いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

テポドンを追尾せよ!(1)

2006年07月06日 22時17分28秒 | 俺のそれ
(この物語はフィクションです。当たり前ですけど。笑)


第1章 発射準備

・日本―3月某日

在日朝鮮人のアン工作員(仮称)は、いわゆるスパイであるが、映画のように華々しい活躍などすることはない。日本人としてひっそりと生きるだけである。名前も戸籍も全て日本人のそれと変わらぬものであり、彼の正体が知られることはない。社会からは目立たぬように息を潜めているのである。アンは中国にメールを送ることを業務としていた。受け手の中国人が誰なのかは一切知らない。接触したことも当然ない。ただ、指示されたアドレスにメールを送るだけである。このアドレスは一度使用すると、必ず変更されるのであるが。毎回違うアドレスに送信するので、一体誰が受け取って読んでいるのかは知らないのである。

アンは日本や米国を初めとする先進国の報道を詳しく調べたり、ネット上で情報を集めたりして、分析情報を書いてメールするだけだ。極めて地道な作業を毎日黙々とやり、情報を送る役目を続けるだけなのだ。彼の送る情報がどのように使われるか、何かの役に立つのかなどと考えることは意味がないと知っていた。上層部まで辿り着けば良い方だろう、といつも思っていた。大抵は頭の悪い、無能な軍人か、党本部のバカどもに握りつぶされてしまい、その価値が理解できないで終わるのだろう、と。

アンは日本と米国の対北朝鮮外交の報道情報を分析して、いつものようにレポートを作成した。
北朝鮮の包囲網を狭める、決定的な状況変化があったからだ。それは、今までのブラックマネーの流れを根底から覆されるものであった。ニセドル札も、麻薬密売も、マネーロンダリングも、全て捜査当局の介入が厳しく行われ出したからだ。このままでは、ブラックマネーは滞り、本国へ還流できなくなるのが時間の問題であった。日米は、外交面では軟化のポーズを取りながら、現実には、真綿で首を絞めるという方法を選択したのだ。もはや核開発の脅しは通じていない、という状況であることも付け加えた。

アンは重要情報という意味の暗号を入れた。これが、果たして本当に使われるかどうか・・・いつものように不安なまま、送信ボタンをクリックした。


・北朝鮮―3月某日

北朝鮮は外交的手段だけでは手詰まりに陥っていた。既に、韓国ルートや中国ルートで努力をしてはいたが、アメリカの態度を変えさせることは難しかった。更に、金が入ってこなくなることが何よりも恐ろしかった。故に、最高指導者からの厳命が軍部にも下ってきていた。
「お前ら、何とかしろ!」
これだけだった。

核開発を進めるぞ、ということをアピールして脅す、というのも、既に効力を失っていた。アメリカは読み切っている。こちらの手段が見切られてしまっては、単なるブラフに過ぎない、という評価以上にはならない。それでは意味がないのだ。譲歩してくれなければ、脅しにはならない。新たな「次の一手」をひねり出すことが必要であった。何よりも、断固たる行動が不可欠だった。

北朝鮮の外交部は、まだ外交的態度で交渉できると踏んで、明確な軍事行動には反対というのが支配的な雰囲気だった。しかし、軍部内には急進派が存在しており、下らぬ自己の手柄を欲する愚かな輩が大勢いたのだった。パク中将もその1人であった。彼は、ミサイル部隊の総指揮と、新型ミサイル―「テポドン2号」と呼ばれている―の開発責任者であった。最高指導者への進言機会を窺っていたのだが、タイミングよくそのチャンスをものにした。それは、在日工作員から送られてきた情報―アンのレポート―を元に作成された、軍事行動計画だった。

パク中将は、最高指導者を前にした党幹部の会議で熱弁をふるった。

「諜報員の情報を総合すると、日米はわが軍のミサイル部隊の能力について過少評価している。そして、核開発を進めるというのが脅しに過ぎないということを公表している。これは由々しき事態である。最も有効なカード、それはイランの例を見れば判るように、核開発と核ミサイルのセットである。このカードを今失えば、アメリカの言いなりにならざるを得ない事態に陥るであろう。

彼らはわが軍が行動に出ない限り、ミサイルは脅しに過ぎないのだ、ということを力説し、あちこちでそれをふれ回っているのだ。そのような暴挙を許しておくわけにはいかない。これは最高の指導者を戴く、偉大なる軍と、国家への挑戦だ。我々が決して、発射ボタンを押さないと高をくくっているために、このような見くびりを招いたのだ。もはや外交部の徒労では、何も得ることはできないだろう。

