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キリギリスに貸すのは愚策?~行動経済学と上限金利規制

2007年06月21日 20時10分13秒 | 社会全般
日経新聞の当該記事を読んだわけではないので、あまり踏み込んだ話はできないのですが、一応、昨日の記事に追加しておきたいと思いますね。


参考になったのはこちらの記事。
さるさる日記 - 泥酔論説委員の日経の読み方


この6月15日付記事には次のように記されています。

大阪大学教授 筒井義郎

 社会問題化した消費者金融はまだ解決すべき課題がある。借り入れ制限は是認できるというのが新しい行動経済学に基づく政策の含意だ。昨年末の法改正で上限金利が引き下げられたが、借り手の情報を貸し手が十分把握できていない場合、上限金利規制は有効かどうか疑問である。

グレーゾーンと呼ばれた上限金利が20%に引き下げられるなど、昨年暮れに改正貸金業法が成立しましたが、これで本当に多重債務問題が解決するのかという問いに対し、筒井教授は行動経済学からみて有効性が疑わしいとしています。
筒井教授は、サラ金で債務整理・自己破産した経験者と借り入れたことがある経験者、そして利用未経験者とのアンケート調査(下図)を行います。
「双曲線割引度」というのは、「直近の借り入れなら高い金利でよいと考えるが、遠い将来の借り入れについては低い金利でも借りたくない」と考えることであり、「アリとキリギリス」で例えれば「キリギリス」な人と言えましょう。
調査と分析の結果、双曲線割引度が高く自信過剰な人ほどサラ金からの借り入れで債務整理に陥る可能性が高いことが示されており、こういう人に対していくら金利を低くしても、借金が雪だるま式に増えていくことは回避できない可能性を示唆しています。

一方、サラ金側も借り手のリスクがよく分からないまま低金利で貸すと、貸し倒れが続出して経営が悪化するので、採るべき選択は貸し渋るという以外になく、消費者金融業は縮小均衡になりましょう。
しかし、キリギリスな人々はいくら高金利でも今日のお金が借りたいわけですから、サラ金が貸してくれなければ暴力団が支配するヤミ金に走ることは自明です。
もし消費者金融がなくなったらどうなるのか、筒井教授らの試算によると、キリギリスな人は国民の約2~3割、サラ金利用者では約3~4割と見られ、残り約6~7割の人は担保なしでお金を借りたくても行き場を失うということになります。




この記事から、私なりの理解として書きますと、次のようなことです。

①借り手側に問題行動の人(便宜的に「キリギリス」と呼びます)が存在する
②貸し手側は、キリギリスの見分けがついてなかった(情報の非対称ということ)
③キリギリスは金利に関係なく借金を重ねて雪だるまになる
④キリギリスだと金利規制は有効性に疑問がある
⑤キリギリスは高金利でもヤミ金でも借りてしまう
⑥キリギリスは国民の2~3割、借り手の3~4割存在する

<参考までに憲法学者である小林節慶大教授は、「多重債務者の多くは性格や生活態度に問題がある」旨、述べている。「ライフイベントなんだ」説は規制反対派から取り下げられたのであろうか?ギャンブルや浪費のような典型例ということが言いたいのだろうか。>


なるほど、行動経済学には上記①~⑥があるので、上限金利規制は効果的ではなく疑問である、ということですね。
ハイ、判りやすいですね。では、少し書いてみたいと思います。

対策としては、貸し手はキリギリスをうまく見分けて、キリギリス以外の人に貸しなさい、ということなわけです。つまり

「貸金市場からはキリギリスを排除する方法こそ、求められる対策である」

というふうに思ったわけですが、違いますか?

キリギリスに上限金利規制が無効だから、ですよね。
キリギリスは金利水準に関係なく雪だるまになってしまうから、ですよね。
このキリギリス理論が正確ならば、ヤミ金は相当儲かるな。対象者がごっそりいるわけで。
しかも、多重債務を背負っている者の名簿を元にカモを探しているヤミ金たちは、まさしく理論通り実践しているということだね。


