最終章 カウントダウン
・日本―6月28日
「めぐみさん」の夫と目されていたキム・ヨンナムが、韓国の家族と再会したと報道された。北朝鮮と韓国の外交筋は、翌日の日米首脳会談の前日に、この「再会劇」を敢えてぶつけた。北朝鮮問題への首脳会談の反応を確かめる為だった。「拉致問題の前進」として評価されるか、北朝鮮への懸念表明や対応に何らかの変化をもたらすのか、そういう部分を見る為であった。
日本のマスコミに対して、キム・ヨンナムの家族たちは緘口令を敷かれた。
家族から情報が色々と与えられて、矛盾や食い違いなどを嗅ぎつけられなくするための予防策であった。これまでも、拉致問題に関する北朝鮮側の情報には、矛盾点が多くあったからだった。その為、韓国の家族たちは、面会数日前から日本のマスコミとの接触は禁止されていた。
この結果次第で、外交上の戦術が決まる、と言ってもよかった。「よかった、よかった」という反応―特に韓国での―が得られて、北朝鮮が「誠実に対応したんだ」という印象を与えること、「日本は拉致、拉致って騒ぐな」的な反応を引き出すこと、これらが狙いなのであった。韓国が日本に対して、「めぐみさんは亡くなったんだ」という事実を突き付ける形になることが最も望ましいのだった。
この時点で、衛星画像の分析ではミサイルの発射可能段階には至っていない状況であり、もう少し時間が必要であろう、という報道が産経新聞のwebサイトに出されていた。
韓国も中国も当然のことながら、北朝鮮のミサイルの準備状況は知っていた。
・米国―6月29日
この日、日米首脳会談が行われた。北朝鮮はこの様子をじっと観察していたのだった。
日米共同文書が出されたが、その中には当然北朝鮮に関する問題―拉致・人道問題+非核化+中国の責任(を求める)―が含まれていた。この内容は、北朝鮮に対して明確なメッセージとなった。すなわち、キム・ヨンナム投入を決断したにも関わらず、「拉致問題」では「有効ポイント」とは評価されなかった、ということを意味していた。総理大臣の上機嫌な歌や踊りの陰で、北朝鮮の外交一派には失望感が急速に広がっていった・・・・
米国政府にも、対応変化の兆しは、まるで見られなかった。
既に米国政府を動かせるチャンネルは、北朝鮮側には残されていなかった。
・北朝鮮―7月1日
キム・ヨンナムを登場させ、感動の対面を果たしたはずだった。
訓練通りに証言をさせていったにも関わらず、「証言の矛盾」が再び問題視された。年老いた母と姉といった、難しいことを考えられない老女程度を言いくるめるには十分効果があったのだが、全ての人々に信じ込ませるには限界があり、やはり「作り話」が露わになってしまったのだった。
韓国政府は拉致問題では日本に肩入れせずに、何とか北朝鮮の拉致解決ムードを支援しようと試みていた。ところが、韓国国民の中に、韓国政府に懐疑的な意見が目立ち始めていたのだった。漂流証言に対して、早速矛盾点が指摘された。日本国内での反論というのは、数々の想定問答で予め練習していた。しかし、想定外の反論というのがあるもので、韓国国内から出てきた「漂流は有り得ない」というのがまさにそれだった。完全犯罪を目指してウソの証言を考えておいても、綻びがどこかにあったりするものなのだろう。
外交一派は敗北が決定的となった。既に挽回のチャンスは失われていた。切り札と思われた「拉致カード」、キム・ヨンナムの投入は完全な失敗に終わった。日米首脳会談の感触でも、それは明らかであった。遂に、日米からの譲歩を引き出せる道は途絶えた。軍部内の強硬論をはね返すだけの力は、外交部には残されていなかった・・・・
それでも一部に諦めきれない人々がいたのだった。この前の若手幹部らだ。外交努力をギリギリまで続けるべきだと主張して、今持ってる全てのルートに働きかけを行うことに全力を傾けるのであった。たとえ無駄かもしれないと知りつつも、外交担当の立場としては、それしか方法がなかったからであった。
