・日本―5月11日午前3時
攻撃部隊は出撃した。メインの攻撃部隊である、岩国に来ていたホーネットは、初めに2機、続いて2機が離陸していった。予備の攻撃隊である厚木の4機も同じく命令を受けて、漆黒の空に向かって出撃していった。
在日米軍の司令部には、北朝鮮の防空能力に関する情報は全て集められていた。現在攻撃ポイント付近の空域には、障害は何一つなかった。待機していたプラウラーは、ホーネット部隊が到達する15分前から敵レーダー網を探知不能にさせることになっていた―もっとも北朝鮮のものは、初めから大して能力の高いレーダーではなかったし、防空能力も最低ランクではあったが。その予定ポイントに既に移動を開始していた。
米軍は、日本側へはまだ連絡していなかった。攻撃が完了した後で、事後的に通告するだけでよかった。そもそも今の日本では、事前に攻撃を知ったところで何もできないことに変わりはなく、攻撃任務を知らせれば情報漏れが多くなるだけだと考えられていたからだった。必要なことは迅速に、そして確実にミッションを実行すること、これだけだ。日本という国は、実戦においては足手まといでしかない。
・北朝鮮―5月11日午前3時
軍司令部でも、外交部でも、お手上げ状態になっていた。うまい手が何も見つからなかった。
外交部に1人の若手がいた。彼は以前に北朝鮮の国連大使と伴にアメリカで過した経験があり、国外事情には他の無能な幹部たちよりも明るかった。韓国の外務省筋に一応のコネクションを持っており、そこから米国へのルートを手繰っていってはどうか、と考えた。もう時間がない為に、韓国側がこちらの言うことを信じてくれることを祈るしかなかった。
彼は、韓国外務省の1人に緊急連絡を入れた。どうしても大臣につないで欲しい、と願い出た。非常に重大なメッセージだ、と訴えた。韓国外務省の職員は、自分の判断では大臣に直接取り次ぐのは難しい、と返答してきた。しかし、米国の韓国大使館にならば伝えられる、ただし別な重要情報も一緒ではないと納得させられないだろう、とも付け加えられた。彼は一瞬迷ったが、一縷の望みを賭けて、そのルートに託すことにした。「今夜北朝鮮のミサイル発射はない、絶対に5月中の発射はない。タイムリミットは5月の最終日だ。金正日がそう決めた」と断言した。これが果たしてアメリカに通じるのか・・・どうにか間に合ってくれ、と祈った。
・中国―5月11日午前
チャンは北朝鮮の党幹部から意外な情報を得た。ミサイル基地の兵士たちが緊急招集された、ということだった。また、党幹部や軍幹部たちも慌しく集合しているらしかった。一体何が起こったのかは分っていなかったが、緊急事態のようだった。ミサイル発射基地の点検のようなことを始めたようだ、ということらしかった。軍部の情報では来月以降に発射らしい、ということも伝えられた。チャンは急いでいつもの中国系米国人に暗号メールを送信した。
・ロシア―同時刻
CBPのクラコフの元に、北朝鮮のミサイル基地がまるで蜂の巣をつついたような騒ぎになっている、という情報が入った。例の中国系米国人からだった。
来月発射なのに、何故だ?これは何かおかしいな。
しかも発射準備ではなく、何かの点検、って何だ?
弾頭が盗まれたとか?