昨日の記事でも少し触れたのだが、仮に、貸金市場が1500万人市場(1400万人でもいいんですが、切がいい数字なので一応こうしました)ということなら、この3~4割が「キリギリス」なんだ、ということですな。ならば、450~600万人が「キリギリス」の疑いが濃いので、このキリギリス層には「貸してはいけない」ということなんですかね。この層を貸金市場から排除しなけりゃいけないよ、ってことなんですよね。貸金市場が崩壊したら従来の借り手の6~7割くらいが不利益を蒙る、ということらしいので、「本来キリギリスは一切借りられなくていい」という前提でそう述べているように思われますからね。

キリギリス対策としては、誰か厳格なカウンセラーみたいな管理者を置いて、この管理者に許可を受けて借入を行うとか、借金がどれほど危険なのか思い知らせたり、性格や生活態度について説教したり、ということなんですかね。それをクリアしたら、借りてもいいですよ、とか。でも、キリギリスに貸さないとヤミ金に直行されるんだそうで(笑)。高金利でも何でも借りてしまうので、金利を低くしても意味がない、ということらしいですからね。どうせ雪だるまになるから450~600万人程度のキリギリスに貸してはいけない、しかし貸さなければヤミ金に直行。ならばどうしますか?貸せってことでしょうか?「借りられなければヤミ金に走る、ヤミ金被害が増える」とか反対派はよく主張していて、なおかつ「キリギリスは雪だるまになるから貸すな」と?それとも、昨日の記事にも書いた、借り手の免許制にしてみるとか?

キリギリス判別試験を義務化して、キリギリスと分類された人々については借りる前に行動や性格の矯正を行って、矯正措置がうまくいって再試験に合格した人たちだけに貸し出す、とか、そういった対策を取れってことですか?(笑)すると、試験逃れの為に余計にヤミ金に走ったりして。即ち自動車などの無免許運転者が存在するのと同じく、矯正失敗とか試験逃れのキリギリスが出る、というだけになってしまうとか。


要するに、キリギリスの判別水準程度の精度では、大した「役に立たない」というのが結論になりそうな気がしますが、もしも、いい政策があるならば是非ともご教示願います。>筒井阪大教授

貸金市場からキリギリスを完全排除しますか?ヤミ金直行らしいですけど。
キリギリスに貸すけど、別な管理者とか保証人を立てますか?で、一緒に雪だるまになれ、とか(笑)。
キリギリスの矯正措置をやってみて、合格者にだけ貸しますか?どの道ヤミ金が儲かるけど。

でも、それなら、問題と目される230万人をしらみつぶしに、追加貸付を行う際に「カウンセリング」とかを全員義務化した方が早くないですかね。それよりも、450~600万人くらい存在しているであろうキリギリスを正確に判別し、ターゲットを絞りこんで適切な対応、すなわち行動とか性格とかを矯正すべし、ということなのかもしれませんが。どちらの方が経済学的に得なのか知りたいところです。



シティグループに銀行業の免許ですか

2007年06月21日 16時12分41秒 | 社会全般
Yahooニュース - ロイター - 金融庁が米シティの日本法人に銀行免許、7月1日営業開始

(記事より一部引用)

金融庁は20日、米シティグループ<C>の日本法人「シティバンク準備会社」に銀行業の免許を交付したと発表した。同社は7月1日に営業を開始する予定で、それまでに「シティバンク銀行」に名称変更する。
 シティによる対日戦略強化のため、在日支店の銀行業務を現地法人化する手続きの一環。同社は7月1日までに在日支店の営業を譲り受ける。
 シティは1月29日、日本での業務拡大のため、外資系金融機関として初めて金融持ち株会社を設立することを表明した。さらに、現在の在日支店を現地銀行にして、持ち株会社の傘下に収める方針としていた。在日支店を現地銀行にすることで、支店設立が認可から届出になることで機動的な運営が可能になる。




へー、そうですか。今後は「シティバンク銀行」となる、ってかなりヘンだよね?英語表記にする時とか、どうするんだろう。
「Citibank Bank」みたいになっちゃうんだろうか?他人事だから、別にどうだっていいわけですが。

少し気になることが、一つ。
銀行法第4条第1項規定により、免許が与えられたということですが、条件が一応あるのですよね。条文を見てみますと、次のようになっています。


第四条  銀行業は、内閣総理大臣の免許を受けた者でなければ、営むことができない。

2  内閣総理大臣は、銀行業の免許の申請があつたときは、次に掲げる基準に適合するかどうかを審査しなければならない。

一  銀行業の免許を申請した者(以下この項において「申請者」という。)が銀行の業務を健全かつ効率的に遂行するに足りる財産的基礎を有し、かつ、申請者の当該業務に係る収支の見込みが良好であること。