・ロシア―7月3日
ロシアは、北朝鮮のミサイル発射実験の情報は当然掴んでいた。ただ現時点では、北朝鮮は発射を踏み止まるだろう、という評価をしていたことは判断の誤りであった。恐らく燃料注入はしないだろう、というのがロシア側の大方の見方だった。それ故、サミットの議長総括に「北朝鮮のミサイル問題」というのを入れる、という算段をしていた。これは、ロシアの庇い立ても限界に達している、というメッセージとなった。北朝鮮を失望させるには、十分であった。
・北朝鮮―7月4日
中国は北朝鮮の外交部の努力に応えたらしく、6カ国協議の非公式会合を予定し、その開催に向けて関係各国に働きかけを行うつもりである、との情報を流した。これに同調した韓国も同じく、非公式会合の開催努力をしている、と発表し、担当者が渡米するなどというアクションを見せたのだった。
韓国の拉致被害者団体は、「キム・ヨンナム証言は信用できない、拉致は明らかである」とする発表を行い、北朝鮮の「拉致カード」戦術にトドメを刺した。韓国国内の風向きを変えることはできなかった。韓国政府は国内世論を気にして、拉致問題で北朝鮮寄りの立場に立てなくなってしまったのだった。
キム・ヨンナム証言のウソを騒ぎ立てる日本のメディアに対しては、面会前には家族への接触禁止という厳しく対応であったのに、今度はピョンヤン入りまでさせることを確約し、どうにか解決ムードを盛り上げようと試みていた。
中国、韓国、ロシアは、この時点で北朝鮮がミサイル発射に踏み切るとは考えていなかった。特に、「裏切られた」形となったのは、中国と韓国であった。北朝鮮外交部筋の必死のお願いに応えて、ギリギリまでアピールを続けていたのに、発射されることになったからであった。
軍部は既に発射態勢を整えていた。
ただ、液体燃料の量が十分ではなく、備蓄量があまり多くはなかったのだった。金回りが非常に悪かったので、燃料に回せる金にも限りがあった。従って、全ての発射予定ミサイル―ノドンやテポドン―に、燃料を満タンに注入していなかった。その不足を補う意味で、固定燃料の「スカッド改良型」を発射する、ということが選択された。同時に、どれが新型ミサイルなのか、ということを判別し難くするという目的も兼ねていた。
外交部の連中は、もう軍部に反論できる術がなかった。
・日本―7月5日3時過ぎ
かれこれ2ヶ月に渡る北朝鮮と日米の我慢比べは、北朝鮮が先に焦れて行動を起こすこととなった。いうなれば、「チキンレース」に負けたということだ。
米軍は、北朝鮮がこの日に発射するかどうか、正確に分っていた訳ではなかった。しかし、発射された場合の対策は立ててあり、天候などに左右されるものの、この数日前から「ヤマ場」であるという情報は掴んでいたのだった。北朝鮮外交部の頑張りが、思いのほか発射を長引かせた、ということでもあった。
明け方に発射するというのは、マシな選択であった。監視している方の注意力が落ちているであろう時間帯であり、意表を衝くということでは意味があった。米軍の衛星に探知されたミサイルは、非常に短い飛翔時間で日本海に落下していった。ケチった燃料が燃焼される時間は、限られていたのであった。同時に、北朝鮮の追跡レーダーの範囲は非常に狭い為に、それ以上の距離になると単なる「ロスト」になってしまうのであった。
自衛隊のレーダー網は、北朝鮮のミサイル発射を探知していた。また、日本海に配備されていたイージス艦のレーダーでも、確実にミサイルの軌跡を捉えていた。
恐らくアラームが鳴って、ハッとしたことだろう。
画面をジッと見つめた担当官は、興奮した声で叫んだに違いない。
「ミサイル発射を探知!今、北朝鮮から発射。ミサイルを追尾中!・・・・・」