よく分らんな。何かの事件であることは確かだろうな・・・
ここはひとつ、ホフマンに聞いてみるとするか・・・
CIAエージェントのホフマンならば今回も知っているだろう。
・米国―(日本時間午前3時過ぎ)
国防総省に、いくつかの新たな情報が集まってきていた。
CIA経由では、北朝鮮の今の騒動と、来月のミサイル発射予定、ということがわかった。
更に、韓国大使館の武官を通じて、武官の知人である米国の陸軍大佐宛に緊急の重要情報が来たようだった。それは、ミサイル発射は来月以降であり、今月中の発射は絶対にない、ということらしかった。これは非常に確度の高い情報だ、ということであった。
こうした情報は、大統領補佐官の元に届けられた。補佐官は大統領にすぐさま報告した。
「大統領、新たな動きがありました」
「北朝鮮は何か変えてきたのか?」
「はい。情報を総合すると、今のところ発射意図はない、ということのようです」
「それは確かな情報か?」
「ええ、それぞれ情報源が異なっており、内容が一致しています」
「衛星の方は?」
「発射口は小さくなっている、との分析です」
「それは閉じている、ということか?」
「多分そのようです。現在作業途中なのではないか、と」
「自動ではないのか?」
「さあ、でも時間がかかっているものと思われます」
「いまどき、セーフコ・フィールドの天井でさえ自動だぞ」
「貧困とはそういうものなのでしょう(笑)」
・・・・・
攻撃中止が決定された。
大統領命令はすぐさま伝えられ、司令部から中止命令が下った。
「攻撃中止、攻撃は中止。全機、帰投せよ」
ホーネットの攻撃部隊は、攻撃ポイントのわずか手前で大きく旋回し帰路に着いた。
・日本―5月11日午前4時過ぎ
危機管理センターに詰めていた人々は、外が明るくなり始めるのと期を同じくして、米軍の攻撃中止を聞いた。北朝鮮のミサイルは今月中には発射されない、というものであった。多くはやや安堵の面持ちを見せたが、今後どのような展開になるのか不明点が多く、手放しでは喜べなかった。今後も監視体制は続けられることになるだろう、と誰もが思った。
第3章 情報戦
・米国―5月12日
今回の北朝鮮への極秘裏の攻撃プランは、実施寸前で中止された。しかし、対北朝鮮政策の分岐点に来ていることが政府内では認識されることとなった。北朝鮮のミサイル発射計画は未だに残されており、6月以降になれば再び発射危険性が高まっていくであろうことは確実であった。そこで、北朝鮮のミサイルに対しては、次のように基本方針が確認された。
①核ミサイルの可能性が否定できない時には先制攻撃を行う、②日本のミサイル防衛強化を促進、というものであった。
特に②に関しては、北朝鮮のミサイルが核弾頭以外の場合には敢えて発射を阻止しない、つまり言い換えると「わざと発射させる」ということをもって日本のミサイル防衛に対する危機意識を高め、防衛力整備を促す効果を持たせる、というものであった。通常弾頭の地対地ミサイルが着弾した場合であれば、金正日体制壊滅=北朝鮮解体の大義名分にできる、ということも含まれていた。
日本に対しては、米軍が協力体制をとり、情報提供も行うということを改めて防衛庁に申し入れることとした。勿論、「わざと発射させる」ということは言わなかった。
日本は米国側の申し出を受けたものの、非常に抽象的な「協力体制」という言葉が何を・どのレベルまで意味しているか、ということは確認しなかった。とりあえずは米国の言う通りにする以外にはなく、情報をくれるまでは待つということしかできないのだった。
・北朝鮮―5月15日
先日のアメリカの攻撃情報は結局脅しに過ぎなかった、という意見が多数派だった。軍部はこれに乗じて、ミサイル発射準備を着々と進める、と強く主張していた。隠蔽サイロのことは、チョ中佐とパク中将以外には知られていなかった―そのミサイル基地の兵士たちは開けろと言われたり、直ぐに閉めろと言われたりで、何が何だか分らなかっただろう―から、パク中将派の権勢を削ぐには至らなかった。外交部は逆に発言力を弱め、結果的に軍部の増長を許すこととなった。
外交部の一部はこの状況を受けて、何とか交渉の糸口を外交努力で見つけるべく行動を開始した。米国との2国間交渉への道筋を探るべく、中国経由の働きかけを行った。軍事的行動では不利な状況となるだろう、と考える勢力も存在していたのだった。先の韓国外務省へのルートで工作した、若き幹部もその1人であった。タイムリミットの今月末までには、北朝鮮と米国の協議のチャンスを作り、何とか経済封鎖を緩和してもらえるように努力するしかなかった。
もう一つ、韓国ルートでの日本向け工作として、「拉致家族」というカードを使うことにした。「めぐみさん」の夫であるキム・ヨンナム氏を登場させる舞台を準備することとした。このカードは、外交路線重視の一派にとっては頼みの綱であった。これで何とか成果を挙げなければ、軍部の発言力を覆すことはできない、という危機感があった。今は、持ってる手段を全て使うしかないのだ・・・外交部内には悲壮感さえ漂い始めていた。
・米国―5月17日