二  申請者が、その人的構成等に照らして、銀行の業務を的確、公正かつ効率的に遂行することができる知識及び経験を有し、かつ、十分な社会的信用を有する者であること。

(以下略)


ここで、第2項第2号の要件が免許を与えるのに問題がなかったのか、ということですね(昔の記事に書いたが、それは木村剛氏が関わっていた日本振興銀行の免許の話を取り上げた頃)。「十分な社会的信用を有する者であること」というのがどうなんあろうな、と。

以前、シティグループは支店取消などの厳重処分を受けたことがありますよね。ええ、ええ、PBに関する不正業務みたいなヤツですな。即ち、シティグループは前科者でありまして、ほとぼりが冷めたのか?という懸念は残っているわけであります。

コレ>
シティバンク、エヌ・エイ在…:金融庁

1支店、3営業所の「おとり潰し」となったわけですが、それから約1年少々で免許申請を今年初め頃からやっていまして、これって日興問題とのカラミとか何とかの複雑な事情があったやもしれません。下衆の勘繰りなんですがね。


参考までに、コムスンの本体はGWGで、グループ内で譲渡して介護保険事業者の申請をしようと考えたら、数年だか5年くらいは認めないとか何とか役所は言っていたハズですよね?銀行免許申請者は日本法人の別会社「シティバンク準備会社」なんだろうけど、本体がシティグループだし、根本部分は上記営業停止とか取消を食らったシティグループには違いないわけで。何となく不公平感があるように思えますね。ま、厚労省と金融庁は別だから、判断も異なるのでしょうが、GWGには認可が下りず、シティには下りる、というのも、何だな~ってことで。いや、深い意味はありませんよ。べ、別に。


補足というか、一応、これも書いておこう。
最近の学者は人間力が足りない(笑)に書いた話だが、陰謀論とかではないですよ。あくまで公然の事実、ってことで。

金融庁 参考資料


このように前々から金融庁資料にも載ってるし。
昨年秋にも似たような要望書みたいなのが出されてたはずですね。このGEグループとかシティグループとか、貸金の外資系は相当頑張っていたんだよね、ロビー。

一部報道とか噂では、外部からの圧力は相当あったそうです。で、後藤田政務官が辞表を叩きつけたのは、シーファー大使が直々に、与謝野大臣の元にネジ込みにやってきたからだろう。これは普通に報道されていた。あの辺りでの攻防で流れが変わりかけた。9月初旬頃だった(参考記事)。9月15日には例の産経の社説での援護射撃もあった(笑)。しかし、偶然の挽回チャンスが残されていて、それは「総裁選」があったことだったのかもしれない。組閣は26日。金融庁は山本さんになった。

運命の2週間。
ここで再逆転チャンスを掴んだのかも。

山本大臣が就任直後は「引下げになるかどうかは判らない」みたいに言っていたのが、その後、次第に引下げに傾いていった。で、9月終わり頃にアコムの違反発覚、10月中過ぎには外資系への「絨毯爆撃」(笑)で金融庁が報復攻撃に出て、GE系レイクに続いてシティ系のディックがまんまと「挙げられた」、と(参考記事2)。簡単に言えば、外資系の連中は「だまらっしゃい」と。「金融処分庁」の本領発揮ですよ、と。
この辺は適当な勘繰りに過ぎないですけどね。でも、9月初め~10月中過ぎくらいまでは、一大攻防戦が繰り広げられていたであろう。あそこがヤマ場だった。


で、今回のシティグループの銀行免許。結構早かったよね、みたいな。
十分な社会的信用を有する者って、どうなんだろうなシティさん、と(笑)。



ワタミの介護事業は金持ち相手?