・日本―6月28日
「めぐみさん」の夫と目されていたキム・ヨンナムが、韓国の家族と再会したと報道された。北朝鮮と韓国の外交筋は、翌日の日米首脳会談の前日に、この「再会劇」を敢えてぶつけた。北朝鮮問題への首脳会談の反応を確かめる為だった。「拉致問題の前進」として評価されるか、北朝鮮への懸念表明や対応に何らかの変化をもたらすのか、そういう部分を見る為であった。
日本のマスコミに対して、キム・ヨンナムの家族たちは緘口令を敷かれた。
家族から情報が色々と与えられて、矛盾や食い違いなどを嗅ぎつけられなくするための予防策であった。これまでも、拉致問題に関する北朝鮮側の情報には、矛盾点が多くあったからだった。その為、韓国の家族たちは、面会数日前から日本のマスコミとの接触は禁止されていた。
この結果次第で、外交上の戦術が決まる、と言ってもよかった。「よかった、よかった」という反応―特に韓国での―が得られて、北朝鮮が「誠実に対応したんだ」という印象を与えること、「日本は拉致、拉致って騒ぐな」的な反応を引き出すこと、これらが狙いなのであった。韓国が日本に対して、「めぐみさんは亡くなったんだ」という事実を突き付ける形になることが最も望ましいのだった。
この時点で、衛星画像の分析ではミサイルの発射可能段階には至っていない状況であり、もう少し時間が必要であろう、という報道が産経新聞のwebサイトに出されていた。
韓国も中国も当然のことながら、北朝鮮のミサイルの準備状況は知っていた。
・米国―6月29日
この日、日米首脳会談が行われた。北朝鮮はこの様子をじっと観察していたのだった。
日米共同文書が出されたが、その中には当然北朝鮮に関する問題―拉致・人道問題+非核化+中国の責任(を求める)―が含まれていた。この内容は、北朝鮮に対して明確なメッセージとなった。すなわち、キム・ヨンナム投入を決断したにも関わらず、「拉致問題」では「有効ポイント」とは評価されなかった、ということを意味していた。総理大臣の上機嫌な歌や踊りの陰で、北朝鮮の外交一派には失望感が急速に広がっていった・・・・
米国政府にも、対応変化の兆しは、まるで見られなかった。
既に米国政府を動かせるチャンネルは、北朝鮮側には残されていなかった。
・北朝鮮―7月1日
キム・ヨンナムを登場させ、感動の対面を果たしたはずだった。
訓練通りに証言をさせていったにも関わらず、「証言の矛盾」が再び問題視された。年老いた母と姉といった、難しいことを考えられない老女程度を言いくるめるには十分効果があったのだが、全ての人々に信じ込ませるには限界があり、やはり「作り話」が露わになってしまったのだった。
韓国政府は拉致問題では日本に肩入れせずに、何とか北朝鮮の拉致解決ムードを支援しようと試みていた。ところが、韓国国民の中に、韓国政府に懐疑的な意見が目立ち始めていたのだった。漂流証言に対して、早速矛盾点が指摘された。日本国内での反論というのは、数々の想定問答で予め練習していた。しかし、想定外の反論というのがあるもので、韓国国内から出てきた「漂流は有り得ない」というのがまさにそれだった。完全犯罪を目指してウソの証言を考えておいても、綻びがどこかにあったりするものなのだろう。
外交一派は敗北が決定的となった。既に挽回のチャンスは失われていた。切り札と思われた「拉致カード」、キム・ヨンナムの投入は完全な失敗に終わった。日米首脳会談の感触でも、それは明らかであった。遂に、日米からの譲歩を引き出せる道は途絶えた。軍部内の強硬論をはね返すだけの力は、外交部には残されていなかった・・・・
それでも一部に諦めきれない人々がいたのだった。この前の若手幹部らだ。外交努力をギリギリまで続けるべきだと主張して、今持ってる全てのルートに働きかけを行うことに全力を傾けるのであった。たとえ無駄かもしれないと知りつつも、外交担当の立場としては、それしか方法がなかったからであった。