ホフマンは、北朝鮮のミサイル発射計画が実験発射であるとの情報を、2日前に連絡員の「アロー」から受け取った(「キム大尉」がきっと頑張ったに違いない)。この情報はいつものように、すぐさまCIA末端から米国政府内に伝達された。米国の基本方針に変更はなかったが、どうやら弾頭の心配は減退し、方針の2番目の方に重点が移っていった。それに加えて、北朝鮮が仮にミサイルを発射したとしても、制裁措置に踏み切れる方が利益が大きかった。この情報を得てからは、本格的な緊張状態よりも発射後の影響分析に関心が集まった。国防総省のアジア地域担当者たちは、また新たなレポート作成に頭を悩ませることになった。
一方、北朝鮮の外交部筋の要請を受けた中国は、米国へ働きかけを積極的に行い、それが奏功したのか、米国メディアに意図的な情報がリークされたようだった。外交重視派の協調戦術の一環であった。
17日のニューヨーク・タイムズには「米国が北朝鮮との平和条約締結も視野に入れた政策を検討している」という、軟化路線に転換したかのような印象を与える報道が載せられた。北朝鮮の反軍部勢力の強力な巻き返しかと思われた。しかし、この作戦はすぐさま頓挫させられることとなった。
・日本―5月18日
北朝鮮の軟化路線転換が本格化すれば、そのことが不利な状況と考える人々もまた、存在した。それは米国にも、日本にも存在していたのだった。北朝鮮には発射計画を推進してもらった方がいい、と考えていたのだった。
米国側には、どうしてもミサイル防衛を拡大したい人々がいた。彼らは、日本に北朝鮮のミサイル発射計画の一部情報を伝達してきたのだが、「実験発射であり実害は想定されない、万が一にも着弾はさせない」ということまで言ってきたのだった。故に、北朝鮮に発射を許容させる、という意味であった。これによって、日米協力関係強化やミサイル防衛整備は促進されるだろう、ということを読み筋に入れていた。そうした勢力は、北朝鮮のミサイル発射計画が存在するという情報を、一部メディアにリークしたのだった。昨日の「平和条約締結に向けた政策」などという、ヌルイ「落とし所」なんかに落ち着かれては困るのだ。この情報リークはそうした意図で行われた。
このリークによって、ミサイル発射計画を公表されてしまった北朝鮮は、再び迷路に嵌ることになるのだ。
タイムリミットの5月末が迫ってきていたが、ここに来て状況変化が目まぐるしく起こってきたのだった。
攻撃部隊は出撃した。メインの攻撃部隊である、岩国に来ていたホーネットは、初めに2機、続いて2機が離陸していった。予備の攻撃隊である厚木の4機も同じく命令を受けて、漆黒の空に向かって出撃していった。
在日米軍の司令部には、北朝鮮の防空能力に関する情報は全て集められていた。現在攻撃ポイント付近の空域には、障害は何一つなかった。待機していたプラウラーは、ホーネット部隊が到達する15分前から敵レーダー網を探知不能にさせることになっていた―もっとも北朝鮮のものは、初めから大して能力の高いレーダーではなかったし、防空能力も最低ランクではあったが。その予定ポイントに既に移動を開始していた。
米軍は、日本側へはまだ連絡していなかった。攻撃が完了した後で、事後的に通告するだけでよかった。そもそも今の日本では、事前に攻撃を知ったところで何もできないことに変わりはなく、攻撃任務を知らせれば情報漏れが多くなるだけだと考えられていたからだった。必要なことは迅速に、そして確実にミッションを実行すること、これだけだ。日本という国は、実戦においては足手まといでしかない。
・北朝鮮―5月11日午前3時
軍司令部でも、外交部でも、お手上げ状態になっていた。うまい手が何も見つからなかった。
外交部に1人の若手がいた。彼は以前に北朝鮮の国連大使と伴にアメリカで過した経験があり、国外事情には他の無能な幹部たちよりも明るかった。韓国の外務省筋に一応のコネクションを持っており、そこから米国へのルートを手繰っていってはどうか、と考えた。もう時間がない為に、韓国側がこちらの言うことを信じてくれることを祈るしかなかった。
彼は、韓国外務省の1人に緊急連絡を入れた。どうしても大臣につないで欲しい、と願い出た。非常に重大なメッセージだ、と訴えた。韓国外務省の職員は、自分の判断では大臣に直接取り次ぐのは難しい、と返答してきた。しかし、米国の韓国大使館にならば伝えられる、ただし別な重要情報も一緒ではないと納得させられないだろう、とも付け加えられた。彼は一瞬迷ったが、一縷の望みを賭けて、そのルートに託すことにした。「今夜北朝鮮のミサイル発射はない、絶対に5月中の発射はない。タイムリミットは5月の最終日だ。金正日がそう決めた」と断言した。これが果たしてアメリカに通じるのか・・・どうにか間に合ってくれ、と祈った。
・中国―5月11日午前
チャンは北朝鮮の党幹部から意外な情報を得た。ミサイル基地の兵士たちが緊急招集された、ということだった。また、党幹部や軍幹部たちも慌しく集合しているらしかった。一体何が起こったのかは分っていなかったが、緊急事態のようだった。ミサイル発射基地の点検のようなことを始めたようだ、ということらしかった。軍部の情報では来月以降に発射らしい、ということも伝えられた。チャンは急いでいつもの中国系米国人に暗号メールを送信した。
・ロシア―同時刻
CBPのクラコフの元に、北朝鮮のミサイル基地がまるで蜂の巣をつついたような騒ぎになっている、という情報が入った。例の中国系米国人からだった。
来月発射なのに、何故だ?これは何かおかしいな。
しかも発射準備ではなく、何かの点検、って何だ?