2007年06月21日 14時43分40秒 | 社会保障問題
これまであまり詳しく見てこなかったが、渡辺社長の記事(NBonlineの「あなたのお金は、直接民主主義の一票です」)を読んで、一体どのような介護事業をやっているのか、というのが気になったので。

料金説明みたいなものがワタミのHPには出ていなかったので、よく判らんが、一見すると「オイシイ」相手だけに商売をやってるんじゃないの?と思った。だって、「有料老人ホーム」で、こぎれいな施設みたいだし(笑)。


こちらの記事は結構詳しい。

中日新聞介護迷走<2> 『サービス維持できるか』暮らしCHUNICHI Web

(一部引用)

GWGは、介護事業をグループ以外に売却し、全面撤退する方針を決めた。事業の取得については、大手のニチイ学館や、首都圏と関西で二十七施設を運営する大手居酒屋チェーン・ワタミを中心とした事業者連合などが名乗りを上げている。早ければ来年三月から、新しい事業者に施設運営を引き継いでいく。

民間の介護付き有料老人ホームは、入居一時金が億単位の豪華な施設もあるが、一般的な施設ではゼロから三千万円までと幅広い。このほか生活費や食費など月額で十数万円から二十数万円かかる。事業が譲渡され、事業者が代わっても、介護保険は「公定価格」なので、訪問介護など以前と同じケアプランでサービスを受けるなら、利用者の負担は変わらない。だが、有料老人ホームやグループホームなど施設サービスには、介護保険とは別の費用がかかるだけに、事業者の変更には注意しなければならないという。

国民生活センター(東京)の調査室長だった木間(このま)昭子さんは「食費と入居費、管理費が不当に値上げされないかチェックが必要」と指摘する。特に注意すべきなのが「管理費」だという。「悪質な業者の中には、管理費の中身を明らかにせず、介護保険で賄うべきサービスを組み入れているおそれがある」

利用者と業者間の民民契約だからといって傍観するのではなく、木間さんは「事業者が利用者に不当な出費を求めることのないように、行政がしっかりと指導すべきだ」と行政の監視の必要性を強調した。




介護付きといっても、かなり幅があるだろう。病院などに送り迎えしてくれるとか、その他介護サービスの一部をやってくれることはあるだろう。けれども、基本的には、マンションを買わされるみたいなもので、金持ちしか入居できないことは多々ある。独居老人でそこそこ金がある人は、不動産なんかを処分したりして入居し、死ぬまでそこで暮らす、ってことだな。食事サービスの利用料が月に数万円~10万円程度になっていることもあるし、毎月色々と金を取られるので、上の記事にもあるように20数万も払えない人は入れないんだよ。年金で細々暮らしている老人とは隔絶された世界ってことさ。

ワタミがこういう施設なのか知らないので何とも言えないが、似たようなシステムになっているなら、要するに「金持ってる年寄り」を相手している商売だから、初めから「施設介護は欲しいが、訪問介護はいらない」とか言っていたんだよ、きっと。介護での苦しい現場というのは、こういう資金的に余裕のある人なんかじゃないんだよ。全然違うんだよ。

一人暮らしで金もない、とか、家族がいても時間も金もない、みたいな場合なんだよ。医療費や介護費用の自己負担分を払うのが精一杯というような人たちなんだよ。本当は施設入所を希望していても、空きがなくて順番待ちとか。特定養護老人ホームとかに入れるならいいのだが、空かないと入れないからね。有料老人ホームなんかに比べれば、格段に安く入れるからだ。老人保健施設もあるが、基本的には長期入所ができないので、暫く入っていても退所して在宅介護にせねばならないのだ。介護職員などの効率を考えると、こうした一箇所の施設に集めておく方が有利だ。一対一対応になってしまうと、効率は悪くなるに決まっているのである。移動時間ロスもそうだしね。なので、一対多対応が可能で、職員の効率を上げるのであれば施設介護が望ましいのだが、それを充足させるほどの収容能力がないのである。そこで、民間の有料老人ホームがある意味があり、金がある人たちは困ることなんて余りないだろうと思う。問題は、金がなくて施設にも入れず在宅介護となっている高齢者たちなのである。

この分野を誰が担うのか、ということになるが、ワタミが本当にやってくれるのか?官ではもうダメだ、国には頼らずに、経営の力で、民間の力で、みたいに渡辺社長は言っているのだが、本当にできるのか?(笑)
「やってもいいですよ、勿論。ただし、あなたが金を払えるならね」
とか言うのであれば、これは誰でもできるんだよ。どうぞどうぞ、いくらでもやってあげます、その分金出せ、ということなら、あっという間に解決ができそうだな。現実には、金があまり払えない人たちを相手にして、その中でやっていかなくちゃならない。ま、経営力でやれるのであれば、是非とも頑張って頂いて、いい介護サービスを提供してくれれば日本にとっても有益です。そういう民間事業者のお手本のようなモデルができるかもしれませんし。