・ロシア―7月3日
ロシアは、北朝鮮のミサイル発射実験の情報は当然掴んでいた。ただ現時点では、北朝鮮は発射を踏み止まるだろう、という評価をしていたことは判断の誤りであった。恐らく燃料注入はしないだろう、というのがロシア側の大方の見方だった。それ故、サミットの議長総括に「北朝鮮のミサイル問題」というのを入れる、という算段をしていた。これは、ロシアの庇い立ても限界に達している、というメッセージとなった。北朝鮮を失望させるには、十分であった。
・北朝鮮―7月4日
中国は北朝鮮の外交部の努力に応えたらしく、6カ国協議の非公式会合を予定し、その開催に向けて関係各国に働きかけを行うつもりである、との情報を流した。これに同調した韓国も同じく、非公式会合の開催努力をしている、と発表し、担当者が渡米するなどというアクションを見せたのだった。
韓国の拉致被害者団体は、「キム・ヨンナム証言は信用できない、拉致は明らかである」とする発表を行い、北朝鮮の「拉致カード」戦術にトドメを刺した。韓国国内の風向きを変えることはできなかった。韓国政府は国内世論を気にして、拉致問題で北朝鮮寄りの立場に立てなくなってしまったのだった。
キム・ヨンナム証言のウソを騒ぎ立てる日本のメディアに対しては、面会前には家族への接触禁止という厳しく対応であったのに、今度はピョンヤン入りまでさせることを確約し、どうにか解決ムードを盛り上げようと試みていた。
中国、韓国、ロシアは、この時点で北朝鮮がミサイル発射に踏み切るとは考えていなかった。特に、「裏切られた」形となったのは、中国と韓国であった。北朝鮮外交部筋の必死のお願いに応えて、ギリギリまでアピールを続けていたのに、発射されることになったからであった。
軍部は既に発射態勢を整えていた。
ただ、液体燃料の量が十分ではなく、備蓄量があまり多くはなかったのだった。金回りが非常に悪かったので、燃料に回せる金にも限りがあった。従って、全ての発射予定ミサイル―ノドンやテポドン―に、燃料を満タンに注入していなかった。その不足を補う意味で、固定燃料の「スカッド改良型」を発射する、ということが選択された。同時に、どれが新型ミサイルなのか、ということを判別し難くするという目的も兼ねていた。
外交部の連中は、もう軍部に反論できる術がなかった。
・日本―7月5日3時過ぎ
かれこれ2ヶ月に渡る北朝鮮と日米の我慢比べは、北朝鮮が先に焦れて行動を起こすこととなった。いうなれば、「チキンレース」に負けたということだ。
米軍は、北朝鮮がこの日に発射するかどうか、正確に分っていた訳ではなかった。しかし、発射された場合の対策は立ててあり、天候などに左右されるものの、この数日前から「ヤマ場」であるという情報は掴んでいたのだった。北朝鮮外交部の頑張りが、思いのほか発射を長引かせた、ということでもあった。
明け方に発射するというのは、マシな選択であった。監視している方の注意力が落ちているであろう時間帯であり、意表を衝くということでは意味があった。米軍の衛星に探知されたミサイルは、非常に短い飛翔時間で日本海に落下していった。ケチった燃料が燃焼される時間は、限られていたのであった。同時に、北朝鮮の追跡レーダーの範囲は非常に狭い為に、それ以上の距離になると単なる「ロスト」になってしまうのであった。
自衛隊のレーダー網は、北朝鮮のミサイル発射を探知していた。また、日本海に配備されていたイージス艦のレーダーでも、確実にミサイルの軌跡を捉えていた。
恐らくアラームが鳴って、ハッとしたことだろう。
画面をジッと見つめた担当官は、興奮した声で叫んだに違いない。
「ミサイル発射を探知!今、北朝鮮から発射。ミサイルを追尾中!・・・・・」