そこで、我らが父、将軍閣下にお願い申し上げたい。是非とも、ミサイル発射機会を与えられんことを。」


その場での結論は持ち越された。パク中将のあまりの売名行為っぷりが、他の幹部たちの不興を買ったからだった。

外交部は猛然と反対した。しかし、パク中将は自分の配下にあるミサイル部隊と新型ミサイルで、功名を立てたいという野心が非常に強かったが故に、強硬論を崩さなかった。軍部にはパク支持派が多数いたし、他の幹部にしても、パク中将に手柄を奪われることよりも、外交部になんかに何ができる、という空気が強かった。

最高指導者は頭が悪い為に、どの意見を採用するべきかは判らなかった。そこで、次の会議までに詳細なプランを作ってくるように求めた。


・北朝鮮―4月某日

最高指導者と幹部たちが集まる会議が開かれた。軍部からの詳細プランの提示が行われる日だった。
「では、パク将軍、発射計画を聞かせてもらおう」
「わかりました、将軍閣下。チョ中佐からプランを御説明いたします。中佐」
「ハッ。参謀本部のチョ中佐です。では、プランAを・・・・」

チョ中佐は、パク中将に認められて腹心に引き上げられた、軍部の若きエリートであった。ミサイル開発は実質的に彼の支配下にあった。今度の作戦に成功すれば、新たな地位が与えられるはずだ。自分の将来のためにも、何としても成功させたかった。そして、発射してみたかった。これまで開発を進めてきたミサイルを。実際にどういう具合になってるのか、彼自身も知りたいと思っていたのだった。撃たないミサイルなど、単なる記念碑と同じように無用の長物に過ぎないのだから。

外交部は今回も反対した。ミサイルがまだ十分ではない段階なのに、下手に発射して不備がバレれば逆効果だ、と。チョ中佐は、弾頭に爆薬を搭載せずに発射し、上空で自爆させれば回収されるのも防げるし問題ない、と述べた。また、アメリカの空爆の可能性を否定はしなかったが、多分「できないだろう」とも述べた。これに対して、外交部はタイムリミットを設け、それまでは自分たちが外交手段で試み、それが奏功しない場合のみにするべきだ、と譲歩した。タイムリミットまでは、発射準備だけにしておき、その時の米国の反応をまず確かめるべきだ、とも主張した。

最高指導者は外交部の意見を採用し、タイムリミットのプランにしろ、と言った。それまでは、米朝2国間協議の可能性に賭け、発射準備段階でアメリカが攻撃してくる気配を示すかどうか、どこまでの段階ならばアメリカが耐えられるのか確かめることにした。それを待って、発射するかどうかを決定することとした。

「ではタイムリミットまで、発射準備を完了させよ」
最後は、最高指導者の一言で締めくくられた。


・中央アジア某国―4月某日

1人の男が衛星電話回線経由のデータを受信した。男は、通称「アロー」と呼ばれる連絡員だった。北朝鮮にいる軍人、キム大尉(仮称)からの緊急連絡が入っていた。「キム大尉」は本当に階級が大尉なのかどうか、怪しかった。そんなことはアローにとってはどうでもよかったのだが、大尉からは時々連絡が入ってきていた。キム大尉に直接会ったことがあるのは、日本人か若しくは日系朝鮮人の機関職員だけだ。

「キム大尉」からの緊急電は、「弾道ミサイル発射計画あり」というものであった。「アロー」はホフマンという名前の米国在住の男に暗号メールを送信した。多分偵察衛星で見えてるはずだろう、と内心思ったが、一応極めて稀な緊急電だし、何か特別な意味があるのかもしれない、と推測してみた。その後にふと頭に浮かんだのは、何故か今日の夕食の予定―子羊の柔らかい肉でも食べようか―だった。見たことも行ったこともない、彼方の地で起こる出来事とはそういうものだった。

・米国―4月某日

ホフマンは連絡員の「アロー」から受けた緊急電を、CIAの組織末端に伝達した。
CIAの中枢に届いた後は、アメリカの情報収集能力のいくらかが投入されて集中的に北朝鮮のモニタリングが行われた。どうやら、高い確率で情報は正しいようだ―これが米国での判断であった。このことは、数日後に日本の外務省と防衛庁にも伝えられることになった。ミサイル発射の真意が何なのか、これはまだ掴めていなかった。

弾道ミサイル攻撃という、直ぐにでも緊急事態が想定される、という段階には到達していなかった。弾道ミサイルの発射準備には時間がかかるはずで、その動きは必ず見つけられるはずだ。短射程の地対地ミサイル発射程度であれば、本格的な危機段階とは言えないのだった。米国か米国人に被害が及ぶわけでもないのだから。