よく豪華な病院食を提供します、とか有名シェフ並みのディナーをご用意、みたいなのとかあるらしいけど、あんなのも誰もタダでやってくれるのではないわけで、特別室のバカ高い料金に含まれているとかなんだろうね。結局自分が払っているに決まっている、ということ。金出せばそりゃ、やってくれるわな、いろんなサービスを。結局、そういうこと。

安い金しか払わないのにサービスがいいのは、基本的には公的な(官ってことだな)サービスしか有り得ないってのが、根本原則なんだよね。勘違いしてはいけないのだ。ワタミの介護は慈善事業でも何でもない、「払った者だけが相応のサービスを受けられる」という資本主義的原則に基づいているだけだ、ということ。



日本の憲法学者の真意を問う

2007年06月21日 02時06分13秒 | 法関係
コメント(コメント)で情報を頂きましたので、今回は産経新聞の正論に掲載された記事から取り上げたいと思います。


【正論】慶応大学教授・小林節 新貸金業法は憲法違反ではないか|正論|論説|Sankei WEB

タイトルにほぼ全ての要素が詰まっていると思います。中々良い見出し、ということでしょうね(笑)。
中身を読むと、これまでに書いてきた論点が多いのですが、新たな意見が出されていますのでそれを考えてみたいと思います。一応、書かれている内容には、およそ畑違いの「一般論」みたいなものを並べており、単なる個人的感想文を綴ることを否定するわけではありませんけれども、小林教授の意図するところが判りません。ご自身のよく知らない部分については触れない方が、言論の質を落とさずに済むのではないかと思います。それが学者としての評価を下げることを防ぐ方法でありましょう。

憲法学者という肩書きをもって、タイトルにもそのように附しているわけですから、「憲法違反の可能性が高いのではないか」ということを法学的な立場から詳しく述べれば良かったのではなかろうかと思われます。なぜ、その記述を避けたのか、甚だ疑問ではあります。自分の専門領域なのであるから、率直に「昨年成立に至った立法は違憲であると思われる」くらいは踏み込んで論述することこそ、憲法学者というものなのではないかと思います。

違憲である旨の記述は、記事の一部にほんの僅かな記述部分がありました。
『この問題は、他面で既存の多くのまじめな小さな貸金業者から仕事を奪うことで、彼らの営業の自由(憲法22条)、財産権(29条)、極端な場合には生存権(25条)までを脅かす人権問題である。そういう意味では、今回の立法の違憲性が問われてしかるべきであろう。』
と述べておられます。威勢のいい見出しとは趣きを異にしていると思われ、最後の方のこの部分だけがタイトルに合致している、というわけです。期待はずれは否めません。しかも、ふと目をやれば「違憲性が問われてしかるべき」ということであって、何処にも「違憲性が強く疑われる」とか、自分の評価としては「違憲である可能性が高い」とか、そういった憲法学者の意見というものが見当たらないわけです。

素人ゆえの個人的疑問を一応申し述べますと、「問われてしかるべき」というのは誰に問うのでありましょうか。通常であれば、最高裁に問え、ということが結論的に出るのでありましょうが、いやしくも憲法学者との肩書きをお持ちであるのですから、「問われる」立場にあるのはご自身なのではなかろうか、とは思う訳です。法学の世界について”も”全くの無知ですので、憲法学者とは「違憲性」ということへの評価を行ったりはしないものなのである、といった、業界の常識みたいなものがひょっとすると存在しているのかもしれませんが、まずは憲法学者である自分自身に問うてみてはいかがか、と思わずにはいられません。

憲法学者の出された「違憲性が問われてしかるべき」というご意見に対して、私のようなド素人が答えられるはずもありませんが、できるだけ考えてみたいと思います。小林教授は、①営業の自由(22条違反)、②財産権(29条違反)、③生存権(25条)を脅かす人権問題、と挙げておられますので、これを判る範囲で順に見ていきたいと思います。法学的な知識がない故に、用語とか用い方とかが間違っているかもしれませんが、ご容赦下さい。


