いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

テポドンを追尾せよ!(5)

2006年07月10日 18時01分22秒 | 俺のそれ
・日本―5月下旬

意図的な情報リークによって、北朝鮮の「ミサイル発射準備の兆候」に関する報道が出された(「発射の兆候」ではなく、「発射準備の兆候」なのであって、内部情報のリークがない限り、メディアが知ることはできないはずだった)。情報が漏れてしまった後だった為に、外相は国会質問に対して「発射準備の懸念については、かなり前から承知している」との答弁をすることになった。これを受けて、日米両政府は「ミサイルに重大な懸念」を表明せざるを得なくなり、「発射を自制するように」という公式発表を繰り返さねばならなくなった。

ここで北朝鮮が発射を断念した場合には、日米双方にとっての折角の「チャンス」を、活かすことができなくなるかもしれなかった。MDの必要性も、軍事的連携強化の方向性も、日本国民に説くことができなくなってしまうからだった。下手な情報リークが、逆効果をもたらすことになる可能性が出てきてしまったのだった。


・北朝鮮―5月下旬

軍部は予定通り、タイムリミットの月末までに発射準備を進めていた。しかし、日本やアメリカでの発射計画漏洩報道によって、発射時期がどうなるのか不透明となっていた。

この前の「アメリカの攻撃可能性」については、中国からもたらされた情報では「やはり本気だった」ということが確認された。すなわち、実験発射という意思表示が必要になり、それがない場合には攻撃を受ける危険性はあるのだった。

これらの状況変化によって、軍部が強硬に主張していたミサイル発射については、二の足を踏ませることとなった。
タイムリミットを数日後に控え、最高指導者を前にした幹部たちの会議では、予定通り発射を実行するかどうかが検討された。

軍部のパク中将を中心とする発射推進派の主張は、次のようなものであった。
発射計画が発覚するのは時間の問題であって、それも計算の一部に過ぎない。偵察衛星の監視下では、必ず発見されるのであり、意図的に発見させているのである。日米の嫌がらせに屈して発射を取り止めたとなれば、我々が敗北したように見られるのは確実である。彼らの狙いはそこにある。公表されれば「発射できまい」という、彼らの挑発なのである。我々が先に譲歩するだろう、と甘く見ている証拠である。ここで発射を断念する訳にはいかない。挑発を弾き返す、真の勇気を示さねばならない。

これに対して、外交重視派は次のように主張した。
ミサイルは刀と同じであり、発射すれば「抜き身の刀」と同じことになる。即ち、「竹光」程度であれば、それが敵に悟られる危険性もある。鋭く長い刃を見せて、敵を震撼させられればよいが、逆に敵に情報をいくつか与える結果となってしまうかもしれない。刀を鞘から抜かなければ、どれほどの刀なのか敵にも見えない為に、恐怖の対象となり得る。一度抜刀してしまうと、太刀筋や切っ先を見切られれば、「恐るに足らぬ」と逆効果となる可能性がある。外交手段では、まだ「拉致カード」が使える。韓国はこれに協力するということで、「めぐみの夫」を使えた。「めぐみの夫」は朝鮮人だから大丈夫だ。訓練も十分積んでいる。


意見はミサイル発射に対して賛成と反対に分かれており、最高指導者がどちらの選択をするかであった。
当初予定では、5月末までに進展がなければ6月に発射、ということを考えていた。しかし、発射計画を公表されたこともあり、また「拉致カード」の効果をもう少し見極めたい、という部分もあった。今の状態で、ミサイル発射に踏み切る自信が持てなかった。そのため、24時間以内に発射可能な状態になるように準備は進めていくが、発射時期については「留保」ということになったのだった。


今後は、日米と北朝鮮の「我慢比べ大会」ということになる、ということを意味していた。その間、中国や韓国ルートでの工作が奏功するかどうか、ということも、発射を左右する要因となったのであった。


・米国―6月初旬

北朝鮮は米国の偵察衛星を明らかに意識していた。衛星からはっきりと見えやすい基地で怪しげな動きを度々繰り返し、米国の反応を窺っていた。しかし、米国側は北朝鮮の「引っぱり込み戦術」には一切相手をせず、放置していた。米国側から「折れる」という選択肢は既にない、ということが明らかであった。敢えて発射させる段階まで北朝鮮を追い込む、という当初の方針からは当然なのであった。北朝鮮の挑んだ「チキンレース」は、米国にとっては願ってもないことだった。

米朝関係は、完全な膠着状態に陥った。まさに、米国は「撃てるもんなら撃ってみろ」という態度であり、北朝鮮は「撃つぞ、本当に撃つぞ」と言ってるのと同じであった。アン工作員のレポートにあった通り、北朝鮮は金の還流をかなり絞られていたので困り果てていた。中国経由の働きかけにも直ぐには応じず、逆に北朝鮮をテーブルに引っ張り出してくるように中国に求めたのだった。


・日本―6月

ミサイル発射の可能性などの報道は続いていたが、国内の反応は落ち着いていた。日本にミサイルが飛んでくる、などとパニックになったり、世紀末思想?のように日本が滅びる、などというデマもなかった。意外にも、国民の大多数は冷静に事態を静観しているようだった。

既に韓国や中国においても、北朝鮮のミサイル発射はあくまで実験発射に過ぎない、ということがほぼ確定的な情報として理解されていた。つまり、たとえミサイル発射が行われたとしても、軍事的な対応を必要とされる事態にはならない、ということであった。このような環境でなければ、北朝鮮といえどもミサイル発射に踏み切るには障害が多すぎると言えただろう。


ミサイル懸念の一方で、「拉致カード」の工作は進行していた。

韓国は北朝鮮に協力的であり、ある程度のシナリオ通りに事を運んでいた。「拉致問題を解決した」という印象を与える既成事実を作り出すことが、北朝鮮には必要だったのだ。5月末には横田夫妻とキム・ヨンナムの家族を韓国で再会させていたので、あとは本人登場のタイミングを計っていたのだった。もしも本人と家族を再会させることで韓国(家族)側の納得が得られ、夫の証言を元に「めぐみさん」問題は終わった、ということを決定的にすることができれば、拉致問題が解決したも同然なのであり、それ以上の有力な手掛かりは日本には残されていないはずだった。


・北朝鮮―6月中旬

この時期に来ても、北朝鮮側にはまだ発射に対する迷いがあり、計画の延期を重ねていたにも関わらず、決定的な発射のタイミングを決められないでいたのだった。


「拉致カード」で有効ポイントを稼ぐことができれば、発射を更に猶予できる可能性も残されていた。外交重視派たちは、キム・ヨンナム登場に賭けていた。ここでしくじれば発射する以外にないだろう、軍部の意見を通さざるを得ないだろう、と彼らは考えていたのだった。

少しずつキム・ヨンナムの情報を出していき、韓国の家族との再会の日取りが決まった。


この結果が、外交一派の敗北を決定的にした。
それは、同時にミサイル発射へのカウントダウンとなっていったのだった。