弾頭が盗まれたとか?
よく分らんな。何かの事件であることは確かだろうな・・・
ここはひとつ、ホフマンに聞いてみるとするか・・・
CIAエージェントのホフマンならば今回も知っているだろう。
・米国―(日本時間午前3時過ぎ)
国防総省に、いくつかの新たな情報が集まってきていた。
CIA経由では、北朝鮮の今の騒動と、来月のミサイル発射予定、ということがわかった。
更に、韓国大使館の武官を通じて、武官の知人である米国の陸軍大佐宛に緊急の重要情報が来たようだった。それは、ミサイル発射は来月以降であり、今月中の発射は絶対にない、ということらしかった。これは非常に確度の高い情報だ、ということであった。
こうした情報は、大統領補佐官の元に届けられた。補佐官は大統領にすぐさま報告した。
「大統領、新たな動きがありました」
「北朝鮮は何か変えてきたのか?」
「はい。情報を総合すると、今のところ発射意図はない、ということのようです」
「それは確かな情報か?」
「ええ、それぞれ情報源が異なっており、内容が一致しています」
「衛星の方は?」
「発射口は小さくなっている、との分析です」
「それは閉じている、ということか?」
「多分そのようです。現在作業途中なのではないか、と」
「自動ではないのか?」
「さあ、でも時間がかかっているものと思われます」
「いまどき、セーフコ・フィールドの天井でさえ自動だぞ」
「貧困とはそういうものなのでしょう(笑)」
・・・・・
攻撃中止が決定された。
大統領命令はすぐさま伝えられ、司令部から中止命令が下った。
「攻撃中止、攻撃は中止。全機、帰投せよ」
ホーネットの攻撃部隊は、攻撃ポイントのわずか手前で大きく旋回し帰路に着いた。
・日本―5月11日午前4時過ぎ
危機管理センターに詰めていた人々は、外が明るくなり始めるのと期を同じくして、米軍の攻撃中止を聞いた。北朝鮮のミサイルは今月中には発射されない、というものであった。多くはやや安堵の面持ちを見せたが、今後どのような展開になるのか不明点が多く、手放しでは喜べなかった。今後も監視体制は続けられることになるだろう、と誰もが思った。
第3章 情報戦
・米国―5月12日
今回の北朝鮮への極秘裏の攻撃プランは、実施寸前で中止された。しかし、対北朝鮮政策の分岐点に来ていることが政府内では認識されることとなった。北朝鮮のミサイル発射計画は未だに残されており、6月以降になれば再び発射危険性が高まっていくであろうことは確実であった。そこで、北朝鮮のミサイルに対しては、次のように基本方針が確認された。
①核ミサイルの可能性が否定できない時には先制攻撃を行う、②日本のミサイル防衛強化を促進、というものであった。
特に②に関しては、北朝鮮のミサイルが核弾頭以外の場合には敢えて発射を阻止しない、つまり言い換えると「わざと発射させる」ということをもって日本のミサイル防衛に対する危機意識を高め、防衛力整備を促す効果を持たせる、というものであった。通常弾頭の地対地ミサイルが着弾した場合であれば、金正日体制壊滅=北朝鮮解体の大義名分にできる、ということも含まれていた。
日本に対しては、米軍が協力体制をとり、情報提供も行うということを改めて防衛庁に申し入れることとした。勿論、「わざと発射させる」ということは言わなかった。
日本は米国側の申し出を受けたものの、非常に抽象的な「協力体制」という言葉が何を・どのレベルまで意味しているか、ということは確認しなかった。とりあえずは米国の言う通りにする以外にはなく、情報をくれるまでは待つということしかできないのだった。
・北朝鮮―5月15日