①営業の自由(22条違反)が侵害されるか

世の中には様々な職種があるわけですが、届出制、許認可制、免許制といった明確な制限が設けられていることは珍しくありません。これらの法的制限というのは、全てが憲法違反ということはないと思われます。もしもそうであるなら、過去の裁判例で判示されていても何ら不思議ではないからです。ところが、こういった行政側の設けた一定の制限というものが広範囲に渡って現在もなお用いられているということになれば、そこには何らかの法学的理由があるものと考えられます。それが何なのか、ということになりましょう。

恐らく、万人の「営業の自由」を守ること以上に、それら営業施設・サービス等を利用するその他大勢の一般利用者たちの利益を考慮しているものと思われ、一部の人々の利益を優先することが必ずしも法的に認められるべきものとは言えない、ということです。一般社会においては、個人に認められる自由とは完全な制限を受けないものとして考えられているものではなく、社会利益(公共の福祉?)が優先されるべき事情があれば、一定の制限を受くるのは止むを得ない、ということではないかと思います。万人に営業の自由を認め、それが何らの制限を受けない場合に、利用する大多数の人々の利益が侵害されるとなれば、いずれを優先するべきか、という問題なのであろうと思います。
例えば、何らの制限を設けることなく万人にフグ料理人としての「営業の自由」を完全に認めてしまえば、これを利用する国民の中にはフグ毒で容易に死亡する事態を生じる虞があり、著しい侵害を生じることが考えられます。これを「営業の自由」の一部を制限して免許制とすることにより、大多数の利用者の権利侵害を防げるのであれば、そのような制限を行政が設けることは認められる、ということです。

新貸金業法(と呼ぶのが正しいのかどうか知りませんが、記事中ではそのように呼ばれていますので、この名称を用いることにします)における制限のうち、上限金利規制や貸出総額(収入の3分の1)規制の要件が該当しているとは考えていないでしょうから、恐らく5千万円の資産(資本金)規制のことを指しているものと思います。これまで合法的営業を行っていた業者で、貸出残高がこれ以下ということになれば、年間売上高は1000万円以下ということになり、現実の収入水準としては厳しいものであると予想されます。合法的営業が可能な売上高水準を想定しますと、5千万円規制が著しく不合理であるとも言えないでありましょう。このような基準を設けることは行政に認められていると考えるべきで、貸金業を営むに当たっての要件として資産を一定以上保有していることは、利用者保護の為に必要と考えられましょう。例えば、最低資本金規制は他の業種でも定められており、証券取引法での証券会社は5千万円、信託業法では1億円となっています。これを違憲立法であるとする法学的理論を聞いたことはありませんが、貸金業だけに特別違憲とするという主張を小林教授は考えておられるかもしれませんので、是非ともそのご意見を拝聴したいと思います。


②財産権(29条違反)が侵害されるか

具体的な詳しい解説が全くない為に、何を想定されていたのか正確には判りかねますが、こちらで勝手に想像して書いていこうと思います。

財産権が持ち出されていることから、上限金利を引き下げられたりしなければ「売上として手にしていたであろう」部分(早い話が、金利収入というお金だね)があって、今回の改正によってそれが手に入らなくなった、違憲立法によって不当に奪い去られた、というようなことではないかと思います。

まず、前提としては、利息制限法という法律は生きているわけです。このような金利規制を行っている法律そのものが「違憲立法である」という主張であるならば、同様な上限規制のあるものについては全て違憲という判断となりましょうか。それは、「そのような上限さえなければ、自由に利息を手に入れられたであろうものが、法律の規制によって手に入れられなくなった」ということでしょうか。取引を間違いなく行っていく上で、一定に決まった利息水準を規定することが憲法違反であるとも思われません(民放や商法に規定が存在していますし)。よって、何らかの利息水準を規定することは、問題ないであろうと思います。では、何が問題となるのでしょうか。

出資法の上限規定とは、「処罰を受ける利息水準」が示されているのであって、例えば20~29.2%の間の利息について支払うことを予め契約によって定め、その契約の履行によって支払われた利息について、貸金業者の財産としての権利を認めているものとは解されないと思います。あくまで任意に支払った場合にのみ、利息制限法の上限超過部分の権利を得るものと思います。