・日本―5月2日

ゴールデンウィーク期間中だった為、総理は外遊先で聞くこととなった。あまり慌てた様子もなかった。「それって、まだ発射できないんでしょ?」と単刀直入に官房長官に尋ねただけだった。答えは勿論、決まっていたのだが。

ミサイル発射の情報を初めに米国側から聞いたのは、「2プラス2」で丁度米国を訪れていた外相と防衛庁長官だった。まさにタイミングよし。外相は外務省の情報統括官に召集をかけるように指示した。防衛庁では、新設された情報本部の統合情報部に情報分析担当官を待機させた。

日本に残っていた官房長官には、外相から直接告げられた。官房長官は、「いかにも北らしいですね」と簡単な感想を漏らしたが、当面は内閣情報調査室で情報収集を統括する体制とすることを伝えた。


主要閣僚が日本に急遽戻るほどの危機的状況ではない、という米国側の説明を受けていたから、できるだけ平静を装っておき、とりあえず情報は極秘とされた。


こうして、各省庁では人員が緊急召集された。内調は当然だったが、外務省や防衛庁の情報担当は危機管理センターに集合した。今までのところ、判っている情報は「北朝鮮にミサイル発射計画がある」ということだけだった。今後は米国からの情報を待つことも必要なのだが、防衛庁の画像・地理部の衛星担当官と内閣衛星情報センターの分析官は3交代制で衛星画像に張り付くことになった。警戒レベルは一段階引き上げられた。

集められた人々は口々に「あーあ、折角の休みだったのに・・・子どもに恨まれるよ」などとボヤキが漏れたのだが、今までにない緊張感があり、みな心に期するものがあるに違いなかった。米国頼みばかり言ってられない、日本の情報分析能力を試す絶好の機会かもしれない、と。


目を皿のようにして、或いは血眼にして、なのかもしれないが、北朝鮮のミサイルを積載したトレーラー類を発見せねばならなかった。北朝鮮の国土はそれほど面積があるわけではないのに、拡大した衛星画像で見れば、かなりの範囲を自分の目で探すことになり、その作業が想像する以上に大変だった。まだ発射準備に取り掛かっていなければ、当然画像上には何も見つけられないこともある。それでも、「何も見つからなかった」という証拠を示すためだけに、分析官たちは昼夜を問わず衛星画像の写真とにらめっこを続けることになった。


・ロシア―5月4日

CBP(旧KGBのこと)のクラコフ(仮名)の元に、米国在住の中国人連絡員から暗号メールが届いた。それは「北朝鮮がミサイル発射準備に取り掛かる」というものであった。クラコフはすぐさま情報を上に流したが、何のことはない、「待機」ということで処理されてしまった。ロシアにとっては、北朝鮮のニュースは無関心なニュースらしい。


クラコフは以前に協力依頼を受けたことのあったCIAのホフマンに、この情報を知っているかどうかを確かめることにした。ホフマンならばこの情報が重要だと気付くに違いない、とクラコフは確信していた。だが、ホフマンからの答えは、ガッカリさせるものだった。(なーんだ、知ってたのか。やはりCIAは侮れんな。)しかし、ホフマンは素朴なことを尋ねてきた。それは「北朝鮮が何故ミサイルを発射するのか」というものであった。

確かに、北朝鮮が韓国や日本を攻撃する為にミサイル発射を決行するとは考え難い。けれども、その可能性は完全否定はできないな。湾岸戦争の時、イラクは侵攻できない、と誰しも思っていたのに、実行するバカがこの世に存在することが実証されたからな。ましてや、核ミサイルなんて発射できっこないはずだ。これは一体、どういうことだ?ホフマンが言うように、不思議ではあるな。少し調べてみるか。


クラコフは、何かわかったら連絡する、とホフマンに伝えた。
早速連絡員に調査を命じた。
「ミサイル発射の意図は何か探れ」
この連絡員=中国系米国人は、中国国内に諜報員組織を持っているらしく、北朝鮮国境付近にいる中国人からの情報が多いようだった。北朝鮮内部のどこかにも、情報源があるのだろう。

ところで、ロシア人にとって、東洋人の国にロシア人スパイを送り込むことは、鴨の群れの中に白鳥が紛れ込むようなものであった。永久にスパイにはなれないのだ(笑)。だからロシアでは、アジア圏の情報収集はあまりやりたがらない。現実的な利益は少ないし、組織を作るまで時間がかかり過ぎる。自分が直接やれないから、下請けに仕事を出すようなものなのだ。昔は軍事顧問などでやっていたが、最近はそういうことも少なくなった。米国や他の先進諸国とうまくやる方が重要なのだ。だから時々米国にも恩を売っておくことも必要と考えるようになっていた。


すっかり時代は変わったのだ。
冷戦の終結が過去のものとなったという、証なのかもしれない。

(つづく)