先日のアメリカの攻撃情報は結局脅しに過ぎなかった、という意見が多数派だった。軍部はこれに乗じて、ミサイル発射準備を着々と進める、と強く主張していた。隠蔽サイロのことは、チョ中佐とパク中将以外には知られていなかった―そのミサイル基地の兵士たちは開けろと言われたり、直ぐに閉めろと言われたりで、何が何だか分らなかっただろう―から、パク中将派の権勢を削ぐには至らなかった。外交部は逆に発言力を弱め、結果的に軍部の増長を許すこととなった。
外交部の一部はこの状況を受けて、何とか交渉の糸口を外交努力で見つけるべく行動を開始した。米国との2国間交渉への道筋を探るべく、中国経由の働きかけを行った。軍事的行動では不利な状況となるだろう、と考える勢力も存在していたのだった。先の韓国外務省へのルートで工作した、若き幹部もその1人であった。タイムリミットの今月末までには、北朝鮮と米国の協議のチャンスを作り、何とか経済封鎖を緩和してもらえるように努力するしかなかった。
もう一つ、韓国ルートでの日本向け工作として、「拉致家族」というカードを使うことにした。「めぐみさん」の夫であるキム・ヨンナム氏を登場させる舞台を準備することとした。このカードは、外交路線重視の一派にとっては頼みの綱であった。これで何とか成果を挙げなければ、軍部の発言力を覆すことはできない、という危機感があった。今は、持ってる手段を全て使うしかないのだ・・・外交部内には悲壮感さえ漂い始めていた。
・米国―5月17日
ホフマンは、北朝鮮のミサイル発射計画が実験発射であるとの情報を、2日前に連絡員の「アロー」から受け取った(「キム大尉」がきっと頑張ったに違いない)。この情報はいつものように、すぐさまCIA末端から米国政府内に伝達された。米国の基本方針に変更はなかったが、どうやら弾頭の心配は減退し、方針の2番目の方に重点が移っていった。それに加えて、北朝鮮が仮にミサイルを発射したとしても、制裁措置に踏み切れる方が利益が大きかった。この情報を得てからは、本格的な緊張状態よりも発射後の影響分析に関心が集まった。国防総省のアジア地域担当者たちは、また新たなレポート作成に頭を悩ませることになった。
一方、北朝鮮の外交部筋の要請を受けた中国は、米国へ働きかけを積極的に行い、それが奏功したのか、米国メディアに意図的な情報がリークされたようだった。外交重視派の協調戦術の一環であった。
17日のニューヨーク・タイムズには「米国が北朝鮮との平和条約締結も視野に入れた政策を検討している」という、軟化路線に転換したかのような印象を与える報道が載せられた。北朝鮮の反軍部勢力の強力な巻き返しかと思われた。しかし、この作戦はすぐさま頓挫させられることとなった。
・日本―5月18日
北朝鮮の軟化路線転換が本格化すれば、そのことが不利な状況と考える人々もまた、存在した。それは米国にも、日本にも存在していたのだった。北朝鮮には発射計画を推進してもらった方がいい、と考えていたのだった。
米国側には、どうしてもミサイル防衛を拡大したい人々がいた。彼らは、日本に北朝鮮のミサイル発射計画の一部情報を伝達してきたのだが、「実験発射であり実害は想定されない、万が一にも着弾はさせない」ということまで言ってきたのだった。故に、北朝鮮に発射を許容させる、という意味であった。これによって、日米協力関係強化やミサイル防衛整備は促進されるだろう、ということを読み筋に入れていた。そうした勢力は、北朝鮮のミサイル発射計画が存在するという情報を、一部メディアにリークしたのだった。昨日の「平和条約締結に向けた政策」などという、ヌルイ「落とし所」なんかに落ち着かれては困るのだ。この情報リークはそうした意図で行われた。
このリークによって、ミサイル発射計画を公表されてしまった北朝鮮は、再び迷路に嵌ることになるのだ。
タイムリミットの5月末が迫ってきていたが、ここに来て状況変化が目まぐるしく起こってきたのだった。