では改正された利息制限法では、任意に支払った上限超過部分の権利主張ができなくなったことが違憲である、という解釈なのでしょうか。例えば売買において、5千円の支払義務のあるものについて、購入者が錯誤によって1万円を支払ってしまうと、「これは任意で支払ったのであるから、売主の財産である」という主張をするのと同じようなものであると思います。本来的には、超過部分については「お釣り」として返却を申し出て、購入者に返還するべきものでありましょう。それでもなお「任意で支払った」場合(釣りはいらないよ、というような場合)には、売主の財産としての権利となるものではないかと思います。これを初めから「返還することはしない」ということを前提として超過部分の財産権を認めることは、円滑な取引を妨げることになりこそすれ、大多数の利用者である一般消費者の保護とはなり得ないでありましょう。

任意で支払う部分については贈与的なものであって、支払側の明確な意思表示がなされていないにも関わらず、受取った側が返還の申し出をすることなくその財産権を主張し、そのような権利を優先的に保護することが有益であるとは到底認められないでありましょう。支払側が明確な贈与の意思表示をする以前から、超過部分についての財産権を受け取り側の権利として憲法が保障しているものとは解されない、ということです。

別な主張の可能性としては、5千万円の資産規定によって廃業することになれば、これまで得られていた利益を手に入れることが不可能になるということなのかもしれません。しかし、経過措置期間はあるのであるから、複数業者が協同で事業を営むなどの対策を取りうることはできます。存続事業者を決めて、他の貸金業者が廃業したとしても、収入や経費は実質的に変わることなく営業が可能でありましょう。単体では届かない基準であるとしても、他の業者と同一の事業を協同で営むことができるならば、5千万円の規定をクリアすることが不可能であるとは考えられません。それを選択するか否かは事業者の自由であり、事前に周知されている基準をクリアできないのであれば、事業を継続することは無理であるということが容易に判断できるのであるから、貸金業者がその対策を講じるべきでありましょう。

経過措置期間が置かれておらず、事業者が対策を講じることが極めて困難であるということでもあれば、事業継続が不可能になってしまうことへの補償ということを考慮すべき場合は有り得ます。しかし、どのような業種においても法改正や行政の判断が変化していくことによる制度改正はあるのであって、事業を継続する為にそれら変更に対応することが求められてきたのは言うまでもないでしょう。従って、仮に廃業することによって、これまで貸金事業から得られていた収入を失うことになったとしても、法改正が著しく不合理であり違憲立法であるとは言えないでありましょう。


③生存権(25条)が侵害されるか

これも主張する点が一体何なのか判り難いのですが、貸金業者が失業してしまうことによって生活が脅かされる、即ち生存権が侵害される、ということかと思いました。

通常の労働者や自営業者などが失業することで、全て生存権侵害となるかと言えばそうではないでありましょう。失業してしまった場合には、失業給付などの制度が設けられておりますが、自営業者は雇用保険に加入できないので失業給付を受けられない、ということなのかもしれません。仮にそうであったとしても、廃業や倒産などに関連する何らかの制度を利用するか、生活保護給付や失業時の貸付制度などはあるので、最低限度の生活を維持することが不可能な状況であるとは言えません。従って、法改正によりたとえ失業ということになったにせよ、違憲ということにはならないであろうと思われます。


以上のことから、
・営業の自由が侵害されるとは言えない
・財産権が侵害されるとは言えない
・生存権が損害されるとは言えない
と考えました。即ち、違憲立法とは考えられない、ということです。

憲法学者にこんなことを言うのは釈迦に説法ですけれども、最高裁判決では具体的事件を離れて違憲審査をする権限を有してはいないそうですから、実際に改正法が施行されて廃業・失業となった貸金業者が提訴してみない限り、裁判所判断を仰ぐことはできないでありましょう。


日本の憲法学者というのは、何かの検討を行ったりすることなく「憲法22条、25条、29条違反という違憲性が問われてしかるべき」というような、安易な意見を新聞に書いたりするものなのでありましょうか。できれば、憲法学者の見解というものについて、曖昧な表現などではなく、憲法学的な表現でお聞きしたいものです。法学上の解釈の相違というものが存在することは受け入れるとしても、憲法学者がただの一つの解釈すら言明しない違憲性というものは、一体どれ程の信憑性があるものなのでありましょうか。どのような裁判においても「憲法違反である」旨主張することは可能なのであり(時々原告側主張で見かけるように思います)、それが認定されるか否かは別として、ありがちな主張の一つとして並べてみた、という域を出ないものではないかと思います。これが日本の憲法学者の標準的レベルということなのでしょうか。