、とかそういうのは入れてもいいと思いますけど。例えば、毎月の「年金受給額」がAさん6万円、Bさん6万8千円、と言う場合、両者の違いは8000円、すなわち約12%程度の違い(Bさんから見て)です。この両者を比較すると「BさんはAさんよりも図抜けて多くの年金を貰っていた」とか言うのか?ってことですよ(爆)。福井総裁の厚生年金のようにかなり多い時には、「Aさんの4倍以上貰っていた」とか「Aさんよりも『ず抜けて』多かった」とか言えるかもしれんけどね。
朝日新聞の記者になるには、すごく頭が良くて、高学歴の方じゃないとダメで、給料もいっぱい貰えるんで、非常に厳しい競争を勝ち抜いた人しかなれないんですよね?それこそ「図抜けた才能」なんでしょ?数字を比較する時は、できるだけ事実をきちんと表現するべき、なんてことは言われんでも判り切ってるでしょ。記者氏の思い入れとか、一切いらないの。自分の感想も交えなくてもいいの。単に「増加率は約2倍だった」とか、「○○という指標で見れば、~~の方が多かった」とか、「~~よりも、ナントカの方が増えていた」とか、そういうものでしょ。もしも、どうしても自分の考えを入れたければ、事実とは別に表現するべきだね。
いかん、横道に逸れましたが、要は「格差はもうちょっと是正して下さいよ」というのが、この報告での意図であり、その為の施策はやっておいた方がいいですよ、というご忠告ですね。
それと、昨年からずーっと、何回も言われてるが、日銀は「利上げすんなよ」というのも大事ですね。あれほど、慎重に行け・緩和的にやれ、と釘を刺されたにも関わらず、量的緩和解除、ゼロ金利解除、と連続の忠告無視だったからね。日銀は急いで引き締めたところで、メリットはなんもないのに・・・むしろ日本経済をメチャクチャにしたいのかもしれん。一歩一歩、地歩を固めながら、足元を見ながら進むということを考えられないんだろうね。こんなのが「担当医」とかなら、絶対にイヤだね。患者は非常に危険な目に遭うだろうね。命がいくつあっても足りないよ。